Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2018年12月

以前も年末に書いていた10大ニュース、久々に復活してみます。いま玄関周りの掃除とお正月の花を生け終わり、正月準備は半分終わってそんな余裕も出てきました。デッキブラシで外回りの階段や外壁をゴシゴシ洗いながら、10大ニュースも考えられましたね。

第10位 書道始めて10年経ち、はじめて「書作」という月刊テキストに優秀作品が写真で掲載されたこと。ほんと他人にはどーでもいいちっぽけな出来事だったのですが、私的には大きかったのです。
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第9位  次女出産後職場復帰、長女異動で、孫預かりが増えたこと。お孫2人ともすくすく育っていてそれはいうことないのですが、働くお母さんたちの負担は私の時代からあまり変わらず半端なく大変です。おばあちゃんの力を実感した、というこれまた他人にはどーでもいいちっぽけな出来事ですが、「幼児教育無償化」の法案が進む中で、社会制度、家族を取り巻く環境と意識、そして子育てについて考えさせられました。

第8位 またもや未承認国家訪問。北キプロスで CONIFAの年次総会が開催されたので行ってきました。地理的に東西、南北が交わる(ぶつかる)土地は、さまざまな民族とその文明が地層のように降り積もるところなのだと興味深かったです。その後に訪れたトルコのアンタルヤも印象的なところでした。
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第7位  断捨離決行。5年ほど前からずーっと「やらなくちゃやらなくちゃ」と思いながらできなかった断捨離に取り組みました。昨年からぼちぼち始めてはいたのですが、集中的に3ヶ月かけて私が管理できる範囲(つまり夫や子どもたちが管理している区域以外)の整理を敢行。少なくとも、どこに何があるかは私の中で明確になりました。「いま」でないとできないことだった、と思っています。

第6位 取材コーディネートという初の経験をする。5月末からロンドンで開催されたCONIFAワールドフットボールカップのプロモーションのために、スポンサーであるPaddyPowerが日本に取材チームを送り込んできました。ユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンの紹介と、東京の観光案内を兼ねた15分ほどの番組のための現地コーディネートというのを初めてやりました。なかなかおもしろかったけれど、準備も含めて1ヶ月、結構重労働でした。
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第5位 キッチンをリフォームする。これまた他人にはなんもおもしろくない出来事ですが、リフォームしてみて、生活全体が変わったなというのが今の実感です。ある意味、生き方の節目的出来事だったかな、と。省エネ、とか、(もっと高齢になっても)持続可能な生活、とかをあらためて考えたリフォームでした。

第4位 ナオミ・クラインに出会って気候変動について真剣に考えたこと。この夏は異常な暑さでした。これはおかしい、なんとかしないと地球も、私たちの生活もたいへんなことになってしまう、でも何をしたらいいのかわからない、と汗をふきがら本屋でヒントになる本を探しているうちに出会ったのがナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」でした。その後、紐を手繰り寄せるようにレベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」を読み、彼女の「ウォークス」に感動し、今年の後半は毎月「気候変動をなんとかしよう読書月間」 でした。まずは考え方を根本から変えないと地球は生物が住めない惑星になってしまいます。

第3位 ガンバ、驚きの9連勝。そしてJ1残留決定。このブログでも書きまくったからいまさら言うことはありませんが、フォロントには一言言っておきたい。いったいクルピさんってなんだったんですか?>ガンバフロント。そして、宮本監督は来年が勝負ですよ。フロントはもっと強力にバックアップすべし!!(いまの補強では来年も苦労するはず)

第2位 CONIFAワールドフットボールカップin London。これまたこのブログでさんざん書いたのでいまさらですが、CONIFAという組織は、これからの活動をどう「発展」させていくのか、もしくは「深化」させていくのか、正念場にきています。優勝したカルパタリアというウクライナの西部地域に暮らすハンガリーにルーツのある民族のチームが、ウクライナ政府から分離主義者のテロリスト集団として訴えられるなど、世界情勢の縮図のような出来事がいっぱいあった大会でした。中の人として現場に立ち会えたことは大きかったかな。
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第1位  「CONIFA東アジア地域担当マネジャー」に就任。「きみはいったい誰なのか?」と言われ続けて4年。関わる以上は肩書きが必要だと痛感したのでCONIFAに申し入れたら快諾されました。今後は本格的に組織の「中の人」として活動していきます。アジアにもっとCONIFAの理念を広めること、これが来年の大きな課題になります。まずはCONIFAアジア・カップの開催ですね。来年1月にポーランドで開催されるCONIFA年次総会で内容を詰めてきます。

