Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2018年09月

みなさま〜〜〜〜暫定ではありますが〜〜〜〜ガンバ大阪、降格圏を脱出しました〜〜〜!!!
私はいまだに信じられません。
なぜに上位チームに勝てるのか? 首位広島様に1−0! 2位川崎様に2−0! 3位FC東京様に2−1! 上位チームとあたるときには「今日はもう引き分けでもいい、じゃなくて、引き分けでお願いします」と祈っていたら、なんとなんと終わってみれば勝つこと3回。
それだけじゃありません、イニエスタ様のいる神戸にも勝ったし、ドゥグラス様のいる清水にも勝った。(トーレス様のいる鳥栖には負けましたけれどね)
上位チーム食いのガンバ、と呼んでいいのでしょうか?(まぁね、17位にいたときにはみんな上位なんですけれど)
試合内容がいいかと言われば、なんだかよくわかりません。広島戦も「ああああああ〜」と目をおおって恐る恐る指の隙間から見たら、ゴールじゃなかった、ということ3回。ヒガシが足の裏で防いだシュートなんかは、もう肝が冷えましたよ。肝が冷えるっていうのはこういうことか、とか思ったもの。
それでも完封勝利。いいんですいいんです、1点差でもとにかく勝てばいいんです。
それにしても、ファン・ウィジョ、絶好調ですね。来年もいてほしいけれど、無理かなあ。
ジェソク、ガンバでの100試合出場を記念してご両親が見えて花束贈呈してらしたけれど、ああ、ジェソク、このご両親がいるからあのジェソクなのね、と思えるとってもすてきなご両親でした。
試合終了後のインタビューの日本語も完璧で、話はおもしろくて的確だし、ジェソクほんと好きだわ。ずっとガンバにいてほしい。チャントもできたことだし、来シーズンもいてね、お願い💙

さて、来週は大阪ダービー。参戦しますよ!!

2017年に次女が結婚して以来、夫と2人暮らしになりました。また2017年は両親が30年間暮らした実家を売却するために、妹と2人でひたすら片付けをした1年でした。
この2つの出来事を契機に、私は「これから死ぬまでどこで暮らすか?」を真剣に考えるようになりました。
人生100年時代です。2017年に日本の100歳以上は7万6千人あまり。これからもっと増えそうです。正直、私は85歳くらいで死にたいけれど、寿命ばかりは自分で勝手に決められません。
父は医師で、健康にとても気を使っていたし、最後まで頭はクリアで元気でしたが、亡くなる8ヶ月前に肺がんと宣告されました。そのとき父が深々とため息をついて「がんにでもならんと、死ねん時代がきたなあ」と言っていたのが忘れられません。父は結局ぎりぎりまで自宅で普通に生活していたし、最後まで意識はしっかりしていたから皆さんにお別れも言えたし、ある意味理想的な最期だったと言えるかもしれません。
それに父は要支援2で自宅で生活していましたが、それは母や娘たちが生活を支援していたからです。一人暮らしをしたことがなく、父ほど健康管理に気を使わず、とくに運動習慣を身につけていなかった母は、「階段の昇降ができなくなった。家事が億劫で料理をつくる気力がない。広い家で一人でいると怖い」と父の死後すぐに介護付き高齢者住宅に引っ越しました。
母が引っ越してから実家は1年半放置していたのですが、ご近所に迷惑がかかることが懸念されて、いよいよ売却を決意。2017年は妹と2人で東京から関西に通いながら実家の片付けをしました。
そのときにつくづく思ったのが「人生100年時代を覚悟して、60代からは人生第三期にどこに住むか、どう暮らすかを視野に入れて、後仕舞を始めなくてなならない」ということでした。(生まれてから自立するまでを第一期、経済的・社会的に自立して生産活動を行える第二期、公的私的支援を受けつつ人生を終えるまでを第三期とする)
後仕舞、つまりそれまでの人生に区切りをつけるために整理をすること、です。どれだけ健康に気を配って体を鍛えても、75歳を過ぎたらそれまでと同じペースで働き消費するわけにはいきません。体力や気力が衰えてからでは後仕舞には遅すぎる。それまでの生き方を少しずつ変えていくこと。生産消費活動から、選択整理活動へと切り替えていくこと。それがたいせつなのではないか、と思い始めています。
第三期にどこで暮らすか、についての結論はまだ出ていないのですが、さほど遠くない将来にやってくる第三期をいよいよ迎えたときのために、いま私が取り組んでいるのが「断捨離」と「リフォーム」と「筋トレ」です。
まずはキッチンからスタートし、クローゼット(衣服)、仕事部屋(本と資料)と進めて、1年で「いつ第三期が来ても大丈夫」にしたい、と思っています。テーマは「明日死んでも悔いなし、恥なし」。それくらいのつもりで生活する時期が来たのかなあ、と思うと、ちょっと寂しいような、清々しいような。
そんな私の参考書はこれ↓
『住まいで「老活」』 安楽玲子著 岩波新書
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老後の生活に必要な第一歩は「整理整頓」そして椅子と座り方の見直しからだなあ、とあらためて思いましたよ。


