Glamorous Life

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2012年12月

いやー、今年も早かったですね。あっという間に1年が終わろうとしています。年々加速する。 いろいろなことがあったようで、「ん? それ今年のことですか?」とつい首をかしげたり。あまりにも時間のたつのが速すぎて、記憶があいまいになります。 12月の初めから、しばらくシチリアに行ってきました。前に勤めていた会社の同僚たちと一緒。この仲間はほんと私にとっては大変貴重です。もう30年以上にわたるつきあいですが、仕事を離れてずいぶんと深いつきあいが続いていて、このまま長く長く大事にしたいなあと思っています。今年はこういう人間関係の大切さをあらためて知る年でもありました。 それはさておき、何枚か画像をアップしておきますね。 シラクーサはシチリア島の東海岸沿いにあり、紀元前8世紀にギリシャ人が入植したとか。神話の時代からあるといっていいほど古い街は、陸地から突き出た小島、オリティージャ島に凝縮されています。ホテル脇の路地をあがっていくと、いきなり開けるドゥオモ広場。私たちしかいないように見えるでしょうが、そのとおり、カフェも全部閉まっていて、歩いている人がほとんどいません。12月というオフシーズンだからでしょうね。(ちなみに飛行機もすいていたし、ホテルも安かった。閑散としているのがいやじゃなければベストシーズンです) th_DSC03099.jpg シラクーサから北上した東海岸沿いのタオルミーナは、欧州各地から観光客が集まる高級リゾート地です。背後には富士山よりも高いエトナ山がそびえていて、目の前はアドリア海。風光明媚なところでした。ここでは何回となく虹を見ました。 th_DSC03330.jpg エトナ山にものぼりましたよ。車で登れるところまであがったのだけれど、寒い風が強い、歩けたもんじゃありません。少し風をよけたところで、とにかく来ましたよ、の証明写真。 th_DSC03326.jpg 南に下ってアグリジェントに行くとアフリカがすぐ近く。カルタゴが何回となく攻めてきたっていうのがよくわかります。シチリアは6月以降の夏には40度を超える酷暑で、全土が土色になってしまうそう。12月に入ってようやく気候が温かい程度になり、雨がふって一面緑とお花の絨毯になります。アグリジェントはアーモンドの花も咲いていました。ここでは考古学公園と博物館で遺跡群を見学。掘れば掘るだけ、ギリシャ、ローマとどんどん出てきてしまう。古代人、すごいわ。 th_DSC03407.jpg 南のアグリジェントから一気に島を縦断して北の州都、パレルモへ。陽光あふれる南に比べると、ちょっと暗い街でしたが、ここではまさに文明の十字路、シチリアを実感。イスラム建築にバロックだのビザンチンだの様式がごったまぜになった教会や宮殿が建ち並んでいます。その中の目玉はパラティーノ礼拝堂。そして西にある町、モンレアーレにあるドゥオモです。画像はパラティーノ礼拝堂の祭壇。 th_DSC03481.jpg シチリアはごはんがおいしい! いや、正直に言うと料理はいまいちだけれど、ワインがおいしいのでなんでもおいしく感じます。肉もうまいが、魚介類が最高。最終日に出かけたレストランでは、シェフが私たちのためにムール貝を選んでくれました。 th_DSC03576.jpg さて、そろそろ2012年は終わりを告げます。 皆様にとって、2013年が楽しいこと、うれしいことがたくさんあるすてきな一年でありますことを、心より祈っております。 2013年もグラマラスライフをどうぞよろしくお願いいたします。 アドリア海に昇る朝日の画像です。こんなまぶしい朝日が明るい気持ちで眺められる日がたくさんありますように! th_DSC03375.jpg

