Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2017年01月

どうもlivedoorブログが海外での書き込みがむずかしいらしく、ジュネーブでトライしたもののはじかれました。ロンドンではうまくいくことを祈りつつ。

26日午前1時近くに羽田を出発する便でフランクフルトに飛び、乗り継いでスイスのジュネーブにまずは入りました。 
目的はCONIFAの年次総会に出席するためです。CONIFAには2015年よりUnited Koreans in JapanとRYUKYU Islandの2つのサッカー協会が加わっており、2協会の代理として出席しました。東アジアのチームはこの2つしかないし、欧州のチームが中心で活動がまわっている中で、アジアの存在感を高めるためにも出席しておこうと決意。
ジュネーブには一度来たことがあるはず、と記憶をたどってみたら、結婚した翌年に英国駐在だった夫を訪ねてスイスとイタリアを旅行したんだった、と思い出しました。たしか夏で、レマン湖に突き出た桟橋に座って、ニコンのカメラのフィルムを入れ替えようとしたら、撮影済みのフィルムを夫が湖に落としてしまった、という「大事件」があったのでした。それからの午後にずっと夫が機嫌が悪くて、ハラハラしたのでよく覚えているw
今回は冬、それも真冬で、天気はずっと曇天。それ以上に、私は行きの飛行機で「空酔い」 になってしまい、嘔吐がとまらずふらふらになりながらジュネーブにおりた、ということもあり、ジュネーブの印象はほとんどありません。到着した日はすべてのスケジュールに断りを入れてひたすらねむったのですが、それがまずかった。せっかく深夜便に乗ったのに、いまだに時差ぼけ。夜9時就寝、早朝4時30分起床が続いています。やれやれ。
会議の議題は多岐にわたったのですが、一番の焦点は「政治とサッカー」でした。今年の欧州選手権開催地は北キプロス。トルコのみが承認している「未承認国家」です。出場希望チームの中に西アルメニアが入っており、全メンバーによる投票でエントリーされてしまったことから会議は紛糾しました。
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なぜなら19世紀末から20世紀初頭にかけて、オスマン・トルコ帝国は少数民族であったアルメニア人を虐待しており、第一次世界大戦時にアルメニア人を大虐殺した、という歴史があるのです。トルコはジェノサイドを否定、というか無視しつづけています。この歴史を描いた映画『消えた声が、その名を呼ぶ』は日本でも公開され、私も見ました。

今回、西アルメニアは投票によりエントリーされたのですが、その前に北キプロスから「トルコ政府からは西アルメニアを北キプロスに行かせることはできない、と何度も警告を受けている」という発言があり、暗に「辞退してほしい」とにおわせたことから会議は紛糾。CONIFAの会議や活動では政治の話をしない、というのが大原則なのですが、それはメンバー全員が政治に翻弄されてきた歴史があり、当然今も政治的に微妙な立場にあるからです。それを超えてスポーツで親交をはかろう、というのが設立の趣旨なのだから当然です。しかし一方で、大会開催となるとパスポートとビザの問題は常についてまわる。ビザ問題は政治に左右されるので、大会開催にあたって政治を「説明」せざるを得ない。そして政治的理由で大会参加を見合わせてほしい、ということはCONIFAの趣旨に真っ向から反する。いろいろな矛盾をはらんでいるわけです。
みんなが意見を言い出してぐでぐでになり、結局ペンディングになりました。 私は欧州、というか、コーカサス地方をめぐる大国(トルコ、ロシア、イランとイラク)の政治と歴史について疎いので、発言が何もできず。会議後にオブザーバーとして出席していたオーストラリア人とベルギー人の政治学、社会学の大学教授たちに誘われて、バーで飲みながら講義を受けたけれど、それでもよくわからなかったし、この問題に自分なりの意見を述べることはできませんでした。もっと勉強しなくちゃなあ、とため息。勉強したってわかるもんじゃないけれど。
会議後のフォーマルディナーでも、話題はもっぱら「政治」でした。とくにトランプ大統領が難民とムスリムの7ヵ国の米国入国を拒否する命令を発令した、と話題で盛り上がりまくりました。拒否される国のパスポートを持っている人たちもいて、「いや、俺たち別にトランプの米国になんか行きたくないよなあ」「というか、絶対に行きたくないね。こっちから願い下げだ」「だけど向こうから言われると腹立つ」とか 言ってました。反トランプキャンペーン(?)をはっているNYタイムズの記者も来ていて、いろいろとおもしろい話も聞けました。inaugurationの参加人数をめぐって報道官が言ったalternative factsとは何か、とかね。
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(年次総会のディナーは開催地の名物料理を食べるのがしきたり。というわけで当然チーズフォンデュでした)
ディナーの最後に、会長が私の名前を呼んで、なんと特別賞を授与されました! アブハジアのコインです。「2014年スウェーデンで開催した第一回ワールドフットボールカップから、元子は一貫してCONIFAの活動を支え、日本で啓蒙に力を尽くしてきた。その活躍に感謝をこめて贈りたい」と言われて大感激でしたよ。
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でも、活動はまだまだ道半ば。これからですね。もう一度モチベーションを高めるのに、この賞はおおいに励みになりそうです。
CONIFAの活動にかかわることで、私の世界は大きく広がったし、世界観も変わりました。何よりも、この活動にかかわらなければ知り合うことがなかった人たちと友達になれたのはとてもうれしいです。みんなありがとう! これからもどうぞよろしく!
 
