断捨離に励み、身じまいと老いじたくが今の人生のテーマになっていながら、どうしたらいいかわからなかった私に、どんぴしゃりのアドバイスをあたえてくれる本に出会いました。
「百まで生きる覚悟ー超長寿時代の「身じまい」の作法」
春日キスヨ著 光文社新書
著者は家族社会学、福祉社会学を専攻する研究者。私より11歳年上らしい。著者紹介を見ると「父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた」とあります。研究のために、高齢者に「老いじたく」と「身じまい」について聞き取りをし、現場の支援者たちの声を反映したのが本書です。
高齢者の多くが「ピンピンコロリ」を理想とし、70代、80代になっても「健康に気をつけているから大丈夫」「まだ元気で楽しく人生を送っているからこのままいけるところまで行く」「子どもの世話にはならない」と言う。健康のために毎日歩いたり、食べるものに気を配ったりはするし、墓や葬儀の準備や遺言を書いたりという「終活」には励むが、病気や老いで動けなくなったときに誰を頼るか、どこでどのように暮らすか、ということについては何も考えない。つまり「老いじたく」を何もしない。そして「子どもの世話にはなりたくない」と言っている人ほど、いざとなったら子どもにすべてを丸投げする、、、、もうね、このくだりを読んだときに「え? ウチのこと?」と思いましたよ。「あんたたち子どもに迷惑はかけない」とさんざん言ってきたはずなのに、いざとなると「もうね、あんたのいいようにして。私はもうどうしたらいいかわからん」と親に人生を丸投げされた私は右往左往し、よかれと思ったことがたいてい親の気持ちにはそぐわずにお互いいらいらし、ついには喧嘩になって親子関係がぐらぐらとゆがんでいく。今その状態です。
何年か前からこのブログでも書いてきた「自分のことはできるかぎり自分でやりたい」「自分の人生は自分で決めたい」というのは、老いた親との関係で悩んだ結果のことです。人生百年を覚悟せねばならない時代です。子どもに、周りに、頼らなくてはならない時期は必ず来る。頼るのが嫌いで苦手な私でも、必ず誰かを(もしくは大勢の人たちを)頼らねばならない。でも、誰にどんなことを頼るのか。それまでに自分でやっておかねばならないことはなんなのか、そんな「老いじたく」を教えてくれたのがこの本でした。
いくらピンピンコロリを理想としても、それができるのは限られたほんの少数の人だけ。いまの高齢者は「ピンピン、ヨロヨロ、ドタリ」を覚悟しなくてはならないそうです。ピンピン期とヨロヨロ期の落差があまりにも大きく、年齢的には十分に老人でも、ピンピン期には自分の老いが実感できない老人が大多数。そう、その通りです。元気老人いっぱいですよね。メディアにもそんな老人が大勢。
ところがヨロヨロ期がある日突然始まってしまう。「まさか自分がこんなになるなんて!」という時期がまず間違いなくやって来るのです。それなのにヨロヨロ期の自覚がなく、老いを嘆いて周囲を振り回し、そしてドタリと寝込む。でもってドタリと来ても、まだ死ねないのが現代です。ドタリ後にどうするか、すでにそのときには自分で何もできない状態になっています。
90代に入ると、女性の65%は認知症になるそうです(男性はそれまでに亡くなってしまうことが多い)。私もきっと認知症になります。哀しいけれど。認知症になる前に、認知症になることを予想して身じまいをつけておかねばなりません。
この本を読んで、今日から実践しようと思った老いじたくをあげておきます(著者が推薦しているわけではなく、私が勝手に思ったことです)
1)100歳まで生きることを予想して、あと35年をどう過ごすか具体的に計画する。ヨロヨロ期に入る前に「終の住処」を比較検討するために今からでも施設の見学など情報収集に励む。ヨロヨロ期の「後見人」を決め、誰に何をしてほしいかを文書にしてその人に相談する。明日倒れても困らないように健康保険証、通帳などのありかを記しておく。
2)老いを恐れずに直視して受け入れる。いま私は親の老いに直面しているのですが、老いていくことを哀しいこと、いやなことだとは極力とらえず、そういうものだ、と受け入れるようにする。また何ができなくなっていくかを、まだまだできるのかを親を見て自分の老いじたくに活かす。
3)自分で自分の老いじたくをする。そのためには老いじたくを「見える化」して、何を人に頼るのかをよく考える。たとえば今の家の整理はできるかぎり自分でして、どうしてもできないことだけを人に頼るようにする。どうしてもできないことは何かを自分にも周囲にも見えるようにする。
私には夫も子どももいて、信頼して頼れる人がいるからそこまで深刻になる必要がないだろう、という意見もあるでしょう。でもそれは違うと思います。むしろ身寄りがいない人のほうが、老いじたくはある意味簡単かもしれません。覚悟のほども違うでしょうし。私のような家族持ちこそ、腹をくくって老いじたくをしなくてはならないのだと思います。
健康に気を配って、気力も体力もたくわえて……なんてそんなことは老いじたく以前の話。
暗くならずに、淡々と、でも元気に老いじたくに励もうと思った本でした。春日キスヨさん、ありがとうございます!