2008年、ガンバがACLで優勝してアジアの頂点に立ち、マンチェスター・ユナイテッドに3−5の試合をし、世界の注目を集めた年末、私は「このまま世界にはばたくガンバを応援するためにゲーフラ作らなくっちゃ。そうだ、書道をやろう」とカルチャースクールの書道クラスに入りました。その前に個人で教えておられる別の先生のところに行ったのですが、なんだかピンとこなくて、というか、その先生が「ゲーフラを書きたいために書道をする」ことをまったく理解してくれず(ま、ふつうは理解しがたいですよね)、やむなくカルチャースクールへと足を運んだのです。
今年の年末で、ちょうど10年経ったことになります。この10年、ガンバは山あり谷ありの激動でしたが、私の書道は飛躍はしないものの、山をフーフー言いながらではありますが着実に登っている感じです。
始めて間もなくから、先生たちから「書道は線だ!」と言われ続けてきました。今も言われます。「線を引くこと」がこれほどまでにたいへんなことだとは書道始める前には思ってもみませんでした。始めてから1年経ったころ、 先生に「どうやったら線が引けるようになるんですか?」と聞いたことがあります。「やり続けるしかないね」と即答した先生。「どれだけ頑張って、毎日書き続けたとしても、線が引けるようになるまで最低でも10年はかかる」
10年か〜そんなにかかるのか〜とそのときは思ったのですが、10年はあっという間に経ってしまい、私はいまだにいい線は引けていません。 
2009年3月から、毎月出される課題を出すようになり、9年9ヶ月、117回、一度もさぼることなく提出してきたことがちょっと自慢です。2010年1月からは、条幅(半切サイズ)の課題にも取り組むようになり、こちらもほぼ毎月提出して来ました。2009年の創玄展から公募展に作品を提出することも始め、創玄展、毎日展と年2回の応募を続けて、入選してきました。師範を取得することを目的にはしていないけれど、わりに順調に段級はあがり、今年は準師範まできました。線は引けずとも準師範にはなる、というわけです。
「どれくらいの頻度で書いているのか?」とよく聞かれるのですが、稽古には週2回通い、自宅で1回書くことを基本にしています。もちろん仕事や家のこともあるので、お稽古に行けないこともあるけれど、できるかぎり週3回は筆を持つようにしています。最近ではガンバの試合より、飲み会より、ときには孫預かりより書道を優先して、週3回を死守しているのです。
始めたときには、これほどまでに打ち込むようになるとは思ってもみませんでした。少しマシなゲーフラが書けるようになったらそれでいいや、と思っていたのです。それがなんということか、時間も労力もお金もつぎ込み、いい作品が書けないと落ち込み、少しほめられると有頂天になる、という打ち込みよう。
書道はものすごく体力を使います。からだの柔軟性とリズム感がないとできないのです。先生から「書道は身体芸術だよ」と言われたときには「え?」と思ったのですが、あれは本当でした。始めてから2年くらいはしょっちゅう筋肉痛と腰痛に悩まされ、「からだの動かし方がわかっていない」と言われ続けて、ついには太極拳を始めたくらいです。(その太極拳もすでに8年。ここ最近はほぼ毎日やるまでに)先生から「紙の上で走れ! 足が動いていない! リズムよく動けていない!」とかさんざん言われ続け、ああ、ほんと身体芸術だわ、と今も実感しますね。だからからだの手入れを怠らず、筋力を鍛えてできるだけ長く書き続けていたい、と願っています。まだまだ書道の山を登り続けていきたいから。
単なる趣味に過ぎないのだけれど、今では「書道にめぐりあって本当によかった」と思っています。この年齢になっても、まだ伸びしろがあると実感できて、高い目標が持てる趣味に出会えて本当に良かった、と幸せをかみしめながら筆を持つ、と(大げさ)。 
またあらたな気持ちで、つぎの10年を始めようと昨日は筆をゆっくりと洗いました。 
 
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と、私が自問してこのブログを書いているとのは新幹線車内です。今日もまた大阪の母のところに向かっています。先日新幹線の領収書を整理していたら、8月から今日まで12回の往復。まずは「2018年は移動の1年」だったということですね。
1月にCONIFA年次総会で北キプロス、その後にトルコの友人をたずねてアンタルヤに。
5月にはCONIFA ワールドフットボールカップでロンドンへ。
その後は関西を行ったり来たりの日々でした。
移動が多かったということは、「本がたくさん読めた1年」ということでもあります。
数えてはいないけれど、100冊はいったかな。書評の仕事がぐっと減ったにもかかわらず、やっぱり本を読む、それも仕事に関係のない本を読む、娯楽ではない本を読む、要するに純粋に読書が楽しめた1年でした。高校時代を思い出しましたよ。あのころは片っ端から、ジャンルを問わずに飢えたように本を読んでいましたが、ちょっとそれに似た読書体験の1年でした。
何回も書いているけれど、今年出会った作家で心に響いたのはナオミ・クラインとレベッカ・ソルニット、そして書道の詩文探しで出会ったいまさらながらの大岡信でした。漢詩も含めて、一番たくさん購入したのが詩集という読書の新境地開拓でした。
そしてなによりも最大のイベントだったのが、「断捨離」でした。
昨年は親の家を、そして今年は自分の家の自分の領域を片付けたのですが、断捨離とは単なる片付けや整理や捨てることではないことに気づきました。モノ、ヒト、仕事、趣味、それぞれに優先順位をつけること。これまでとこれからを考えて見直すこと。それが断捨離でした。

