Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2019年05月

あの時代、いま振り返ってみたら本当はどんなことがあったかを自分の体験から検証する「あのとき何があった?」シリーズ第三弾。今回は1970年から現在まで通して、私の心にずっと残っていて、折りあれば見直してみたい青春映画を時代順に並べてみたいと思います。並べてみて気がついたのですが、私が強く感銘を受けたのはどれも女性が主人公、もしくは女性が活動する側に立っている映画です。

1)「いちご白書」1970
1970年公開の映画でしたが、私が初めて観たのは1972年、大学1年のときでした。大学の大講堂で無料で上映されるというので、友人たちと連れ立って観に行き、終了後しばらく椅子から立ち上がれないほど衝撃を受けました。当時はまだキャンパスに立て看板が立ち並び、授業前に学生運動の闘士たちが「きみたちはそれでいいのか!」とアジるという時代。ロックアウトこそなくなったものの、学生運動はまだ熱い時代でした。この映画がまだ10代の私にぐさっと刺さったのは、男性がノンポリで、女性が活動家だったこと。東大安田講堂事件(私は高校生)で、立てこもる全共闘の学生たちは男性ばかりで、女性がおにぎりを差し入れていたことが話題になっていました。movementをになうのは男性、女性はそれをsupportする、という構図なのだと思っていた私が、この映画で「そうか、女性が社会のmovementを起こすのも許されるし、そういう女性を魅力に思う男性が現れるのだ」と初めて気づいたのです。いや〜晩稲だったね、私。

2)「ローズ」 1979
ジャニス・ジョプリンがモデルとなったこの映画は、1980年に日本公開され、観にいった会社の同僚が大興奮で「絶対に観るべき!」と息巻いて1週間くらい語り続けていました。そんなにすごい映画なら、とまだ赤ん坊だった子どもをベビーシッターに預けてこっそり観にいったという記憶があります。そしてそれだけの価値がある映画でした。ベット・ミドラーが演じるジョプリンが、ヤク漬けになったり、男にいいように使われたりしながらも、ステージに立つとものすごく強くて存在感があって、輝いていました。ジョプリンのまわりにいる人たちは、親、恋人、プロモーター、どれもこう言っちゃなんだがくずみたいな人間ばかりで、救ってやるみたいなことを言って近づいてくるけれど、結局は食い物にするばかり。それじゃ女の弱さを描いているのかというと、全然そうじゃない。ジョプリンは結局精神も肉体も破綻してしまうのですが、それでも輝きは残るのです。
ベット・ミドラーが今年のアカデミー賞授賞式で映画の主題歌「ローズ」を歌ったのですが、「Some say love, it is a river that drowns the tender reed, Some say love, it is a razor that leaves your soul to bleed……」と彼女が歌い出したとたん、新宿の映画館に座って涙を流しながら聴いたことが思い出されました。

3)「セント・エルモス・ファイアー」1985
私は30代、働くお母さんやってました。ビデオが出回りだしたころで、ビデオデッキを購入して、近所のレンタル・ビデオ屋で借りてきたビデオを子どもと夫が眠った深夜に見るのが最大の楽しみでした。ジョージタウン大学を卒業した仲間たちが、キャリア形成や恋愛に悩みながら大人になっていく過程を群像劇で描いたこれぞザ・青春映画「セント・エルモス・ファイアー」は、1回観終わって興奮が冷めやらず、3回くらい観て夜が明けた、という記憶があります。当時のレンタルビデオは1泊2日で料金取られていましたからね。
30代の私は流行りの「キャリアウーマン」というのに憧れていたのだけれど、実態はほど遠く、お茶汲みと雑務仕事しか与えられず悶々としていました。実際、自分の実力からしてそれくらいしかできなかったと今はわかるんだけれど、でも当時は焦燥に駆られていました。アメリカのキャリアウーマンはもっと輝いているんだろうなあ、と思って観たこの映画で、デミ・ムーアが演じる大手企業に就職した「キャリアウーマン」が、仲間の手前見栄張っちゃって無理を重ねるうち、経済的にもキャリア的にも破綻して自殺未遂をしてしまう、というところに痛いほど共感しました。いま見直したらチープさに辟易するかもしれないけれど、あのころの私には刺さったなあ。