私事でいろいろとありまして、ガンバ2年半ぶりの3連勝について間の抜けたことしか言えない時期でのブログ更新となりました。
神戸戦はDAZN観戦で、あまりにもうれしくて後半を中心に2回もフルタイム視聴をしてしまいました。後半、倉田選手のがんばりからファン・ウィジョのゴールで逆転してから、盛り上がるゴール裏と一緒に、チャントを一人でタブレットに向かって唄い続けるというアホぶり。で、こんなに喜んでいたら清水戦で足をすくわれるわ、と思って3回見るのはやめました。
清水戦、観戦も考えて帰りの足を調べたのですが、どう考えても土曜日朝の約束に間に合う時間までに東京まで帰って来られないことがわかって諦めました。 
はらはらどきどきでしたが、勝ってよかった! いつもライブ視聴ができないで負けた試合はハイライトしか見ないでさっさと記憶から消すことにしているのですが、今回は勝ったにもかかわらずハイライト視聴も1回しかしていません。よく勝てたよね。ほんとMOMはガンバ側ゴールポスト様だわ。日本平(IAI)スタジアムのあのゴールポストを残留確定までお借りできませんか?>清水さま。試合前にサポのみんなで拝みます。「今日もどうぞ防いでやってください。念バリアーをはってくださいませ」とみんなでゴールポストをなでながら拝みますよ。えーっと、残留が決まったらゴールポストに紅白ののしをつけてお返しします。きっと日本平の守り神になってくれるはず。
でも、ただいまJ1は「マジですか!」というくらいの大混戦。清水も巻き込まれているので、貸してくれまいかもしれません。
3連勝してもガンバの17位は変わらないのですが、同じ勝ち点30でサガン(得失点差-6)、レイソル(得失点差-9)、ガンバ(得失点差-10)と3チームが並び、10位のエスパルス勝ち点34までのたった4点差の間に8チームがひしめくという熾烈な残留争い(ただし、湘南と名古屋は勝ち点31と言えど、試合数が1少ない)。もっと言えば18位の長崎も昨日勝って勝ち点を27に伸ばしてきましたから、10チームが残留争いに巻き込まれている、と言ってもいい。
あと7試合。生き残るチームに必要なのは、諦めない精神力と運です。
真剣に「験担ぎ」と「神頼み」が必要になってきました。
とりあえず、青黒の服しか着ないことと、一日一善の善行を積んで「神様仏様」だな。

そして今週末はガクガクブルブルの広島戦。今からもうおなかが痛くて吐きそうなんですけれど、一日一善神様仏様……

 

