Glamorous Life

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2015年06月

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(今回の食べた中で一番おいしかったもの、それはサラエヴォの川縁のレストランで食べた子牛炭火蒸し焼き。地域ごとに呼び名が違うそうですが、ここではこの調理法をイスポッド・サッチャと呼ぶとか。焼き方は豪快だけれど、味はこれまで食べた牛肉とはまったくちがうコクのある味わいでした)

バルカン半島を地図で見ればわかるように、エーゲ海をはさんで東にトルコ、アドリア海をはさんで西にイタリア半島、北にはハンガリーにオーストリアと「大国」に囲まれた東西の分岐点みたいなところです。一番南にギリシャ、現在では南から北にむかってアルバニア、マケドニア、ブルガリア、コソヴォ、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、クロアチアという多様な国(何をもって国とするかはともかく)がひしめいています。
私が今回訪ねたボスニア・ヘルツェゴビナとセルビアは、バルカン半島のほぼ中央に位置しています。地図を見ると、現在のトルコ(アジア大陸)からオーストリア、ハンガリー(欧州大陸)へと抜ける通り道。
 この地域には6世紀に南下してきたスラブ人が住み着きましたが、セルビアは1389年にセルビア王国が、1527年にはボスニア・ヘルツェゴビナ全土がオスマン朝に敗れて支配下に入りました。その後、セルビアは500年近く、ボスニア・ヘルツェゴビナは400年もの長い間トルコに支配され、その後はロシアやオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に組み込まれるなど、東西南北のさまざまな大国からの支配を受けまくり。まさに紛争の火種の地域だったわけです。今も火種はくすぶり続けているといっていい。
 と、歴史はさておき、「東西南北の文化が交わっているところでは 飯が旨い!」というのが経験からくる私の意見です。トルコ料理、ギリシャ料理、ペルシャ料理のいいとこどりをしている上に、海あり山ありで流れる川の水量豊か。素材にも恵まれているのですから、バルカンの飯がうまいのは当然なのかも。
 といっても、素材がいいだけに手が込んだ料理はありませんでした。
 調味料は塩(なぜか塩にこくがあった)とせいぜい胡椒くらい。
 でも調理法は、炭火焼、蒸し焼き、煮込み、揚げ物とバラエティがある。
 チーズやハム、ソーセージ類も種類が多い。パンも地域ごと、いや、レストランごとに異なる形、味、歯ごたえのものが出てきて、「これはウチのオリジナル」と自慢げに出してくれます。
 飲み物は地ビール、南に行くとワイン。どちらもアルコール度数は日本と変わらないものの、風味豊かでした。 
 では画像で行ってみましょう!
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サラエヴォビールです。余談ですが、PIVOピヴォ=ビールと知って興奮。なぜってロシア語と同じですから。スラヴを感じた瞬間でした。
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トマトやキュウリなど野菜を切った上にチーズをドレッシング代わりにかぶせたサラダ、ショプスカ・サラタ。チーズのやわらかい塩味が濃厚な味の生トマトやキュウリによくあいます。
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ムスカリツァ。トマトと牛肉のトマト煮込みにサワークリームがのっかっています。
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牛肉と野菜のスープ、テレチャウレム・チョルバ。チョルバはスープのことで、食欲のないときも、疲れたときも、一杯のチョルバが癒してくれました。ただし、チョルバだけでおなかがいっぱいになるので、メインまで行こうと思ったらチョルバはパス、です。

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南のモスタルのほうに下っていくと、羊の炭火串丸焼きが名物料理。
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木のプレートにのっかっているのは、四角いのがチーズ、真ん中の白いのがカイマックという牛乳の上澄みを固めたもの、右がプロシュートです。籠に入っているのはほくほくで表面がぱりっとした香ばしいパン。カイマックは店ごとに作っているホームメイドオリジナルで、全部味が違いました.