50代に突入したとき、「(まわりにあまり遠慮せず)やりたいことは全部やっておこう」と決意。その50代の9年目が今年。8年目だった2011年は東日本大震災があり、呆然としているうちに終わってしまった観がありました。仕事もあまりなく、毎日「私は何ができるだろう」『何をすればいいのだろう」と考えているだけで、ちっとも身体を動かしませんでした。 2012年、今年が明けたとき、正直「もう私のキャリア人生は終わったな」と思っていて、何か新しいことを始めよう、新しい働き方/暮らし方を模索しよう、ちゃんとつぎのステップに向けて身体を動かそう、なんて考えていたのです。 ところが、年明けから仕事が立て込んで、締め切りに追いまくられる日々がなんと12月末まで続いてしまいました。今年は訳書が3冊、雑誌の仕事がほぼ毎月のようにあり、海外出張にも行ったし(マラソンも走ったし)、大型の旅行もしました。12月2日まで、仕事をまったくしない、という日は1日もない、といってもいいほど。ほぼ毎日、辞書を引くか、原稿を書くか、ゲラを読むか、資料の本を読む、という日々。それはそれでとても楽しかったのですが、途中で「ああ、何もしないでいい日がほしいなあ」というぜいたくなことをつぶやいてみたり。 海外からの留学生も4人お預かりしました。フランス人3人、韓国人1人。16歳から18歳までの高校生たちですが、みんな日本語がうまいし、日本に関心があるし、大きな世界観を持っているし、ほんといいお子さんたちでした。震災時には1人も留学生がホームステイしなかったことを考えると、こんな日本に来たいと行ってくれる勇気あるお子さんたちが4人もいたことに、感謝の気持ちさえわきました。 という中で、一番のトピックスは、なんといっても娘の結婚です。昨日、娘夫婦が遊びにきてくれたのですが、ちょうど1年前に彼が結婚の申込みに来てくれたときのことを思い出して、しみじみ「落ち着くところに落ち着いたんだな」と思いました。最初はカップルとしてぎごちないように見えた2人が、昨晩はとてもしっくり似合いの夫婦になっていました。10月の挙式もこじんまりとしてアットホームで、2人の性格がよくあらわれていました。娘の幸せな様子を見ていると、これ以上ないほど嬉しいし、ほっとします。 2013年はどんな1年になるのでしょうか。ではなく、どんな1年にしましょうか。 「やりたいことは全部やる」という決意の最後の1年です。もうすぐ、どれだけやりたいと思っても、周囲の状況がそれを許さない時期がやってくるでしょう。それはもう確実に。親の介護、孫の世話、家族の健康状態、日本と世界情勢の変化など、私がいくらがんばっても、経済的、時間的、体力的、精神的余裕がなくなって、やりたいことをやる余裕がなくなる時期は刻々と近づいてきています。哀しいけれど、それが現実。それ以上に「とくにやりたいことがない」と自分に思い込ませなくてはならない時期がくるのが恐い。 と、そんな悲観的なことは考えずに、2013年も思いっきりやりたいことをやりまくる毎日を過ごしたい、とまた決意をあらたにしています。 あまりブログの更新ができない1年でした。そこは反省。来年はPCも一新して、もっと更新ができるようにがんばります。

ガンバ大阪 1−0 鹿島アントラーズ  ラウンド16町田戦はシチリアに行っていたので不参加、準々決勝セレッソ大阪戦の大阪ダービーは書道合宿に行っていたので不参加、というので、ぜひとも行きたかった準決勝@エコパ。でも、娘夫婦が「もうこの日しかないから新婚旅行のおみやげを渡しに行く」というので、悩んだ挙げ句、不参加を決意。そうメールしたら、娘が「私たちのことは気にせず試合に行ってきて。試合は1回しかないんだよ」とやさしい言葉をかけてくれたので、前日に参加に切り替えました。たぶん、勝てたのは彼女のおかげ。(娘は長年アントラーズサポだったんだけれどね)  さて、試合。隣で観戦していた方が、「前半も後半もアントラーズ側で試合しているから、いっこうに盛り上がれない」とぼやいていましたが、その通り。得点はもちろん、後半はほとんどアントラーズ側にはりついて試合が進んだので、よくわかりませんでした。 でも、CKからショートコーナーでフタがヤットに返し、ふんわりしたボールが曲線を描いて、曽ヶ端の手をすり抜けてネットを揺らしたところまでは、まるでスローモーションのようにくっきりと見えました。そのわけは、その時間帯だけ、まるではかったように太陽が雲間から顔を出して、ピッチの上にくっきり影が出るくらい明るく照らしていたからです。その後のガンバの速いパス回しにも、まるで舞台の上で躍っているダンサーたちみたいに、選手たちには太陽光線のスポットライトがあたり(アントラーズ側だったけれどね)、15分間くらいは心が弾みました。危ういシーンはトイレに行っていてみないですんだし。 ところが後半、やっとこれからガンバの攻撃が見られるかな、と思ったら、アントラーズに攻められる攻められる。GK武田と岩下を中心に、みんなで跳ね返す跳ね返す。何度か、もうアカンと思ったシーンがあったけれど、遠方から見ていると、アントラーズの白いユニが点在するものの、真ん中はガンバの青いユニががっちり固まっていてゴールに付け入る隙がない......ように思えました。アントラーズが攻め疲れして、同じパターンでボールを動かしてくれたのも助かった。 主審のム★★ミって、前もなんかひどいジャッジを連発しているように思えたのだけれど、なに? ガンバに恨みでもあるの? とくにCKと線審がコーナーを指し、ヤットがボールをセッティングしたのにゴールキックのジャッジ。あれはない! 勝ったからいいものの、あれは問題っすよ。 さて、3年ぶりの元旦国立。私は今年のお正月以外は20年ほど国立通いをしていたので、久しぶりの感じはありませんが、それでもガンバがお正月に国立に立つのは感無量です。チケットチケット、と帰りにファミマで買おうとしたら、「空席あり」なのに「売り切れました」。がーんとローソンに走ったのですが、そこでも「空席あり」なのに「チケットの用意ができません」。家からネットでようやくチケットぴあで購入。やれやれ。やっぱりね、勝ち上がると信じて購入しておかないとダメですね。 では、ガンバサポの皆様、元旦に国立競技場でお目にかかりましょう! 

