Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2018年01月

やっとアンタルヤまで行き着きました。イスタンブールからは1時間半、地中海沿岸のトルコきってのリゾート地、だそうです。気候は年間を通して温暖、トゥロ山脈が街を抱えるように背後にそびえ、紺碧の海が臨めます。リゾート地っていうのがよくわかる。
街の観光名所はカレイチという旧市街です。イヴリ・ミナーレという塔を目印に急な坂道を降りていくと、観光クルーズ船がずらりと並んだハーバーに行き着きます。オスマン・トルコ帝国時代の貴族(?)の館が立ち並び、新市街に出るところにはローマ時代のハドリアヌス門がある、という歴史が重層的に重なった地域です。
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(イヴリ・ミケーレがカレイチへの目印)
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(坂をおりていくとそこにハーバーがあり、観光船が停泊しています)
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(街への出口にはハドリアヌス門があります)
アンタルヤの見所は、しかし、街中ではなく郊外に広がる遺跡ですね。ハクスヴェル夫妻に「遺跡はごまんとあるから、どこか行ってみよう」と言われて連れていっていただいたのが、海岸沿いのファセリスでした。松林を抜けていくと、そこは2000年前のローマの街。海岸にごろごろと無造作にローマ時代の水道橋や浴場、劇場が点在しています。日本だったら観光客がいっぱいとなるのでしょうが、ここは遺跡ごろごろのアンタルヤ。ほとんど人に会わずに満喫しました。
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(遠くトゥロ山脈をのぞむファセリスの劇場)
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(松林の中にさりげなくあるローマ時代の水道橋)
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(せっかくなので、浴場跡に残っていた洗面器で顔を洗ってみました)

遺跡見学前に標高2376メートルのトゥロ山脈の山頂まで登れるケーブルカーに乗りました。実は私、極度の高所恐怖症。高所には行きたくない。でも、たぶんもう一生トゥロ山脈から地中海を眺めることはないだろうから、と思い切って乗りましたよ。
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(傾斜度は相当高いと思ったケーブルカーの車窓)
傾斜度60度くらい(体感傾斜度)ありそうな崖を登っていくケーブルカーでしたが、なんとか往復してきました。行きの登りでは、どうやらアラブ系の家族連れ団体と一緒になり、5歳くらいの男の子が窓の手すりにぶら下がって窓を蹴り、ときどき私の背中も蹴る、という恐怖体験がありましたが、悲鳴をあげることなく山頂に到着。
そこは360度、北は雪をいただくトゥロ山脈、南は切り立った崖下に広がる地中海、という絶景でありました。登ってよかった。
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(北にはトゥロ山脈)
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(南には地中海)
下りは6名ほどしか乗っていなくて、アラブ系のしつけの悪い男の子などもいなかったので、立ち上がって真下を見て写真をとる余裕までありました。これで私の高所恐怖症は解消されたでしょうか?

ハクスヴェル夫妻に連れて行ってもらったおかげで、2000年の年月をタイムトラベルしたみたいな感動を味わえました。
回し者みたいですけれどね、皆さん、トルコの魅力はイスタンブールやカッパドキアだけじゃありません。ぜひぜひ地中海沿岸に足を運んでくださいね。 

