Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2015年08月

9月4日20時より、裏原宿にあるフットボールカフェ「mf」で開催されるトークイベントに出演します。
http://mf-tokyo.com/blog/?p=7332

昨年と今年2年続けて取材に行った、FIFA非加盟の国や地域のサッカー協会が所属する国際組織ConIFA(Confederation of Independent Football Association)について、またConIFAが主催したサッカー国際大会について、映像とともにお話します。
申し込みも含めて、イベントの概要についてmfさんが作ってくださったファイルを貼り付けます。

お時間がありましたらぜひふるってご参加ください!!

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FIFAから閉め出された代表チームによる「 もうひとつのW


まだ世界でもあまり知られていないこの意義深い大会を,とても意義深い想いをもって、日本で伝えている人がいます。

ライター・翻訳家  実川元子


翻訳を担当された『 孤高の守護神  ゴールキーパー進化論  』( ジョナサン・ウィルソン  白水社 )が、サッカー本大賞2015の翻訳サッカー本大賞に輝いた実川さんは、昨年から「 もうひとつのW 」を取材されています。


ConIFA ワールドフットボール・カップ 』と呼ばれるこの大会には、FIFAの加盟承認を得ることのできない、例えば、独立を宣言し国際的に承認もされているもののFIFAに加盟できていない国や、領土を持たないが、世界各地に根を下ろしている少数民族の国外移住者のチーム、現在属している国から独立する意志は希薄だが、独自の言語と文化を持つ民族、または、思想や信念に基づいた共同体であることを世界に伝えたいチームなど、多種多様なバックグラウンドを持つ人たちが参加しています。



スローガンは「 サッカーでボーダー( 国境、辺境、境界 )を越える橋を架ける 」。

「サーミ人の両親からノルウェーで生まれた私は、3歳でスウェーデンに移住後、酷いイジメにあってきた。殴られ、服を破かれる暴力ならまだいい。目には見えない差別にどれだけ苦しめられたか。

グレてもおかしくなかった自分を救ってくれたのがサッカーと音楽だった。 」

            ( ConIFA会長ブランド、「フットボールチャンネル」より )

「人種、民族や宗教による差別に苦しむ人たちが、自らのアイデンティティを見出し、それに誇りを持ち、世界に向けて自分たちの文化を訴える力をサッカーは与えてくれる」

            ( ConIFA会長ブランド、「フットボールチャンネル」より )


あまりの規模の拡大で、たくさんの思惑が働くようになってしまった現在のFIFAワールドカップ。

そこでは見えにくくなってしまっている、サッカーというスポーツが本来持っている果てしない可能性を、ConIFAワールドフットボール・カップは思い出させてくれるかもしれません。


今回は、2年連続でその大会を取材をされてきた実川さんに、大会の意義やそこから生まれる可能性について、参加チームが抱える様々なバックグラウンドと実情について、大会に関わるスタッフや選手たちの生の声について、など、そのときの映像を交えながら、たっぷりと語っていただこうと思います。


「サッカーだけでなく、スポーツの大会の区分けがだけでいいのか、それが本当にスポーツで人々の友好関係を育てて世界平和に貢献できるのか、を今一度考えてもらえたらと思います」



[開催概要]

開催日時  201594日(金)20:00KickOff

開催場所  futbol&cafe mf 東京都渋谷区神宮前3-18-12

参加費   2.,000円(ワンドリンク付き)

当イベントは予約制となっております。

03-3401-5600 もしくは mail@mf-tokyo.com までご連絡ください。




[実川元子 プロフィール]

ライター、翻訳家。

熱狂的なガンバ大阪ファンでもある。

主な翻訳本『 サッカーが勝ち取った自由  アパルトヘイトと闘った刑務所の男たち

サッカーと独裁者 』『 孤高の守護神  ゴールキーパー進化論 』( 全て白水社


 最後に、今回開催されたConIFA 欧州選手権で準優勝だったカンテア・デ・ニッサというニース市とその周辺地域を代表するクラブが決勝進出を決めた試合後の「勝利の儀式」の写真をのせておきます。ニース市はフランスに属してはいますが、独自の文化を持っているそうです。
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ガンバ大阪0−3リバープレート

