あの時代、いま振り返ってみたら本当はどんなことがあったかを自分の体験から検証する「あのとき何があった?」シリーズ第三弾。今回は1970年から現在まで通して、私の心にずっと残っていて、折りあれば見直してみたい青春映画を時代順に並べてみたいと思います。並べてみて気がついたのですが、私が強く感銘を受けたのはどれも女性が主人公、もしくは女性が活動する側に立っている映画です。
1)「いちご白書」1970
1970年公開の映画でしたが、私が初めて観たのは1972年、大学1年のときでした。大学の大講堂で無料で上映されるというので、友人たちと連れ立って観に行き、終了後しばらく椅子から立ち上がれないほど衝撃を受けました。当時はまだキャンパスに立て看板が立ち並び、授業前に学生運動の闘士たちが「きみたちはそれでいいのか!」とアジるという時代。ロックアウトこそなくなったものの、学生運動はまだ熱い時代でした。この映画がまだ10代の私にぐさっと刺さったのは、男性がノンポリで、女性が活動家だったこと。東大安田講堂事件(私は高校生)で、立てこもる全共闘の学生たちは男性ばかりで、女性がおにぎりを差し入れていたことが話題になっていました。movementをになうのは男性、女性はそれをsupportする、という構図なのだと思っていた私が、この映画で「そうか、女性が社会のmovementを起こすのも許されるし、そういう女性を魅力に思う男性が現れるのだ」と初めて気づいたのです。いや〜晩稲だったね、私。
2)「ローズ」 1979
ジャニス・ジョプリンがモデルとなったこの映画は、1980年に日本公開され、観にいった会社の同僚が大興奮で「絶対に観るべき!」と息巻いて1週間くらい語り続けていました。そんなにすごい映画なら、とまだ赤ん坊だった子どもをベビーシッターに預けてこっそり観にいったという記憶があります。そしてそれだけの価値がある映画でした。ベット・ミドラーが演じるジョプリンが、ヤク漬けになったり、男にいいように使われたりしながらも、ステージに立つとものすごく強くて存在感があって、輝いていました。ジョプリンのまわりにいる人たちは、親、恋人、プロモーター、どれもこう言っちゃなんだがくずみたいな人間ばかりで、救ってやるみたいなことを言って近づいてくるけれど、結局は食い物にするばかり。それじゃ女の弱さを描いているのかというと、全然そうじゃない。ジョプリンは結局精神も肉体も破綻してしまうのですが、それでも輝きは残るのです。
ベット・ミドラーが今年のアカデミー賞授賞式で映画の主題歌「ローズ」を歌ったのですが、「Some say love, it is a river that drowns the tender reed, Some say love, it is a razor that leaves your soul to bleed……」と彼女が歌い出したとたん、新宿の映画館に座って涙を流しながら聴いたことが思い出されました。
3)「セント・エルモス・ファイアー」1985
私は30代、働くお母さんやってました。ビデオが出回りだしたころで、ビデオデッキを購入して、近所のレンタル・ビデオ屋で借りてきたビデオを子どもと夫が眠った深夜に見るのが最大の楽しみでした。ジョージタウン大学を卒業した仲間たちが、キャリア形成や恋愛に悩みながら大人になっていく過程を群像劇で描いたこれぞザ・青春映画「セント・エルモス・ファイアー」は、1回観終わって興奮が冷めやらず、3回くらい観て夜が明けた、という記憶があります。当時のレンタルビデオは1泊2日で料金取られていましたからね。
30代の私は流行りの「キャリアウーマン」というのに憧れていたのだけれど、実態はほど遠く、お茶汲みと雑務仕事しか与えられず悶々としていました。実際、自分の実力からしてそれくらいしかできなかったと今はわかるんだけれど、でも当時は焦燥に駆られていました。アメリカのキャリアウーマンはもっと輝いているんだろうなあ、と思って観たこの映画で、デミ・ムーアが演じる大手企業に就職した「キャリアウーマン」が、仲間の手前見栄張っちゃって無理を重ねるうち、経済的にもキャリア的にも破綻して自殺未遂をしてしまう、というところに痛いほど共感しました。いま見直したらチープさに辟易するかもしれないけれど、あのころの私には刺さったなあ。
