Glamorous Life

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2018年08月

 不思議なことに家電は一つ壊れると残りもつぎつぎと壊れます。なぜ? 家電同士、「きみがお陀仏になるのか。なら俺も逝くかな、そろそろ」とか通信しあっているのでしょうか?
 先日、トースターのスイッチが切れなくなり、真っ赤に焼けて危うく火事を引き起こしそうになったので即廃棄。先週新しいものに買い換えました。調べたら24年間使用していたので、まあ壊れるのもわからないではないです。そしたらガスコンロが4口あるうちの1口しかまともに使えなくなり、電子レンジ(同じく24年間使用)が危うくなり、2002年から使用している食洗機もときどきスイッチが入らない状態になったのです。2004年から使っているテレビも先日映らなくなりました。修理に来てもらった業者さんに「このモデルはかなり前に製造中止になっていて部品も調達できません。今回は運良くウチに部品の在庫があったけれど、つぎに映らなくなったら買い替えをご検討ください」と言われました。ただの予感ですが、食洗機が壊れるとまもなくテレビも逝ってしまいそうです。
 テレビはなくてもなんとか生活できますが、キッチン家電は働かなくなるとその日から私は万事窮すです。食事なんて、いまは外食や中食でどうにか凌げるじゃないか、という意見もわからないではないですが、私は自分で作った食事を食べないと食べた気がしない。どうしてもキッチンに立ちたい、どうしても調理がしたい、自分の好みの味付けで自分の好みの料理を食したい。一種の強迫観念かもしれません。
 そういうわけで、キッチン家電を全面的に買い換える機会に、キッチンそのものを大改造することにしました。
 キッチン大改造を機会に、キッチンで使用しているものだけでなく、生活用品や家具も含めて廃棄するもの、新調するもの、新しく購入するものも考えています。今の家であと20年生活「できる」ように、改造できることはしていこう、という計画です。これから本格的な老いを迎える私が、どう暮らして生きたいのか、その暮らし方を可能にするのはどういう家(空間)なのか。
 まず思ったのは、60年強生きてきた人が、それまでの暮らし方を大きく変えることはとてもむずかしい、ということです。家を改造したところで、生活の仕方や生き方が変わるわけじゃない。残念ながら。
 夫婦二人暮らしになってから、夫もやむなく家事の5%くらいをするようになりましたが、基本、掃除、洗濯、炊事、買い物をはじめとする「家事」は私がほとんどをになっています。60年以上、家事をまったくといっていいほどやってこなかった人(夫)が、仕事をやめて時間ができたから家事をやることはまずないのです。なぜなら、生活を律していく習慣は30歳までに身につけないと、身につけることはたいへんむずかしいから。私は自分の体験からそれは痛感しています。だから我が家では、私が夫の生活も含めて家事の主たる担い手になることは確実だと覚悟を決めています。
 今の私は部屋が散らかっているのも、ごみがたまるのも、埃が舞う部屋で呼吸するのも、嫌です。汚れた衣服やタオルは洗濯したい。洗濯物はお日様にあてて干したい。風呂場にカビが生えているのは見過ごせないし、排水口に髪の毛がたまっているのも嫌です。そして前述したように、自分が買い物して、料理したものを食べたい。でも、そういった家事を全部自分でこなすのではなく、機械にお任せできるようにしたい。
 今後は老いて衰えていくので、今と同じ量と質の家事が一人でこなせるとは思いません。それは無理です。そこで、モノを整理し、便利家電を利用して、生活の幅を自分の能力に見合っただけに縮小していきたい。そのためにまずはキッチンの大改造だと思っています。
 18歳で親の家を出てから46年間で培った家事能力ですが、残りの人生はその能力が衰退することを自分で認め、それに合わせた生活にしなくてはならない、と心しています。
 と言いつつ、大型電器店で今の家電の進歩に目を丸くし、デザイン性に心踊らせ、縮小どころか拡大しそうな勢いの自分を誰かに止めてもらいたい……
 

