Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2013年10月

昨日、前節の富山戦のことをアップしたところですが、今日はもうつぎの試合。シーズン前には長く思えたJ2暮らしですが、あっという間にシーズン終盤を迎えています。まだわかりませんが、残り試合はわずか4つで、3位の京都との勝ち点差が8となると少しは落ち着いて4試合を見られるでしょうか。ご指摘いただいたように、考えてみれば3位チームとの直接対決を残している現状では、神戸はともかく、ガンバはたいへんに危ない、とやっと気づきました。まずは熊本に必勝しないと、ほんとヤバい。なので、書き直し。 気を緩めたらアカン! さて、9月から足踏み状態だったガンバですが、ヤットさんをFWにあげて宇佐美に点をとらせる戦術がはまって、前節は得点こそ3点ながら、宇佐美が得点の起点になるプレイが功を奏して快勝。 そして今日の試合、宇佐美は5得点中4点をあげるスーパーな活躍でした。 宇佐美選手は中学生のころから「異次元(スペシャルな才能を持っている、という評価)」扱いされてきた選手です。私もユースのころに何試合か見て、異次元! と思ったこともあります。問題は、すごいときはすごいのだけれど、それほどでないときもある、ということ。得点するたびに「宇佐美の個人技でとった」とか言われますが、実はそうではない。前線で一緒に組む相手に得点能力が左右されるタイプなのではないか、と私は見ています。スペースをつくってくれる相棒がいれば、また質の高いパスをもらえれば、彼にはそれを活かしてゴールという結果に結びつける力があります。 たった一人の個人技では、どんな異次元レベルの選手でも、たとえJ2でも、いつもいつも得点する、というのは無理です。 (昨晩行なわれたクラシコを見ていたときも、Cロナウドやベンゼマ、ベイルくらいの異次元レベルでも、やっぱり一人では無理なんだなあ、と思いました。私はこの3人が好きではないので、よけいにそう思うのかもしれませんが。話は違いますが、ネイマールはサッカー史上に残るすごい選手になる予感がします。コンフェデのときには「すごい」ということしかわかりませんでしたが、昨日のクラシコを見ていて、戦術眼や献身的なスペースをつくる動きの質もすごい、と感心しました) だから、ヤットさんというスペシャルな才能ある選手を相棒にすることで、宇佐美は異次元なプレイがもっとできるのではないか、と思っていました(神戸戦のときから)。 それをはっきり証明したのが、今日の4得点だったのではないでしょうか。 1つひとつのゴールが異次元レベルでしたが、すごいのは全部違う得点パターンだったことです。1点目フェイントを入れてDFをかわして大森からのグラウンダーのクロスを流し込む、2点目後ろからのロングパスを半身で受けてドリブルでDFをかわして右サイドからゴール左隅に強烈なシュート、3点目加地さんとスイッチしてペナルティエリア内に入り、DF3人とGKをかわしてゴール、4点目ペナルティエリアの外からのミドルシュート。どれも美しいフォームとすばやい足のふりから繰り出されたため息が出るほどの見事なゴールでした。 彼の異次元ゴールは、ドイツに移籍する前にも何回も見ています。いわば異次元の既視感。 でも、今夏帰ってきてからの異次元レベルは一つも二つもあがっている感じがあります。 あと何回このプレイを自分の眼で見ることができるでしょうか? そして至福を味わうことができるでしょうか? 宇佐美選手がガンバにいてくれて本当によかった(他チームにいたら、ガンバなら毎回5点はとられている)と胸をなでおろすとともに、何回も異次元プレイで至福を味わいたい、と願ったのでした。

