Glamorous Life

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2014年07月

Jリーグ折り返しとなった17節神戸戦。NHKのJリーグタイムによれば、17節終わった時点での上位3チームのどこかが優勝するそうです。反対に、その時点で下位3チームで降格したのは3分の1弱。(1シーズン制で降格の制度ができてからの9シーズン、27チーム中8チーム)。調べたら、2012年、ガンバは17節終わった時点で勝ち点15で16位。15では、さすがにやばいですね。 そして昨晩の試合に勝利し、ガンバは勝ち点を24まで伸ばし、8位になりました。3位川崎との勝ち点差が9もあるので、3位ACL圏内は当然ながらたいへん厳しい。そして15位甲府との差が6。今季の目標である「J1残留」を果たすためには、まだまだ危うい位置につけています。2012年、神戸は勝ち点24で折り返しましたが、降格しました。まだわかりませんね。 それはともかく、パトリックと宇佐美の2トップになって2試合目。5点もとれたのは大きい。守備も攻撃もぐだぐだだった清水と比較すると、神戸はきちんと組織だった守備をし、かつ攻撃もマルキーニョスとペドロジュニオールが恐いシュートをばんばん打ってきました。そこに大勝できたのは、大きい。 これで久々の3連勝。 しかも甲府戦はさておき、内容がだんだんよくなってきての3連勝なので、ちょっとだけ「信じてもいいのかな? 今年は残留できるって」という気になっています。 さて、つぎは横浜戦。なぜか中村俊輔選手にやりたい放題やられている観がありますが、今回はしっかり封じてください。 そして、私に「信じてもいいよ」と言ってください。

今年に入ってからなんだかとっても忙しい。毎朝目が覚めてベッドの中でかるーく体操をしながら今日の予定を整理するのだけれど、「今日は予定が何もないから一日ぐだーっとしていよう」という日が、iPhoneのカレンダーで振り返ってみても一日もない。読まねばならない本、書かねばならない原稿、調べなくてはならない資料、出さねばならない企画......仕事のことばかりではない。趣味においても、書道では締切がつぎつぎ襲ってくるし、中国語と太極拳もやめたくないし、最近は9月のロシア旅行のためにロシア語まで勉強している。 ......とここまで書いて、結局は自分で自分の首を絞めているだけではないか、と思えてきた。 要するに、私は忙しくしていることが「習性」であり、マグロじゃないけれど力いっぱい泳いでいないと死んじゃうと自分で思っているのではないか。 だが、ふと思い出すのは中学高校時代の夏休みの私である。 10代のころの私は「なーんにもやる気がしない」と一日中パジャマでごろごろしていることがよくあった。休みの日だけではない。ときには仮病を使って学校をサボり、ただひたすらゴロゴロしていたことさえあった。(本は読んでいたけれど、別に建設的な読書ではなく、暇つぶししていただけ)。休みの日には親から「いい若いものがこんなにいい天気なのに外にも出かけず、パジャマでごろごろなんてありえない」と怒られるので、しかたなく顔を洗って着替えはするが、それでも出かける気にはならずに、ダラダラゴロゴロしていた。中学から高校1年くらいまでの将来の夢は、「本屋の番台(?)に座って一日中お客が来ないことを祈りつつ、本を読むこと」だった。だから私は、ゲームに夢中になってひきこもっちゃう10代のことが笑えないんだわ。 それがどうして忙しく活動的な私になったのか? 一言で言えば、「時間が有限資源であることに気づいたから」。 10代から20代にかけては、1960年代の世界の石油と同じくらい、時間は使っても使っても使い切れないほどある資源のように思えた。だから、一日パジャマでゴロゴロも「休養休養」と言って平気でできた。 ところが30代になって働きながらの子育てが子供2人分となると、時間が恐ろしく足りなくなったのである。朝6時から夜11時まで、一分たりと気が抜けない。