Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2016年08月

迷走台風の影響なのか、単なる低気圧のせいなのか、ベランダと窓をがんがん叩く雨の音で目が覚める土曜日の朝。It's raining cats and dogsなんて昔覚えた言い回しを思い出しながら起き上がって、ガンバサポ同志にメール。「すごい雨。交通機関大丈夫ですかね?」
名古屋から駆けつける同志は「こちらは降っていません」
東京組のサポの一人は「風邪気味だし、どうしようかな」
午後の予報を見て、交通機関が問題なければ行こう、と決めてひと仕事していたら、なんと小雨になって、そのうちやんだではないですか!
「行きます!」とメールをして、長靴をはいて、合羽はもちろん、着替えを一式をどんなに激しい雨でも中身が濡れないというヘビーデューティのリュックに入れていざ出発!
相変わらず降ったりやんだりの空模様でも、電車は時間通りに動いていたおかげで、無事平塚に到着して同志と会えました。 
久しぶりのナマガンバ観戦。雨が降っていようが、ヤリが降ってこようが(ヤリが降ったら避難しなきゃ)、心が弾みます。最近の「★ソおもろないサッカー」という噂なんて聞き流す。いいんだ、ガンバはガンバだもん。
30分歩いている間はほとんど雨は降らなかったのに、到着するとまたも土砂降り。どんだけ犬猫が降ってくるんだ! おまけに寒い! 8月なのに何、このふるえがくる寒さ! それなのに、合羽やらユニやらをリュックから出して、観戦雨具対策をやっている最中に、薄手のガンバカラーのカーディガンというか防寒具をどこかにやってしまう。小さい袋に丸められるとっても便利な防寒具だったんだけれど、小さく丸められるが故のなくしやすさ。ま、以前に大雨のときに、ゴミ袋に入れていた壊れた傘やら雑巾やらと一緒にユニと年間パスをなくしたときよりは被害は小さい、と思って自分をなぐさめましたよ。
合羽も染み通ってきそうな勢いで雨が降る中、寒さにふるえながら座って湘南乃風?だかのライブを延々と聞かされながら待つキックオフ。なんかの修行っすか? それとも始まる前から罰ゲーム?
でも、満員のゴル裏サポとともに「クラップ」の練習をしたのは楽しかったです。吹田スタでやりたいなあ。
さて試合。開始3分で見事なミドルシュートをくらって失点。もう雨なんだか涙なんだかわからないものが頬をつたいましたよ。ガンバサポからは「もう帰りたい」と訴えられるし。
でも、ヤット→ジェソク(祝韓国代表選抜💓)→ロングフィードで長沢、体を倒しながらダイレクトボレー!!! ばんざーい!! ハイタッチに、ガンバガンバ、もっといったれ〜〜を絶叫。長沢、すごい!
前半は1−1で折り返す。どんどん雨が激しくなる中、滝行のつもりでじっと耐える。
後半、なかなかアウェイ側に来てくれないガンバの選手たち。雨にかすむ向こうのほうで、どうもめっちゃ攻められているらしい。なんでガンバの選手はシュートを打たないのだろう? もしかして、湘南のGKが雨でこぼしたらかわいそうだとやさしい紳士的配慮をしているのか? それなのに湘南の選手たちは東口にまったく配慮してくれずにばんばんシュート打っているんですけれど。
あああ、寒いなあ、試合も雨も、とかぶつぶつ言っていたら、CKでヤット→長沢! 長沢、すてき、ありがとう、愛している💙
そして最後までまた攻められっぱなしで逆転勝利。もし序盤の失点で負けていたら、もう私は人生を投げていたね。
帰りもまた雨の中を歩きましたが、勝ったからね、ま、気持ちよく足取りも軽かったですよ。
駅前で湘南サポさんがセッティングしてくれた焼き鳥屋で乾杯🍻 寒くて焼酎のお湯割にしましたけれど。
久々のガンバ、久々の勝利観戦でしたが、思うところ、言いたいことはいろいろあり。
来季はだね、やはり補強しなきゃどうしようもないでしょ。チーム力はあきらかに下降線を描いています。宇佐美ロスは感じなかったし、宇佐美がいても下降カーブの角度を変えられなかったと思うけれど、でも、何かしらの手は打たないとやばいよね、という感じがしました。今年はどうやら残留は決定したみたいだから、あとは来季のことを見据えての選手起用をお願いしますよ>健太監督。
長沢、これで覚醒してくれるかな?
ジョンヤ、去年に比べればずっと伸びているけれど、もうワンステージあがってくれないかな。
井手口、伸びしろはもっとあるはずだよ。
そんなこんな。
つぎは今週末のルヴァンカップvs広島戦@吹田スタジアム。今度こそクラップやらせてください。👏
 