北キプロス&トルコ旅行の続きはちょっとおいて、今日2本目の投稿は昨年からひしひしと感じている自分の「老い」についての話です。
昨年1月にCONIFAの会議でスイスに行ったとき、往きのフランクフルトまでの飛行機で猛烈に空酔いしてしまい、到着してから2日間つらかったです。そのときは「体調が悪かったのかな?」という程度で軽く見過ごしていたのですが、今年1月にはイスタンブールから成田までの飛行機でまた空酔いしてしまい、着陸までの5時間は地獄でした。ちなみに、2回とも飛行機はほとんど揺れず、運行はスムーズで、乗船するまでの体調はいたって良好。風邪をひいていないし、薬も飲んでいないし、酒も飲まなかった。それでも激しい頭痛と吐き気に悩まされました。
いや〜〜〜空酔いつらい。トラベルミンを服用しても無駄。飛行機に乗る前24時間で食べたものはすべて機内においてきました(すみません、汚い話で)
2回続けて空酔いして痛感したのは「年をとったな」ということです。毎年飛行機に乗り続けて40年経ちました。今まで一度たりと空酔いしたことがなく、そもそも「空酔い」という言葉も昨年ようやく知ったほどです。つまりは体が気圧の変化に順応できなくなった、という以外ない。
空酔いばかりではありません。昨年からその日のうちに睡眠を十分にとらないと、翌日から数日間疲労感がある、という状態になりました。つまり、寝溜めができない。その日の疲れはその日の夜から朝にかけての睡眠で取り除かなければ、疲れがどんどんたまっていってしまう。前は1〜2時間の仮眠でも3日後の休みに10時間眠ればエネルギーが充電できた(ような気がしてきただけですが)のですが、もうダメです。
もっと言えば、物忘れがどんどん加速しています。ときどき、当然知っているはずの固有名詞や形容詞が出てこない。今日、友人から「川崎フロンターレのスタジアムに行くときの最寄り駅はどこだったっけ?」と聞かれて、とっさに出てこない。「武蔵新城でもないし、武蔵小山でもないし……えーっと」「あ、武蔵小杉だよ」と言われて「あんだけ通っている武蔵小杉がなぜ出てこないのか?」と愕然。
また先日も演歌歌手がテレビに出ていて「ママ、この人誰? 有名人みたいだけれどママの時代の人じゃない?」と言われて「えーっと森進一でもないし、中条きよしでもないし、北島三郎でもないし、えーっとえーっと……」名前が出てこなくて私が考えこむ間にスマホで検索した娘から「ママ、五木ひろしだよ」と教えてもらって「ああ、そうそう」。中条きよしは思い出すのに、なぜ五木ひろしが出てこない? 五木ひろしさん、お老けになられてわかりませんでしたってわけじゃないですよ。
五木ひろしが出てこない程度ならば別にどうってことないのですが、仕事の場でとっさにプロジェクト名とか、地名とか、重要人物の名前が出てこないときには笑顔でごまかしながら必死です。
さらにさらに、老いを感じるもう一つ。「今思いついたことは今やらないと忘れてしまう」。「ゴミ袋が切れている!」と気づいたら、ほかの何をさておいてもスマホのリマインダーを開いて、買い物に出かけている時刻にお知らせタイマーをセットして「ゴミ袋」と入れておかねばなりません。
ゴミ袋程度ならどうってことないけれど、お仕事の締め切りやらもうっかりしかねないので、リマインダーさまさまですべて入れてアラーム鳴らしています。早め早めに対処しておかないと、あっという間に日にちがたってその日になってから「資料がない! あああ、取材しておくんだった!」ということになりかねない。
また1日に2件、3件の用事を入れるのがむずかしくなりました。2015〜16年に娘たちと同居していたときには、朝6時すぎに起床して洗濯、掃除、朝食作って夕飯の下ごしらえをしてから9時には机の前に座って仕事して、外出しても夕方5時までにはすっ飛んで帰って夕飯を作って食べさせてからまた仕事、というのができたのに、昨年からはもうまったく無理です。洗濯、掃除までしたら仕事をするエネルギーが残らないので、「今日は仕事」と決めたら家事は最低限。昼間にできるかぎり集中して仕事し、夕飯後の仕事なし、みたいな状態になってしまいました。なにせ、目が痛いんだわ。
これ、回復するでしょうか? それとも「老い」に逆回しは無理なのか?
回復不能ならば、せめて現状をできるかぎり維持していくようにしたいです。
それでも、階段は降りていかねばならない。
つぎにどんと老いの階段を降りる前に、やりたいことはできるだけやっておきたいものです。

 
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(雪がやんだ朝、積もった雪を払いのけるとなんと梅が咲いていました。7年前、東日本大震災の直前に我が家に苗木でやってきた梅の木の生命力に驚き励まされます)