つい数日前に現在冬の南米でNO1クラブを決めるリベルタドーレス杯で優勝し、ドイツ経由で盛夏の大阪にやってきたリバープレート。世界的に見ても強豪中の強豪であるリバープレートにガンバがつけこめるとしたら、疲労と気温差でまいっちゃったな、賞金安いしやる気ねーよ、という相手のコンディション、メンタル低下にしかない、と思っていました。
 そんな予想は開始1分で裏切られます。リバープレート、すべてがガンバの50%上。スピード、技術、チーム戦術、すべてが一流の名にふさわしいクラブが、その実力をいかんなく発揮してくれました。ガンバが主力4人を欠いていた、とかそういうこと関係なしに、完敗、脱帽。スポーツ紙の中には「惨敗」と書いたところもありましたが、惨敗じゃない、さわやかな完敗です。選手コメントが読めていないので何と言っているかわかりませんが、遠藤、倉田あたりは「負けたけれど、やっていて楽しかった」とか言っているのではないか、と勝手に思っています。
ガンバばかりでなく、直前まで中国で開催されていた東アジアカップに出場していた代表チーム(日本ばかりでなく、韓国、中国、北朝鮮もすべて)と南米の強豪との「差」は、まずテクニックとスピードにある 、と思いました。何よりもパススピードが速い! ガンバと比べると早回ししているんじゃないかというくらいポン、ポンとパスがまわる。ガンバ側はパスを受けたら2回に1回は相手に奪われてカウンターをくらってあわあわあわでしたが、リベルタドーレス側はガンバのプレスをかるーくいなしてボールを失わない。
なんでボールを失わないかっていうと、足元ではなくスペースに飛び込んでパスを受けるから、そして地面から30センチくらいの高さで飛んできたボールをインサイドでスピードを殺さず正確にワンタッチで味方にパスするから。止めて〜〜〜蹴る〜〜〜とかやっていようもんなら、相手のプレッシングの餌食になるだけなんですよね(ガンバは前半に果てしなく餌食になり続けたのを、後半には修正してきたみたいでしたが)。この試合で、私の頭の中にあった「トラップ」とか「パス」のイメージが変わりましたね。攻撃面で縦パスとサイドチェンジが有効になるのは、スピードのあるボールを蹴る力と技術、プラス、それを正確に、そして意表をついたスペースに出せるチーム戦術の浸透があるからこそ。ただ前に蹴って、FWがおさめてくれたら「いってらっしゃーい!」でお任せするのでは「縦に速いサッカー」というだけであって、有効な戦術にはなりませんわ。
リベルタドーレスで特にすばらしかったのは8番、カルロス・サンチェス選手。右サイドライン際にはっていてボールを受けると中に斬り込み、一気に左サイドにサイドチェンジ。かと思えばピッチ中央で自在にパスを出す。プレスも速いし、2手先、3手先を読んだプレスのかけ方で、いつまでも見ていたいと思うくらい楽しいプレーの連続でした。
で、ガンバ側についてですが、収穫は「どういう差があり、どうやって縮めていけばいいか、その方向性のヒントでももらえればよかったかな」というところでしょうか。
途中出場でしたが倉田はリバープレート相手にボールを失わず、攻撃の好機も作り出す力があることを証明したし、自身で惜しいシュートも何本か打っていて(後半のあのシュートが決まっていれば自信になっただろうに……残念)、おそらく感じた「差」を今後一番プラスに変えていけるのではないかと期待。
井出口は慣れない右SBではさっぱりで、開始早々PKを献上して凹んじゃったかな、と心配していたら、後半にボランチに入ると生き生きと躍動して、大先輩フタを走らすキラーパスを出すなどふてぶてしいところも見せて可能性を感じさせました。
めためただった前半で一番ましだったのが(リバープレートと対等にやれていた)今野でした。ジョンヤが怪我で交代して、やむなくCBに入ってからはDFラインも安定したし。
リンスとパトリックに関しては……ま、しかたないですね。でも、東アジアカップで名古屋FW2人に感じたような苛立ちは感じませんでしたよ。身内贔屓?
最後に長谷川監督。リバープレートとの差は決定力(だけ)じゃないですよ。ま、無人のゴールにボールを蹴り込めないパトリックはどうかと思うけれど、問題はそこにあるんじゃない。いま一番詰めなくてはならない差は、前線が守備にエネルギーを使い過ぎて、攻撃が機能しなくなっていることじゃないでしょうか。ピッチをダイナミックに使った攻撃が見たいです。
 

