Glamorous Life

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2018年07月

久々にガンバのことを書きます。
あと1時間でリーグ鹿島戦キックオフなんで、その前に一言書いておかないと。
正直、クルピ(前)監督就任のニュースを聞いたときから、まったく心が踊らなかったのですが、シーズン開幕後は心が沈んでいくばかりで、週末(ときには水曜日)が来るのが苦痛なほどでした。ある意味、CONIFAに逃げていたところもある? ま、それは冗談ですが。

そしてこの監督交代。
7月16日にJ3 ガンバU23 vs 鹿児島ユナイテッドの試合を吹田で観戦したとき、0−0という同志が嫌うスコアレスドローだったにもかかわらず、 試合後に同志が晴れ晴れとした表情で「トップの試合の100倍おもろかったわ〜。みんないきいきとプレーしとった」と言いました。実は私も同感で、正直、トップの試合を見るのが苦痛だけれど、ガンバは見たいというので、中断明けのガンバ欠乏症を癒すためにU23を選んだところが無きにしも非ずなのです。
で、そのとき同志に「そろそろ宮本がトップの監督になったりしてね」と言ったんですね。でもそのときにはまだ同志は「まだ早いんちゃうかー。失敗でけんからなあ、ツネやと」と首を傾げていました。ところがその後の広島戦と清水戦のあまりの不甲斐ない戦いぶりから「これはツネ昇格かも」と結構本気になリ始めていたところに発表でした。

周囲から「宮本監督就任、どう思ってますか?」と聞かれるたびに私は答えています。
 「うまくいくかどうかは未知数で、まだ早すぎるし、この状況での就任は(松波さんのことを思うと)不安で不本意ではあるけれど、でも、応援しますよ。どこまでも応援しようという気になりましたよ」
 ツネさんは完璧で、超エリートに見えるかもしれないけれど、でもユース時代から今までを振り返ってみると、決して平坦な道を選んで歩いてきたわけじゃありません。そもそも超弱時代のガンバも知っているわけだし、ユースからの昇格第一号だし、シドニーオリンピックではトルシエに干されていたし、CBの割には身長が足りなくて苦労していたこともあったし、ドイツW杯ではけなされたりもしていたし、エリートのスター街道邁進ってわけじゃないんです。どちらかといえば、地味な努力家なのではないかと。そして挑戦者なのではないかと。
 監督としての道もこれから険しいでしょうが、ガンバサポとして応援しますよ。精一杯応援しますよ。
 だから、たとえ短期的にうまくいかなくても、サポも我慢しなくちゃいけない、と心しています。我慢して、宮本監督自身の成長をじっくり見守っていきたいです。
 

観たい観たいと思いながら、時間とチャンスがなかった映画2本を最近観てきました。
「スリー・ビルボード」 (マーティン・マクドナー監督 主演のフランシス・マクドーマンドがアカデミー賞で主演女優賞、警察署長を演じたウッディ・ハレルソンが助演男優賞、で話題)

「女は二度決断する」(私が敬愛するファティ・アキン監督作品。カンヌ映画祭でパルム・ドール賞を惜しくも逃すも、主演のダイアン・クルーガーが女優賞を受賞)