もう明日は徳島戦。今更ですが、一応記録として富山戦のことを書いておきます。 なんだか盛り下がり気分で万博到着。朝からすごく忙しくてバタバタしていたので、SB席に座ってほっと一息って感じでした。万博、落ち着くわー。新スタジアムになったら、もっとat homeな感じがするかしら? ほっとくつろいでいるうちにキックオフ。 栃木戦、大宮戦と相手のプレスにおされて主導権がとれない試合を見せられてきた私は、打って変わってプレスをかけまくるガンバさんに目を見張ります。なに、それ? 自分より弱い子たちには圧力がかけられるけれど、ちょっと強い子たちに押されるとえーんと泣きべそをかくってわけですか? ジャイアンになれよ、ジャイアンに! いや、ちがったドラえもんになれよ!(もっと違) ここ数試合とちがって、点のにおいがほんわか漂い、相手に1本たりとシュートを許さないうちにしっかり先制点。大森に点をとらせようと必死の宇佐美からのおしゃれヒールパスを受けた大森がシュートしたところ、DFにはじかれる→すぐに倉田が拾ってゴール。美しいゴールでした。軌道が目に焼き付きましたよ。よかったね、秋。復帰後初得点です。 この試合ではヤットさんがFW登録の出場で、さすがのプレイを何回も魅せていたのですが、この得点のすぐ後、気が緩んだのかそれとも足の具合が悪かったのか、今野さんに無理やりのバックパス、かっさらわれて得点。え、え、え???? なんやのん、今の、と絶句。萎えたわー。ガンバお恥ずかし失点のNO3にはランクインする失点でありました。(ちなみに私の記憶するお恥ずかし失点のもう1つは、2006年対名古屋@万博、ぼんやりボールをキープしていたヤットさんがボールをかっさらわれてあっさりミドルを決められたもの。あともう一つは、2010年やっぱり対名古屋@瑞穂、ロスタイムのフリーキックでの松代さん万歳ゴール) でも、この日のガンバは失点してもちゃんとなんとかしようとあせり(若手だけに色濃いあせりでしたが)、ますますプレスを強めて富山のボール保持を許しません。そのかいあって、FWへのパスを奪った西野@さわやかイケメンがそのままドリブルで持ち上がり、宇佐美→加地さんからのめずらしい(ごめん、加地さん)見事なクロスをヘディングでたたきこんで勝ち越し点をあげたのでした。このときの軌道(クロスと得点両方)も忘れられませんね。 そして後半のいい時間帯に、内田→宇佐美で3点目。あとは「大森クンに点をとらせよう大会」に終わったガンバでした。大森くん、はよ皆の期待にこたえてーな。 そんでもって万歳三唱、気持ちいー! その後、同じ万博であったユースの試合も見て、「ガンバの未来は明るいじゃないか」と胸を躍らせながら帰京したのでした。(勝つとすぐに日が昇り、負けるとすぐに日が沈む、忙しいサポ心理) と、試合のことはさておき、この日、フットボールサミットでガンバ特集が出ていると知り、翌日、紀伊国屋まで買いに走りました。 でも、仕事がすごい詰まっていたので我慢我慢で封を切らず、ようやくおととい一息ついたところで読みましたよ。ああああああ、こういう雑誌を待っていたのよー! おもしろい!! 永久保存版!! 金庫にしまって末代まで残したい。できれば、実川家の家宝にしたい。J2なのに、こんな雑誌をつくってくれるなんて、フットボールサミット最高! 第2号を待ってます! 