ベストセラーや話題の本を意図的にも無意識でもほとんど読まない(もしくは、読んでもよほど面白くなくては読んだことは明かさない)私なので、私がいくら「これが今年のNo1!」と叫んだところで、大勢に影響はまったくありませんし、その本が読まれるようになるわけでもないです。
でも、自分の興味のベクトルに沿った面白い本、生きる上で力になる本がある程度見つけられるようになったのは、56年の読書経験のおかげだと自負しています。(5歳のときに祖母から「何でも好きなもん買うたる」と言われて自分で選んだ本「ピーターパン」を独力で夢中になって読んだことが本好きになるきっかけでした)商業主義に踊らされず、かといって教養主義にも陥らずに、本とつきあっていけたらいいな、と思っています。本とそういうスタンスでつきあいたいと思っている方に、少しでも「こんなおもしろい本があるんですよ〜」とささやきたい一心のつぶやき、かな。
こないだから身辺整理をしていますが、本はなかなか捨てられない。自分で言うのもなんだけれど、亭主や子供は捨てられても(いや、捨てませんけどね、と一応言っておく)、好きな本は捨てられないもんです。本好きの宿命かな(大げさ)

前置きが長くなりました。
No1と言っておきながら、実は3冊もあります。1冊はすでに当ブログで紹介した「オシム終わりなき闘い」(木村元彦著)です。
続く2冊目は
「遠すぎた家路 戦後ヨーロッパの難民たち」
ベン・シェファード著 忠平美幸訳 河出書房新社
4700円(税別)もする大部な本ですが、時間をかけて読むのに価する一冊でした。
昨年と今年の2年続けて、FIFAに入れない(入らない)国や地域のサッカー協会が参加するConIFA(コニファ)という団体主催の大会を取材したのですが、そのとき欧州だけでなく世界の民族地図のf区雑さに頭がくらくらしました。特に第二次世界大戦後に書き換えられた国境線が本来の民族地図と合致していないことが現代も紛争の原因になっていることも実感しました。
戦前戦中に自主的に、また強制的に故郷を追われた移動させられた人々が、自分の身の置き所をどこに定めたらいいのわからないまま現代にいたっている。南アフリカで育ち、イングランドで教育を受けたテレビ・プロデューサーの著者はそういう人々をdisplaced personsと呼びます。ランダムハウスでは「第二次世界大戦以後戦争や圧政のために故国を追われた人、強制移住者、国外流民、特に第二次世界大戦中ドイツで強制労働をさせられた難民」と定義しています。でも、本書によれば強制的に連れてこられた人たちばかりではなく、自国で食べていけずに職を求めて移住した人たちや、ドイツだけでなく「国境」を越えて故郷以外の地に居場所を求めてさまよっている人たちもdisplaced personsに含めています。訳者は適当な日本語が見つからないことからDPとしているのですが、日本語では難民、流民、移民とどう訳しても誤解されるからしかたがないでしょう。
戦後、連合国側はDPの扱いに苦慮し、アメリカが先頭に立って彼らの身の振り方に苦慮します。ドイツの強制収容所に入れられていたDPは、主としてポーランド、ウクライナ、そしてユダヤ人たちですが、彼らの中で自分たちの「故国」に戻りたいと切望する人たちは実は決して多くなかったそうです。彼らの「故国」も受け入れを渋った。それどころかバルカン半島から連れてこられた人たち(旧ユーゴスラビア)にいたっては、「戻さないでくれ!」と懇願したにもかかわらず強制的に送り返され、国境を越えたところで全員銃殺されてしまう。DPはどこにも引き受け手がないまま、収容所に戦後何年も住み続けて地元(たいていはドイツの僻地)で持て余しものになってしまう。その後ユダヤ人はパレスチナにほぼ強制的に移住させられ、そこでもまたDP扱い。「故国」に戻らず、別の国に移住することを選択したDPも、その国や地域に自分たちの「故国」のコミュニティがしっかり出来上がっているかどうかで適応の成否は分かれた。適応できず、どこにも自分の居場所を見つけられなかったDPは不満分子となって社会を不安定にしてしまう……。
読みながら現代日本社会が抱える諸問題にも、第二次世界大戦後のDPの処遇が大きく関与していることをあらためて実感します。DP問題を理解することが、現代の世界地図を理解する上で必要不可欠なのではないか。
最後に、トロントの大司教が1955年にスロヴェニアでの再会の集会に出席したあとで書いた言葉を引用しておきます。
「移民が『祖国』を抱きしめることで自分のアイデンティティを保とうとするとき、そのアイデンティティは理想化される。祖国に戻る移民は、最初は自分の見たいものしか見ない。二度か三度訪れると、自分に何の用意ができていないかを見て取るかもしれない。そして感じ取るかもしれない。自分の理想の国は最初からなかったか、さもなければ消えてしまったのだ、と」
DPばかりではなく、今のこの世界では、人は自分の居場所を自分で見つけてつくっていかねばならないのでしょう。理想の国なんて存在しない。それは幻想でしかない、と自覚しなくてはいけない。