キプロス島について書かれた日本語の本で、簡単に入手できるものは1冊しかありません。
「キプロス島歴史散歩」 澁澤幸子著 新潮選書
最初は図書館で借りて読んだのですが、ガイドブックがほとんどない以上、これを持っていくしかないと古本で買いました。ちなみにAmazonで1冊だけ残っていた新刊を購入していたのは、なんと北キプロスまでCONIFAの会議に出席したいと単身やってきた大学生O君でした。O君、きみはすごい! 生まれて2度目の海外旅行で北キプロスに1人でやってくるなんて! しかもその目的がCONIFAの総会に出席するためだなんて! 私もCONIFA紹介記事を書いてきた甲斐があったというもの。「日本から一人でやってきたんだよ! CONIFAに関心があるからっていう理由だけで、15時間ほどかけて自腹でやってきたなんてすごくない?!」と紹介するとCONIFAメンバーはもう大喜びで、大歓迎されていました。北キプロスで私よりはるかにもてはやされていたO君。CONIFAアジアの未来を託したいと思ったくらいです。
さて、会議終了後、O君と1日半キプロスを観光しました。レフコシャにある「国境」を越えて南のニコシアに行って、キプロス・リーグの試合をテレビ観戦したり、西にある「リゾート地」ガジマーウサ(ファマグスタ)に乗合バスで行ったり、と連れ(しかも男の子)がいるおかげで1日半の観光も充実したものとなりました。
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(北キプロス側の街、レフコシャでは壁面に「アート」が描かれている家や店舗がたくさんありました。それを見てまわるのも観光のお楽しみ、のようです)
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(でも、まあ北キプロス側のレフコシャの街並みはこんな感じ。中心部でも)

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(「国境」も二人で越えればこわくない。そして国境を越えて南のニコシア側に入ったとたん、このにぎわい)
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(パフォーマンスをしているお兄さんを囲む観光客も気前よくお金をあげてました)

その後訪れたキプロス島の西側にあるアンタルヤの観光でも思ったのですが、「遺跡をあまりにも無造作に放置している!」
まずは「遺跡放置状態」だったガジマーウサ探訪からです。ガジマーウサ、もしくはファマグスタと呼ばれる町は、ぎりぎりで北キプロスに入っている島東端にある町です。かつては島の中心地だったところです。紛争終了後に町のギリシャ系住民は南側に、南のトルコ系住民は北側に強制移住させられたとか(以後、情報は「キプロス歴史散歩」よりの引用です)南北に無理やり分けられたんだなあ、という痕跡も街のあちこちにありました。
町が作られたのは紀元前285年、アレクサンドロス大王没後のヘレニズム時代にエジプトに誕生したプトレマイオス朝がキプロスを領土としたとき、ガジマーウサの前身となるサラミスに都市を築いたそうです。ローマ時代には北のギルネと並んで、サラミスはローマにワイン、銅、オリーブなどを輸出する貿易港として大いに繁栄したとか。ローマ時代からビザンティン時代の初期まで、キプロスの中心地はサラミスだったそうです。
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(地中海一繁栄していた交易港のおもかげはいまはなし@ガジマーウサの港で)

その後エルサレムからユダヤ人が住み着き、コンスタンティウス帝(337−361年在位)が町の名前をコンスタンティアとして復活させたり、647年にはシリアを支配していたウマイヤ朝の攻撃に晒されたり、12世紀にはトルコに迫害されたアルメニア人が移住して現在のガジマーウサの基盤を築いたり、とつぎつぎと外敵に狙われるのですが、最も繁栄させたのは十字軍です。ガジマーウサは聖地エルサレムを訪れる巡礼者や商人の中継地隣、地中海ナンバーワンの交易センターとして繁栄しました。
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(バスが終着地、ガジマーウサに到着するなり目に飛び込んでくるのはヴェネチアが支配していた15世紀末に築かれたこの城壁跡。テンションが↑)
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(城壁内にはコミュニティの人々が集まって協議をしたであろう会議室とか、交易している品々を保管していた倉庫とか、迷路のようなところに宿泊施設などがありました。しかし、長く放置状態でつい最近になってこの遺跡の重要性に着目したヨーロッパが、大々的な修復に乗り出したとか)
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(ヴェネチアの紋章であるライオンのレリーフが刻まれているオセローの門。オセローっていったい??と思ったけれど、もしかしてイギリスが植民地にしていたときにシェークスピアの影響で命名したのでしょうか?)
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(城壁内の旧市街には人々の暮らしがあります。トイレを借りてチャイを飲んだカフェにはご近所らしきおじいさんが店番をしていました。っていうか、店の人はいったいどこに行ったんだよっていうくらい、人がいない閑散とした通りでした)
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(写真上:キプロス島はどこにいっても猫だらけ。歩いている人よりも歩いていたり寝ている猫の数のほうが多い! カフェでもお客さんのかわりに猫が座っておりました。
写真下:オスマン・トルコ帝国支配時代に帝国にたてついたムスタファ・ケマルが幽閉されていた地下牢への入り口はこちらでございます。ケマルは建国の父と広場に銅像が建っていましたが、人気は今ひとつで近代トルコ建国の父はやっぱりアタチュルクらしいです)
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(閑散としているガジマーウサ旧市街ですが、こういう雰囲気のある路地が見受けられるということは、おしゃれな人も住んでいるのでしょうか?)
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(最後に、乗合バスです。レフコシャからガジマーウサまでは40分と言われたけれど、停留所があるともないとも言える箇所で何回も停車して、学生さんが大学前で降りたり、通院しているらしきおじさんおばさんが病院前から乗り込んだり降りたりしているので、結局1時間以上かかりました)

