Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2015年07月

vs名古屋戦とvs横浜Fマリノス戦に関して何か言おう(怒りをぶちまける、嘆く、しらけて達観する……)と一瞬思ったのですが、そのエネルギーもわいてきません。
振り返ってみれば、2点入れてもまったく安心できなくなったのは、かなり前からだったような。それでもなんとか持ちこたえて勝ち点を稼げていたのは昨季まで。今季はまず得点が思うように入らず、たとえ先制できても、いや、先制したからこそなぜか守りに入ってタコ殴りに攻められてラインが下がりに下がり、あっさり同点にされること……いったい何回????(あ、いけないやっぱり怒りがわいてきた)
ガンバのことを考えると、そうでなくても沈みがちな気持ちがますます沈んできてしまうので、しばらく旅に出ます。いや、具体的にどっかに出かけるというのではなく、単に気持ちだけが旅の空ってことです。逃避行ですね。いったいどこに逃げたらいいのかわからないけれど、頭の中からガンバのことをちょっと消してしまいたい(できるかどうかはともかく)
思い切って何かを変えてほしいです。
何かが何かはわからないけれど。
私のガンバ頭が旅に出ている間に、とにかく変えてください。
全員で坊主になるとか、そういうのではなく。


 

うーんうーんうーん、しんどい試合でした。
当然ですが、たったの2週間しか中断期間がなかったのですから、チーム状態も戦術もたいして変えようがない、それはわかります。
しかし、6月のモヤモヤ感をここまで引きずっていたとは……。せめてモヤモヤを断ち切って心機一転、くらいのフレッシュさが欲しかったなあ。
「チームがぱっとしない。何かを変えなくてはいけない」とたしか6月、川崎に引き分けたときに長谷川監督はコメントしていたはず。(vs川崎戦は、少なくとも前半はよかったんですがね)
かゆいところに手が届かない隔靴掻痒というよりも、配管の詰まりが8割方しかとれていなくてチョロチョロとしか水が出てこない、というか(最近、我が家の洗濯機がそんな状態でいらいらしていたのを思い出しました)、勝つには勝ったけれど、え? それで勝って喜んでいいわけ? みたいな。
欲しいのは中盤の圧力です。前も後ろもすごく頑張っているのだけれど、後ろからの押し出しが前まで届かないのは中盤の推進力がないからではないか。真ん中でなんとか前につなげようとしているのが倉田選手一人では、ちょっときついなあ。大森選手と阿部選手はいつ「覚醒」するんでしょうか?(あえて復活とはいいませんよ、昨年以上の活躍とかそういうのじゃもうダメです、ときっぱり言っておこう。とくに大森選手。あれじゃ若手に追い抜かれていきますよ)
水曜日にはもうつぎの試合。
がんばれ、若手! がんばれガンバ! 

 2015年も半分が終わりました。
 この9ヵ月……気恥ずかしいのを押し殺して言っちゃうと、人生でほとんど初めてに近く、真剣に「どう生きるか?」を考えています。
いやー、そんなことは青春時代に考えておくべきだったね。でも、あの頃はもっと別のことを考えるのに忙しくて、 「どう生きればいいのか?」なんてことまで考える時間も余裕もなかった。別のことって、あけすけに言っちゃうと「どうやったらもっとモテるか?」とか「もっと儲かる仕事はないものか?」とか「もっと面白いことないの?」とか、そういったえげつないことばかりで頭がいっぱいだったんですね。
 でもって、私が言う「あの頃」というのは、つい10年前までです。50代に突入するまでは、時間がいーっぱいあると思っていたんだけれど、いざいざ終わりがそこはかとなく見えてくると、生き方が気になっちゃう。つまり、生き方というよりも死に方、いや、生き方も死に方も突き詰めれば同じことなんだ、ということに気づいたのもこのごろ。
 危うく自己啓発本にまで手を出しそうになって、実は本屋でこっそりめくってみたりもしたのですが、そこには答えがないどころか、ページいっぱいに私が嫌いな言葉がいっぱい並んでいて、ぞっとして本を置くのと同時に、「ああ、私はここまで追いつめられていたのか」と気づきました。
 もちろん、自分がどう生きるかを真剣に考えるきっかけは、親の老いと死に直面したからなんですが、もう一つは「還暦」を過ぎたことも大きかった。人生にはいろいろな節目がありますが、暦が還るという意味の還暦っていうのは大きな節目ですね。生きることと死ぬことをリアルに考える年齢、もう一度生まれたときの暦が還ってくる、ひいては人生を元に還すという意味で60歳を「還暦」というなんて、昔の人はすごいわ。
 さて、これからの長いようで短く、短いようで長い人生で私が一番欲しいもの、それは「自信」です。新明解くんによれば、自信とは「たしかにうまくやることが出来る(た)であろうという自己評価」なんだそうです。ほんとにうまい定義だわ、新明解くん。そこに私の定義を少し付け加えると、「その自己評価に基づいてやることは、きっとうまくいくと自分を信じる心」です。
 私は最後の最後まで、自信を持って自立して生きていきたい、もしくは自立して生きていく自信を持ちたい。自立、といっても、何でも自分でやる、ということではなく、必要なときには(これまでと同じように)周囲の力を借りて、でも、自分がやりたいことは自分でやれる力を持ち続けたい、ということです。老いていくと、若いときにはできていたことが次第にできなくなっていきます。特に身体能力と記憶力は顕著に衰えてしまう。それはもう生物学的なサイクルとして受け入れる。でも、衰えたところを補う方法はいくらでもあると思う。その方法を自分で見つけることが「自立」という上で大事なんじゃないか。
「自信」は生ものです。ちょっとしたことで、腐るか消えていってしまう。いつも新鮮な自信を保ち続けるだけでなく、より堅固で強靭な自信を培っていくために、私が今できることはなんだろうか? そんなことを考えるこのごろ。

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