オリンピックを見ながら娘に「私、まずどの競技も無理だわー」と言ったら、娘が「あたりまえでしょっ! 95%の人は無理だよっ!」と言われました。す、すみません、つい身の程知らずにもオリンピック選手と自分を比べるなんてこと口走ってしまいました。土下座。
反省してるとか言いながら、なおも「シンクロナイズドスイミングで選手がプールサイドを歩くところ」を真似する母。
頭をそらし、ツンと顎を突き出し、にこやかに笑顔で胸を張り、腕をふる。
「どう?」と娘に聞くと冷たく言われました。
「まずもって立ち姿がまーったくちがうね。同じ人間だとは思えない」
ううう、なんて失敬なやっちゃ!
でも、言われるまでもなく、どの競技においてもオリンピックの選手とドシロートとの大きな違いは「立ち姿」です。
でもって、最近の私は「正しい姿勢でちゃんと立つ」そして「歩く」練習に余念がありません。
ただ「立つ」「歩く」を習得するために、体操教室に通っているくらいです。そんな基本的なことがまーったくできない自分にいらだつばかりですが、これをやっておけば90歳になっても動けるからだでいられるんじゃないかと期待。
オリンピック選手をめざす気など毛頭ありませんし、そんなおこがましいことは言いませんが、せめて彼ら彼女らの立ち姿から学ぶくらいはやりたい。
正しい姿勢で立つことを覚えれば、長い時間疲れずに立っていられるそうです。
正しい姿勢で歩くことを覚えれば、長い時間疲れずに歩けるそうです。
あと5年かけて習得し、死ぬまでちゃんと正しい姿勢で立って、元気に歩いていたいな。 

今朝(8月14日)日経の読書欄にエコノミストの川本裕子さんが、獅子文六の『悦ちゃん』
を取り上げてらして、一気に気分は50年以上前に引き戻されました。『悦ちゃん』は私が小学5年生の夏休みに読んだ本。夏休みにいとこたちと葉山の別荘に出かける悦ちゃんが、水着を買いにいくシーンを読んだときの衝撃が今でもよみがえります。紺色のスクール水着しか知らなかった私には、遊ぶための水着をわざわざ買ってもらえる子どもが世の中にいる、というのが驚きだったのです。
それはともかく、私にとって夏休みの思い出は、ほとんどが読んだ本によって記憶に刻みつけられています。特に小学4年生以降、いわゆる「小学校高学年〜中学校」向けの本が読めるようになって以降は、クマゼミ(関西はシャーシャーシャーシャーというクマゼミの声が朝からうるさいほど降り注ぎます)と祖母が大好きだった大輪の芙蓉の花と、卵と牛乳と砂糖でつくる自家製アイス、そして読書が夏休みの記憶です。