アンタルヤの遺跡についてはつぎのエントリーで。

 

北キプロス・トルコ共和国は、トルコ以外世界中どの国も承認していないという国際的ほぼ未承認国家です。1983年に独立宣言をするまで南北で紛争していたこともあって、「えええ? 危なくないの?」とよく言われるのですが、なんというか、危なさを感じることもできないほど街中でさえも閑散としていました。
エルカン(エルジャンという発音なのかどうか、私がエルカンというと、エルジャンと直されること数回)という空港に降り立ったとき「あれ? 米子鬼太郎空港か?(米子の方、すみません)」というほど小さい。人はいっぱいいるけれど、とにかく小さい。久々に会ったクルディスタンFAのいかついおじさんたちと迎えのマイクロバスに乗り込み、ギルネ(キレニア)という北部の沿岸沿いのリゾート地に向かったのですが、車窓から人家はほとんど見えず。何も植わっていそうもないけれど、どうやら畑らしき平地を20分ほど走ると、いきなり山道になりました。着いた日は北キプロスにはめずらしい冬の嵐で、がたがた山道を揺られて、大風と大雨にマイクロバスがあおられるたびに、はい認めましょう、「ここ、ちょっと危ないかも」と私もビビりましたよ。
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(エルジャン空港からギルネには山を越えていきます。山頂からギルネへの風景。これは晴れている日に撮影したのですが、嵐の日にはただぼんやりと禿山が見えるだけで、しかもバスが揺れる揺れる。さすがの私もびびった)

畑には何も植わってそうにないし、牛や羊も見当たらないし、禿山だし、いったい北キプロスの産業は何なのか? と疑問に思ってクルディスタンFAのマネジャー、シュワンさんに「ここの人たちはいったい何で生計を立てているのかな?」となんとなく言ってみると、シュワンさん、いきなりスマホを取り出して調べてくれました。10分ほど調べてからの答えは「わからんなー。でもここの景色、俺らのクルド自治共和国と似てるんだよ。俺らは石油が産業だが、ここは石油が出そうにないな」だって。
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(走っている車の窓から撮ったのでブレていますが、採石場と禿山です)

でも山の中腹あたりに採石場がいくつかあり、もしかして鉱物が出るんじゃないかと思って後で調べたら、どうやら銅が採れるらしい。確かじゃないけれど。
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(レフコシャの中心部?にあるサッカーバー。ちゃんと酒も出すらしい)

宿泊したアカプルコ・ホテルは老舗のリゾートで、カジノと大会議場、大宴会場が併設されています。住民の99%がムスリムの北キプロスになぜカジノがあるか? ムスリムって賭け事禁止でしょ? その理由を、今回の会議を仕切った旅行会社のウテが明かしてくれました。「観光産業に力を入れているので、トルコでは禁止されているカジノを作ってトルコからだけでなく、ドイツやロシアの観光客をよんでいる」。イスラムの教えをとるか、経済をとるか……苦渋の決断(?)で、経済だったわけですね。そういや、お酒は飲めないだろうと思ったら、ビールでもワインでもウィスキーでもラキという強い蒸留酒でも、なんでも飲み放題。お酒のCMも流れるし、酒屋の看板はあちこちにある、と。うーん、経済が勝ったわけですね、ね、ね。

