仕事が立て込んでくると、映画を観る余裕がなくなります。だから昨年は、10本ほどしか観ませんでした。それではやはり心が乾燥して感性が枯れてくるような気がするので、少し時間の余裕があるときにまとめて観る観る。 どんな水をかけてもらったか、の記録です。 「最強のふたり」 フランス映画。事故で機能障害を負った大富豪と、その介護を引き受けるはめになった黒人男性との交流を描いた「涙と笑いのストーリー」。実話だそうです。確かに笑ったのですが、涙は出なかったなあ。フランス社会の「持って生まれてきた人」と「マイナスから出発した人」が、持って生まれてきた人にハンディを負わせることで対等の関係になるって感じがしてちょっとざらりとしたものを感じました。 それにしても、パリの大富豪って格が違う。いや、まったく! 私が気に入ったのは、メイドさん。大富豪に仕えるメイドさんも格が違いました。 「シェフ〜三ツ星レストランの舞台裏へようこそ」 レストランもの、またキッチンものの映画が好きです。「ディナーラッシュ」「星降る夜のリストランテ」「ソウル・キッチン」「かもめ食堂」どれも好き! なので、期待を込めて観に行きました。うーん、ちょっと期待とは違ったw。終わり方があまりにクリシェ。見え見えじゃないか。それとある意味ダメ男のジャッキーに、あんなにきれいでやり手の(でも底が浅そうな)彼女がいるってどうよ! それはともかく、この映画はレストランを舞台にはしているものの、ジャン・レノとミシェル・ユーンのコメディアンとしての演技こそが見所って映画でした。その意味では十分に楽しめる。ゲラゲラ笑っちゃったし。 一番の見せ場は、三ツ星再生のためにジャン・レノとミシェル・ユーンがサムライと大奥(?)に扮して、パリの日本レストランにこっそり(?)偵察に行くところ。そう、そう、そうだよ、海外大都市の日本レストランって、どんどんおかしなことになっちゃっていて、もうギャグにしかならないよね、ってここは笑いながら激しく頷きました。 「東ベルリンから来た女」 統合前の東ドイツ。ベルリンで当局の意図に反することをやらかした女が、海辺の田舎町に送られてくる。彼女は医者で、どうやら優秀らしい。彼女を出迎えるのが、やはり何かやらかして左遷された男性の医者。女性は西ドイツの男性とつきあっていて、亡命をたくらんでいる。でも田舎町の医者は彼女に迫る迫る。彼女が自転車で通勤するから、と送っていくという彼の車への同乗を断ると、自分も自転車通勤。かわいい! おまえは16歳か! 映画は執拗に、「統合前の東ドイツってこんなに遅れていて、こんなに貧しくて、自由がなかったんだよ」という逸話を積み上げて行く。吹き付ける冷たい海風のゴーゴーと唸る声が終始バックグラウンドに流れて、みじめさがよけいにつのる。 でも、最後にたぶん監督が「こんなに辛い内容ばかりじゃちょっとね」と思ったのか、「救われる」結末になっています。ちなみに映画の原タイトルは「バルバラ」。東ドイツじゃこの名前だけで目をつけられそうです。 「かぞくのくに」 もうね、どうしたらいいのかわからない。何を言ったらいいのか、ほんとにわからない。観終わったあとの気持ちです。銀座のレイトショーで観賞したのですが、タイトルロールが流れても、席を立つ人がいなかった。満席の客席には、何とも言えない空気が流れていました。私の隣に座っていた30代の男性と、その隣の60代の男性(そう、なぜか男性客が多かった)は、あかりがついてもコートを握りしめたままスクリーンを見つめていました。それくらいのインパクトだった、ということでしょうか。 北朝鮮が3度目の核実験を行ったというニュースが流れたとき、私はあらためてこの映画を観ながら味わった「何をどうしたらいいのか」という思いを味わっていました。 感想をあれこれ言うより、ぜひ観てほしい。東アジアで緊張が高まっている今だからこそ、多くの人たちに観てほしい。 テレビでこの映画について話をしていたヤン・ヨンヒ監督が、「兄とまたビールが飲めたら......」と言って絶句し、涙ぐまれたことも忘れられません。映画の原作であり、たぶんヤン監督の実体験が反映されているのであろう「兄」もぜひ! 「塀の中のジュリアス・シーザー」 イタリア、ローマ郊外の刑務所。更生の一助として演劇実習が行われ、囚人たちが外部の人たちに向けて上演する。映画で選ばれた演目は、シェークスピア原作「ジュリアス・シーザー」。刑務所内のあちこちで行われる練習風景の映像がつなぎあわされていきます。台詞の一つひとつに、囚人俳優たちは自分たちの思いをこめ、ときに役に入れこみすぎて涙を流し、怒りを爆発させ、本気で喧嘩してしまう。 タビアー二兄弟監督のテーマは、たぶん「自由とは何か?」。古代ローマ帝国での「自由とは?」国家は市民の自由をどうコントロールするのか? なぜブルータスは親友のシーザーを殺さねばならなかったのか。彼が暗殺の名目とする「独裁を許さない!」「市民の自由を守るため」とはどういうことだったのか? そんな疑問を観客と自分たち自身に投げかけながら、囚人俳優たちは演じ続けます。 この映画の圧巻は、最後のシーンです。ネタばれになるので書きませんが、最後のシーンで囚人俳優たちは「自由とは何か?」について、初めて答えを見つけたような感じがしました。 「桃(タオ)さんの幸せ」 香港で暮らす映画プロデューサー、ロジャー(アンディ・ラウが演じています。50代になってもセクシー)。彼の家に60年間仕えたメイドの桃さん(ディニー・イップがいい味を出しています)。13歳のときに身寄りをなくして住み込みのメイドになり、ロジャーの兄弟姉妹だけでなく、その子供の面倒も見てきたタオさん。家族は皆カナダに移住し、映画の仕事がある関係で香港に残っているロジャーの面倒は、タオさんの肩にかかっています。心臓が悪くて手術をしたことがあるロジャーの健康を気遣い、毎日鮮魚(本当に生きてはねているのを水をはったビニール袋に入れて持って帰る)や野菜をたっぷり買って、とびきりのごちそうをつくって食べさせる。自分は残り物を猫と分け合い、立って食べる。ロジャーはきれいに片付いた快適な部屋で、出されるものを平らげることに何の疑問も持っていない。 そんな平穏な生活が、プツンと途切れます。タオさんが脳溢血で倒れたためです。老人ホームに入るタオさん。独り部屋とはいえ、狭くて薄汚れていて、しかもトイレのにおいが充満しているらしい。いろいろな境遇の人が入居いる中で、しだいに存在感を増していくタオさん。彼女を見舞い、「息子です」と名乗るロジャー。このあたりはちょっとおとぎ話ですね。 偶然なのかどうか、これまた階級の違う者同士の心あたたまる交流ストーリーでした。でも、「最強のふたり」よりはるかにその関係は温かかった、と思うのは、私がアジア的感性の持ち主だからでしょうか。でも、アン・リー監督らしいいい映画でした。