くれなずむ美しいクラクフの旧市街
1月25日(金)
CONIFAの年次総会が開催されたホテルは、クラクフ郊外にあり、周囲には巨大なショッピングモールやら倉庫やら会議場などが点在している、まあ、なんというか、何もないところに大きな建物を建ててしまいました、という感じのところにありました。CONIFAのスタッフががんばって交渉してくれたおかげで、お得価格で全員が宿泊できたのはありがたいところ。でも、会議終了後に街に繰り出すとかはできない環境だったので、みんなぐだぐだホテル内で飲み食いしていました。
到着した日に、カジュアルディナーがあったのですが、私はなんと時差ボケで夕方から爆睡。起きたら翌日の午前3時で、それから眠れない。Kindleにダウンロードしてきた「カササギ殺人事件」なんか読んでいるうちに、夜が明けました。
1月26日(土)
朝から雪。それもふぶいています。ぼーっとしながら早朝にホテルの食堂で朝ごはんを食べていると、あらわれたCONIFAの人々が「きのうはどうしたんだ? 待ってたのに顔を出さないからどうしたのかと噂していたよ。Facebookに列車に乗れないかもしれない、とか書いていたから心配した」とか言われました。 ほとんどのメンバーは欧州内にいるので、せいぜい3時間くらいで来られるのだけれど、こっちは列車移動のいれて15、6時間かかっちゃうんだからね。
そうはいっても、一番の目的である年次総会の間は眠いとか疲れたとかは言っていられません。とくに今回はややこしい議題もあり、投票もしなくちゃいけないし、、、で、緊張のうちにその日の日程をなんとかこなしたのですが、夕飯を食べて部屋に帰ってきたら、シャワーを浴びるのがやっとでベッドにもぐりこみ、またもや爆睡。
ポーランドに到着して初めておがんだお日様でした
1月27日(日)
この日は初めてくらいにきらきら太陽を見ました。
午前中で全日程が終わるはずだったのが、いろいろと打ち合わせておかねばならないこともあって、結局終了したのが14時。みんなで遅ランチをして、またね、と挨拶をしてタクシーに乗り込み、旧市街にあるホテルに向かいました。
ポーランドの多くの都市は第二次世界大戦で、ドイツとソ連に完膚なきまでに破壊されたのですが、クラクフはナチスが司令本部を置いたことから、14、15世紀の建造物が残っています。とくに街の象徴ともいえるヴァヴェル城は、ナチスがまさに指令本部を構えたこともあって、ヴィスワ川のほとりに優美な姿を残しています。ホテルはそのすぐ近くにあり、また中央広場まで徒歩15分という好立地でした。
到着後に一休みする間もおかずに、中央広場まで観光に出かけました。今ではほとんど残っていない城壁に囲まれた中央広場周辺は、クラクフの経済の中心だったことがしのばれる場所です。広場には織物取引所、聖マリア教会、旧市庁舎の塔などが立っていて、真冬にもかかわらず大勢の観光客でたいへんにぎわっていました。ホテルのレセプションのお兄さんが「何千人も歩いている」と言ったときには、なんておおげさなと思ったけれど、いや、ほんとそれくらいの人がそぞろ歩いていましたね。
でも一本路地を入ると曲がりくねった道のところどころにバーやライブハウスなどがあり、カフェではロウソクの光に照らされたテーブルでカップルが一杯やっている姿が古めかしい窓から見えたりして、もうまさに私好みの光景です。そんななかをなぜか私と同行者が入ったのは、スポーツバー。ビールを飲みながらFAカップ、クリスタルパレスvsダメダメトッテナムホットスパーズを観戦。となりのテーブルの酔っ払った英国人サポがうるさかった。
ポーランドはミルクバーという、日本でいう居酒屋みたいなところでいわゆる家庭料理が安くおいしく食べられると聞いていたので、ホテルに帰る道の途中にあった「MILK」と看板にある店に入ったら、おっしゃれーなレストランでした。おいしかったし、思ったよりずっと安かったのでまあいいけれど、今にいたるまでミルクバー体験できていません。なんとか帰るまでには一度は入りたいミルクバーです。
この翌日はみぞれまじりの雨が降る中を、アウシュヴィッツに出かけたのですが、それについては明日書きます。