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妹と話をしていて「お姉ちゃんは変わっている」とよく言われます。ま、夫からも「きみは変わっている」と言われるし(そういう夫も相当に変人だと私は思うが)、初対面でしばらくしゃべった人からいきなり「実川さん、変わってますね」と言われたことも何回かあるし、自分でも「もしかして、私は変人か?」とぞくっとすることがあるので、認めましょう。
私は変人です。バン(変人認定の判子を押してみた)
ところで、いま特別価格4800円で入手できる「日本国語大辞典」をiPhoneでポチったので「変人」を引いてみたのですが、「変人」を「へんじん」と読むか、「かわりびと」と読むかでは意味が違うんですね。
「 へんじん」は「かわった性質の人。性質のかたよったひと。かわり者」
「かわりびと」は「=かわりもの」に誘導され、「一般の人から見て奇異な言動や奇行の多い人。変人(へんじん)、奇人」とあります。
ポイントは「偏っている人」「一般の人から見て奇異」というところです。つまり、「平均」「中庸」「一般」という基準に照らし合わせると、そこから外れている人が「変人」です。
そこで疑問です。いったいどこに誰が「平均」や「中庸」の基準を設定するのでしょうか?
そして「一般の人」とはどういう人を指すのでしょうか?
我こそは平均的な人間であり、一般を代表している、という人がいるのでしょうか?
たぶん統計をとって、いろんな要素の平均値を出せばいいのかもしれないけれど、どうも数値化できる要素を並べてみても、「平均的な人間」や「一般の人」は浮かび上がってこないように思います。いや、そう思っているのは「変人」の私だけで、数値にあてはまっている「一般の人」像は一般の人の頭の中にしっかりあるのかも。ヤバい!
 正直、変人と呼ばれることは(へんじん、でも、かわりびと、でも)あまり嬉しくないのです。何も自分がスタンダードとは言わないけれど、奇異な言動や奇行に走っているとまでは思わない、いや、思いたくない。それでは変人と言われないように気をつけようとするかと言えば、いや、無理。どうやって気をつけていいかわからないから、このまま奇異な言動と奇行に走りまくったまま最期を迎えそう。
 変人と呼ばれることを覚悟して、今週から一人取材旅行に行ってきます。どこに行くかは現地からリポートしますのでお楽しみに。一つだけ、今回は一般の人も行きそうなところです。
最後に「変人認定」とはまったく関係のない画像で締めくくり。梅の花、すでに開花。玄関でいい香りを放っています。ほら、季節感をお届けする画像で締めくくるところなんかは、全然変人じゃないでしょ?
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私は不器用です。関西弁では「どんくさいやつ」。
子どもの頃は、何をやらしてもヘタクソで、のろまで、なかなかうまくいかない私は親(特に母親)にさんざん「不器用!」「バカ(→関西ではかわいげのないアホの意味)」とののしられてきました。私が親でもののしりたくなるほど、ほんまどんくさいやつでありましたよ。
何がダメって、まずは裁縫。針を持たせれば自分の手を縫い、ミシンは踏めず(昔は足踏みミシン)。いやいや、ミシンの糸通しはまったくできませんでした。洋裁が趣味で、親子で揃いのワンピースなんかをちゃっちゃっと作ってしまう母親から見れば、いったいこの子は……と思っても無理はありませんね。