自分の時間が持てるなら、1時間1万円払ってもいい、とさえ思えた。でもって、そのとき、はたと気づいたわけですね。「ああ、私に割り当てられた時間には限りがあるんだな」。ダラダラゴロゴロしようかと横になったとたん、「こんなことをしている場合じゃない」と強い自責の念に駆られるようになった。それが高じて、今の回遊魚マグロの習性になったわけである。 60歳を過ぎて、ますます「残された時間はわずかだ」という思いが強くなっている。 若いころから「年をとって時間ができたら読もう」という本を山積みしていたのだが、最近広げたら字が小さすぎてとてもじゃないが読めない。それに、読書は予想外に体力を使う。好きなだけ本が読める、なんて若者の特権だったんだ。 中国語を始めてわかったのだが、若い頃に学んだ言語(英語とフランス語)に比べると、恐ろしく身につかない。4年以上やっているのに、いまだに「とっさの中国語」が出てこない。(反対に、英語やフランス語の新しい言葉はすぐに頭に入る。やっぱり20代までに語学はやっておくべきなんだ)時間がかかる、とか、すぐに忘れる、とかそういうことじゃない。新しいことに取り組むための集中力と柔軟性が失われているのだ。 そんなことに気づいてよけいにあせっている。 やりたいことを思いっきりやれる時間は、もう私にはあまり残されていない。 ダラダラゴロゴロは、30代までの特権だった。 還暦を過ぎたらマグロ体質をいっそう強化せねば。 そう自分に言い聞かせて、今年の夏も過ぎていく。

あたふたあたふたと日が過ぎていき、Jリーグ再開からすでに2試合が消化されました。なのにまだ16節。折り返しに来ていないんですね。 さて、この2試合をガンバはなんと完封勝ちですよ。その上、6点も稼いでようやく得失点差が+1。 甲府戦はシュート3本で2点。宇佐美の先制点も、倉田の2点目も、ゴラッソでした! しかし、それ以外は見るところなし。なんというか、得点以外の80分間がっつり守備練習に励んだ、みたいな試合でした。あらためて先ほど見直してみたのですが、後半なんて甲府のワンパターン攻撃を、ガンバが宇佐美をのぞいた全員でワンパターン跳ね返しをすることの連続で、それは新戦力パトリックが途中交代で入ったあとも変わりなし。15分くらいで飽きちゃって、さささっと早送りしたら、同じようなシーンがまた繰り返されていて苦笑しました。 もちろん東口のスーパーセーブや、岩下の恫喝跳ね返しや、西野のすっぽんマークや、ジェソクの渾身チェックや、米倉のタフディフェンスなども見所っちゃー見所だったかもしれませんですが、しかし、しかし、何も80分間も守備練習をやり続けるこたなかろう! 私らは試合を見に来ているんだ、守備練習じゃないぞ。 そして清水戦。倉田がサスペンションで抜けたところに新戦力である重戦車、パトリック投入! これが、なんと効きました! 190センチのデカさを見たときには、こりゃ前線ターゲット要員かなと思っていたのですが、ポスト要員ではなく、裏抜け要員だったとはね。ポスト役にするには、足元がちょっとー、だったのかもしれませんが、正直、ポストで落としてくれて、それをズドンという展開が期待できない今のメンツでは、彼の予想外の足の速さと裏抜け意識は攻撃のバリエーションと厚みを加えました。 前線への速いフィードがパトリックに通って、マイナスのクロスを入れて大森が軽く当てていれたあのシュートまでにいたる流れは、ちょっとしびれましたね。 あと3点目となった米倉の素早いクロスにパトリック、ダイビングヘッドも♫美しすぎて、きみがこーわい♫(わかる人だけわかってくれたらいいから) 全員、ヤットも含めてシュートを打つ打つ打ちまくる。それもほとんどが枠内にいっているので、見ていてほんと楽しかった。 ただ、問題は次の試合です。 今季は「わ、いいね。今季ベストゲーム!」と喜んだら、その次は「今季、ワーストゲーム」の繰り返しですからね。こわいこわい、つぎがこわい。気を引き締めましょう。 なんといっても、今季の目標は「絶対残留!!」忘れないように.