まずは「スリー・ビルボード(Three Billboards)」(えーっと細かいこと言うようだけれど、ビルボーズ、と複数にしない理由がビルボーズだったらわかりにくい、というのだったら、「3枚の広告板」とか直訳にしたほうがまだ意味が伝わるのでは?)
ネタバレしない程度にあらすじを書いておくと、ミズーリ州の田舎町で、娘がレイプされた上に焼き殺されたにもかかわらず、7ヶ月たっても捜査がいっこうに進展しないどころか、周囲も警察も過去の事件にしてしまうのではないかと怒った母ミルドレッドは、町外れの道路脇の大看板3枚を借り受けて警察署長あてのメッセージを掲出した。
「私の娘はレイプされて焼き殺された」「 まだ犯人はつかまっていない」「どうして、ウィロビー署長?」
車で町にやってくる人の目に、いやでも入る赤の地に黒ででかでかと書かれた強烈なメッセージ。
それで娘を殺された母親に対して同情が集まるだろう、と思いきや、ミルドレッドは町中の人たちから「ウィロビー署長に対してなんてひどいことをするんだ」「いくらなんでもやりすぎだ」と非難される。
なぜなら、ウィロビー署長は人望厚く、美しい妻に子どもたちがいる理想の家庭を築いていて、しかも癌で余命がさほど長くないとみんな知っていたから。
なぜなら、ミルドレッド自身が気が強いおばはんで、娘は品行方正というわけではなかったし、ミルドレッドの夫は自分の娘と変わらない女の子と浮気して家を出ていってしまっていて、家庭は崩壊していたから。
人格者の警察署長 対 気が強く愛想がないかわいげのない女
女に勝ち目はありませんね。娘が惨殺されたのだから同情が集まってもよさそうなものだが、田舎町の人たちはミルドレッドと彼女がやったことに対してごうごうたる非難を浴びせるのです。
それどころか、看板の製作を引き受けた会社に警察官が押し入って、ミルドレッドに言われるままに看板を立てたという理由で、青年社長をぼこぼこにしてしまう。なのに、警察官はおとがめなし。 
おまけに、ミルドレッドが働いている土産物店の女性店長(ミルドレッドの唯一の友人)は、ミルドレッドに加担したという理由で逮捕され、留置所に入れられてしまう。
だが、この映画がすごいのは、田舎町の狭いムラ社会の人間関係はコワイね、とかそういう話に落とし込んだりしないところです。ハリウッド映画にはめずらしく、クライマックスもなければ、ハッピーエンドもない。
観客はひたすら問いかけられ、考えさせられます。
善人とは何か? 正義とは何か? 
ミルドレッド自身も途中でその答えが見つからないことに気づきます。ウィロビー署長も、彼を慕うあまりに署長に楯突く人たちに暴力をふるっていた警察官も、あれ? 自分たちがやっていることは、正義なのか、いいことなのか、と疑問が湧いてくるのです。
自分が拠り所にしていた善悪の判断、正義不正義の境目が揺らぐことで、町は恐怖に陥れられます。
そして、娘の復讐のために正義の闘いを挑んだはずだったミルドレッドでさえも、最後には自分が拠り所とすべきものを探す闘いの旅に出る、、、、。ま、私のうがった見方ですが。

そして「女は二度決断する」。これまた「闘う女」が主人公なのですが、実はこの映画をどうとらえたらいいかまだ結論が出ていません。
ファティ・アキン監督が描きたかったのは、ドイツの移民問題でもなければ(移民問題は物語の背景、だと思いますが)、家族を奪われた女性の復讐ではなく、もっと人間の本質に迫る普遍的なテーマだったのではないかと思います。
あらすじを簡単に書いておくと、ドイツ北部の町、ハンブルク。ドイツ人の女性カティヤは、トルコ系移民(というかクルド人)の夫と6歳の息子と暮らしていました。ある日、息子を夫の会社に預けて臨月の女友だちと遊びに出かけて会社まで帰ってきたら、夫たちがいたビルが爆弾テロで吹き飛ばされ、夫も息子も殺されたことを知らされます。なぜ? どうして? と悲しみのどん底に突き落とされるカティヤ。
 やがて警察の捜査で、ネオナチの若い夫婦が犯人として逮捕されるのですが、裁判で決定的な証拠がないことと、カティヤと夫が学生時代に麻薬をやって刑務所に入っていたことが心証を悪くしたこともあって、ネオナチ夫婦は無罪放免になってしまいます。そしてカティヤは犯人夫婦がギリシャに潜んでいることを突き止め、後を追う、、、、あとはネタバレになるので書くのをやめておきます。
映画の中で私がとても印象に残ったシーンが2つあります。
1つは、裁判で検死官の女性が淡々と夫と息子の検死報告書を読み上げるシーン。幼い息子が亡くなったときの模様を、身体の破損状態(熱風を吸い込んで喉が焼けただれ、爆弾に仕込まれた釘が全身に刺さり、、、、)で知らされるカティヤ。私はこのシーンで、自分の身体にも痛みを感じました。喉や腕に疼痛を感じたほど。カティヤは読み上げられている最中にふらふらと立ち上がり、裁判が行われている部屋を出ていき、廊下であえいで苦痛に身体を震わせました。
2つ目は、裁判が終わったあと、タトゥショップで刺青に大きく刺青を入れるところです。(しかも刺青の絵柄が「サムライ」って!)その前に女ともだちに「気が遠くなるほど痛いんだけれどね」と言っていたはずの刺青を、まるで自分への罰のように入れるカティヤ。
この2つのシーンだけでなく、衝撃的なストーリーをアキン監督は言葉以上に身体で描いている、身体に語らせている、と思いました。
痛みや苦しみの表現だけではありません。ドイツ人とクルド人、ギリシャ人などの民族による「相違」、男性・女性の性的身体の「相違」、テロリストの若者とその親という世代的「相違」など、「相違」を身体で表現することによって、問題は「相違」にあるのではないことに気づかされます。
うーん、うまく言えない。もう少し消化が必要です。