9月5日(水)にパナスタで行われた準々決勝第1戦が0−4の惨敗だったので、9割方横浜FMの準決勝進出が決定していたのですが、前もってチケットを購入していたこともあり、日産スタジアムに第2戦観戦にいってきました。
前半10分ほどであっさりサイドから崩されて失点。デジャヴなそのシーン、えーっとどこで見たんだっけなあと記憶を辿ったら、なんだ、第1戦の1失点目とおんなじではないですか! 
2失点目はPK。同じくガンバから見て左サイドを崩され、GK鈴木が飛び出してエリア内で潰したので、これは文句なしのPK。
3点目は伊藤翔。伊藤翔、以前に対戦したときよりもはるかに威力を増した感じがします。それともガンバがあまりに弱体化したせいでそう見えるだけ? まあね、大学生にも負けるくらいですもんね。J1チームには勝てなくて、それどころか翻弄されても当然かも。
3失点目は遠藤のペナルティエリア前での安易なボールロストだからミスパスだかから始まったばたばたでした。失点こそ3点ですみましたが、8点くらい入れられてもおかしくなかったです。ガンバの「あ、惜しい!」というシーンは2回くらい? いずれもアデミウソンの犯罪的な外しでしたが、まあね、アデミウソンだからしかたない。
結論は、J3あがりの若手チームだろうが、1軍だろうが関係ないってことです。ガンバの現状は笑えないくらいひどい。監督交代、怪我からの復帰、などショック療法でなんとかつないでも、現状は変わらない。一生懸命必死にやっていることは痛いほど伝わってくるけれど、一生懸命なだけではチームは救えないです。むしろ、選手や監督の必死さが伝わるほど、チームとして弱体化衰退化の一途をたどっていることがあらわになってしまう。
何が問題なのだろう? どうしてここまで弱体化したのだろう? という疑問の答えは、おそらく(絶望状態にある)ガンバサポなら答えをあげることができるのではないでしょうか。それでも「いまさらしかたない」「打つ手は全部打った」「あとは現場がなんとかしてくれるはず」とクラブは腕組みをして立ちすくんでいるだけでよいのか。それでは選手たちが、宮本監督が、いや現場のスタッフ全員にあまりに酷ではないか。
あくまで試合会場の雰囲気から推測しているだけなのですが、ガンバ大阪というクラブは、前向きにオープンでないところがあるような気がします。かつての「成功体験」に固執しているのか(固執できるほどの成功体験か、と苦笑してしまうのですが)、変革に及び腰で、しかも変革のためのアイデアが乏しい。変革しなくてはならないとも思っていないし、変革のためのアイデアをほかのところに求めたりしない。「あのときはこれで乗り切ったから」とか「この選手・監督に任せておけばなんとかしてくれるだろう」とか、そういう安易な、根拠レスな「希望」でお茶をにごしてしまう。
それはなにもガンバに限ったことではなく、日本社会全体に言えることだと思います。社会は様々な側面で日々(ほんと日々、ですよ。年々、でも、月々でもなく1日単位)変わっていっています。変化に対応するだけでなく、先を読んで先手を打っていくことが必要なのだけれど、1つ成し遂げたところで立ち止まり、つぎに進むことを忘れてしまう。「自前のスタジアムを持つ」という「偉業」を達成したところで、そのあとスタジアムをどう使っていけば、ガンバ大阪というクラブの発展につながるのか、そこのところのアイデアがない。そして「昇格即3冠」で自己満足にひたって、4年もたたないうちにまたもや降格の危機。
「成功体験」はとても貴重だ、ということはよくわかります。でも優勝したその日は喜んでいいけれど、翌日にはきっぱりと忘れて次のステップを考えないと変化のスピードにはとてもついていけない、と思います。
私は1年前からガンバ大阪に「絶望」してしまっているのですが、絶望して投げ捨てる気には全くなりません。むしろ絶望しているからこそ、きっと道があるはずだ、とさえ思って探しています。最近傾倒している作家、レベッカ・ソルニットが『暗闇の中の希望』で書いている「絶望は希望につながる」という一節が、まさに私の今の心境なので、引用します。(社会活動家でもあるソルニットはまさか1サッカークラブのことで、自分の作品が引用されるとは思ってもみないでしょうが)
「やみくもに希望をもつことは、のっぺらぼうな壁の前に立って、扉が開くのをじっと待っているようなもの。扉が近くにあっても、やみくもな希望が邪魔をして、扉を探そうともしない。このような状況では、絶望してこそ、良い結果が期待できるのであり、閉塞状態にNOと言い、壁に背を向けることもできるのだ。ある制度、ある場所に絶望すれば、ほかの道を探しに出かけたり、扉を探したり、あるいは扉を作ることもできる」
やみくもな希望とは、以下のようなことです。「ガンバほどのクラブがまた降格するはずがない。きっと残留できるだろう」「監督を変えたら、強力なFWを(CBを、ボランチを)獲得すれば、きっとチームはまたうまくいくだろう」「○○ほどのベテランに任せておけばきっとなんとかしてくれる」
クラブのみなさん、「やみくもな希望」を捨ててまずは「絶望」し、ほかの扉を探すか作るかしてください。本物の希望は、まず絶望してから生まれるのです。

