今年は「家事」「育児」にまつわる本をだらだらと読みふけった。私の中で「家事」「育児」って自分にとってなんだったんだろう、という疑問があったからだ。
(以下の文章を書くにあたって影響を受けた本を数冊あげておきます。
「「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす」 佐光紀子著 光文社新書
「お母さんは忙しくなるばかり」ルース・シュウォーツ・コーワン著 高橋雄造訳 法政大学出版
「ワンオペ育児」 藤田結子著 毎日新聞出版)
自分で言うのもなんだが、私は性格がかなり四角四面で真面目な堅物なので、子どものころにすりこまれた「女は家事育児をやってこそ一人前」の呪縛にずーっととらわれてきてしまった。家事をやることが自分の使命で、ある部分私がこの世に存在するのは、家族のために家事をすることにあるとさえ思いこんでいた。だから、家事全般に手を抜かない、というか手が抜けなかった。たとえば子どもたちのお弁当を四半世紀以上作り続けたが、一度も冷凍食品や加工食品を使わなかったのだ。それをつい最近まで「誇り」にしていた。そんなことは誇りにすることじゃなく、むしろ恥ずかしいことじゃないか、と気づいたのはつい最近だ。
私が「家事を重視しすぎたのではないか。家事に時間と労力を割きすぎたのではないか」という疑問を感じるようになったのは、今年、親の家をたたむ作業をしたことが大きい。
母は専業主婦だった。20歳で結婚して21歳で長女の私を生み、その後社会に出て働くことなく、家庭を守ることを第一の使命としてきた。私とちがって手先が器用なので、裁縫も料理もうまかったしまめだった。母がばりばりの「主婦」だった50〜70年代は加工食品が気軽に手に入る時代ではなかったこともあって、梅干しや漬物を漬けたり、佃煮からかまぼこまで手作りだった(おやつももちろん手作り)。そもそも「手作り」するのが当たり前で、「手作り」という言葉さえもなかった時代のことだ。母はたぶん主婦として優等生である自分が誇りだったのだと思う。
ところが、私たちが進学、就職のために家を出た70年代終わりころから、母は家事を手抜きするようになった。掃除は1週間に1回か、それ以下の頻度になったし、お客さんをよんだときこそ腕をふるったが、ふだんは買ってきたものを並べることも多くなった(私はもう実家を出ていたので聞いた話)。 私に「子どもを産んだからといっては仕事をやめてはだめ」と共稼ぎを勧める一方で、「家事なんて適当でいいのよ。いい主婦になることに価値はない。主婦業なんて仕事じゃないからね」と吐き捨てるように言うようになった。
70歳を過ぎたころから「家事は全部面倒臭い」が口癖になり、掃除はダスキンを入れてのアウトソーシング、洗濯も乾燥までの全自動になった。70代半ばで病気をしたことをきっかけに、母の家事放棄はいっそう進んだ。そこで私が1ヶ月に1回、実家に帰って家事を手助けすることになった。東京からやってきては半日がかりで家中の掃除機をかけ、シーツやバスタオルなどの大物の洗濯をし、冷蔵庫の整理をしたのだが、そんな「家事」に精出す私の後ろで、母は「そんなことしなくていいから。もういやめて」と叫び続けていた。そのときは「親が気持ちよく生活する手伝いをするんだから」と「いいこと」をしている気分だったが、今になってそれは母の「主婦としての誇り」を傷つけるどころか、「生き方」さえも否定する行為だったのではないかと後悔している。
親の家をたたみながら気づいたのは、両親は2人とも人生を謳歌していたことだった。それぞれに趣味に邁進し、趣味の仲間としょっちゅう会食したり旅行に出かけたりして、古臭い言葉でいえば「第二の青春」を満喫していた。「これだけ遊びまわっていたら、家事なんてしている時間も体力もなかったよね」と思うほどに。
おしゃれを楽しみ、食べることを楽しみ、仲間と過ごすことに喜びを見出していた両親の生活に、片付けをしながら気づいて、私は心からホッとしている。同時に、母が言い続けた「家事なんて適当でいいのよ」という言葉の裏にあった母の「本音」にもっと早く気づけなかった自分を少しだけ責めている。
適当でいい、という適当がどこのあたりにあるか、私にはいまだにわからない。
だが、少なくとも今の私の家事は「適当」ではない。やりすぎだ。
やり過ぎていることで、私は家族にプレッシャーを与えているだけでなく、家族の将来を脅かしてもいる。
私が家事を「独占」していたために、夫は家事に関してまったく無能無気力になってしまった。何もできない夫にしたのは、たぶん私の責任だ。いま私が死ぬなり家を出るなりしたら、たぶん夫は生活面で明日から非常に困ったことになってしまうだろう。困っている夫を放っておけなくて、子どもたちも困ったことになる。娘たちから「ママ、頼むから、パパよりも長生きしてパパを一人あとに残さないでね。私たちの家庭が崩壊してしまうから」と何回も念を押されている。だから、やむなく私は健康に気を配っているのだけれど、それはちょっと違うような気がする。
家事を適当にすること。もっといい加減になること。他人の手を借りること。そしてもっと人生を楽しむこと。(実はとても楽しんでいるつもりなのだけれど)
