Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2016年01月

2歳を過ぎたところから、お孫ちゃんの口癖は「ひとりでできる」「じぶんでやる」です。歯磨、うがい、手洗い、エプロン装着、食事、服の着脱、すべて「じぶんでやる」と主張。最初はなかなかできません。靴下の片方だけはくのに10分かかったりする。でも、急かさずにじーっと我慢してできるまで待つこと、大人にはそれが大事。
そして試行錯誤を繰り返しながらやっと自分一人でできたとき、お孫ちゃんは叫びます。
「ひとりでできた!!」
うーん、人間、その達成感の積み重ねで成長していくんだな、と実感。
「ひとりでできた!」と叫ぶときのお孫ちゃんの何ともいえない満足した顔を見ていると、私も「ひとりでできる」ことを 増やしていきたいな、と思います。
「あれは苦手」「これはよくわからなくて面倒」「ええい! 誰かに頼んじゃおう」それはできるかぎりやめよう、と元旦に決意。
そこで、さっそく高いところにある電球を取り替えました。そんなことでも達成感が得られるもんですね。 「なーんだ、やればできるじゃないか!」とひとりでドヤ顔。
夫の出番がどんどんなくなっていき、ますます存在感が薄れてしまう、ということだけが不安ですが。
次は「プチ海外一人暮らし」に挑戦です。頼るものは自分、を自覚し、自分への信頼を取り戻すためにも、今やっておかなくちゃ。 

画像は何の関係もなく、早々と満開になった紅梅です。
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FIFAに入っていない(入れない)国、地域、マイノリティ、民族、僻地で暮らす人々が所属するサッカー連盟、ConIFAの活動についての続きです。
よくConIFAのチームに入るとFIFA傘下のチームではプレーできないのか、とか聞かれますが、まったくそんなことはありません。実際、今まで私が会った選手、スタッフの中で、たとえばフランスやドイツ、イランなどのリーグで活躍している(いた)プロであって、ConIFAのチームで出場していた人たちが大勢いました。たとえばクルディスタンというチームは半数以上がイランやイラクのリーグに出場している選手たちで構成されていたし、前回のワールドフットボールカップで優勝したカウンテア・デ・ニッサというニース市とその周辺地域のチームにもフランスのプロリーグの1部、2部のチームに所属する選手が主軸でした。北部イタリアを代表するチームであるパダーニアも、セリエAやBだけでなく、欧州各国リーグで活躍するプロ選手が主軸になっていました(↓)
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ConIFAの会長であるペールアンデルス・ブランドが「ConIFAとFIFAは互いに補完しあう関係だ」ときっぱり言います。対立するのではなく、互いに補い、共存する組織である、ということです。
そしてブランド会長は「ConIFAの一番の目的は、サッカーによって世界中の人々に橋を架けることだ」と言います。ConIFAの意図を示す動画を貼り付けておきます。


主として「国連で承認されている国の協会」が単位となっているFIFAですが、加盟「国」のパスポートを持っていたとしても、自分がプレーする上で何を(どこを)代表するかといえば、パスポートに示された「国」ではないかもしれない、という選手はこのグローバル化した世界には大勢います。これからもっとそういう選手は増えるでしょう。自分が属していると実感できるコミュニティの代表として、スポーツの国際大会に出場したい。サッカーという世界屈指の競技人口を持つ普遍的なスポーツを介して、自分たちとは異なる価値観、言語、考え方をする人々と、理解し合う、とまではいかなくても、少なくとも認め合いたい——そう願う人たちのための組織がConIFAです。
自分たちとは違う考え方や価値観を持つ人々を、言葉も含めた暴力によって抑えつけ、排斥しようとする空気が充満している今のこの世界にあって、ConIFAのような組織はとても貴重だ、と私は思っています。国際交流、というと、とかく自分の文化をアピールすることで終わりがちですが、それだけでは「交流」とは言えない。来日観光客が増えて、日本文化や社会に「いいね!」してくれたからといって、それでは日本が異文化に寛容で、国際交流に長けているか、といえば全然違うと思います。
たとえばスポーツや音楽を「橋」として、人と人がつながりあうこと、つながりあってこそ「交流」と言えるのではないか。またインターネットも含めたメディアではなかなかとらえづらい「世界」と「自分」の間に橋を架けるという点でも、ConIFAのような組織の存在意義がある、と私自身は思っています。
今のこの世界で、サッカーができることはもっともっとある。ConIFAを見ていると、それを実感します。
 