「百まで生きる覚悟ー超長寿時代の「身じまい」の作法」
春日キスヨ著 光文社新書
著者は家族社会学、福祉社会学を専攻する研究者。私より11歳年上らしい。著者紹介を見ると「父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた」とあります。研究のために、高齢者に「老いじたく」と「身じまい」について聞き取りをし、現場の支援者たちの声を反映したのが本書です。
高齢者の多くが「ピンピンコロリ」を理想とし、70代、80代になっても「健康に気をつけているから大丈夫」「まだ元気で楽しく人生を送っているからこのままいけるところまで行く」「子どもの世話にはならない」と言う。健康のために毎日歩いたり、食べるものに気を配ったりはするし、墓や葬儀の準備や遺言を書いたりという「終活」には励むが、病気や老いで動けなくなったときに誰を頼るか、どこでどのように暮らすか、ということについては何も考えない。つまり「老いじたく」を何もしない。そして「子どもの世話にはなりたくない」と言っている人ほど、いざとなったら子どもにすべてを丸投げする、、、、もうね、このくだりを読んだときに「え? ウチのこと?」と思いましたよ。「あんたたち子どもに迷惑はかけない」とさんざん言ってきたはずなのに、いざとなると「もうね、あんたのいいようにして。私はもうどうしたらいいかわからん」と親に人生を丸投げされた私は右往左往し、よかれと思ったことがたいてい親の気持ちにはそぐわずにお互いいらいらし、ついには喧嘩になって親子関係がぐらぐらとゆがんでいく。今その状態です。
何年か前からこのブログでも書いてきた「自分のことはできるかぎり自分でやりたい」「自分の人生は自分で決めたい」というのは、老いた親との関係で悩んだ結果のことです。人生百年を覚悟せねばならない時代です。子どもに、周りに、頼らなくてはならない時期は必ず来る。頼るのが嫌いで苦手な私でも、必ず誰かを(もしくは大勢の人たちを)頼らねばならない。でも、誰にどんなことを頼るのか。それまでに自分でやっておかねばならないことはなんなのか、そんな「老いじたく」を教えてくれたのがこの本でした。
いくらピンピンコロリを理想としても、それができるのは限られたほんの少数の人だけ。いまの高齢者は「ピンピン、ヨロヨロ、ドタリ」を覚悟しなくてはならないそうです。ピンピン期とヨロヨロ期の落差があまりにも大きく、年齢的には十分に老人でも、ピンピン期には自分の老いが実感できない老人が大多数。そう、その通りです。元気老人いっぱいですよね。メディアにもそんな老人が大勢。
ところがヨロヨロ期がある日突然始まってしまう。「まさか自分がこんなになるなんて!」という時期がまず間違いなくやって来るのです。それなのにヨロヨロ期の自覚がなく、老いを嘆いて周囲を振り回し、そしてドタリと寝込む。でもってドタリと来ても、まだ死ねないのが現代です。ドタリ後にどうするか、すでにそのときには自分で何もできない状態になっています。
90代に入ると、女性の65%は認知症になるそうです(男性はそれまでに亡くなってしまうことが多い)。私もきっと認知症になります。哀しいけれど。認知症になる前に、認知症になることを予想して身じまいをつけておかねばなりません。
この本を読んで、今日から実践しようと思った老いじたくをあげておきます(著者が推薦しているわけではなく、私が勝手に思ったことです)
1)100歳まで生きることを予想して、あと35年をどう過ごすか具体的に計画する。ヨロヨロ期に入る前に「終の住処」を比較検討するために今からでも施設の見学など情報収集に励む。ヨロヨロ期の「後見人」を決め、誰に何をしてほしいかを文書にしてその人に相談する。明日倒れても困らないように健康保険証、通帳などのありかを記しておく。
2)老いを恐れずに直視して受け入れる。いま私は親の老いに直面しているのですが、老いていくことを哀しいこと、いやなことだとは極力とらえず、そういうものだ、と受け入れるようにする。また何ができなくなっていくかを、まだまだできるのかを親を見て自分の老いじたくに活かす。
3)自分で自分の老いじたくをする。そのためには老いじたくを「見える化」して、何を人に頼るのかをよく考える。たとえば今の家の整理はできるかぎり自分でして、どうしてもできないことだけを人に頼るようにする。どうしてもできないことは何かを自分にも周囲にも見えるようにする。
私には夫も子どももいて、信頼して頼れる人がいるからそこまで深刻になる必要がないだろう、という意見もあるでしょう。でもそれは違うと思います。むしろ身寄りがいない人のほうが、老いじたくはある意味簡単かもしれません。覚悟のほども違うでしょうし。私のような家族持ちこそ、腹をくくって老いじたくをしなくてはならないのだと思います。
健康に気を配って、気力も体力もたくわえて……なんてそんなことは老いじたく以前の話。
暗くならずに、淡々と、でも元気に老いじたくに励もうと思った本でした。春日キスヨさん、ありがとうございます!