Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2015年02月

今朝は目が覚めたときから理由がわからないのにどんよりしていました。
起き上がってしばらくその原因を考えました。
1)ガンバ初戦で完敗(しかもACLグループリーグ初戦で!)
2)確定申告書類をつくらなくてはいけない(もう25年もやり続けているのにいまだに苦手)
3)娘が4月から職場復帰なのに子供の預け先がいっこうに決まらない(東京における働く母親の環境は年々悪化している。つまり子育て環境が悪すぎ)
4)きのうから花粉が飛び始めた
5)春だから
こーんなにたくさん憂鬱をうむ原因がありました。
しかも、2)以外はすべて、自分の力ではどうしようもないことばかり。(5もどうにかなるか? 気の持ちようで)
とりあえずできるところから憂鬱をやっつけよう、というので、確定申告書類は作り上げて今郵送してきました。
がんばれ自分! がんばれ娘たち!

先日、友人たちと「春の宴」という飲み会をやったので、その画像などをアップして夕飯日記にかえます。
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読みかじりの薬膳レシピから拝借。春は芽の出るものと、酸味のあるものを食べるといい、とか書かれていたのをうろ覚えで。左から芽キャベツのスープ煮と金柑、蕾菜と小さい酸味の強いトマトにアマニオイルをかけたの、四川ミニきゅうりと赤かぶにネギオイルをかけたの。
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鯛と平目の刺身に香味野菜をのっけたの。
 

期待が大きすぎたんでしょうか?
それとも、監督以下選手、スタッフもが「今季の目標はACL優勝」とか広言したせいでしょうか?
シーズン初戦、攻めてはいるけれどシュートまでいかない悪癖が出るガンバさん。
ミスも多発。
キーマンのはずの遠藤ヤットさんは試合を作ろうとするものの、コンビを組む小椋さんとの連携がまったくうまくいかず、攻撃ばかりか守備も中途半端。今野さんの不在を強く感じさせるボランチでした。
失点は広州富力の2トップ、というか、外国人にあっさり3人+GKが抜かれて決められるという情けないもの。日本代表のあっさり失点模様を踏襲したみたいでしたね
攻撃も前後半通じて、攻めてはいるが攻めきらないというこれまたもったり感たっぷり。三冠がどうのなんてすっかり忘れて、最初からやり直しです。
同志が「この敗戦がいい薬になる」と言っています。
それを信じて、今週末、横浜に乗り込みます。

さてさて、ガンバのシーズンが始まりましたよ!!
気合いを入れ直して、突っ走りましょう!
 

何日もかけて少しずつゆっくりとかみしめながら読んで、少し哀しみの混じった、でも胸の奥からじわじわとこみあげてくる感動とともにページを閉じた。

「わたしたちのすべての昨日」
ナタリーア・ギンツブルグ著 望月紀子訳
未知谷 
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私が世界で一番といってもいいほど敬愛する作家、ナタリーア・ギンツブルグ。「マンゾーニ家の人びと」「ある家族の会話」「モンテフェルモの丘の家」といった彼女の代表作を訳されてきた須賀敦子さんが 亡くなられて、もう作品が読めなくなるのではないか、と心配していたのだが、まったく杞憂だった。望月紀子さんの、リズム感がありながら抑制のきいた文体での訳で、またナタリーア・ギンツブルグが読める幸せをひしひしと感じながら読了。
ナタリーア・ギンツブルグは1916年、シチリアのパレルモ生まれ。お父さんは解剖学教授でユダヤ系、お母さんはカトリックという家の5人兄弟姉妹の末っ子だった。神なんていない、というお父さんと、そんなお父さんをひたすら支えたお母さんのもとで育ったのは、反ファシズム、反ナチスの政治運動に関わり、投獄されてもめげずにパルチザンになって闘った年上の兄たちや、女性的魅力たっぷりで活動的な姉。その中にあって、ナタリーアは父から「どうでもいい子」という扱いを受けながら、家族のみそっかすとして育つ。そのあたりの家族関係は自伝的作品「ある家族の会話」に見事に描かれているが、本書にも色濃く反映されている。
生家以上にこの作品に影を落としているのは、ナタリーアが最初に結婚した夫、レオーネ・ギンツブルグだ。ナタリーアが兄を通して知り合ったレオーネは、ユダヤ系ロシア人で、父親の仕事の関係で幼いときにイタリアに移住。長じて反ファシズム活動を指導しながら出版社を創設。政治団体を結党し、反ファシズム・反ナチス運動を繰り広げて逮捕され、一度は僻村に流刑ですんだものの、つぎに逮捕されたときには拷問されて殺された。
本書の語り手であるアンナにはナタリーア自身が、そして16歳で隣家の少年の子どもを妊娠してしまい、途方にくれていた彼女と結婚してくれたチェンツォ・レーナという父の友人には、レオーネが投影されている。
チェンツォ・レーナはアンナに向かって言う。「きみは葉っぱの上の怠惰で悲しい虫だ」。現状(現体制)に決して満足せず、自分のことよりも、周囲の人たちや社会全体を考えて積極的に行動する兄たちに憧れながらも、ただ学校に通うだけで殻を破ろうとしないアンナへの苛立たしさともどかしさを、父親ほど年の離れた夫はそう表現する。
だが、その夫がほかの人の罪を背負ってドイツ兵に銃殺される道を選んだとき、初めて「虫」のアンナは夫が置いてくれた安全な葉っぱをおりて自分から行動を起こす。たった数行のそのシーンが、ぐっと胸に迫る。
身をすくめながら、嵐に翻弄される葉っぱに必死にしがみつき、誰かがなんとかしてくれる、早く誰か来て、どうにかしてというだけだった「虫」のアンナが、葉っぱからおりて自分の足で歩き、自分の頭で考え、自分の言葉を発する「人間」になるまで。それが描かれた小説、と私は読んだ。
ナタリーア・ギンツブルグはレオーネが亡くなったあと、英文学者と再婚したが、その夫にも先立たれた。そして「革命を起こした」と言っていたアンナの夢を実現させたかのように、独立左派の議員として活動し、1991年に亡くなった。波乱の人生、ではない。たしかに生きた時代は波乱だったかもしれないが、自分の置かれた場所と立ち位置をしっかり定め、軸足を揺るがすことなく書き、行動した作家だった。
 