えーっとどこまで書いたんだっけ? あれ? もう帰国してそろそろ1ヵ月なんですけれど......と凹みそうではありますが、おうちに帰るまでが旅行記録ですからね、がんばりますよ。 さて、タンジェからフェリーでスペインに戻ろうとした私たちですが、まず「フェリーの出港時間がわからない」という大きな問題にぶつかりました。 8時、10時、と2時間おきに出ている。だが、12時発はない。というところまでガイドのオマルさんから教えてもらい、かつホテルのフロントで確認しました。 「それじゃ14時発に乗ろう」ということになり、タクシーを頼んだら「ここはモロッコだからね、何時に船が出るかなんて、ほんとわかんないよ。早めに行って港で聞いたほうがいい」というので、2時間前の12時にホテルを出発することに。ホテルからフェリーの発着所までわずか10分なんですけれどね。まあ、こんなところを通っていくので10分かかる、とも言えます。歩いてもたぶん15分だな。 th_DSC05186.jpg というわけで、12時15分にはもう港に到着し、チケット売場で「タンジェ行きは何時発ですか?」と聞いたら、えーっとたぶん14時、もしかすると13時、とか言うのですよ。どっちなんだよっ! ちなみにチケットに時間は書かれていません。 あっちゃこっちゃで聞きまくって、どうも14時らしいというビミョーな結論に達し、時間があるからお昼を食べようとカフェに入りました。 そしたら、後ろに座ったスペイン人の船関係っぽい人たちが「13時に出るのがある」とか言うのですよ。 慌てて大荷物を抱えてカフェを出たら、係員が「こっちこっち! 早く早く、13時に出るよ」と言うので、パスポートとチケットを振りかざし(出国手続きがいる)、小走りで大荷物を抱えてフェリーに乗り込みました。 座ってふーと一息ついたら、まー、乗ってくる乗ってくる、たぶん1泊観光でやってきた団体客がぞろぞろ乗ってくるではありませんか。出発予定の13時を過ぎても、13時30分を過ぎても、その人並みは途切れることがありません。 そして14時が過ぎても出港の気配なし! 14時30分にようやくアナウンスがありました。 「当船は技術的な問題により出港を見合わせております」 ええええー! 私たちもう1時間40分待ってるんですけれど。 脳裏をよぎるのは、ホテルのフランス人たちの「ここはモロッコだ。時間だけでなく、あらゆる常識が通じないと思え」という忠告です。 結局、15時30分くらいにやっと出港。すでにあきらめモードで日本の家族や友人に絵はがきを書いて時間をつぶす私。 スペインでの入国手続きにも手間取り、結局アルヘシラスでレンタカーを借りて出発できたのは18時30分ごろ。アルヘシラスからはわりにすんなり高速道路に乗れたのですが、マラガに到着したのは20時。当然ながらすっかり日は落ちて、「どうもマラガは大都会らしい」ということしかわからないまま、街の中心にあるホテルにチェックインしたのでした。 マラガという標識が出てきたときにはほっとしましたよ。 th_DSC05203.jpg とにかく、飯だ、飯! 今日こそはパエリアを食べるぞ、という声とともに夜9時にディナーに繰り出しました。もうこの頃には、「夜8時から夕飯」というスペイン時間にすっかり慣らされてしまっていた私たち。 マラガは何にも(見るべきもの、つまり世界遺産とか)がないところだ、とか聞いていたのですが、さすが大都会で、おしゃれ! 思えばアンダルシアに来て初めて高級ブランド店とかおしゃれなブティックとか見ましたよ。タンジェのメディナ帰りの私たちには、何もかもが高級、ヨーロッパ、モダンに見えてしまう。残念ながら、夜で店は閉まっていましたが。 th_DSC05206.jpg th_DSC05205.jpg 道行く人をつかまえて、「このへんでパエリアが食べられる店、知ってる?」とへったくそなスペイン語で聞きまくり、なんとか滑り込み。私はパエリアは食べられない(海老が入っているから)のですが、いかにもスペイン〜という料理と、マラガ近郊産のワインをがっつり飲んで、満足満足のディナーでした。 th_DSC05222.jpg そして翌日はマラガの目玉であるピカソ美術館を見たあと、いよいよグラナダへ。憧れのアルハンブラ宮殿を訪れたのでした。 マラガって、なかなかの大都会だ、ということを実感した翌朝。ホテルのテラスからです。 th_DSC05229.jpg