私が若いころには、女性は対男性、対男性が既成化した社会に闘いを挑んでいたのだけれど、闘う対象は少し違ってきたのではないか、という印象を持った2本の映画でした。
ただ一つだけ言えるのは、闘い続ければいつかは必ず勝つのだということ。闘いを放棄した時点で、みじめな敗残者になってしまうのだ、ということ。それを教えてくれた映画でもありました。
 

CONIFAワールドフットボールカップでロンドンに滞在中、私は出場したユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパン(在日コリアン代表チーム)の(一応)一員として、大会をスムーズに運営するためのさまざまな業務(大半は雑務)にたずさわってきました。
いや、大会前の半年間もいろいろと忙しかったなあ。UKヴィザ取得やCONIFAに提出するさまざまな書類の作成、チームからの大会組織委員会への要望やメディアからの問い合わせへの対応、プロモーションビデオ撮影コーディネート、はては大会パンフレットやネット上でのチーム紹介なども大量に書きましたよ。これほどまでに毎日大量の英文を書いたことは、おそらく英語で本("Japanese Restaurant Design")を書いたとき以来です。
ロンドンに入ってからも雑務で奔走しました。タオルや氷や水の手配、食事するレストランを見つけて予約する、途中で帰国する選手たちの航空券変更の交渉(BAとの交渉に半日かかった。BAなんで電話するたびに言うことが違うんだー!)、大会組織委員会や他チームとの連絡や交渉、行き帰りのバスの確認、試合中のレフェリングに対するアピール文書を提出する、海外メディアからの取材のための資料配布、取材のときには通訳、問題発生のときには会議に出席し、ときには他チームと喧嘩もする、と、これまた人生でこんなに英語(ときにフランス語)をしゃべりまくったのも人生で5度目くらいでした。
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(BBCの取材を受けるUKJ監督兼選手の安英学さん)

自分で言うのもなんだけれど、CONIFAの活動にたずさわるようになって、私の語学力は格段にアップしました。でもね〜キャリア終盤にさしかかっている今になって、英語やフランス語の力がアップしても、キャリアアップに繋がらないって! せいぜい「語学力は60歳過ぎても十分にアップしますよ」とお話できるくらいですが、こんなたいへんな思いをしてまで語学力をアップしたい人がそれほどいるとは思えない。

で、ふと思うのです。
いったい、私は、なんのために、こんなことを、やっているのか?
お金のためではまったくない。だって、ボランティア、無償奉仕だし。むしろ持ち出しだし。
だいたいにおいて、無料奉仕って仕事よりもはるかに消耗するもんなんです。仕事のほうがずーーっと楽。ビジネスだったら「あ、その仕事は私の業務ではありません」とビジネスライク(笑)に断れるけれど、無料奉仕ではそうはいかない。ほんと、何から何までぜーんぶやることになる。
試合後、私がスタジアムの外に蹴り出されてご近所の庭に落下したボールを、お庭の持ち主であるおばあさまに謝りながら拾ってきたところ、もう5年くらいつきあっているNYタイムズ記者に出くわしました。彼に「MOTOKO、ついにボールガールもやってんの?」と苦笑されたのだけれど、ほんと、ボールガール(ガールじゃないけれど)だってやらなくちゃならないわけですよ。
どんだけ肩書きをつけてもらったところで、社長兼営業部長兼広報部長兼お茶汲み、すべての業務を引き受ける覚悟をせねばなりません。それは何も私だけでなく、CONIFAの活動を支えている会長、事務局長以下、全員が同じです。私は見ましたよ。第一回大会のときには、会長がコーナーフラッグのセッティングまでやっていたからね。
マタベレランドというジンバブエ内にあるチームで私と同じような立場にいるジャスティン(英国人)と、お互い帰国するチームを見送った後に2人で「あ〜〜終わった終わった」「疲れたね〜〜」「いや〜〜まいったまいった」と労をねぎらいながら話をしたのですが、彼は「あまりにたいへんな9ヶ月で、僕はもう燃え尽きた」と言っていました。
CONIFAの理念に共感して始めたものの、私もジャスティンと同じで、だんだん雑務、というか、そこまでやらなくちゃいけませんか〜〜〜〜???ということまで降りかかってきて、でも、ほかにやる人やれる人がいないのでやらざるをえない状態に燃え尽きそうになることが何回もあります。ほかに頼める人がいない、そこが問題。でも英語がぺっらぺらに話せるからって、できるもんじゃないわけです。(実は今もちょっと燃え尽き状態)
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(3位になったパダーニアの表彰式。第一回大会からずっと出場している選手が今回はキャプテン! そういう成長を見られるのも楽しいです)
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(決勝戦では北キプロスもカルパタリアもスモークたきまくり。ピッチにまで煙が流れてちょっとどうよ、と思ったのだけれど、熱いサポーターが大勢大会にやってくるようになったのも、CONIFAが発展してきた証かもしれません)