嬉しいこと、悲しいこと、興奮したこと、落胆したこと、辛いこと、励まされたこと、いろいろとあった1年でした。
 あらためて「今日と同じように明日がやってくると思ってはいけない」ことを噛み締めた1年でもありました。毎年毎年1年が過ぎていくのが速くなっていく感がありますが、だからこそ、1日をたいせつに過ごさなくてはいけない、と心しています。
つぎに今年の本のベスト10をあげてみたいと思います。 

2017年秋に「しばらくガンバのことはブログに書かない」と宣言し、シーズン始まりには「クルピ体制には心が踊らない」と書いてスタートした2018年でした。
 不安は的中。心が踊らないどころか、開幕から勝ちなしが続いて心は沈むばかり。DAZNを解約しようかとさえ思ったくらいです。今年は5月末からロンドンでCONIFAの大会があって、その準備に追われていたこともあったので、ガンバのことをあまり考えないですんだのが幸いでした。いや、ぜんぜん幸いじゃないよね。CONIFAから帰ってきたらW杯中断期間中で、その間はワールドカップもあったし、安心して楽しめる試合でサッカー欲を充すうちにJリーグ後半戦がスタート。中断期間にもたいして練習もしなかったし補強もなく、期待感はますます下がりました。この時期、はっきり言ってガンバと聞くと「恐怖」を覚えたくらいです。
 恐れていたとおり、中断明けからも惨めに負け続け、クルピ監督解任、そして宮本監督登場。
 こんな形でツネさんを監督に引っ張りだしたくなかった、というのが本音でしたが、それでも「これから何があっても、ツネさんが率いるガンバを応援しよう」と心しました。
 そして始まった連戦の8月。10日のFC東京戦@パナスタは「まずはツネ監督を見なくちゃ……でも、長谷川FC東京は上位にいるし、うーん、不安」と言いながら恐る恐る現地観戦。そして94分のアデミウソンゴールで2−1勝利! このシーンは何回見ても泣けます。宮本体制になってからボランチに起用された高宇洋と高江がゴール前まで運んだボールをアデミウソンが技ありシュート! 弾けましたね。スタジアムがあんなに湧いたのは1年ぶり?


 でもそこからも苦難の道は続きました。8月のその後の試合はDAZNでしか観戦できなかったのですが、それでも宮本体制になってから、はっきりとチームの、そしてクラブの、スタジアムの雰囲気が変わったことがiPad画面からも伝わってきました。
 一番に感じたのは「選手たちが走っている」ことです。迷いなく走っている。それは長谷川体制のころにも感じられなかったことです。守備しようか、いや、前に行こうか、というほんの1秒ほどの迷いで棒立ちになっていることがなくなった。相手がボールを持ったら迷いなく寄せる。ボールを奪ったら迷いなく前に走る。走ったところにボールが出てくるわけではないけれど、少なくとも前に走るようになったことで試合に躍動感が生まれてきました。FC東京戦の劇的勝利があったからこそ、自信を持って走れるようになったのかしれません。
 もちろん、走ったから、また躍動しているだけでどん底のチームが勝てるわけではなく、結果は出ずにずるずる降格圏で順位を右往左往していたし、8月26日の鳥栖戦ではその躍動感さえ失って、この時点で私はJ2スタジアムを調べたりしていましたよ。 
 そして迎えた2位川崎フロンターレとの試合。これもパナスタで現地観戦しました。まさかこのときから怒涛の9連勝が始まるとは思ってもみなかった。結果は2−0でも、試合自体はどちらに転んでもおかしくない、というかむしろ川崎に転ぶかも、と思えた内容だったのですが、とにかく勝った。そしてこのときから、スタジアムとピッチの一体感が高まっていくのが感じられました。
 コイントスに勝ってサイドを変える、何度も救ってくれたゴールポストに宮本監督自身がお礼を言いにいく(清水戦)など、験担ぎにも余念がありませんでした。私もスタジアムに着ていく服やアクセサリーで験担ぎをしたりして、それが楽しみになりました。担いだ験の効果がありましたからね。
 結果として、11月10日の湘南戦でJ1残留が確定したのですが、雰囲気としては9月29日の広島戦勝利あたりで「ああ、これで残留できる」感が漂っていました。安堵感というより、選手もサポも焦りが少し消えたような感じでしたね。もちろん「まだまだ気を緩めちゃだめ」と自省を促しておりましたが。
 
 さて、苛立ち、怒り、落胆、無関心、絶望から、かすかな希望、歓喜、感動、期待へと大きく変わった2018年のガンバ生活でしたが、今はとにかく「来季こそは希望が持てる補強を!」とクラブに電話攻勢をかけたくなる気持ちです。思えば今年の苦境の直接の原因は補強の失敗にありました。起用された若手もがんばってはいますが、経験もフィジカルも足りない若手だけではチーム力はアップしません。来年こそは、若手も活躍できるように補強をお願いしたいです。

 これから長いオフに入ります。すでにガンバロスですが、せめて3回くらいは補強ニュースで踊って来季に期待を膨らませたいです。
 来季もガンバで熱くなれますように!
  

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