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(ホテル前の海岸です。海はトルコブルーだし、砂浜はハワイ並み。夏に遊びたいところです)

ホテル本館は古びていましたが、私が宿泊した新館は昨年オープンしたばかりとかできれいでした。夏に来たらもっと賑わっていたのでしょうが、真冬の今、なんだか閑散としていました。でも真冬といっても、気温は昼間に20度まで上がるし、夜も薄手コート一枚で十分だし、着いた日こそ嵐だったけれど、翌日からは太陽さんさんで気持ちのいいお天気が続きました。避寒に訪れる人がもっといるといいのにね、と観光開発のための人材不足の北キプロスにちょっと同情。
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(ホテル内のプールやジムも充実していました。私は一通り楽しみましたが、その間、一人きりですべてを独占。プールに一人で入っていると、なんかアホみたいな気分でした)

北キプロスが観光客誘致のために力を入れているのが、「スポーツツーリズム」です。特にサッカー。シーズン前キャンプをもっとここではってね、という宣伝をしていました。宿泊施設はもちろん、天然芝のグラウンドがいっぱいあってインフラは整っているようです。Jリーグの皆さん、北キプロスでキャンプをはるのはいかがですか? ごはんも日本人の口にあうと思いますよ。景色は心洗われるほどきれいだし、何よりも繁華街がそばにないから選手の皆さんはサッカーに集中できると思いますよ。
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(レフコシャ中心部、びゅんびゅん車が行き交う幹線道路とローマ時代?の遺跡の壁に囲まれてサッカーコートがありました。試合をしていた2チームは、負けているほうが途中でチームメイト同士殴り合いの大げんか。試合以上に喧嘩がおもしろかった)
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(会議終わってトルコに移動する前にガジマーウサという西岸の歴史ある街に行ったのですが、そこでも遺跡の中にピッチあり。この壁、14世紀くらいのものらしい。この壁に向かってシュートするのです。いいなあ)
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(日曜日夕方、レフコシャのバザール風景。トルコのバザールと比べると時化ていましたが、それでも大勢の家族づれで賑わっていました。でも買い物している人の半分以上が男性なんですよね。お買い物はあなたね、って奥さんに言われたのか、それとも財布を握っている俺が好きなものを買うんだってことでしょうか)

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(ギルネのメインストリート??? 夜になると閑散としていました。でもこういううねうねと曲がった通りは好きだなあ)

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(ホテル前の明け方の海岸。裸足でジョギングしちゃいましたよ、あまりの気持ちのよさに)
 
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(なんども言いますが、メシはうまい!! テラスで太陽を浴びながら食べるトルコ料理は最高です)

トルコ料理が好きです。世界の3大料理は(一般的に)フランス料理、中華料理、トルコ料理とされていますが、フランスや中国に並ぶだけはあります。おそらくオスマントルコ帝国時代にさまざまな民族、文明がまじったことが、美味を産んだのではないかと推測。でも、正直、フランス料理ほど洗練されていないし、中華料理ほど絢爛豪華、珍味きわめる感じではない。一般家庭でごくふつうに食べられている家庭料理としてのトルコ料理が美味なんだと思います。ハレではなくケの料理が美味しいっていうのは、ある意味非常に贅沢なことですね。
北キプロスもトルコ料理でした。キプロス料理っていうのはないのか? とちょっと疑問。よくわかりません。南キプロスにいったらいきなりイタリアだったので、違いを出す上でも北キプロス=トルコ料理なのかも。

それでは、正味8日間、おいしかった料理を並べていきます。
 
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宿泊した北キプロスの北岸のリゾート地、キレニアのホテルでは3食ビュッフェでした。昼、さんさんと輝く太陽の下で食べていたのは野菜中心のトルコ料理。野菜そのものが味わい深いんです。
 