 
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最初に載せたイスポッド・サーチャで焼いた子牛牛肉。皮がぱりっとしていて、脂があまりなく、歯ごたえがありながらジューシーでした。

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VRANACというブランドの地元ワイン。フルーティでした。
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バルカン半島はアイスクリームも(が)おいしい! と言われたので挑戦しました。とろーりとしたこの食感、あ、これトルコアイスクリームだ! トルコで食べたのよりもフレーバーがきいていておいしかったです。
 
ほかにもおいしいものがいっぱいでしたが、まずはここまで。 

6月中旬にバルカン半島とハンガリーに行ってきました。旅行記は少し余裕ができてから書く予定ですが、とりあえず印象的だった景色やら食べ物やらの画像をアップしますね。

まずはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォへ。サラエヴォ、今回訪ねた5つの街の中で一番気に入りました。激しい内戦の傷跡がまだ生々しく残っていて、それについては後日ちゃんと消化してから書くつもりです。絶対に戦争をしてはいけない、というのを身をもって感じるシーンにいくつも出会い、その意味でも今訪ねるべき場所でした。
でも、それとは別にバシチャルシァという旧市街はとってもチャーミングなところで、ぜひまたゆっくり歩いてみたいです。食べ物の素朴でとてもおいしい! よけいなことしないで、地元でとれた旬のものをシンプルに味わうのが一番だ、ということを学びました。
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 バシチャルシァの中心部。観光シーズンで欧州各地から大勢の観光客が詰めかけていました。
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この線より向って左側がオーストリア=ハンガリー帝国時代の街並、右側がトルコの街並
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オーストリア=ハンガリー帝国側
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オスマン朝トルコ帝国側 まったく違う街みたいですね。

翌日は南に下ってモスタルという街にいきました。街そのものはクロアチアのリゾート地っぽいところでしたが、その途中の景色がなかなか味わいあり。カルスト台地というらしいけれど、地層むき出しの険しい山々の下に青緑の川が流れ、モスタルに近づくとぶどう畑とザクロの赤い花が満開でした。
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モスタルには世界遺産のスターリ・モストという橋があります。オスマン朝支配下の16世紀に建てられたものですが、クロアチアに包囲されて街が攻撃されたときにこの象徴的な橋は破壊され、現在のは修復後。この橋のたもとに「戦争写真展示館」があり、胸にせまるものがありました。

またサラエヴォに戻って、このときに1993年の戦争のときに飛行場の下をくぐって街まで物資や人を輸送し、街の生命線となったトンネルを一部公開している「トンネル博物館」に行き、これが今回の旅でもっとも印象に残ったのですが、それについてはまた後日。
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トンネル博物館の隣は麦畑。飛行場の向こうにサラエヴォの街が広がります。

翌日は車でセルビアの首都ベオグラードに移動。ベオグラードは「欧米かっ!」という街で、スタバこそないものの、マクドナルドあり、ZARA,MANGO,H&Mが軒を並べて、西欧人っぽい不ファッションと風貌の人々が大勢。
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 今回宿泊した中でダントツに豪華だったホテル・モスクワから新市街を臨んだ夜景

そして翌日は今回の旅の主目的である,FIFAに加盟できない国や地域が所属するサッカー連盟、ConIFAが主催する EURO2015の取材のためにハンガリー北東の街、デブレッツェンへ。ベオグラードからブダペストを通って列車でデブレッツェンに移動したのですが、そこではいくつかのドラマというかトラブルが。それについてもまた後日。

デブレッツェンはハンガリーの第二の都市とされていて、まあそれなりに大きな街ではありましたが、私の故郷の兵庫県の街よりずっと小規模でした。で、街の写真を撮り忘れましたw
とりあえずスタジアムで試合後に出会った地元チームFelvidikの選手とその一家です。
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 お兄ちゃん、ボロ負けしてしょぼくれていましたが、弟くんをやさしく抱っこ。