W杯準決勝ブラジルVSドイツをLIVE観戦しようと、朝5時起床。コーヒーでも淹れて目を覚まそう、とキッチンに行ったとたんにドイツが先制! ドイツ18番、ポジショニングも走りもすごいいいわー、とか思っているうちに立て続けに彼、クロースが2得点。試合を決めました。 (5点目の後に、仲間のところに駆け寄ったエジルが「俺、まだ点とってない」と言わんばかりの笑顔なしの祝福シーンも印象的でした。でもエジル、終了間際のカウンター、ドフリーのシュート、あれは決めないとね) ドイツが素晴らしかったというべきか、ブラジルが酷かったというべきか。 昨晩、就寝前に娘に言った「ドイツが3−0で勝つよ」という私の「予言」は、大幅に外れました。この予想外のドイツの大勝、もしくはブラジルの大敗を受けて、さて、アルゼンチンとオランダはどう戦うか。明日も5時起きだな。  さて、W杯のことはさておき、北欧で考えたことの続きです。 今回は一人旅でしたが、まーったくストレスがなかったです。これまで旅したどの国、地域よりも、ストレスを感じなかった。 その理由は、フィンランドもスウェーデンも治安がよく、人は親切で、インフラがしっかりしていて、何よりも「どんな人にも英語が通じる!」ことにありました。ウステルスンドのような小さな街でも、市バスの運転手さんから本屋の店員さんまで、スケボーやっている中学生らしき少年たちからバギーを押しているイスラム系移民らしきお母さんまで、ネイティブ並みの発音の英語を話します。超方向音痴の私は、Google mapを頼りにしつつ、それでも人を見かけると「こっちの方向でいいよね?」と一応念を押すのですが、誰に聞いてもきちんと英語で答えがもらえるのは助かった。 th_IMG_1515.jpg (ウステルスンドの本屋さんはスリランカ出身。お孫ちゃん向けの絵本を探している、といったら、次々とスウェーデン作家のすてきな絵本をブリティッシュイングリッシュで紹介してくれました。残念ながら荷物に入らないほど大判で買えなかった。今も悔やんでいます) 言葉が通じないストレスを感じたのは、南オセチアやアブハジア、ナゴルノカラバフといったチームの選手や監督とコミュニケーションをとろうとしたときだけ。通訳がいるときといないときがあり、いるときに聞いた彼らの話がすごくおもしろかったので、続きを聞きたいと思っても通訳がいないとまるっきり話が通じない。みんな気のいい人たちで、話もおもしろかったのに残念。ロシア系の人たちは英語がからきしダメらしい。そこで、帰国後すぐにロシア語学習を開始した私。 th_DSC06748.jpg (唯一英語が話せる、というので本職通訳がいないときに駆り出されていた南オセチアGKのテビエフ。「ぼく、大学生でまだ英語を勉強し始めてから2年目なんだよ」とぼやきながら、へどもど通訳していました。「次に会うときまでに、私がロシア語を勉強してオセチアに訪ねていくわ」と言ったら、「え! いつ来る? 来年? 来年の何月?」とかなり真剣に聞かれ、ああ、社交辞令が通じない素朴な人たちなんだな、本気で行かなくちゃ、と思いました) そしてもう一つストレスがたまらなかった理由が、お金さえだせば食事がおいしい、ということ。お金さえ出せば、ね。念を押した理由は、外食がめちゃめちゃ高いから。テイクアウトまで1500円(100クローネ)以下がない。やむなく10年ぶりにビッグマックを買ったら、これが1200円! しかもまずくて食べられず、半分までかじって捨てました。今も悔やまれます。 では、スウェーデンで食べたおいしいものをご紹介。 第1位 th_IMG_1469.jpg ロースト・トナカイ肉@ウステルスンドのレストラン。これは絶品でした。ローストビーフより脂っぽくなくて、やわらかく、ジューシー。うーん、もう1回食べたかった! でもサイドディッシュのローストポテト(→これもスウェーデンの有名料理。タイムの香りがとっても生きていた)、自家製コーンパンと飲み物にワインが1杯ついて3375円+サービス料と22%の消費税。1回だけの贅沢でした。 第2位 th_IMG_1499.jpg 朝食バイキング。2200円(税込み)もするので最初はつけるのやめようかと思ったのですが、外でテイクアウトできる軽食のバラエティの少なさとまずさと高さを知ってからは、2200円の有り難みを実感。ハムやチーズが10種類近くあるし、名物のニシンも酢漬けから焼いたのまでいろいろ。パンも10種類以上あって充実していました。毎朝、てんこ盛りでとってきては、せっせとサンドイッチをつくり、それを昼も夜も食べていました。朝食のレストランにバッグを持って行って、サンドイッチだけでなく、果物もごっそり詰めていたのは私です。心なしか、ホテルの従業員の目が日に日に冷たくなっていったような。 第3位 th_IMG_1510.jpg ウステルスンドの湖でとれたイワナの一種の炭火焼。これも名物料理です。レストランのチャーミングなお姉さんに「ぜひ食べていただきたいわ」とずっと言われ続け、最後のディナーでついに決断。