カンゼン社が主催する「サッカー本大賞2015」において、
『孤高の守護神 ゴールキーパー進化論』(ジョナサン・ウィルソン著 実川元子訳 白水社)
を翻訳サッカー本大賞に選んでいただきました。

本は、書く人、訳す人、編集する人、校正する人、営業する人、販売する人、そして読む人にいたるまでのすべての人がつくるものだと思っています。
だから本への評価は、かかわったすべての人たちが受けるもの。
皆様、ありがとうございます。
そしておめでとうございます!

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映画「おみおくりの作法」を観ました。
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(主人公、ジョン・メイを演じるエディ・マーサンがとってもいい味を出しています)

父が昨年から入院しています。どのように最期を迎えるか、どうやって見送ればいいのか、ということに関して、これまでのようにぼんやりイメージするのではなく、具体的に考える日々が続いています。
そんなときにふと目にとまったこの映画。
地域で孤独死した人の最後の始末をする仕事をしている男性(44歳)が主人公。 その人が暮らしていたところから、親族やゆかりのある人の手がかりを探して連絡をとろうとし、宗教を調べ、好きだった音楽や花を推測し、あるときは教会で、あるときはモスクで葬儀を執り行い、火葬にした場合には灰を公園の花の根元に撒く、そういう仕事。葬儀への参列を求めて連絡をとっても、たとえ子どもでも「勝手にそっちでやって」と参列を拒否されるのが普通。
仕事がていねいすぎる、とついに首を申し渡された日、自分が暮らしているアパートの向かいに住んでいた男性が孤独死した、と連絡が入る。ドラッグと酒に溺れて、やりたい放題で破滅的な人生を送ってきたらしい男性になぜかとても惹かれるものを感じた主人公は、人生初めて仮病を使って仕事を休み、彼の人生をたどる「探偵作業」に着手する……。
判で押したような毎日を送る超まじめ人間の主人公が、自分とは正反対の人生を送って孤独死した男性に自身を重ね合わせる。世間(を代表しているのが主人公の上司)から見れば、どちらの男性も「負け犬」。でも、死を前にしたとき、その生き方には勝ちも負けもなかった、ということが徐々に明らかになっていく。
愛する家族に囲まれていても、たくさん友人がいても、反対に家族や友人に愛想をつかされていたり、そもそも家族も友人もほとんどいなくても、どんな人生を送ってきた人も、死ぬときには一人なんだ、ということをひしひしと感じさせた映画でした。だいじなのは、人の命を大切にするのと同じように、人の死に対して敬意を払うこと。そして、生きている間に、一人で死んでいくことへの覚悟を持っていくこと。そんなことを観ながら考え続けました。
ラストがちょっときれいにまとめすぎている、とは思ったのですが、私は(お恥ずかしくも)主人公が首を言い渡されたときからぼろぼろ泣けてきてしまいました。
とても好きな映画でした。もう一度観るのはつらいけれど。
 

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