Glamorous Life

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2017年12月

「92歳のパリジェンヌ」という映画をWOWOWで鑑賞しました。
http://gaga.ne.jp/92parisienne/
https://youtu.be/oGCR31dTcQY

フランスのジョスパン元首相のお母さんをモデルにした実話だそうです。
原題は"La Derniere Lecon"最期の教え。作家である娘が実の母の死について書いています。日本語のタイトルは思いっきり外していて恥ずかしい。中身はシリアスな「死に方」、それ以上に「生き方」についての話です。
92歳になって一人暮らしをしている女性が、「一人でできること」がどんどん減っていく中で、生きる意味を考え始めます。そして娘と息子とその家族に囲まれての92歳のバースデイパーティの席で宣言するのです。
「私は10月17日(2ヶ月後)に死ぬことに決めました」
大ショックを受ける家族たち。とくに息子は「なんてことを言うんだ! 老人性のうつ病だ。薬を飲め」と大反対します。男(息子)にありがちですよね。薬をはじめとするお金で人生の負の部分を解決しようとするっていうのは。自分が介護「できない」(介護をする能力がない)ことを受け入れられず、後ろめたいもんだから、自分が「できる」こと、つまり、経済力でなんとかしようとする。それはともかく。
最初はショックを受けて反対していた娘ですが、母に寄り添ううちに、「もう十分に生きた。みんなに迷惑をかけずに、自尊心を損なわれない形での死を選びたい」という気持ちを理解するようになります。
92歳の女性は助産師で、産む性としての女性と子どもを支えることを自分の使命とし、80歳を過ぎてからもアフリカに出かけて、当地の女性たちの出産指導を行ったりしていたらしいことがしだいにわかってきます。夫がいきている間にも、別に男性として愛する人がいて、アフリカから帰国したその足で愛人に会いにいったりしていたらしい。その男性に別れを告げにいくシーンもすごく素敵。
というストーリー説明ではなく、この映画を見ながら私の心に突き刺さったのは「気力が失われる前に死にたい」という一言でした。からだの自由がきかなくなること以上に辛いのは、気力が失われること……。わかります。階段をのぼるのが辛くなる、歩くのがよたよたして遅くなる、視力や聴力が失われていく、そういった体力面での衰え以上に「何もやる気がしなくなる」という気力の衰えが私は怖いのです。
老化、ということを最近意識するようになっているのですが、何が決定的な老化の始まりかといえば、それは「面倒臭い」と感じることだと思うのです。仕事だけでなく、家事や趣味で、それまではりきって取り組んでいたことが「面倒臭い」とやめてしまう、それが老化の始まりではないか、と思います。
仕事や家事で少しずつ「もう面倒だからやめちゃおう」ということが増えていき、そのうちからだが思うように動かなくなることで「着替えるのが面倒」「外出するのが面倒」へと進み、最後は「食べるのが面倒」「トイレに行くのが面倒」となって、究極は「ただ息をしているだけ」となってしまう。
映画を観たあと、私は常に持ち歩いている取材スケジュール帳を取り出して、各月のはじめのThings To Doリストにしっかり書き入れました。
「やりたいことをやる! 行きたいところに行く! 会いたい人に会う! 明日ではなく、今日」
やりたいことがいっぱいあるように、行きたいところがいつも思いつくように、会いたい人が大勢いるように、来年もはりきって生きて生きたいです。


 

