数年前、母に「もう私は一生着ないし、あんたもきっと着ないだろうから着物を処分しようと思う」と言われました。そのときは「そうだね、箪笥の肥しどころか、箪笥で朽ち果てているものね」とか言っていたのですが、処分のためといっていざ箪笥を開けてみると「処分するにはあまりにも惜しい」という気持ちがむらむらと湧いてきて「私が着るから、処分しないで」となりました。
ちょうどそのとき「着付けを習いません?」と声をかけてくださる方が仕事関係でいらしたことがあり、これも何かの縁だろう、と習い始めたわけです。といっても、怠慢そのもので、お稽古にもあまり行かず、当然なかなかうまく一人で着られるようにはならず、その先生がご近所にお住まいということもあって、着たいと思ったときには「ヘルプ!」とお願いし、着付けをしていただいていました。先生の都合がどうしてもつかないときには、しかたなくぐっちゃぐっちゃで一人で着て出かけたりもしていたのですが、今一つ、着物の楽しさを実感できないままでした。
ところがですね「着物でお出かけしましょ」というお誘いを今年は何回も受けて、秋からは何回となく着物を着ています。着つけの練習のために、ほんのちょっと外出するときでさえも着るようにしているほど。けっしてうまくなったとは思わないけれど、やっぱりね、一人で着てみないと覚えません。
伝統的なことというのは何事も同じですが、着物も奥が深い。着付けだけでなく、着物の種類、素材、織り、柄、色など覚えることがいっぱいで、しかも知っていけばいくほど深みにはまっていく......つまり、おもしろい。洋服に慣らされた私には「え? この着物にこの帯の色と柄を組み合わせるの?」とか、「なんでこの着方がいけないわけ?」とかいろいろあるのですが、それも長年積み重ねられた知恵っつーもので理由を説明されると、それまたおもしろい。
しかも着物には、時代物を今に活かすことができる楽しみがあります。祖母が昔、刺繍したという佐賀錦の帯を、骨董市で購入した大島紬(戦前のものだとか)に合わせると、あら、とっても新しい! とっても100年近く前の帯に、80年前の着物とは思えません。同じく祖母が娘のころ、つまり大正前期に着ていた小紋も、帯と帯締と帯揚げを工夫すると50代の私でもまったく無理なく着られます。新しいものではなく、昔のもので組み合わせていくことによって、新しいモードになるっていうのも着物ならではの楽しさかもしれません。なーんて、私みたいな超初心者がどうこういうのもおこがましいのですが。
まだ着つけも着こなしもまったくなっちゃないのですが、今年の忘年会も来年の新年会も、気合いで着物を着ていこうとるんるんしています。