1月8〜10日までイタリア、ベルガモで開かれたConIFA(Confederation of Independent Football Associations)の年次総会に行ってきました。ConIFAとは、FIFAに加盟していない(できない)国、地域、マイノリティ、僻地のチームが所属するサッカー協会組織です。私は2014年にスウェーデンのウステルシュンドで開催された第1回ワールドフットボールカップを取材に行き、なんておもしろい大会なんだろう、と感動しました。そのときのことはここに書いています。
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今回わざわざイタリアまで出かけて行った目的は、昨年ConIFAに加盟し、今年5月28日〜6月5日までアブハジアで開催されるワールドフットボールカップに出場希望を出していたユナイテッド・コリアFAと琉球FAの出場権が勝ち取れるよう、代表でプレゼンテーションをすることにありました。最初はそれぞれの代表者の方に通訳代わりで同行するつもりだったのですが、もろもろ事情があって結局私一人で行くことになりました。乗りかかった船だし、加盟に向けて後押しさせていただいた縁もあるし、ということで。
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(第3回総会を記念して、レストランがケーキを作ってくれました。中央に見えるのはワールドフットボールカップです! ユナイテッド・コリアにはぜひこのカップを日本に持ち帰ってほしい!!)
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(1部メンバーとベルガモの旧市街、チッタ・アルタで前夜祭。なかなか濃い感じですよね)

年次総会でのメインイベントは、やはりワールドフットボールカップinアブハジアに出場するチームの選抜です。日程と試合会場が1箇所であるという関係で、今回出場できるのは12チーム。しかし、出場希望は24サッカー協会から出ました。主催FAであるアブハジア、昨年行なわれたConIFA欧州選手権優勝国であるパダーニア、そして親善試合を重ねてポイントを獲得したレシアの3チームが選抜なしで出場が決定しています。残る9つの枠を21チームで争う、ということになりました。なかなかの激戦です。
選抜は、参加希望チームがそれぞれ短いプレゼンテーションをした後、加盟チームと役員が投票して、得票数の多いところから決める、というものでした。総会に出席できなかったチームは、アピールをメールにしてそれを事務局長が代理で紹介しました。 最終的に決まったチームを見ると、やはり出席して自らプレゼンをしたチームが圧倒的に得票数が多かったです。(ごめんなさい、琉球FA。私のアピールが足りませんでした)

そして決まった出場チームは以下の通りです。
アブハジア(開催サッカー協会。ジョージア(グルジア)とロシア国境に位置する独立国。アブハズ人の国)
(以下欧州地域から)
レシア(スイスからババリア地方、チロル地方で暮らすレシアの人々の代表チーム)
パダーニア(北部イタリア地域代表)
サーミ(ノルウェー、スウェーデン、フィンランドなどにまたがるサーミ人代表)
西アルメニア(アルメニアの西部、現在はトルコに入る地域の代表)
ロマ(欧州の特に南部を移動して暮らしてきた放浪の民族ロマの代表)
北キプロス(地中海に浮かぶキプロス島北部地域の自治国)
(以下アジア地域から)
ユナイテッド・コリア・イン・ジャパン(在日コリアンのチーム)
クルディスタン(イラン、イラク、トルコなどで暮らすクルド人代表チーム)
パンジャブ(インド北部、パキスタン東部にわたる広範囲に暮らす人々の代表チーム)
(以下アフリカ地域から)
チャゴス・アイランド(インド洋に浮かぶ60の島々に暮らす人々で結成されたチーム)
ソマリランド(アフリカ中東部に位置し、1991年に独立を宣言した国の代表)

最後に総会出席メンバーで記念撮影(一部は帰ってしまいましたが)。やっぱり濃い!
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(続く)
 

準決勝vs広島戦と同じく、打たれたシュート数は倍以上。それでも勝つ、というのは数年前のガンバらしからぬ勝負強さです。どうかこの勝負強さが、アジアでも大いに発揮されますように、と祈る年明け。