自分の居場所を自分でつくっていく、という覚悟を後押ししてくれたのが
「一人で生きる勇気」
ドロシー・ギルマン著 柳沢由美子訳
集英社
「おばちゃまシリーズ」で日本でも人気の高いドロシー・ギルマンの唯一のエッセイです。
タイトルに魅かれて読みました。
幼い子供を抱えて離婚し、物書きになって必死に生き延び、子供たちが自立したところでニューヨーク郊外からカナダの海辺の町、ノヴァスコシアに移住した著者が、厳しい自然や田舎の人間関係にとまどったりへこたれそうになりながら、本当の意味での「自立」の喜びと力を実感するまでの話です。
どのページを開いても、自立した人生を生きる上での知恵と勇気を与える言葉を見つけることができます。立ち止まるひまなく走り続けなくてはならない毎日を送っていて、毎晩眠る前に「こんなことでいいのか?」と自問するとき開いてみたくなる本。
今もまた開いてこんな言葉が飛び込んできました。
「わたしたちが真に躍動するのは、瞬間の中に入り込み、意識を全開にしてその瞬間を生きるときである」
未来の目標に向ってではなく、ましてや過去の思い出にしがみつくのではなく、今、この瞬間を生きること。こんなことしていていいのだろうか、将来これが何の役に立つ? とかで悩むのではなく、今、やりたいことを、精一杯やる。
さ、仕事しよ!!

3月に父が亡くなり、同時に娘と孫の同居開始で、まわりから「今は気を張っているからいいけれど、近いうちに疲労がどっと襲ってくるから気をつけて」と警告されていました。
で、警告通り、暑さもあってハンパない疲労に襲われておりまする……って半分ウソ。疲労に襲われているんだよーを言い訳に、読書と映画鑑賞(ってWOWOWの放映がほとんどなんだけれど)に逃げております。
だから最近読んだ本と観た映画を記録しておくことにします。
まずは本から
「相田家のグッドバイ」森博嗣 幻灯社
実家の整理に追われている、という話をしたら、やはりお父様を亡くされて実家の後片付けに奔走しているという友人から勧められました。大学の先生の語り手とその妻の2人を軸に、家族の人間関係を淡々と書いているのだけれど、親子、夫婦の距離感の取り方がとても参考になりました。とくに主人公のお父さんがいい。見習いたい生き方です。

「喜嶋先生の静かな世界」 森博嗣 講談社
相田家の語り手の若い頃の話。大学工学部の研究がテーマになっていて、たぶんこれは著者(工学部の教授)の経験と考え方が反映されているのだと思います。私がぐっときたのは、「何か一つのことに一生懸命取り組んでいくうちに、高い山の頂まで登った感触を得ることできて、そうなると遠くまで見晴らすことができるし、もっと高い峰があることもわかる」というようなことが書かれた箇所。すごくわかる。よく「道を究めた」とかいう人がいるけれど、それは究めたわけじゃなくて、もっともっとすごい世界があることがわかった、というだけなんだと思う。しかし、ラストは衝撃だった。淡々と書かれているだけに衝撃の度合いは強かった。