しだいに佳境に入りつつあるこの旅行記録ですが、しだいに記録としての価値に疑問が芽生えてきてもいます。でも、まあ本人のメモだからね、と言い聞かせてタンジェ滞在の続きです。 モロッコでの買物で何がたいへんって、値段がついてないのでいちいち時間をかけて交渉しなくてはならないことです。しかも、たいてい信じられないほどの高値を言ってくるので、まずは10分の1の値段を言って歩み寄りです。 店に入る前に必ずオマルさんがつばを飛ばしながら言うこと。 「オマル、いい人。この店の人、友達。だからいい人ばっか。誰もプッシュしない。この店はあなたたちのホームだと思ってくつろいでください」......いやー、プッシュしまくりでしたよ、オマルさんも店の人も。どこがホームなんだ! ずーっとアウェイ気分を味わいましたぜ。 絨毯屋の屋上は「絶景です! あなたの家と思ってどうぞどうぞ」と案内されました。しかしその後、すぐに絨毯販売会が始まりましたが。 th_DSC05092.jpg 連れて行かれた土産物屋は、絨毯&アクセサリーを中心とするいわゆるお土産物屋さん(私はアンティークのピアスと父へのお土産として石を彫った人形を購入、夫がアンモナイトと三葉虫の化石を購入←この話はおもしろいので後述)、薬屋(モロッコ産のアルガンオイル、蚊よけ虫よけの香料入りクリーム、薬草からの料理用スパイスやハーブなどを、薬屋さんの口上つきでつい購入) モロッコスリッパ屋(ビーズ刺繍に魅かれて革スリッパ購入)、民族衣装屋(娘が「大学のゼミの同窓会に着ていく」とカフタンを購入)、生地屋などです。生地屋でスカーフを巻かれ、「似合う似合う、50ユーロ」と叫ばれた娘。もちろん買いませんでした。 th_DSC05138.jpg 夫はモロッコに行くと決めたときから、「化石を買う!」と決めていて、土産物屋に座るなり「化石を見せてくれ」と言ったもんだから、お兄さんが張り切ってどーんと石を持ってきました。 三葉虫の化石を見た瞬間、娘が「きゃー、ごきぶりみたい!」と逃げてしまい、ほかの面々も興味がないあまりに消えました。 その中で夫がつぎつぎと出てくる三葉虫とアンモナイトを前に、お兄さんと丁々発止。 気に入った化石2点を前に、相手が言ってきたのは150ユーロ! 夫がうーん、150ユーロかー、とかなんとか言っているので、これは危ない、と私が「ま、20ユーロだね」と牽制。 お兄さん、「話にならん」と私を無視し、夫に「サハラ砂漠に行くだけでも、150ユーロくらいかかる。ものすごく勉強している値段だ」とかなんとか言っている。あんたがサハラ砂漠に行ったわけじゃあるまい。 私に言わせると、なんで三葉虫とアンモナイトの石に2万円近く出すのか全然わからない。 でも、夫も毎回私がアクセサリーとか服とかに目の色を変えるのがわからないのだろう。だから今回は、夫が欲しいというのであれば、私も協力しようじゃないか、と思い、大幅に譲歩して「2点で35ユーロ」と言ってみる。(何が大幅譲歩なんだか) お兄さん、完璧に私を無視し、夫に化石のすばらしさを得々と説いている。夫は「うんうん、そうだね、わかってるよ」と言いつつ「それなら2点で50ユーロ出そうじゃないか」と、いかにも太っ腹そうに言っている。お兄さん、いいカモだと思っていたのに、妻の「35ユーロ」を聞いていきなり強気にねぎる夫を見て、「奥さん、下にアクセサリーがあるよ、見て来たら」と追い払おうとする。 私はなおも「35ユーロ」としつこく言い張ってみたのだが、やっぱりこれは夫が買いたいものを買わせてあげなくちゃ、と思って、アクセサリーショップ見学に切り替えました。 結局、2点で70ユーロで手を打ったそうです。 この旅行中、夫が一番生き生きとして楽しそうだったのが、この化石ショッピングでした。 さて、午後には新市街を女4人で歩いてみることにしました。 メディナでは買えなかった小物の土産物を買う、という目的もあり、フランス広場からパスツール通りをだらだら下ってショッピングです。 