今回の天皇杯決勝での個人的な目玉はこのシーンにありました。
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 天皇杯を受け取った後、チームメイトに預かってもらっておもむろに後ろを向き、明神さんユニであることをアピールしたヤットさん。
この画像、とっても素敵です。いろんな意味で!(宇佐美選手は誰に手を振っているの? 明神さん? 井出口選手、ほんとに嬉しそうな笑顔!)
天皇杯優勝は今回で4回目。6回決勝に進出して。4回優勝しました。今回、明神選手はベンチにも入っていませんでしたが、あとの5回ともメンバーに入っていました。
2006年に柏からガンバに移籍してきて以来、明神さんは常にガンバを支えてきました。ガンバの「超攻撃」と言われるスタイルは明神さん抜きには語れません。しかし長谷川監督になり、超攻撃スタイルからの転換を図ったところで、明神さんの出番が次第に減っていきました。出場時間の減少は、こと明神さんに限って年齢による衰え以上にチームのスタイルに変化によるところが大きい。
私が明神さんの偉大さに打たれて、明神ユニを購入したのは2008年。ACL優勝は明神さんなしでは決して達成できなかったでしょう。相手の攻撃を受けて「ひ〜〜〜」と目を覆うようなシーンになると、必ず颯爽と現れて危険な芽をことごとくつんでいってくれるのが明神さんでした。あの年はヤットさんの凄みの記憶のほうが鮮明かもしれませんが、いえいえ、ヤットさんがあれだけ活躍できたのは、ボランチでコンビを組んでいた明さんがいたからこそ。今回の天皇杯優勝セレモニーでのヤットさんの粋な演出は、彼なりに個人的な思いとともに、チームを代表しての明神さんへの感謝と、そしてこれからのますますの活躍を祈念してのことだと思います。
恥ずかしながら、このシーンで私はジーンと来てしまって涙がこぼれました。明神さんのプレーが次々と脳裏に浮かんで、ああ、ガンバはどれだけ明神さんに救われてきたのだろうか、とあらためてその偉大さをかみしめました。

最後にエールを送ります。

明神! 明神!! 明神智和!!!
明神さんのこれからのサッカー人生がより輝かしいものとなることを、私も心より祈っています!

 

2016年があけて早くも4日目となりました。今日から仕事始め。嬉しいです。ほっとしています。今朝ゴミ出しをしながら、やっと日常に戻れる、と2016年になって初めてくらい青空をすがすがしく仰いで深呼吸しました。
実は……正月が嫌いです。年末年始は私にとって、1年で1番嫌な時期。今年は短かったのでまだ耐えられましたが、仕事が始まって家族が出勤してくれて、やっと落ち着いてPCの前に座った瞬間、心の底から「今年はなんとか終わった(始まったばかりだよ!)」 と安堵のため息をつきました。やれやれ。仕事をするほうが100倍楽で楽しいわ。
年明け早々申し訳ないけれど、毒を吐いてしまおう。
「お正月は家族で過ごすべし」という「常識」だの「習慣」は廃れつつあるのではないでしょうか? 団塊世代まではもう仕方ないとして、団塊のちょっと後、1954年生まれの私の世代以降は、積極的に撤廃してもいいんじゃないか、と思っています。私は40代のころから親戚が集まる年末年始がたまらなく嫌で、「大掃除しなくちゃいけないのか〜〜〜」「またウチに10人くらい集まるのか〜〜〜」「また駆けずりまわってお正月準備か〜〜〜」と11月くらいから憂鬱でした。そうやって「家族で過ごすお正月」こそ正しく、一人のお正月がいかに寂しいかをメディアも世間も強調しまくるおかげで、家族がいる人もいない人もよけいに正月がプレッシャーになっている……ような気がします。
今年は介護ケア付きマンションにいる母のところに家族が集まったのですが、あれほど「1人でお正月なんかぜったいにいや」とか言っていた母が、私たちが帰るときにあきらかにほっとした表情をしていました。来てくれるのは嬉しいけれど、帰ってくれて一人になるとほっとする。それが母の本音ではないか、とその表情を見ていて思いました。
何度も言うけれど、家族こそ距離が必要です。お正月だからといって、普段と違う近距離で接しなくてはならない、ということはない。もちろんこれから私も老いていくので先のことはわからないけれど、とりあえず今のところは「できれば一人で正月休みを好きなことをやって過ごしたい」が本音です。だから娘たちに「年末年始に実家に来なくちゃいけない、ということはまったくないからね。どうしても来たかったら来てもいいけれど、無理することはまったくないから」と何回も念を押して今年の正月の締めくくりとしました。
家族ベタベタで過ごしたお正月。ほんの束の間ですが、初日の出を拝みに一人で大阪の街を散歩しました。
どうか2016年が平和で安全な1年でありますように!
そして皆様が笑顔に包まれた毎日を過ごされますように!
そんな祈願をこめて、初日の出画像をアップしておきます。
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