CONIFAの活動に共感して、自分も何か手伝いたい、と言ってくださる方は実は少なからずいらして、私はとてもうれしいのですが、「ぜひ手伝ってください!」と言うのを躊躇してしまいます。「こんなはずではなかった」と期待外れのことがきっといっぱい出てきて、逃げ出したくなるのが目に見えているから。
ここまで愚痴をこぼしておきながら、なぜ、まだ性懲りもなく「アジア大会やれないかなあ?」とか「新メンバー発掘したいなあ」とか考えているかというと、CONIFAの理事たちや、他チームで私と同じような立場にある人たちの心意気に感じるところが大きいからです。
私は戦争や災害で住んでいたところを追われた移民難民ではないし、未承認国家の国民でもないし、僻地に住んでいるわけでも、自分のアイデンティティがパスポートに記載された国と異なるわけでもない。でも、彼ら彼女らが「サッカーの国際試合をしたい。サッカーを通して世界に自分たちの存在を知ってもらいたい。サッカーによって自分たちを向上させたい」という気持ちはとてもとてもとてもよくわかる。そのために私ができることをやりたいな、とCONIFAの人たちと顔をあわせると(ちょっと燃え尽き始めていた)気持ちがまたあらたになってしまうのです。
ロンドンの宿舎を出るとき、CONIFAの副理事をしているディミトリが私をハグして「MOTOKO、きみはぼくのシスター(姉? 妹?)だ。ぼくも妻もいつでもきみを我が家に家族として迎えるよ」と言ってくれました。実はディミトリとは以前に新幹線車内のデッキで、京都から名古屋到着まで国際電話で言い合いをしたことがあるという因縁があったのですが、それがあったおかげかどうか、今ではブラザーシスターの関係になったようです。
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(はい、ディミトリです。いや〜彼とも長い付き合いになったなあ)

結局、人と人を結びつけるのは、お金や仕事ではない、のだと思います。また理念、だけでもない。
CONIFAに関して言えば、サッカーの国際大会を開く、という一つの目的を共有していることが、私を、そしてCONIFAにかかわっている人たちを結びつけているのだと思います。
置かれた環境の相違からぶつかるのは日常茶飯事だし、こちらの意見を通すのに大汗をかくし、毎度毎度資金の調達に四苦八苦だし、とにかくたいへんなことが多すぎるくらいなのだけれど、そうやって目的を共有することで、べたな言い方ながら「家族」になって行くのではないか、と。嫌なことされたり言われたりして腹が立って顔も見たくない(→まさに私は今回あるチームの幹部にそう言ってしまった)にもかかわらず、やっぱり目的のためには顔を合わせてまた意見を言わなくちゃいけない。切ろうと思ってもなかなか切れず、ヘルプコールがくるとつい応えてしまう。そんな「家族」になってしまった、という感じでしょうか。
なぜCONIFAに関わっているのか? 自分を納得させるために、書いて見ました。結論は出ていませんが、でも、ちょっと気持ちがおさまったかな)
 

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