4)「テルマ&ルイーズ」1991
あの結末はどうなんだ、とか、やっていることは犯罪じゃないか、とかいろいろと批判はあるでしょうが、主人公2人の決死の逃避行が痛快で、これまた私は3回くらい観ています。ジーナ・デイヴィスとスーザン・サランドンが大好きになって、しばらく2人の出演作を私は追っかけ続けていました。
2人は男から、警察から、追われて逃げるはめに陥るんだけれど、決して屈しない。それがいいことかどうかはともかく、暴力を振るわれたらふるい返し、女と思ってなめらればかにされることを逆手にとって、立ち向かって相手をひるませる。これまで腐るほど描かれてきた男の友情とか絆とか、そういうものが薄っぺらく見える女の友情物語、でした。いざというときに頼りになるのは、やっぱり女友だちだよね、ということをこの映画で認識し、それは年をとった今は確信になっています。
5)「下妻物語」 2004
この映画、大好き! 巌本野ばらさんの小説「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」もすごく良かったけれど、映画になってますます巌本ワールドにのめりこみました(事件で残念な思いをしたけれど)。ロリータ・ファッションを愛する竜ヶ崎桃子を演じた深田恭子と、ヤンキーの白百合イチゴを演じた土屋アンナは、もうこの映画だけで映画史に残る大女優になった、とまで私は思っています。女の友情といっても、この映画では悲壮感は皆無で、爽快痛快! 茨城県下妻という微妙な田舎vs東京、ロリータ・ファッションvsヤンキー・ファッション、令嬢vs下町のビンボー娘、という両極端にあるような要素が、裏返り、溶け合い、共闘を組むってところがこの映画の面白いところ。女子高校生ブーム、お嬢様ルック、ワンランク上のライフスタイル、とかいうマーケティングの流行語が、いかに薄っぺらいかを教えてくれました。
と、ここで時間切れ。明日続きを書きます。
6)「ゴースト・ワールド」
7)「フラガール」
8)「オフサイド・ガールズ」
9)「リトル・マイ・サンシャイン」
10)「少女は自転車に乗って」
を取り上げるつもりです。
1)「いちご白書」1970
1970年公開の映画でしたが、私が初めて観たのは1972年、大学1年のときでした。大学の大講堂で無料で上映されるというので、友人たちと連れ立って観に行き、終了後しばらく椅子から立ち上がれないほど衝撃を受けました。当時はまだキャンパスに立て看板が立ち並び、授業前に学生運動の闘士たちが「きみたちはそれでいいのか!」とアジるという時代。ロックアウトこそなくなったものの、学生運動はまだ熱い時代でした。この映画がまだ10代の私にぐさっと刺さったのは、男性がノンポリで、女性が活動家だったこと。東大安田講堂事件(私は高校生)で、立てこもる全共闘の学生たちは男性ばかりで、女性がおにぎりを差し入れていたことが話題になっていました。movementをになうのは男性、女性はそれをsupportする、という構図なのだと思っていた私が、この映画で「そうか、女性が社会のmovementを起こすのも許されるし、そういう女性を魅力に思う男性が現れるのだ」と初めて気づいたのです。いや〜晩稲だったね、私。
2)「ローズ」 1979
ジャニス・ジョプリンがモデルとなったこの映画は、1980年に日本公開され、観にいった会社の同僚が大興奮で「絶対に観るべき!」と息巻いて1週間くらい語り続けていました。そんなにすごい映画なら、とまだ赤ん坊だった子どもをベビーシッターに預けてこっそり観にいったという記憶があります。そしてそれだけの価値がある映画でした。ベット・ミドラーが演じるジョプリンが、ヤク漬けになったり、男にいいように使われたりしながらも、ステージに立つとものすごく強くて存在感があって、輝いていました。ジョプリンのまわりにいる人たちは、親、恋人、プロモーター、どれもこう言っちゃなんだがくずみたいな人間ばかりで、救ってやるみたいなことを言って近づいてくるけれど、結局は食い物にするばかり。それじゃ女の弱さを描いているのかというと、全然そうじゃない。ジョプリンは結局精神も肉体も破綻してしまうのですが、それでも輝きは残るのです。