包丁を持たせれば、またもや自分の手を切り、リンゴの皮を剥けば皮側に果肉がどっと残る。みじん切りなんて夢のまた夢。実際、自分がみじん切りをリズムよくやっている夢を見ましたね。
学校の成績もひどかった。先生が何を言っているかさっぱりわからず。算数なんてお手上げで「はいはい!」と手を挙げるクラスの皆を茫然と見渡すだけ。理科の実験では、不器用すぎてビーカーを割ってグループの顰蹙を買う。体育なんて、いやはやもう……。運動会は地獄でしたね。小学生時代はいわゆる「お客様」状態でした。(ただ、本好きだったので、国語と英語と社会だけは成績がよくて、落第だけはまぬかれていました)
今はいろんなことに手を出して、なんかそこそこやっているように見えるけれど、「不器用」「どんくさい」と言われ続けたおかげで、それなりの努力をしているから何とかサマになっているだけです。
そして、不器用でどんくさいという自覚があってよかったな、と最近思います。開き直りですけれどね。
なんで年の初めにそう思ったかというと、書道の課題提出に取り組んでいて、何回やっても隷書の転折と八分隷がうまくいかなかったんです。ほかの人だったら、たぶん10枚も書けばすぐに習得できると思うのに、私は50枚書いてもうまくいかない。
で、ふと思ったんです。10枚書いて習得できれば言うことはないけれど、もしかするとそこで終わってしまうかもしれない。でも、50枚、100枚書いてなんとかしようと自分なりの試行錯誤を重ねるうちに、思いもかけない「発見」があるかもしれない。たとえば、線の太さの変化とか、筆の穂先がどう動いているか、などに気づくとかね。そして100枚書いてやっと習得できたものは、きっと10年たっても失われないんじゃないか、と。
語学とか料理とか書道とかは、不器用ものにとっては試行錯誤を重ねて自分なりの「発見」を重ねることでようやく身についていくもののような気がします。だから不器用ものには向いているのかもしれない。
ただ、化粧とか髪のセットとか、そういうものは今も苦手です。化粧するたびに、あああ、なんで私はこんなに不器用なんだ、といらつきます。たぶん不器用な化粧のまま、終わっちゃうんだろうなあ。
 

三が日が明けて、今日が私にとっての仕事初めです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

お正月は関西の母のもとで過ごしました。娘たち一家も全員集合し、8人で賑やかに祝いました。座の中心は3歳の孫。私の母に「ひいおばあちゃん、あけましておめでとうごじゃいましゅ」とかちゃんと言えて、成長を感じました。昨年は場所見知りと人見知りで大泣きしてたいへんだったのに。

1月1日にマンションの屋上から 初日の出を拝みました。寒空に震えながら待っていると、生駒山系からゆっくりと太陽が顔をのぞかせ、数分のうちに空をオレンジ色に染め上げてのぼっていくのは、厳かで感動すら覚えました。
2017年、どうかよい年でありますように。皆様にとって、そして世界中の人々にとって、心穏やかに暮らせる日がたくさんありますように!

 
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