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ガンバのことを考えるのがいやになっていたこの1年あまりですが、ツネさんが監督になってからは、やはり応援していこうという気になり、金曜日にもかかわらず、またお盆間近で列車の予約がしづらいとわかっていたにもかかわらず、フライデーナイト@吹田スタジアムに行ってきました。
結果は皆さんもご存知のとおり、24800人あまりは勝ち組でしたね(あ、FC東京サポも大勢いらしていたのでマイナス2000人かな)。 
キックオフから7分間に3回もFC東京に決定機を作られるというヒヤヒヤの出だしでしたが、先制したのはガンバ。セットプレーからの流れで、ヤットがあげたゴール前にふんわりしたボールをあげると、三浦がせって落とし、拾ったファビオが足で蹴り込む、というある意味ラッキーなゴールでした。FC東京が決定機をことごとく外すか、ヒガシにスーパーセーブされてしまう連続だったのに比べると、なんともラッキーなゴール。これを決定力と言わずしてなんという(苦笑)
しかし、後半に入ると圧力を強めたFC東京に攻め込まれ続けて胃が痛くなる展開へ。ガンバ、たまの反撃での決定機もアデミウソンと一美と倉田が惜しくも外してしまって、いや、決定力がないのはガンバでした、とうなだれましたね。
それで案の定、というか、予定調和というか(違)86分にディエゴ・オリベイラに見事にやられました。ディエゴ・オリベイラ、前線で効いていました。ちょっと独善的で、俺に預けろ、俺にやらせろ感が漂っていましたが、それでも決めるところは決める。サッカーって、こういう選手が前線にいてこそ勝てるんだ、ということをあらためて思いました。どんだけパス回しても、どんだけ跳ね返しても、決める仕事をする選手がいないと勝てませんわ(痛感)
ところが、ここでドラマは終わりませんでした。その後に逆転を狙ってさらに攻撃の圧力を高めてきたFC
東京に、一度、もうやられたかと思うようなシーンを作られた後のことでした。<ヒガシ、ほんとにありがとうありがとうありがとう! 守護神っていうのはきみのようなGKのことをいうんだね>
 FC東京のDFがあがったあとのカウンター。ガンバの右サイドに出たボールを、途中交代の米倉と高江がつなぎ、中央左寄りに走りこんできた高(ヤンくん)にパスすると、それをアデミウソンにパス。アデ、DFを背負いながらも反転して右隅に蹴り込んだのです。
すでにアディショナルタイム5分。
その瞬間、スタジアムに歓喜の轟音が響きました。たぶん、吹田スタジアムがオープンしてから最高のシーンだったんじゃないでしょうか。(万博ではよくあったけれど)
あとで録画を見たら、その瞬間宮本監督ピッチに走りこんでの大きなガッツポーズ。
ゴール裏スタンドに雄叫びをあげて走ってきたアデはサブの選手やスタッフにもみくちゃにされ、宮本監督はピッチ脇でスタッフに抱きつかれてもみくちゃに。
終了ホイッスルが鳴った瞬間、ジェソクが、三浦が、ヒガシが、ピッチに倒れこみました。
あとで見たら、ジェソクもヒガシも目がうるうる。
MOMインタビューを受けて途中から泣き出してしまうアデミウソン。
みんな、ほんとにほんとに辛かったし、嬉しかったし、ホッとしたんだよね。
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で、土曜日にほかのチームの試合をちらちら見たのですが、下位チームがみんな勝ったのでガンバの順位は17位の降格圏のまま。
これからますます厳しい試合が続くでしょうし、そうそう簡単に降格圏は抜け出せないかもしれないけれど、この勝利に力をもらって、あとは応援するのみ!! 

半年ぶりに「わたしのからだ」を更新します。今回は「まぶた」の話です。
あ〜長らくあいてしまったので、以前に書いたものをそのままアップというわけにはいかず(からだに対する思いって変わりますからね)書き直しでアップします。

 次女が思春期まっただなかの中学生だったとき、何に悩まされたかというと「まぶたとバストの恨み」だった。
次女「なんで、なんで、私だけ家族の中で一重(まぶた)なの? もしかして私は産院で取り違えられたんじゃないの? ママもお姉ちゃんも二重なのに、なんで私だけ一重?」(たいてい最後は涙声)
私(うんざりしながら)「パパも一重だよ」
次女「パパは男だからいいのっ! それにパパは見た目を気にしないからいいのっ!」(パパだってちょっとは気にしてるよ、きっと。改善の努力をしていないだけで)
私「あなたは一重でもすごくかわいいよ。一重でいいじゃないの? それにあなたはママによく似ているわよ……まぶた以外」
次女「二重じゃなかったらかわいくなれないっ! 二重じゃないと、バカにされる!」
 ここまで読んだみなさんは、次女がなーんておばかちゃんなんだろう、なーんて幼いんだろう、と思われるだろう。私も中二女子のこのアホな嘆きが恥ずかしくて他人にはあまり言わなかったのだが、あるとき次女が通っている中学の保護者会で「最近、子どものことで悩んでいること」を話す時間に、一人のお母さんが手をあげて訴えたのだ。
「ウチの娘は毎朝、アイプチをつけるといって鏡の前で長時間にわたって悪戦苦闘しています。朝食を抜いても、遅刻しそうになっても、アイプチなんです。二重まぶたにしないと学校に行けない、とか言うので、もうバカバカしくて腹がたつのですが、もしかしてウチの子はどこかおかしいのでしょうか? みなさんのところはいかがですか?」
 すると親の間にどよめきが広がり「ウチもそう。まぶたにセロテープを貼って二重にしてから出かける」とか「ウチの子は定規で筋をつけたりしていて、目を傷つけないか心配なんです」と、二重まぶた狂騒の報告が出るわ出るわ!
 ちなみにアイプチeye puttiとは、イミュという会社から発売されている化粧品(?)で、糊状のものをまぶたの上に塗ってひだを作って端っこを張り合わせて二重にする、もしくはテープを貼ったりするものである。アイプチを使っていることがバレないように二重にすることはかなりむずかしい。ちなみに不器用な私には無理でした。
 もともと二重まぶたの私には、なぜに一重がそんなにいやなのかさっぱりわからなかった。私が二重なのは、父方の祖先が九州南端の出身で南方系の濃い顔立ちを受け継いだからだ。北方のモンゴロイド人種は、寒冷地で寒さに耐えるには眼球をさらけださないほうが有利だったために北東アジア地域に住んでいた人たちは一重になった、という説がある。要するに、私は父方の遺伝子の南方系の顔立ちを受け継いで二重まぶたになった、というわけだ。そう、二重か一重かはあくまでも遺伝で決まる。長女は私の父方の遺伝子を、次女は夫方の遺伝子を受け継いだ。