勧めただけあって、本当においしかった。皮の焼き具合が抜群。熱々のソースを食べる直前のジュっとかけて、下に敷いた野菜とともにいただきました。 第4位 th_IMG_1464.jpg 牛すじ入りお好み焼きコルブッレ@ウステルスンド。オープニングセレモニーのときに出ていた屋台で食べました。4分の1サイズがスウェーデン独特の濃いコーヒーとあわせて450円。私の前に買っていたおばあさんが、丸々1枚をぺろりと平らげているのにびっくり。それ以上に、タミルのチームの選手たちが「こんなうまいものはない!」と屋台にむらがってむさぼり食っているのにびっくり。 移動も、ホテルも、食事も、すべてあまりにストレスがなかったので、ちょっと歯ごたえがなかった......なーんて贅沢な話ですね。でも、外国人にこれだけストレスを与えないところも珍しいのではないかな。住めばまったく別なんでしょうけれどね。 さて、2020年東京オリンピック。お・も・て・な・しの地を謳い文句にするのであれば、まずは外国語が通じるように整備すること、ではないでしょうか? 英語は基本として、中国語とロシア語の通訳が必要なんじゃないか、と思います。 それと治安の強化なんでしょうね。日本は治安がいい、とはこのごろ全然思えないんだなあ。住んでいる私でさえも、東京を歩くほうがストックホルムを歩くより緊張を伴います。ところで、永世中立国として200年自国はもちろん他国でも戦争をしていないことが国民の誇りであるスウェーデンは、実は強力な警察と軍隊を持っているらしい。頭の中に日本の集団的自衛権のことが浮かびました。 あと、街の清潔度もスウェーデン、とくにストックホルムに軍配をあげたい。 少なくとも、軽食グルメに関しては、バラエティも味もスウェーデンをはるかに上回っているので、治安や清潔度以上にそこをもっとアピールしたらいいのに。 最後に、ウステルスンドの街、市民の憩いの場である湖のほとりの風景です。 午後6時。仕事帰りのお母さんたちが保育園に子供を迎えにいったあとお父さんと落ち合って散歩し、学校帰りの子供たちが遊び、少女たちはアイスクリームを食べながらおしゃべりに夢中で、おじさんたちは釣りに、お姉さんやお兄さんたちはジョギング、おじいちゃんおばあちゃんはボードゲームやおしゃべりに興じていました。のんびり、ゆったりとした生活が見えてくる風景でした。 th_DSC06941.jpg

5月末から10日間にわたってスウェーデン中部の街、ウステルスンドで開催されたFIFA非加盟の国や地域のサッカー協会が参加するサッカーの国際大会、ワールドフットボールカップを取材してきました。 th_IMG_1508.jpg (ちゃんと取材パスなど一式用意されていました。ウステルスンドは初夏の花盛り。スタジアムからの帰り道、花を摘み、「森の熊さん」を口ずさんでしまう乙女な日々を送ってしまいましたよ) th_DSC06935.jpg (ウステルスンドは人口5万人弱。ウィンタースポーツのメッカというリゾート地です。湖と森の中にある気持ちのいいところでした) th_DSC06419.jpg (メインストリートは2,300メートルほど。一歩外れると湖と森だけ、人影も車もほとんどなし) th_DSC06683.jpg (白夜でした。試合終了が9時。その後、ミックスゾーンで取材し、メディアセンターで資料をもらいがてら雑談して帰路につくのが10時過ぎ。スタジアムまでの公共交通機関はなし。チームはバスが出るけれど、メディアにはもちろん出ないので、夕日(?)に照らされる湖を眺めながら森の中を30分歩いて帰ってました) 記事はすでに「週刊金曜日」、共同通信配信の記事、「サッカー批評」に書かせてもらい、今、次号の「世界」に向けての記事をまとめているところです。 日本はもちろん、東アジアから取材に来ていたのは私一人でしたが、欧州各国はもちろん、中東、アフリカ、北中米、南米各国からテレビ、ラジオ、紙媒体、インターネット媒体の記者が大勢取材に来ていました。選手や監督の取材もおもしろかったけれど、メディアの人たちに「どこから来たの?」「何を取材しているの?」と取材するのも、なかなかおもしろかったです。 th_DSC06581.jpg (メディアの注目を集めたのは、アフリカのダルフール難民キャンプから参加したダルフール・ユナイテッドです。初日、第一試合後にすでにテレビ局3社に欧米各紙が詰めかけ、日を追うごとに増えていきました) 私が日本で出発前に、「こういう大会に行くんだー」というと、まず9割の人たちが、「何を言っているんだかよくわからない」というとまどった表情を浮かべながら、「へー」と反応しました。そ、そうですよね、やっぱり「へー」と反応するしかないですよね。もし私が言われたほうの立場だったら、同じように、物好きだね、マニアックなんだ、よほどヒマなんだね、よほどサッカーが好きなんだね、そもそもこの人が何を言っているのかワケわかんない......という意味を込めて、「へー」と反応していたと思います。 