「保育無償化・負担軽減策」が議論になっている。伝えられる記事を読みながら、暗澹たる気持ちになり、そして憤っている。ほかの国の現状は知らないので比較はできないが、日本は子どもと育児を大事にしない国なのではないか。
子どもを産みたくても産めない社会になってしまい、少子化が社会問題になって久しい。私が記憶するかぎり、もう30年は社会問題となって日本の将来への危機感がつのっている。そして近年は働かざるをえない親(大半は母親)が増えているにもかかわらず、預かってくれるところがないために待機児童が増え続けている。少子化と待機児童増加、一見矛盾するような社会問題の根っこにあるものは同じだ。「子どもを大事に育てることへの(政治家、行政、そして社会全体の)認識不足」ではないか。
問題への対応策が「3〜5歳児の認可保育園保育料を無償化すること」だと聞いて、私はその場で崩れ落ちそうになった。 な〜〜〜〜〜んにもわかっていない!!! 子どもたちと親たちが置かれている現状も、保育園とそこで働く保育士さんたちの現状も、子どもを育てることがどういうことなのかも、な〜〜〜〜〜んにもわかっていない人たちがこんな政策を選挙の人気とりのために打ち出してくる。今年のはやりとなった言葉「ち〜〜が〜〜〜う〜〜〜だろ〜〜〜!!」と叫びたい。今ここで叫んでいるけれど。
そもそも認可保育園に入れる子どもは「特権階級」なのだ。認可園では収入に応じて保育料を負担しているが、それでも認可外に比べると最高レベルの収入が払う人たちの保育料でも認可園は安い。低収入であればほぼ負担なしである。一方で、認可保育園に入れない大半の親は、泣く泣く高い保育料を払って、質が保証されていない認可外に預けざるを得ない。私は37年前に、認可外(当時はベビーホテルというのがあった)に月8万円も払って長女を預けていた。そのころの相場では、預ける時間が15分以上延びると1時間分の1200円加算されるので、会社近くの都心まで電車を乗り継いで赤ん坊を抱っこして通っていた。私の給料は保育料と子どもにかかる費用で全部飛んでいき、給料日前には銀行に二桁の金額しかなくなってキャッシュカードでお金がおろせなかった。なんのために働いているのかがよくわからなくなかった時期だ。
新設の区立保育園ができると区の広報紙で見つけたとき、半休をとって子どもと一緒にできたばかりの園舎を見に行って、その足で区役所に走って申し込みをした。無事に認可園に入園(措置、という)できるという通知が届いたとき、子どもを抱きしめてうれし泣きした。安堵のあまりに思わず涙がこぼれたのだ。
その後、第二子が生まれるまで7年空いてしまったのも、保育園に入れるかどうかわからないという不安からだったと思う。しかし、あの頃私は信じていた。「保育園のことでこんなに苦労するのは、きっと私の世代で終わりだ」と。「子どもを産んで働き続けることは、きっともっと自然で楽なことになる」と。そんな期待は見事裏切られた。
30年後の今、娘たちは子どもを保育園に入れるためにもっとたいへんな思いをしている。育休は保活のために費やしていると言っていいほどだ。園の見学は最低でも20園は必要だそう。歩いていける範囲に20も園があるわけではないので、抱っこ紐に赤ちゃんを入れて電車に乗って保育園探しである。それだけやっても、どこかに入れる保証はない。だが、いざとなったら祖母である私が預かる、というわけにはいかないのだ。条件がどれだけ悪かろうが、どこかに預けないと、翌年の認可園申し込みレースのスタート台にさえ立てない。「祖父母に面倒を見てもらえばいいじゃないか」ということになってしまうから。
限られた政府予算の使い途の優先順位は、認可園の保育無償化ではないはずだ。
保育士の待遇改善、認可外保育園の保育を国基準にすること、何よりも「就学前の子どもの教育(保育)の質向上」に力を入れてほしい。0歳から5歳という期間をどう過ごすかは、子どもの一生を決めるといってもいいほど重要だ。保育とは、オムツ変えて、ごはん食べさせて、危なくないように見張って遊ばせること、という程度の認識しかない人たちに保育予算の使い途を決めて欲しくない。
私は2人の娘たちを0歳から保育園に預けて、園の先生方や仲間の親たちと一緒に子育てをしてもらった経験が、私自身の大きな財産になったと思っている。娘たちも保育園が大好きだった。保育園で過ごした5年間は、彼女たちにとって宝物のような時間だった。だから、自分の子どもたちも保育園に入れたいと必死なのだ。
保育園は「親の疾病や就業によって保育に欠ける(かわいそうな)子どもたちをケアするところ」ではもはやない。保育園の問題は、子どもたちやその未来だけでなく、親世代も、その上の祖父母世代にも関わってくる問題だ。保育園は今の、そして未来の社会を映し出す場だ、と私は思う。保育に対する認識を変えること、つまりは子どもを育てること、そして子どもについての認識を変えること、保育行政にかかわる方たちには、まずはそこからはじめていただきたい。
保活まっただなかの娘を見ながら、読んでとても考えさせられた本をあげておく。
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「保育園を呼ぶ声が聞こえる」 猪熊弘子、國分功一郎、ブレイディみかこ著 太田出版
まえがきで保育ジャーナリストの猪熊さんが書く。「「保育」がただ子どもを預かる箱さえあればできるものだと思っていた人でも、最後まで読み終えたら、「保育」がいかに大切かを知り、理解することがきっとできるだろう」「少子化で少なくなった大切な子どもたちを、もっともっと豊かに、愛情深く育てていくことが、この国の未来を左右することに気づいてくれるだろう」。まさにそのために書かれた本。保育園問題が広い視野にたって語られるべきトピックであることを認識させてくれる。
「国家がなぜ家族に干渉するのか〜法案・政策の背後にあるもの」本田由紀・伊藤公雄 編著 青弓社
家族と国家、両者の関係について社会学者、政治学者、法学者が語る。「家庭教育支援法」「親子断絶防止法」を打ち出してくる現政権の「異常さ」が見えてくる。
「成功する子 失敗する子〜何が「その後の人生」を決めるのか」ポール・タフ著  高山真由美訳 英治出版
日本語のタイトルは今ひとつだけれど、格差社会の中でどうやって公平な教育をしていけばいいかについて、子育て中のジャーナリストが真正面から取り組んだ好著。読み書き算数の認知能力以上に、「やり抜く力」「自制心」「好奇心」といった非認知能力を育むことが、子どもが幸せな人生を送る上で大切だ、ということを科学的実証的に語っている。
「ワンオペ育児〜わかってほしい休めない日常」 藤田結子著 毎日新聞社
娘に言わせると、もうワンオペを云々するよりも、職場において父親(男性)母親(女性)を同等に扱うようにしてほしい、とのこと。なぜ女性だけが育児時間を取らされるのか、なぜ男性の育休取得率が低いのか、それは職場の見えない男女差別ではないか、というのですが、それを少しずつ消していくためにもワンオペは考え直さなくちゃね。

 

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