私は小中高一貫の私立に通っていて、夏休みが公立の学校よりも10日ほど長く、50日あまりありました。 自分が親になってみてよくわかるのですが、子どもが50日間も一日中家にいるのに母はうんざりしていたのではないかと思います。家で母と顔を合わすと、即座に「外で遊んでらっしゃい!」とせきたてられました。活発で外向的な妹はいそいそと近所の友達の家に飛んでいくのですが、(今言うと信じてもらえないかもしれませんが)一人で本を読んだり、空想(妄想)にふけっている時間が一番幸せ、という内向的な私は、わざわざ友達を誘いにいくのも面倒で、やむなく出かける先は図書館。石造りの図書館は、夏でもひんやりと涼しく、足音を立てるのさえもはばかられるほど静かでした。
開架式の書棚を眺めているだけで1時間くらいあっという間に過ぎます。学校の図書室には置いていない「大人の本」を周囲の目を盗んでそっと引き出して盗み読みしたり、ファッション雑誌や音楽雑誌であこがれのモデルやミュージシャンの近況を読んだりした後、おもむろに子ども向けの本を選んで借りる、というのを繰り返していました。
『悦ちゃん』も図書館で出会った本。あまりにおもしろかったので、その後獅子文六の『自由学校』『てんやわんや』『娘と私』などを大人の本の書棚で借りて夢中になって読みました。小学生には理解できない事柄(特に恋愛の機微)も書かれていたし、母から「まだあなたには早すぎる」と注意されもしたけれど、獅子文六はおもしろくてやめられなかった。描かれていた昭和初期の風俗が子ども心にも洒脱で、ああ、私も大人になったらこんなおしゃれをしたいなと思いました。まだストッキングが高価だった時代にソックスにハイヒールをかっこよく履きこなす技とか、洋装に日傘の合わせ方とか、「断髪」のかきあげ方とか、今でも真似できるおしゃれの知恵がいっぱい書かれていたように思います。
悦ちゃんはお父さんの再婚が嫌で、家出して冒険に出ます。家出、冒険、なんて甘美な響きでしょう! というわけで、私は少年少女向けの冒険ものも大好きでした。冒険もので一番の思い出の本は『コンティキ号漂流記』(当時読んだのは別の本でした)です。トール・ヘイエルダールというノルウェーの人類学者が、南太平洋に住むポリネシア人の祖先が、南米大陸から海をわたってきた、という説を証明するために筏を建造。古代でも入手可能な材料だけを使って建造し、エンジンなどを使わず帆と海流だけで航海した記録をまとめたノンフィクションは、実話だからなのか、どんな冒険小説よりも興奮しました。
子どもたちだけの冒険ものといえば、ジュール・ヴェルヌ(『海底二万哩』とか好きだったなあ)『十五少年漂流記』があって、私は飽きるほど読みましたが、これは冒険なんかするつもりはまったくなかったのに、ほんの出来心から漂流させられてしまったお話。反対に、自分たちで計画を練って冒険に出かける、という意味で魅力的だったのが、アーサー・ランサムという英国の児童文学作家が自らの体験をもとに書いた『ツバメ号とアマゾン号』のシリーズです。子どもたちだけで無人島で生活することができるなんて! それも親たちに奨励されている! もうよだれがたれそうなほどの羨ましさ。私が大学時代にヨット部に入部したのも、多分にこのシリーズの影響があります。
その後『長くつ下のピッピ』で、池の真ん中にある島で兄弟とピッピが一晩だけテントをはって過ごしたのを読んで、庭にテントを立てて寝たいとねだり、叔父が持っていた山用のテントを立ててくれたものの、蚊にさされまくって1時間もたたずに撤退したこともありました。
今ではタイトルがどうしても思い出せないのですが、ラスコー洞窟(読んだのはこの本ではないと思う)を発見した子ども達を主人公にした冒険ノンフィクションを読んだのも、たしか小学5年生の夏休み。親に内緒でこっそり裏山の洞窟で冒険ごっこをしていた子どもたちが、偶然見つけた不思議な壁画。真っ暗な洞窟に持ち込んだロウソクの火に浮かび上がる獣や狩人の姿に魅せられる子どもたち。「危ないから入ってはいけない」と厳しく止められているところに入っていくことへの後ろめたさとワクワクする冒険心、最初に壁画を見つけたときの息を呑む衝撃、大人に知らせるかどうかの仲間内の葛藤など、50年以上たった今でも読んでいたときの胸の高鳴りが忘れられません。真似して、実家近くを流れる川を上流まで遡り、どこかに洞窟がないかと探しました。しかしなぜか小さな冒険は親にばれて、「危ない!」とこっぴどく叱られましたが。
振り返ってみると、林間学校や水練学校にも行かせてもらったし、旅行にも連れていってもらったのだけれど、夏休みの思い出、となると昼までも薄暗い図書館で本の世界に入り込み、嵐に翻弄されながら筏にしがみついたり、ロウソクの光が消えて真っ暗な洞窟に取り残されて恐怖を味わったりした記憶のほうが鮮明です。
今の子どもたちが夏休みに読んだ思い出の本は何なのだろう? ちなみに次女に聞いたら、彼女は小学5年生のときに読んだ岡田淳作『二分間の冒険』をあげました。 やっぱり冒険ものが好きな血筋なのかも。

ロシアのドーピング問題でますますIOCに対する不信感は増すし、メダルの数何個とかで絶叫されるのにうんざりするし、だから観戦する競技が限られてくるのですが、サッカーだけは録画をとって見ています。
今朝のスウェーデン戦も見ました。が、BSでやっていたコロンビア対ナイジェリア戦も並行して見ていたので、コロンビアが先制した時点で気持ちがちょっと落ちましたね。そのときは日本がものすごく攻撃的でいいサッカーをしていたから。振り返れば第一戦ナイジェリア戦の5点目が分岐点だったかな。同じ選手に4点取られるってどうなんよ。
世間ではOA枠の藤春選手に対して厳しくいう声が多いし、たしかに藤春選手のパフォーマンスもどうなんよ、というところはあったけれど、(別に私がガンバサポだから彼をかばうという意味ではなく)彼ばかりは責められないなあ。OA枠を使うのであれば、DFの選手じゃなくてGKではなかったか、とか思ってしまいました。後ろでチームを支えるのならば、やはり経験値がものをいうGKではなかったか、とか。まあ、すんだことをあれこれ言ってもしようがない。次だ次! 藤春くん、井手口くん、うなだれて帰ってくるんじゃないよっ!