でも、大会を取材していた世界各地の記者たちに、「日本から来た。この大会、日本からはどこも出場していないけれど、私は個人的にすごいおもしろいと思ったから取材にきた(←言い訳がましい)」というと、まず9割が「そうだよ、FIFAにいろいろ問題があって、限界が見えて来ている今だからこそ、こういうオルタナティブな大会の開催意義があるし、取材すべきだね」と力強く(と私が勝手に思っただけだが)賛同してくれました。 大会終了後1ヵ月たち、米国CNN、英国BBCをはじめ、アルジャジーラ、イタリア、スペインの主要TV局、NYタイムズ、ルモンドなどに彼らの記事や映像が出そろったところで、あらためてオルタナティブな国際的スポーツ大会への世界的(東アジアをのぞく)な関心の高さを感じています。彼らが取り上げた内容や取り上げ方の視点は少しずつ違っているのだけれど、記事や映像を通して私が感じたのは、大げさですが、日本にいて、日本のメディアにどっぷりつかっているとなかなか見えてこない「世界」でした。 th_DSC06791.jpg (地元の先住民、サーミの人たち向けのインターネットTVのディレクターは、伝統衣装で実況していました) th_DSC06712.jpg (私の興味をかきたてたのは、アラメア・スルヨエというチーム。イエズス・キリストとその弟子たちが話していた古代アラム語の系統をひく言語を使用していたメソポタミア地域に昔いて、キリスト教を信仰する人たちです。今は世界各地に300万人いるそうです。アラム人といっても広く、誤解を受けるのでアッシリア人と呼ぶのが適切だとか。領土がないし、主権があるわけでもないので「国」ではないが、「俺たちはキリスト教とサッカーで一つにまとまっている」とキャプテンは力強く言ってました......パスポートに書かれた国籍はドイツだけれど、アイデンティティはアラメア・スルヨエなんだそうです。しかしアンドレアス、「もっと男前に撮ってくれ」と注文をつけ、私に10回もシャッターを押させた挙げ句、「これとこれは気に入らないから俺の目の前で消去しろ」とまで言ったあなたのことを、私は忘れない) 私の知識や勉強が不足しているが故に、よけいに強く感じたのかもしれませんが、世界は驚くほど緊密につながっているのだな、ということを実感しました。距離が遠い地域だから、政治的に関わりがないから、メディアで報道されないから、ということを理由に「私たちとは関係がない人たちのことだ」と知らぬ顔ができない世界になっている。 そして「大国」の主導と思惑で世界が動いていく時代は終わっていて、多様な考え方や主張をいかにすりあわせて共存していくかを必死に模索する時代に入っている、ということも感じました。今回は歴史的に「民族の十字路」と言われたカフカース地方など中東地域の代表チームが多く参加したのですが、歴史的に軋轢があったほかの「民族」や「宗教」のチームと現在もまだ感情的なしこりがあるのかと思いきや、試合が終われば仲良さそうに談笑している。歴史的な関係について監督に話を聞いたら「3代前までたどれば親戚だったりするからね」とか言う。国境とか民族とか宗教とか、人為的に作られたフィクショナルなものの違いを対立の理由にし、拳を振り上げると、たちまち想定外なところから(「小国」や「民衆」などから)、想定外な速さで、強烈なしっぺ返しがくる。それを「世界」は学習しつつあるのではないか、ということを感じました。 th_DSC06539.jpg (今、世界の関心を集めるイラク北部のクルディスタン地域からのクルディスタン代表。自分たちの文化を知ってもらいたい、と伝統舞踏団を帯同し、スタジアムにテントを張ってクルドの伝統菓子や飲み物を配るなどアピールがすごかったです。サポーターも大勢来ていました) たとえばスポーツの国際イベントに参加する「単位」もしくは「資格」として、「国」が適切なのか? 人種はもちろん、民族や宗教による「ボーダー(境界)」を、スポーツの大会でこそ撤廃すべきなのではないか?2020年オリンピック開催地である東京都民の一人として、あらためてスポーツの国際大会について考えています。 この大会はConfederation of Independent Football Association(略してConIFA)というスウェーデンに本部を置くNPOが主催しました。ConIFA自体は創立1年足らずなのですが、FIFA非加盟のサッカー協会は2003年からあり、国際大会を盛んに開催していたのですが、いろいろあって昨年解散。運営にかかわっていた人たちを中心に別組織を作っての今回の大会開催となりました。そのあたりの経緯や、そもそもFIFA非加盟の国や地域にはどういうところがあるか、なぜ非加盟にされるのか、非加盟であればどんな影響があるか、については、今週末発売の「サッカー批評」にかなり詳しく書いたので、よかったら読んでやってください。 長くなるので、別のエントリーで続けます。

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