4)「テルマ&ルイーズ」1991
あの結末はどうなんだ、とか、やっていることは犯罪じゃないか、とかいろいろと批判はあるでしょうが、主人公2人の決死の逃避行が痛快で、これまた私は3回くらい観ています。ジーナ・デイヴィスとスーザン・サランドンが大好きになって、しばらく2人の出演作を私は追っかけ続けていました。
2人は男から、警察から、追われて逃げるはめに陥るんだけれど、決して屈しない。それがいいことかどうかはともかく、暴力を振るわれたらふるい返し、女と思ってなめらればかにされることを逆手にとって、立ち向かって相手をひるませる。これまで腐るほど描かれてきた男の友情とか絆とか、そういうものが薄っぺらく見える女の友情物語、でした。いざというときに頼りになるのは、やっぱり女友だちだよね、ということをこの映画で認識し、それは年をとった今は確信になっています。

5)「下妻物語」 2004
この映画、大好き! 巌本野ばらさんの小説「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」もすごく良かったけれど、映画になってますます巌本ワールドにのめりこみました(事件で残念な思いをしたけれど)。ロリータ・ファッションを愛する竜ヶ崎桃子を演じた深田恭子と、ヤンキーの白百合イチゴを演じた土屋アンナは、もうこの映画だけで映画史に残る大女優になった、とまで私は思っています。女の友情といっても、この映画では悲壮感は皆無で、爽快痛快! 茨城県下妻という微妙な田舎vs東京、ロリータ・ファッションvsヤンキー・ファッション、令嬢vs下町のビンボー娘、という両極端にあるような要素が、裏返り、溶け合い、共闘を組むってところがこの映画の面白いところ。女子高校生ブーム、お嬢様ルック、ワンランク上のライフスタイル、とかいうマーケティングの流行語が、いかに薄っぺらいかを教えてくれました。

と、ここで時間切れ。明日続きを書きます。
6)「ゴースト・ワールド」
7)「フラガール」
8)「オフサイド・ガールズ」
9)「リトル・マイ・サンシャイン」
10)「少女は自転車に乗って」
を取り上げるつもりです。


 