メディナでは見かけなかった、ジーンズやカジュアルファッションの女性たちも新市街を歩いていました。でも、圧倒的多数は何をするでもなくカフェでミントティーを前におしゃべりしている男性たちでしたが。成人男子失業率15%を実感です。道路脇で目立ったのが、靴磨きの人たち。腰掛けるのが、自転車のタイヤを組んだもので、どうやって座るのかが見たかったのですが、客は現れず。 th_DSC05184.jpg ふと見つけた本屋さんで、娘がアラビア語の初級者用読本や練習帳とか下敷きを購入。そしたらベルベル語の下敷きもあって、一気にテンションが上がる母娘2人。ベルベル語、面白そう! 私はその他に、タンジェ出身の作家、モハメド・チョウクリの「裸のパン」(フランス語)を購入。自伝的小説ですが、かなり壮絶な話でした。 購入したお土産と、最後に本屋のお兄さん(ちらっと顔を出している)と店長と記念撮影。 th_DSC05150.jpg th_RIMG7768.jpg 夕飯は、ホテルで紹介してもらったフレンチ・レストラン"Art et Groumet"へ。このレストラン、まず立地がいい。グランソッコの一角で、テラス席からは広場が一望できます。 料理もタンジェとは思えない繊細で美しい盛りつけ&味。ワインもおいしかった。メニューがキャンバスになっていて、裏に絵が描かれているなんていう気の利いた演出もありました。中でもおいしかったのが、おこぜのカルパッチョ。気に入った! th_DSC05166.jpg 客は大半が西洋人(というかフランス人)でしたが、1組、今回の旅で出会った最高のモロッコ美女たちがいて、一緒に記念撮影。 th_DSC05171.jpg デザートもとってもしゃれていて、私たちが「おいしい!」「きれい!」と褒めちぎったせいか、大盛りのアイスクリームまでつけてくれて、どれも完食。満足満腹。お値段はそれなりにしましたが、食を満喫した感じがしました。でも......モロッコでフレンチに感激ってどうなんだろう? th_DSC05172.jpg タンジェの夜はにぎやかにふけていき、翌日はまたジブラルタルを渡ってスペインに戻ります。 ところが、そうは簡単にはいかなかったのです。 私たちは無事、ヨーロッパの地を踏めたのでしょうか? バタバタと駆け回ったタンジェの旧港風景です。 th_DSC05046.jpg

再開。9月25日 旅行6日目 今回の旅のハイライト、モロッコの、というよりアフリカ大陸への北東玄関口、 現地の方に言わせるとInternational city タンジェでの1日です。 緑豊かな庭を眺めながら、アート作品に囲まれたリビングでゆったりと朝食。濃厚なヨーグルトが美味でした。 レセプションの男の子(イケメンという私の意見には反対が多かったが、親切でいい子でした)に、ガイドをお願いしたい、英語の話せる人を、と頼んだところ、さっそく手配してくれました。オマルさん、4人の娘のパパ、前のめりで私たちの3倍のスピードでたったか歩き「キーッ」という急ブレーキをかけていきなり立ち止まり早口の英語で案内をする、そんな人。タンジェのガイドは怪しい人が多い、という中で怪しさ度5(MAX10)くらい。5人で半日、昼ご飯まで案内して、ホテルに連れ帰って30ユーロと言われ、「まあ、そんなもんか」という意見で手を打ちました。 が、後で娘がネットで調べたところ、半日10ユーロが相場だったらしい。土産物屋には行かない、と前もって言っておいたのですが、結局5軒も連れて行かれて、かなり買いました。キックバックはどれくらいだったのかしら? オマルさんと薬屋さん。私はしっかりアルガンオイルのクリーム等等を買いましたよ。 th_DSC05134.jpg タンジェは国際都市、というふれこみですが、小さな町です。フランス広場とパスツール通りを中心にした新市街と、メディナ(アラブの言葉で居住区)という城壁に囲まれた旧市街を全部歩いてまわっても半日かかりません。まずはホテルすぐそばのメンドゥーピア公園(ユダヤ人の墓地があったが「もう中身は海のそばにつくった墓地に移転してない」とのこと)を抜けてグランソッコへ。