それがこれから老いとともに生きる人生への課題だと心している。
(以下の文章を書くにあたって影響を受けた本を数冊あげておきます。
「「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす」 佐光紀子著 光文社新書
「お母さんは忙しくなるばかり」ルース・シュウォーツ・コーワン著 高橋雄造訳 法政大学出版
「ワンオペ育児」 藤田結子著 毎日新聞出版)
自分で言うのもなんだが、私は性格がかなり四角四面で真面目な堅物なので、子どものころにすりこまれた「女は家事育児をやってこそ一人前」の呪縛にずーっととらわれてきてしまった。家事をやることが自分の使命で、ある部分私がこの世に存在するのは、家族のために家事をすることにあるとさえ思いこんでいた。だから、家事全般に手を抜かない、というか手が抜けなかった。たとえば子どもたちのお弁当を四半世紀以上作り続けたが、一度も冷凍食品や加工食品を使わなかったのだ。それをつい最近まで「誇り」にしていた。そんなことは誇りにすることじゃなく、むしろ恥ずかしいことじゃないか、と気づいたのはつい最近だ。
私が「家事を重視しすぎたのではないか。家事に時間と労力を割きすぎたのではないか」という疑問を感じるようになったのは、今年、親の家をたたむ作業をしたことが大きい。
母は専業主婦だった。20歳で結婚して21歳で長女の私を生み、その後社会に出て働くことなく、家庭を守ることを第一の使命としてきた。私とちがって手先が器用なので、裁縫も料理もうまかったしまめだった。母がばりばりの「主婦」だった50〜70年代は加工食品が気軽に手に入る時代ではなかったこともあって、梅干しや漬物を漬けたり、佃煮からかまぼこまで手作りだった(おやつももちろん手作り)。そもそも「手作り」するのが当たり前で、「手作り」という言葉さえもなかった時代のことだ。母はたぶん主婦として優等生である自分が誇りだったのだと思う。
ところが、私たちが進学、就職のために家を出た70年代終わりころから、母は家事を手抜きするようになった。掃除は1週間に1回か、それ以下の頻度になったし、お客さんをよんだときこそ腕をふるったが、ふだんは買ってきたものを並べることも多くなった(私はもう実家を出ていたので聞いた話)。 私に「子どもを産んだからといっては仕事をやめてはだめ」と共稼ぎを勧める一方で、「家事なんて適当でいいのよ。いい主婦になることに価値はない。主婦業なんて仕事じゃないからね」と吐き捨てるように言うようになった。
70歳を過ぎたころから「家事は全部面倒臭い」が口癖になり、掃除はダスキンを入れてのアウトソーシング、洗濯も乾燥までの全自動になった。70代半ばで病気をしたことをきっかけに、母の家事放棄はいっそう進んだ。そこで私が1ヶ月に1回、実家に帰って家事を手助けすることになった。東京からやってきては半日がかりで家中の掃除機をかけ、シーツやバスタオルなどの大物の洗濯をし、冷蔵庫の整理をしたのだが、そんな「家事」に精出す私の後ろで、母は「そんなことしなくていいから。もういやめて」と叫び続けていた。そのときは「親が気持ちよく生活する手伝いをするんだから」と「いいこと」をしている気分だったが、今になってそれは母の「主婦としての誇り」を傷つけるどころか、「生き方」さえも否定する行為だったのではないかと後悔している。
親の家をたたみながら気づいたのは、両親は2人とも人生を謳歌していたことだった。それぞれに趣味に邁進し、趣味の仲間としょっちゅう会食したり旅行に出かけたりして、古臭い言葉でいえば「第二の青春」を満喫していた。「これだけ遊びまわっていたら、家事なんてしている時間も体力もなかったよね」と思うほどに。
おしゃれを楽しみ、食べることを楽しみ、仲間と過ごすことに喜びを見出していた両親の生活に、片付けをしながら気づいて、私は心からホッとしている。同時に、母が言い続けた「家事なんて適当でいいのよ」という言葉の裏にあった母の「本音」にもっと早く気づけなかった自分を少しだけ責めている。
適当でいい、という適当がどこのあたりにあるか、私にはいまだにわからない。
だが、少なくとも今の私の家事は「適当」ではない。やりすぎだ。
やり過ぎていることで、私は家族にプレッシャーを与えているだけでなく、家族の将来を脅かしてもいる。
私が家事を「独占」していたために、夫は家事に関してまったく無能無気力になってしまった。何もできない夫にしたのは、たぶん私の責任だ。いま私が死ぬなり家を出るなりしたら、たぶん夫は生活面で明日から非常に困ったことになってしまうだろう。困っている夫を放っておけなくて、子どもたちも困ったことになる。娘たちから「ママ、頼むから、パパよりも長生きしてパパを一人あとに残さないでね。私たちの家庭が崩壊してしまうから」と何回も念を押されている。だから、やむなく私は健康に気を配っているのだけれど、それはちょっと違うような気がする。
家事を適当にすること。もっといい加減になること。他人の手を借りること。そしてもっと人生を楽しむこと。(実はとても楽しんでいるつもりなのだけれど)
それがこれから老いとともに生きる人生への課題だと心している。