我が家にホームステイしている18歳男子が毎日挨拶のように私に「何か手伝うことある?」と聞いてくれます。とてもありがたいのだけれど、そのたびに笑顔で「ないよ! 大丈夫」と答えてすでに2ヶ月。1回だけ「それじゃ自分の部屋の掃除をしてくれるかな?」と言ったら、「いやいや、そういうことじゃなく、お手伝いです」という(あ、日本語で言ったので、もしかしたら伝えたい意図は本人が思ったものとちがったかもしれない)。そのとき、大人気なくイラっとしたのだけれど、なんでいらついたのかとあとで振り返ってはっと気づきました。
夫と同じことを言ったからだわ。
夫は私がキッチンで料理したり片付けたりしていると、必ず顔をのぞかせて「何か手伝おうか?」と聞いてきます。精神的に余裕があるときには「そうだねーーー(夫ができそうなことを必死に考えている間がある)、それじゃいんげんの筋をとってもらおうかな」とか言えるのだけれど、余裕がないときには「ないっ!」と怒鳴るように答えて、夫はすごすごとスマホ凝視に戻る、と。それが40年以上我が家で繰り返されてきた「会話」です。(スマホの前はパソコンでした)
年末に私が忙しくおせちを作っているときに、夫はずーっとスマホを見て3時間くらい居間に座りこんでいて、私が居間をのぞくとあわてたように飛び上がって、「何か手伝おうか?」と言うので「それじゃ自分の部屋の掃除をして!」と返すと、「いや、そういうことじゃなく、手伝いがしたいんだよ」と言うのです。それが毎年年末に繰り返される。
自分の部屋の掃除をすることが、なんでそんなにいやなんだ? でもって、あなたの考える「お手伝い」ってなんだ?
いやね、彼らの考えていることは透けて見えているんです。自分の部屋の掃除はやっても誰も褒めてくれないけれど、いんげんの筋をとるとか買い物に行くと「ありがとう」と言ってもらえる、だから「お手伝い」がしたい。気持ちに余裕があるときはそれも鷹揚に受け流せるのだけれど、余裕がないときには「お手伝い」の言葉を聞いた瞬間に腹立ちスイッチがオン!
あのね、私はね、15歳以上の家族に「お手伝い」はしてほしくないの。
お手伝いは15歳までに終わらせてほしいの。
そもそも「お手伝い」っていい方が、家事は自分には関係ないこと、自分は家事なんかよりもっとたいせつなことをやる人間なんだ、という意識が透けて見えて気分悪い。「考えすぎだ、ひがんでる」といわれるでしょう。でもね、ひたすら家事をやっている人間からすると、「家事を手伝う」という言葉を聞いたとたんに苛立つんですよ。そこに家事蔑視を感じて。
15歳以上の人は、家事従事者の指示通りに動いて「よくできたね〜助かったわ〜」というご褒美がもらえる「お手伝い」は卒業してほしい。家事も自分のやるべきことと肝に銘じて、責任をもって家事をになってほしい。まずは自分の部屋の掃除と自分の衣類の洗濯から収納までだ。
自分のことを自分でやったあとに、いま必要とされている家事を自分で見つけて動いてほしい。たとえば夕方になったら「洗濯物取り込んでおくね」と洗濯カゴを持って物干しに行く。自分の部屋の掃除が終わったら「階段もついでに掃除機かけておくね」とかやってほしい。キッチンをのぞいてたまねぎがごろんと調理台に転がっていれば、「ハンバーグ作るのかな? それじゃたまねぎ、みじん切りにしようか?」とか言ってほしい。これは相当に高度な要望だと言われるでしょうが、たまねぎのみじん切り以外は15歳以下でもできることだと私は思います。
前にも書いたように、我が家にホームステイしていた人たちで、家事経験がある人たち(たいていは女性)は滞在のしょっぱなから、食事が終わったら食器をシンクまで運んで「お母さん(と呼ばれている私)、この食器は食器洗い機に入れられますか?」とか「洗濯物は自分で洗いたいので洗濯機の使い方を教えてください」とか「朝ごはんはトーストと紅茶だけと決めていて自分で用意するので心配しないでください」と言って、ちゃっちゃかやってくれるのでほんと楽でした。そういう人たちの口から「お手伝いをしましょうか?」という言葉を聞いたことがなかったけれど、いや、聞いたことがなかったからか、こと家事に関してはストレスはありませんでした。
15歳で「お手伝い」を卒業するためには、それまでに家事経験をある程度積んでおかねばならないし、もう一つ、家庭で家事をする大人のやることをよく観察する必要がある、というのが、これまでの経験からえた私の結論です。
「お手伝い」で終わっていては家事は永遠に身につきません。家事従事者にとっては「お手伝い」しかできない人に、何かしらできそうな「お手伝い」を頼むこと自体がストレスになるんです。お手伝いが自慢になるのは15歳まで。それ以上の年齢で「家事を手伝っている」という人は、それがまったく自慢にはなってなくて、すごく恥ずかしいことだということに早く気づいてほしいです。