今回のオリンピックで私の目を引いているのは、思いがけない国の選手の活躍ぶりです。柔道ではコソボやアゼルバイジャンの選手がメダルをとっていたし、水泳もまあアメリカとオーストラリアは強いといえば強いけれど、流れてくる国歌はいろいろ。ハンガリーのホッスーはなんであんなに強いんだ? 日本が52年ぶりに800メートル自由形でメダルを獲得っていうのにも驚くと同時に、日本が自由形で食い込めるチャンスも生まれる時代かあ、と思いました。(52年前の東京オリンピックからこの種目があったことにもびっくりでしたが)いまやどの競技においても、どの国の選手にもチャンスがある時代。そもそも「国」の枠に縛られずに出場している選手も多い。7人制ラグビーで快進撃を続けている日本も、いわゆる伝統的な日本の名前じゃない選手たちが活躍しているわけで、彼らを「日本人じゃないから応援しない」とか言うことはできないはず。
だからね、「日本のお家芸」という言葉はやめてもらいたいなあ。「体操ニッポン」とか「水泳ニッポン」とか、そういうの放送で絶叫するのはどうかなあ、とか思ってしまう。さすがにもう「柔道ニッポン」という声はあまり聞けなくなりましたが。柔道は発祥は日本でも、もはや国際的なスポーツってことでしょう。そのことに胸をはってもいいように思います。
この競技はこの国が「絶対に」強い、というのは、もうないように思えるんですけれど、どうなんでしょう? どの国の選手にもチャンスはある。優秀なコーチが、才能ある選手を見出して、時間をかけて育成すればチャンスはあるんじゃないか、と。優秀、というのは、単にスポーツの指導方法に優れているだけではなく、人格的にも尊敬に価する指導者、ということで、それってなかなかむずかしいかもしれません。才能のある選手の発掘と育成より、優秀なコーチを育成するほうがずっとたいへんだし時間がかかりそうです。


8月5日、futbol&cafe「mf」にてConIFAワールドフットボールカップ@アブハジアについてのトークイベントを開催しました。
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最初に私のほうから「FIFA非加盟のフットボール協会をまとめるConIFAとはどういう組織か?」という説明と、アブハジアでの大会に参加した12チームの紹介をしました。
第2部には、日本から参加したユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンのマネージャーと選手の方々とともに、試合のビデオを流しながら大会の感想を話していただきました。
いろいろとおもしろい話が出てきたのですが、私が特に印象深かった言葉が2つ。
マネージャーのソン・チャノさんがおっしゃったことが一つ。
「在日コリアンズが国際大会に出るなど考えてもみなかったが、アブハジアでConIFAの大会に参加してみて、在日コリアンズの我々でしか出場できない、というか、在日コリアンとして出場することに意義がある国際大会がある、とわかった。それに日本にいるとどうしても視野が狭くなって、日本社会の中での自分たちの存在を考えてしまうのだけれど、世界の中に置いてみると我々はどういう存在になるのか、ということが客観的に見られた」
これはソンさんだけでなく、他チームの人たちからも聞きました。たとえば準優勝で大健闘だったパンジャブは、英国に移民した人たちのチームでしたが、彼らも対英国社会での自分たちの存在ばかりにとらわれてしまいがちだったそうです。でもConIFAにやってきて、世界には生活のしている国の中でマイノリティの民族である人々がこんなに大勢いるんだなとわかった、そういう人たちとサッカーができてよかった、と言ってました。
もう一つ、今回の大会で監督をつとめたユン・ソンイさんの言葉。
「ヨーロッパのチームと試合をする機会があるとは、これまで一度も考えたこともなかったけれど、実際に試合をしてみて、通用するところもあったし、自分たちの足りないところもわかった。それは体験してみないと絶対にわからない収穫だったし、大きな財産になる」
チームだけでなく、今回、アブハジアまで一緒に行った応援団の方々も含めて、「体験することのたいせつさ」をおっしゃっていました。
世界は広い、世界にはいろいろな人がいる、と言っても、なかなかその広さや多様性を実感することはできないと思います。ConIFAの大会はそれをまさに体で感じる「体験」として感じさせてくれました。
そして私にとっては、ConIFAとの出会いは、思ってもみなかったすてきな方たちとの出会いを生んでくれています(現在進行形)。大会で出会った人たちばかりでなく、トークイベントに来てくださった皆さんとの出会いも含めて、これは私の宝物。サッカーが好きで本当によかった!!!と思っています。
 

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