「集団的自衛権と安全保障」
豊下楢彦 古関彰一著 岩波書店
お昼を食べながら国会中継を見ることが何回かあって、安保法案の審議を見ていたのだけれど、さっぱりわからなかったのでkindleでぽちりました。で、読み始めたらその日の午後はまったく仕事にならず一気読み。怒りと不安でいっぱいになり、翌週に国会前の集会に行きました。集団的自衛権と安全保障について初めてわかったような気になったのだけれど、1冊だけですませてはいけないなと思ったので、 

「平和のための戦争論」植木千可子著 ちくま新書
も読みました。これまたわかりやすく、かみくだいて「安全保障の環境は本当に大きく変わったのか?」「戦争を防ぐための戦争はありうるのか?」 について軍事データを出しながら論じています。
2冊ともかなり冷静に現在の世界の安全保障環境について論じていて、私の頭にはすんなり入ってきました。だからこそ憲法改正の前にはもっともっと議論が必要なんじゃないか、と思います。

「男はつらいらしい」 奥田祥子著 新潮新書
「男性漂流」 奥田祥子著 講談社α新書
同じ著者による、現在の日本社会における男性がおかれた状況と位置づけに迫った本。10年以上かけて対象者を追いかけ続けた渾身のルポで、何がいいって彼女(独身)が男性にとてもやさしいこと。彼女のようなやさしさを持っている男性を私は知らないなあ。2冊続けて読んで、別に現代でなくても男性ってほんと辛いんだなあ、しんどいんだなあ、と思いましたです。プライドとかさっさと捨てたらいいのに。
 
「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」
リチャード・ロイド・バリー著 濱野大道訳 早川書房
元英国航空客室乗務員だったルーシー・ブラックマンが 、一稼ぎしてくるといって東京にやってきて、六本木のクラブで働いていたところ、こつ然と姿を消し、やがて織原という男性が容疑者として浮かぶ。捜査の末、ルーシーの遺体が発見され織原逮捕。だが、状況証拠だけでルーシー殺害容疑については有罪にできず、別の女性の傷害致死で有罪。という事件をタイムズ紙の東京支局長である著者が追いかけたルポルタージュ。日本の警察が無能だとか、司法制度がなっとらんとか、いろいろ批判もしているのはさておき、外国人、とくに金髪碧眼の西欧女性に対する日本人の反応というのが興味深かったです。それと、東京の裏社会の闇は深いなあ。

「 ロズウェルなんか知らない」 篠田節子著
観光資源が何にもないさびれた地方の町を、オカルトとUFOによって観光地化しようと奮闘した人たちの話。ディズニーランドだって作りモノ、幻想を売っている、ならなんでオカルトを作って観光資源にしちゃいけないんだ、というくだりにぐっときました。だいたいにおいて、世界遺産だってある意味作りものだもんね。ストーリーしだい。なんかね、これ読んだからじゃないけれど、観光地に観光に行くのがすごくアホらしくなりました。

そして、実川元子今年すでにNO1の呼び声が高い本があるのですが、そろそろ夕飯の支度をせねばならないのでまた明日にでも。 

ガンバさんはヘロヘロのまま中断期間に突入しました。でも、中国で開催の東アジア選手権に6人も選手を送り込んで、いったいどうするんでしょうか? 初選出の倉田、米倉の2人の選手のためには喜ぶべきだ、と頭ではわかっていても、リーグ戦でのあまりのヘロヘロぶりを見せつけられている私としては、喜び半分です。
なんでも試合会場となる武漢のスタジアムはもともと芝がぼこぼこな上に、たった1つのスタジアムで男女合わせて12試合(だと思う)が行なわれるので、芝を保護するために試合前のアップは別のグラウンドなのだとか。 何、それ、とますますうんざりです。何もこんな暑い時期に、わざわざ1スタジアムしかないところでやらんでもいいのに……。
中断明けにはスルガ銀行カップで南米王者との対戦が待っているガンバさん。
代表組は本当にたいへんだと思います。
いろいろ言いたいこともあるけれど、まずは中国で気持ちよく勝って帰ってきてください。 

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