なかなかハードな旅ではありましたが、印象に残ることたくさん。
食べ物編についてはまた来週にでも(←と言っておきながら今からアップします) 

さてさて、ガンバさんのことです。
5月はJリーグ戦、ACLあわせて7戦。
そして5月の戦績は、というと
リーグ戦は1勝2分1敗
ACLは3戦3勝。ラウンド16で対戦したFCソウルのアウェイの試合が特に印象的でした。
負けたのがリーグの浦和戦だけ、というのはなかなかではないか、と。とくに昨年の負け続けて降格圏内に沈んだ5月を思えば、ずいぶんとマシなような気がします。
リーグは今ひとつの成績ですが、それでも1、2試合少なくて4位につけているのは悪くありません。昨年や2012年を思えば、ずいぶんマシです(しつこい)

今年のガンバの見所もしだいに見えてきました。
1)球際で負けない強さ(そのためにかどうか、なぜかよくファールももらっていますが)
2)宇佐美、パトリックの強力2トップにお任せする攻撃(2人のどちらかが欠けるとたちまち行き詰まりますが)
3)思いがけずガンバが今野選手中心のチームに変貌しつつあること(守備でも攻撃でもいるべきところにいる選手は本当に心強い)
4)若手が少しずつ出場機会を増やす(井出口がスタメンで1試合、堂安が16歳でデビュー)底上げにつなげていってもらいたいですね。
5)日本代表選抜効果ありあり(藤春の変貌っぷりにはサポも目を見張ります。丹羽も定着してほしいな)

 4月半ばからほぼ中3日、中2日で戦ってきた超過密スケジュールは、6月第一週までまだ続きます。1stステージの優勝だってまだ諦めませんよ。
フォルツァ ガンバ〜〜 

ついにダウンしてしまいました。
実家の後始末に加えて、のんびりまったりの夫婦2人暮らしがいきなり1歳児中心の5人(ときに6人)暮らしになり、家事分量は大げさではなくかつての3倍。仕事も忙しく、いつまで体はもつだろうかと不安を抱えつつも足踏みは許されず……でもって、月末校了の赤字を送り終わり、家中の掃除と洗濯と食事を作り終えたとたんに寝込みました。うーむ、私ってほんと義務感の塊やわ。 いや、こういうのは義務感とは言わない? 
昨日は朝から起きられず、うつらうつらしながら一日ベッドで過ごしました。一年に1回くらい、こういう日(体の言うことを聞く日)があってもいいよね、
きのうから絶食しているので、いささか体に力は入らないのですが、全身に感じていた痛みは8割ほどひいて少し気力も戻ってきました。
ここ数年「体は正直。体の声を聞かなくちゃ」と感じています。体と心は一つだな、というのも感じます。心が不調だと体にあらわれ、体調がおかしくなってくると気持ちも落ち込む。そして心も体も不調を招くのは「過」の状態です。食べ過ぎ、飲み過ぎはもちろん、働き過ぎ、休み過ぎも不調を招く。反対に少し足りないかな、というほうが(睡眠不足以外は)まだマシのような。ま、私にかぎったことかもしれませんが。
何回も書いていますが、私の場合は「〜〜しなくちゃ」「〜〜すべき」が「過」を呼び込むみたいです。 反対に「〜〜したい」というモチベーションだけで行動していれば、ほどほどでおさまる。
いや、この言い方はよくない。「〜〜しなくちゃ」という義務感はなんかもう切羽詰まっていて、こういう嫌なことはさっさとすませてしまおう、とがむしゃらにやってしまうので「過」になってしまうのだけれど、「〜〜したい」で動けば、楽しんでやれるし、無理をしないのんびりペースが可能だし、やり過ぎるほどまでやらない。 
過ぎたるは及ばざるごとし、は私の場合にはあてはまらない。
過ぎたるは及ばざる以上にダメ。
及ばないくらいがちょうどいい。
そう言い聞かせて養生いたしますです。 

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