2012年シーズンの最終戦となったVS磐田戦は、もう苦しくて息があがっちゃって、身体がふるえた2時間でした。 降格が決まった瞬間、もう見ていられなかった。選手のことも、サポのことも、見ていられなかった。見られないのは弱虫だ、と思ったけれど、テレビを消して外出しました。翌日からイタリアに行くっつーのに、走りにいったものね。同志にメールして、一緒に観戦できなかったことを謝りました。あの場にいたかった。共有したかった。 でも、磐田戦に負けたから降格したのではありません。今年はプレマッチからもうダメでした。ほんとに酷かった。1年間、いったい何をやってきたのか。チームは右肩上がりに成長するだけじゃないとはわかっているけれど、それでも納得がいかなかった。なぜなんだ? なぜこんなしょうもないサッカーをやっているんだ、とずっとつぶやき続けていました。 ブログを書くのもやめちゃって、ほんとに弱虫だったと思います。一緒に戦ってなかったよね。 それでも、毎試合、いや、ほぼ毎日ガンバのことは考えていました。 ガンバの今のスタイル(3点とらなきゃ勝てない、2点取られたら5点取る、というバカサッカー)の終わりというか陰りは、2010年から始まっていました。2008年をピークにして、サッカーがまたおもしろくなくなっていって、しょうもない失点でアホのひとつ覚えみたいな『攻撃」を繰り返してジ・エンドっていう試合が年々増えていきました。成績こそなんとか3位に食い込んでいたものの、2005年から2008年にかけてのイケイケサッカーは陰をひそめていました。 だから、マスコミもサポも言っているように、「監督交代の失敗」だけが弱体化の原因ではない。兆しはあったのに、布石が打てなかったのが問題でした。 ただし、降格はクラブの責任です。何のビジョンもないせホーン・ロペス体制で、まず150%が「危ない!」と予感したし、少なくとも西の雄を名乗るのならば、そういう失態は絶対におかすべきではなかった。降格の原因はすべてそこにあります。 実はもう5月から覚悟は決めていたので、降格したことはショックで悲しいながらも、そうひどく落ち込みはしませんでした。(降格の翌日から日本にいなかったしね) でも、海外でやっとつないだネットで読んだ記事には、降格したチームへの悲哀以上に、クラブに対する怒りのほうがこみあげています。 またもや、ビジョンがない! 再建サイケンって、いったい何がしたいねん?  昇格するだけでいいのか? 若返りをはかるのか? 攻撃サッカーを貫くのか? それともJ2仕様でカウンターに強いディフェンス仕様に切り替えるのか? 監督選びこそがそのビジョンをもっとも表すものだと思うのに、いったい何がしたいのか見えません。少なくともシロウトには見えないぞ。 怒っていても仕方ないので、来年の遠征計画とかで無理矢理心を躍らせることにします。 とりあえず、九州と四国には行くぞ!

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