グランソッコの周囲にはCafe de Parisなんていうフランス風カフェがあり、その横の路地からメディナの市場へと入っていけます。内容はわからないのですが、どうやらムスリム社会をヨーロッパ感覚で描いた映画を上映する映画館もあったりして、独特の雰囲気です。 th_DSC05003.jpg th_DSC05005.jpg メディナの市場は食料、日用品、衣料品、ドラッグストア、など種々雑多なものが大小取り混ぜた商店で販売されていて、その物量、におい、喧噪、どれも圧倒される勢いがあります。特に私たちが滞在したときに、国王ムハンマド6世(とても尊敬されているとか)と大統領がタンジェを訪問する日程と重なったとかで、軍隊と警察が通りのあちこちに立っていました。また「マーケットの日」(オマルさんいわく)だとかで、民族衣装をつけたベルベル族の女性たちがあちこちで露天を出し、羊(ヤギ?)の乳でつくったミルクやカード、土産物の小物や薬草の露天を出していて、にぎやかなことこの上もありません。上から肉屋、八百屋、ベルベルの女性たちが露天で売っていたカードと薬草。 th_DSC05009.jpg th_DSC05014.jpg th_DSC05016.jpg th_DSC05017.jpg 人をかきわけながら、容赦ない早足のオマルさんの後を私たちは追いかけます。 th_DSC05022.jpg 途中でオマルさんの三女、13歳とその同級生たちに偶然遭遇。全員がフランス式の頬にキスする挨拶を私たちと交わして記念撮影。みんなまだベールをかぶっていないし、おしゃれもしてかわいい! 最後に娘さんがちゃっかりオマルさんからお小遣い100ディルハム(10ユーロくらい)をせしめていました。 th_RIMG7654.jpg メディナの中心とされるプチソッコ(小さな広場)を突き抜けて、急勾配の坂を登りつめると、そこがカスバです。カスバとは要塞。今はプチホテルと博物館になっているとか。ホテルと言っても、前はかなりの急坂で、車が入らない城塞の中。荷物はどうやって運ぶんだろう、とか言いながら、メディナ内の居住区の細い路地をおりていきました。 th_DSC05040.jpg 居住区の住居はどれも狭隘な印象。「90%の住宅には水道がひいてあるけれど、水道代が払えない人たちは昔の水汲み場だったここで水を汲んでいる」とオマルさんが教えてくれました。広場周辺にはおしゃれなプチホテルなんかもあったりして、「ファティマの手」というアラブ(ユダヤでも見たことがある)の魔除けの飾り物がたくさん飾ってあります。その下には「猫がいます」の表示も。 th_DSC05029.jpg th_DSC05036.jpg 途中に何軒かあるパン焼き所。かまどがあって、家で仕込んだパン種や、モロッカンサラダにするための野菜を焼いてくれます。オマルさんが買ってくれた焼きたてパンを試食しました。おいしい!!! ホテルやレストランで食べると固くて今ひとつだったのですが、焼きたては香ばしく、やわらかく、弾力があって美味でした。パン屋さんと焼きたてパン試食中のご一行。 th_DSC05062.jpg th_RIMG7734.jpg 午後1時、ちょうど下校時間で子供たちが大勢制服姿で帰宅途中。娘が「写真を撮らせて」と声をかけたら、ワルガキどもになつかれ(?)襲われました(笑) th_RIMG7747.jpg 絨毯屋、アクセサリーショップ、民族衣装屋、モロッコスリッパ屋などなど回って、メディナ内にある外国人向けレストランで昼食。パイ皮に挽肉を包んだものがおいしかったかな。 th_DSC05145.jpg ホテル前3メートルのところで、またオマルさんが立ち止まり、チップをくれくれくれ、と懇願。そういうこともあろうかと、私たちは朝、30ユーロだぞ、という誓約書(?)を取り交わしていたので、それを見せてきっちり30ユーロを払ってバイバイしました。 朝9時過ぎから午後3時まで、だいたいポイントはめぐってくれたし、まあ楽しんだので30ユーロはいい、でも、チップまではね、というのが私たちの結論でした。 その後、新市街に買物に出て、夜はフレンチのすてきなディナーを楽しんだのですが、それはタンジェ後編で。

↑このページのトップヘ