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現在の鹿児島県出身だった曽祖父。太い眉毛、くっきりとした二重が祖母→父→私へと受け継がれた

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一方、岡山出身の母方の親族はだいたいが一重まぶただ。母7歳、美少女だったが一重だ。
 
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同じく7歳の私。ちょっとわかりにくいけれど眉毛と目の形はあきらかに父方だ
 
 しかし、いったいいつからこれほどまでに二重まぶたに女子はこだわるようになったのか? 私が思春期だった1960年代には「二重まぶたでないと外が歩けない」ほどの強迫観念にとらわれていた女子は少なかった。少なくとも私のまわりにはいなかった。当時からセロテープを薄く切って貼るのをやっているおませな女子はいたけれど、それも男子とお出かけするときくらいで、学校に行くときにそんなことをやっているヒマはなかったように思う。そもそも一重か二重かについて悩む女子は少なかったのではないか? 私に似てくっきり二重だったせいか、長女はまぶたについて訴えることはほとんどなかった。
 一重を二重にする美容整形は1920年代からあったらしい。まぶたの上を切って貼り合わせる手術で、失敗するとまぶたが閉じなくなるリスクもあったとか。そういえば、1970年代に二重と隆鼻の整形をして目鼻立ちが西欧人っぽく変えたアイドルは結構いた。妙な目つきになったアイドルがテレビに映ると「あ、整形の失敗?」とか女子仲間で話していた。
 1980年代後半に美容整形術は進化をとげ、二重にする程度なら「プチ整形」と呼ばれて、安く簡単にできるようになった。それにバブルのころは、とにかく明るく前向きで、すっきりはきはきしていて、何より都会的であることに価値が置かれていた。そう、アメリカのチアガールみたいな容姿と明るさが理想だったのだ。そんな時代の風潮にあって、一重まぶたはもっさりと田舎くさい(というか日本人っぽい)印象を与えると受け止められたのではないか。自分の容貌に自信を持ち、ネクラから脱するために、プチ整形で思い切って二重にすることは「女子の心得」みたいに思われていた。いや、私も思っていたかも。1954年生まれの私でさえも、バブル期にちらっと美容整形を考えたくらいだ。ワンランク・アップするためには、やっぱり外見を少し変えないととか思ったりして。結局、痛いのがいやでやめたのだけれど。(ちなみに考えたのは「永久脱毛」でした)
 今はどうなっているのだろう、と「二重まぶた」で検索をかけたら、まあ、ここまでですかぁ〜〜〜?!というくらい大量の「二重まぶたにしましょう」情報が出てくる。二重バブルはまだ終わっていないのだ。
 そこで見つけたのだけれど、歳をとれば一重の人も二重になることが(よく)あるそうだ。次女に言ったら「今の私は長年の努力のかいあって二重なの!」といきなりキレられた。「それに歳をとって垂れ下がって二重になるんじゃなくて、くっきりとした二重になりたいのよ。そこがわからない?」といっそうキレられた。
 教訓:一重の人にまぶたの話は禁句!
  

いま、ちょっと辛すぎて「ガンバ」という名前を口にすることもできない状態なのですが、いま起きていることを受け入れるしかないとブログを更新することにしました。

もうここまで来てしまったのだから、前を向くしかないと自分を励ましています。
何があっても、ツネ監督と選手たちを応援しますよ。応援するのはぜったいにやめないからね。

それでも一言言いたい。社長、強化部長、何も手を打たないどころか、マイナスなことばかりしてチームを引っ張るのはもうやめてほしい。どうして2012年と同じことを繰り返すのか。生え抜きの監督の将来を潰すようなことはしないでほしい。バックアップしてチームを支えてほしい。

金曜日、吹田に行きますよ。 
今から胃が痛いのだけれど。 

台風の影響? それともうちのWiFiのせい? DAZNがときどき止まってしまって、iPadを持ってあちこちに移動したんだけれど、ヨネのゴールはLiveで見られず、引き分けに終わったことも現地観戦だった同志からのメールで知りました。
引き分けでしょうね、と期待半分で同志にメールしていたのがあたってちょっと複雑。あれだけ攻めていたんだから勝ちたかったですよね。
でもぜいたくは言えません。
クルピ前監督のときと何がちがったかと言えば、気持ち、じゃないでしょうか?
気持ちだけで勝てるほどサッカーは甘くないけれど、それでも気持ちがなければ勝負にはならないわけで。カクカクと止まる画面にイライラしながら、そんなことを思いました。
応援しますよ、ツネさんガンバ。
今日はジュビロ磐田戦。
サッカーの神様、どうかガンバに力を与えてくださいな。

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