ベット・ミドラーが今年のアカデミー賞授賞式で映画の主題歌「ローズ」を歌ったのですが、「Some say love, it is a river that drowns the tender reed, Some say love, it is a razor that leaves your soul to bleed……」と彼女が歌い出したとたん、新宿の映画館に座って涙を流しながら聴いたことが思い出されました。
3)「セント・エルモス・ファイアー」1985
私は30代、働くお母さんやってました。ビデオが出回りだしたころで、ビデオデッキを購入して、近所のレンタル・ビデオ屋で借りてきたビデオを子どもと夫が眠った深夜に見るのが最大の楽しみでした。ジョージタウン大学を卒業した仲間たちが、キャリア形成や恋愛に悩みながら大人になっていく過程を群像劇で描いたこれぞザ・青春映画「セント・エルモス・ファイアー」は、1回観終わって興奮が冷めやらず、3回くらい観て夜が明けた、という記憶があります。当時のレンタルビデオは1泊2日で料金取られていましたからね。
30代の私は流行りの「キャリアウーマン」というのに憧れていたのだけれど、実態はほど遠く、お茶汲みと雑務仕事しか与えられず悶々としていました。実際、自分の実力からしてそれくらいしかできなかったと今はわかるんだけれど、でも当時は焦燥に駆られていました。アメリカのキャリアウーマンはもっと輝いているんだろうなあ、と思って観たこの映画で、デミ・ムーアが演じる大手企業に就職した「キャリアウーマン」が、仲間の手前見栄張っちゃって無理を重ねるうち、経済的にもキャリア的にも破綻して自殺未遂をしてしまう、というところに痛いほど共感しました。いま見直したらチープさに辟易するかもしれないけれど、あのころの私には刺さったなあ。
4)「テルマ&ルイーズ」1991
あの結末はどうなんだ、とか、やっていることは犯罪じゃないか、とかいろいろと批判はあるでしょうが、主人公2人の決死の逃避行が痛快で、これまた私は3回くらい観ています。ジーナ・デイヴィスとスーザン・サランドンが大好きになって、しばらく2人の出演作を私は追っかけ続けていました。
2人は男から、警察から、追われて逃げるはめに陥るんだけれど、決して屈しない。それがいいことかどうかはともかく、暴力を振るわれたらふるい返し、女と思ってなめらればかにされることを逆手にとって、立ち向かって相手をひるませる。これまで腐るほど描かれてきた男の友情とか絆とか、そういうものが薄っぺらく見える女の友情物語、でした。いざというときに頼りになるのは、やっぱり女友だちだよね、ということをこの映画で認識し、それは年をとった今は確信になっています。
5)「下妻物語」 2004
この映画、大好き! 巌本野ばらさんの小説「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」もすごく良かったけれど、映画になってますます巌本ワールドにのめりこみました(事件で残念な思いをしたけれど)。ロリータ・ファッションを愛する竜ヶ崎桃子を演じた深田恭子と、ヤンキーの白百合イチゴを演じた土屋アンナは、もうこの映画だけで映画史に残る大女優になった、とまで私は思っています。女の友情といっても、この映画では悲壮感は皆無で、爽快痛快! 茨城県下妻という微妙な田舎vs東京、ロリータ・ファッションvsヤンキー・ファッション、令嬢vs下町のビンボー娘、という両極端にあるような要素が、裏返り、溶け合い、共闘を組むってところがこの映画の面白いところ。女子高校生ブーム、お嬢様ルック、ワンランク上のライフスタイル、とかいうマーケティングの流行語が、いかに薄っぺらいかを教えてくれました。
と、ここで時間切れ。明日続きを書きます。
6)「ゴースト・ワールド」
7)「フラガール」
8)「オフサイド・ガールズ」
9)「リトル・マイ・サンシャイン」
10)「少女は自転車に乗って」
を取り上げるつもりです。