 ガンバが新しく生まれ変わること、もっと魅力的なガンバになることを、心底願っています。願うだけではなく、何かできることはないかと真剣に考えています。

 今年の夏は各地で40度超えが7月から続き、熱中症で亡くなられた方も少なからずおられ、暑さをはじめとする異常気象が引き起こすさまざまな災害が報告されました。
 世界中で酷暑だったようで、パリに住んでいる友人たちは「去年に引き続き40度超え。クーラー欲しい」と言っていたし、スウェーデン中部の友人たちは「こちらも35度を超える日々。蚊とか虫が大発生」とか言ってきました。つまり、異常気象は地球全体で起こっているのです。
 日本ばかりでなく、世界各地で頻発する大雨による洪水、大規模浸水、台風やハリケーンによる被害、いずれも地球温暖化が引き起こしています。つまり「人災」です。
 これから地球環境はどうなってしまうのか? 温暖化による自然災害は増えるのではないか? そんな思いで手に取ったのが、ナオミ・クラインの『これがすべてを変える 資本主義vs気候変動』(岩波書店)でした。
 衝撃でした。「異常気象と言っているけれど、もはやこの暑さは異常ではなく常態化しているし、このままもっとひどくなっていく」と思っていたことを、豊富なデータによって「そうその通りです。地球規模で起こっている気候変動です」と現実として突きつけてきました。
 温暖化を引き起こしている原因は化石燃料を過剰に使用しているためで、何のために化石燃料を使っているかというと、何万年も前に死んだ動植物を掘り出すだけの安価な資源をエネルギーにして、「便利で快適な暮らし」こそ追求すべきものという価値観が私たちに植え付けられてしまっているからです。でも化石だけでなく、すべての地球の資源は有限です。地球の人口全員が一律に、「便利で快適な暮らし」を競争で追求していけば、早晩枯渇するのは目に見えています。
 しかもその価値観を信奉する持てる者(わずか1%の勝ち組富豪)がその他99%の生活などをかえりみず、資源も富も独占していったらどうなるか。
 そこまでの現状と未来は、たぶんナオミ・クライン以外の書き手も「ディストピア」として描いていると思います。
 しかしナオミ・クラインはそこで立ち止まらない。ディストピアをユートピアとは言わないまでも、この先の未来を少しでも明るくするためにはどうしたらいいか、ということを単なる理想としてではなく語るのです。今こそみんなで団結して「このままではいけない」と立ち上がり、搾取と格差の上に成り立っている新自由主義市場の論理をくつがえし、自分が生きている場所と人々、つまりコミュニティの力を取り戻すことだ。そしてそのために立ち上がった人たちのパワーを、考え方を、行動をルポルタージュとして読ませてくれます。
 行き過ぎたグローバリズム、市場に任せておくのが一番いいとする新自由主義の考え方、そして資本主義そのものを「これでいいのか?」と見直すこと。そして隣の人と、どうすれば持続可能な社会に、環境に、地球にしていけるかを真剣に話し合うこと。
 気象と地球環境を専門とするジャーナリストであり、自分の子どもが生き延びられる自然環境と社会を与えたいと願う母親であり、そのために行動を起こす活動家であるナオミ・クラインは、気象の変動が引き起こしているさまざまな問題の前に立ちすくむしかない私には、一つの指標を示してくれます。私に何ができるか? 私は何をしたらいいのか? 「暑いねー!」とつぶやく前にやること。それは隣の人と話し、政治家や企業にやめてほしいことやってほしいことを訴えることではないか。
 
 ナオミ・クラインを一躍有名にした『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体』はもっと衝撃だったので、それについては後日書きます。
  
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