観光客でにぎわう中央広場
1月25日(金)
CONIFAの年次総会が開催されたホテルは、クラクフ郊外にあり、周囲には巨大なショッピングモールやら倉庫やら会議場などが点在している、まあ、なんというか、何もないところに大きな建物を建ててしまいました、という感じのところにありました。CONIFAのスタッフががんばって交渉してくれたおかげで、お得価格で全員が宿泊できたのはありがたいところ。でも、会議終了後に街に繰り出すとかはできない環境だったので、みんなぐだぐだホテル内で飲み食いしていました。
到着した日に、カジュアルディナーがあったのですが、私はなんと時差ボケで夕方から爆睡。起きたら翌日の午前3時で、それから眠れない。Kindleにダウンロードしてきた「カササギ殺人事件」なんか読んでいるうちに、夜が明けました。
1月26日(土)
朝から雪。それもふぶいています。ぼーっとしながら早朝にホテルの食堂で朝ごはんを食べていると、あらわれたCONIFAの人々が「きのうはどうしたんだ? 待ってたのに顔を出さないからどうしたのかと噂していたよ。Facebookに列車に乗れないかもしれない、とか書いていたから心配した」とか言われました。 ほとんどのメンバーは欧州内にいるので、せいぜい3時間くらいで来られるのだけれど、こっちは列車移動のいれて15、6時間かかっちゃうんだからね。
そうはいっても、一番の目的である年次総会の間は眠いとか疲れたとかは言っていられません。とくに今回はややこしい議題もあり、投票もしなくちゃいけないし、、、で、緊張のうちにその日の日程をなんとかこなしたのですが、夕飯を食べて部屋に帰ってきたら、シャワーを浴びるのがやっとでベッドにもぐりこみ、またもや爆睡。
ポーランドに到着して初めておがんだお日様でした
1月27日(日)
この日は初めてくらいにきらきら太陽を見ました。
午前中で全日程が終わるはずだったのが、いろいろと打ち合わせておかねばならないこともあって、結局終了したのが14時。みんなで遅ランチをして、またね、と挨拶をしてタクシーに乗り込み、旧市街にあるホテルに向かいました。
ポーランドの多くの都市は第二次世界大戦で、ドイツとソ連に完膚なきまでに破壊されたのですが、クラクフはナチスが司令本部を置いたことから、14、15世紀の建造物が残っています。とくに街の象徴ともいえるヴァヴェル城は、ナチスがまさに指令本部を構えたこともあって、ヴィスワ川のほとりに優美な姿を残しています。ホテルはそのすぐ近くにあり、また中央広場まで徒歩15分という好立地でした。
到着後に一休みする間もおかずに、中央広場まで観光に出かけました。今ではほとんど残っていない城壁に囲まれた中央広場周辺は、クラクフの経済の中心だったことがしのばれる場所です。広場には織物取引所、聖マリア教会、旧市庁舎の塔などが立っていて、真冬にもかかわらず大勢の観光客でたいへんにぎわっていました。ホテルのレセプションのお兄さんが「何千人も歩いている」と言ったときには、なんておおげさなと思ったけれど、いや、ほんとそれくらいの人がそぞろ歩いていましたね。
でも一本路地を入ると曲がりくねった道のところどころにバーやライブハウスなどがあり、カフェではロウソクの光に照らされたテーブルでカップルが一杯やっている姿が古めかしい窓から見えたりして、もうまさに私好みの光景です。そんななかをなぜか私と同行者が入ったのは、スポーツバー。ビールを飲みながらFAカップ、クリスタルパレスvsダメダメトッテナムホットスパーズを観戦。となりのテーブルの酔っ払った英国人サポがうるさかった。
ポーランドはミルクバーという、日本でいう居酒屋みたいなところでいわゆる家庭料理が安くおいしく食べられると聞いていたので、ホテルに帰る道の途中にあった「MILK」と看板にある店に入ったら、おっしゃれーなレストランでした。おいしかったし、思ったよりずっと安かったのでまあいいけれど、今にいたるまでミルクバー体験できていません。なんとか帰るまでには一度は入りたいミルクバーです。
この翌日はみぞれまじりの雨が降る中を、アウシュヴィッツに出かけたのですが、それについては明日書きます。
観光客でにぎわう中央広場