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 CONIFAのレセプションは古い城塞町ギルネにあるケバブ・ハウス。豚以外の肉、肉、肉、肉責め。これで終わったかと思ったら、最後にとどめのようにこのパフォーマンスでまた肉。いや、一つひとつの肉料理が調理方法から味付けまでちがって満足したんですけれどね。
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なんせ、テーブル横にこの肉入り冷蔵庫だものね。
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アンタルヤに移動して、お世話になったハクスヴェルさんご夫婦に連れていっていただいたケバブのお店。炭焼きで羊肉の串焼きや焼き鳥(もちろんトルコ風味)が出てきて、これまた美味でした。
これは羊のレバー、「クズジエール」クズ=羊、ジエール=レバー
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こちらは串焼き鳥「タブックシシ」タブック=鶏、シシ=串焼き。オールスパイス、トマトペースト、タイム、クミンといったスパイスがきいていて、ナンにはさんで食べるとひときわ美味しかったです。
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「エトリピデ」エトリ=肉、ピデ=ピザ。薄焼きのピザ生地の上にスパイシーなひき肉や野菜がたっぷり。これは北キプロスでも私はものすごく気に入って毎食食べていました。
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アンタルヤ名物料理「ピアーズ」白いんげんのサラダです。白いんげんをごまペースト、レモン汁、オリーブオイルであえて、トマト、玉ねぎのスライス、ゆで卵とイタリアンパセリを添えたサラダです。気に入って日本でも作りました。
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トルコはデザートもおいしい。最近は甘みもおさえられてよりヘルシーになっている、とのことですが、それでも結構甘くて濃厚。これはかぼちゃを甘く煮てゴマペースト=タヒンときざみくるみをかけ、カイマクという水牛のクロテッドクリームを添えた「カバックタトルヌゥ」 
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そして朝ごはんです。ししとうみたいなシビルビデル(辛くない)、トマト、オリーブ、パストゥルマというビーフジャーキー、タヒン=ゴマペースト(甘い)、自家製オレンジジャム、白いの2つはベヤズペイニルという白チーズ、あっさりして食べやすいチーズです。そして感動したのが24時間石窯で焼いているパン屋さんのエキメッキ(パン)。おいしくて感動したので、お店に連れて言ってもらいました。
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メガネの方がパン屋さんのオーナー。どれを見てもおいしそうなパンばかりが並んでいて、ボレッキやアチュマといったパンを買って試食。うーん、焼きたてエキメッキはトルコでないと食べられない!!そのためだけでももう一回トルコ行きたい!
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トルコ料理の代表格とも言えるのが「ギョフテ」という牛肉(羊肉もあるのか?)というハンバーグみたいなひき肉料理です。街中にもギョフテ屋さんがあちこちにあって、中身に野菜各種を入れたり、煮込みにしたりとバラエティがあるみたいです。ハクスヴェル家にはギョフテ焼き器みたいなのもあって、さすがと感心しました。

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トルコ、といえばヨーグルト。ハクスヴェル家の自家製ヨーグルトでつくったヨーグルトの冷たいスープ。野菜がたっぷり入っていて、スパイスとほんのり塩味が舌とおなかに優しい。
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ペースト3種と人参とヨーグルトのサラダ。ひよこ豆のペースト「フムス」、ナスのペースト「パガルー」はすっぱいのとこってりしたものと2種類。
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ひよこ豆のシチュー「ノフット」。牛肉の出汁がひよこ豆によく合う。
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近所でやっていたバザールにはすごい量の野菜が売られていました。お兄さんが「写真撮って!」とポーズを取ってくれました。
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巨大なかぼちゃもバザールで
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今回お世話になったハクスヴェルさんご夫妻。ひろこさんとはこのブログを通してもう15年ほどのおつきあいですが、2回訪れたトルコで2回ともとってもお世話になりました。これほどお料理上手だとは!! ハクスヴェル夫妻のおかげでトルコをもっと味わえて、もっと好きになっています。

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おみやげで購入した「ロクム」というトルコ特産のお菓子。グミのような、キャンデーのような素材にナッツや果物を入れたお菓子で見た目ほど甘くなく、差し上げた方々が「ん? いけるじゃないか!」と言ってくださいました。

最後にアンタルヤの街中の風景写真をいくつかご紹介しておきます。旧市街の観光名所となっている地区で夕方に撮影したものです。観光客が増えたとはいえ、人はさほど多くなくて古代ローマ帝国遺跡からオスマントルコ帝国時代の建物まで立ち並ぶ味わい深い街でした。
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