同じ0−0でもFC東京戦よりも内容がちょっとだけましだったような気がします。たぶんシロート目線だから、気のせいなのでしょうが。
DAZN観戦終了後に「勝てたかもしれないね」とFC東京戦のときにはなかった悔しさがこみあげたので、おそらく内容はよくなっているのだと思います。「思います」としか言いようがないけれど。
でも、前半はウィジョのシュート以外チャンスらしいチャンスはなく、後半も結構攻められていたので、引き分けは妥当なのかな? ただペナルティエリアど真ん中で倉田を後ろから引き倒したあのプレー、あれでPKとらなかったらいつPKとるんですか? 浦和vs湘南戦であきらかな得点を得点と認めないような審判レベルなのだから、しかたないのか? あれがPKで決めていれば、後半の流れはもっとガンバに来たんじゃないなあ。
試合が引き締まったいい内容だという印象を持ったのは、東口選手のおかげです。GKが活躍すると、たとえスコアレスドローでも試合が引き締まりますね。この試合のヒガシは、守護「神」というよりかは、悟りの境地を開いた仏様みたいでした。どっしりと構えているのに、ひらりひらりと飛んでくるボールを枠に入れない。GKのファインセーブって、超人的なセーブとかじゃなくって、止めるべきところをふつうに止めることにつきるんじゃないでしょうか。そのためにはポジショニングだったり、流れを読むことだったり、DFとの連携だったりがものをいうわけで、この試合ではヒガシのポジショニング、読み、統率力のすべてに感嘆しました。
ヒガシもですが、この試合ではからだを張る(張れる)選手のありがたみがよくわかりました。
 菅沼選手と矢島選手です。
地味で泥臭くていいんです。大事な場面でからだを張ってくれるディフェンス(中盤も、そしてフォワードもですが)がいるのといないのとでは大違い。 どうもガンバはきれいなかっこいいプレーを求める選手が多い傾向があるんですが、いまのチーム状態にあって本当に必要なのは、試合を通して骨惜しみなくからだを張るプレーじゃないかって思います。若手選手ももちろん得点は狙って欲しいけれど、この試合の菅沼や矢島、攻撃陣では倉田のような地道に相手攻撃の芽をつみ、ボールを前に、ゴールに向かって運んでいくプレーを見習って欲しいなあ。
しんどいでしょうが、そうやってからだを張るプレーをみんなで続けていけば、きっとチームは上昇気流に乗れるはず、と信じています。
昨日の引き分けでまた降格圏に落ちてしまいましたが、私は諦めていませんよ。
毎回言ってしまうと神力が薄れてしまうけれど、つぎの試合こそ正念場で試金石。
鹿島は手強いですからね。
サポも一緒にからだを張って、降格圏脱出を計りましょう! 

4月から我が家に海外からやってきた留学生がホームステイしています。留学生、だけでなく、旅行や研修でやってきた人たちが我が家にしばらく滞在する、ということを始めてからすでに20年以上が過ぎました。先日、「いったい何人がホームステイしたのかな?」と数えようとしましたが、30人まで数えたところで挫折。たぶん40人は超えています。国籍も数えたんだけれど、こちらも18カ国まではすぐに思い出せたけれど、それ以上数えるのが面倒になったのでやめました。
きっかけはなんだったのか、と記憶をたどっていて、思い出しました。下の娘は小学3年生から6年生まで、青山にあった「こどもの城」で開催されていたサンバ教室に通っていました。あるとき「カナダからやってくる子どものホームステイ先を探しています」というチラシをこどもの城から持って帰ってきて、「ねえねえ、泊めてあげて!!!」と熱心にせがむので、2人の娘さんを預かったのが最初でした。娘はもう大興奮で、一緒におりがみを折ったり、お互いに好きな歌を教えあったり、夜は畳の上で枕を並べて眠って、この上もなく楽しかったらしい。
その後、長女がAFSという高校生の交換留学機関でチリに留学し、そこでのホストファミリーの息子さんが日本に留学していたので学校が休みの間うちに泊まってもらったりしているうちに、「ホストファミリーをお願いできませんか?」と頼まれるようになり、今にいたっています。AFSだけでなく、娘の学校が提携している海外の学校の先生が研修で日本にやってきたときに宿を提供したり、私の仕事の関係者が「しばらく日本の大学に通うので泊めてほしい」と転がりこんできたり、と若者ばかりでなく社会人にも宿を提供してきました。
でも、こういうことをまったくの無償奉仕でやっているというと、なにかと言われます。「他人を家にいれるなんて、危なくないのか?」「食費くらいはもらっているんでしょ?」「人が泊まれるくらい広い家に住んでいるんだね」「よくご主人ががまんしているね」「英語がしゃべれるからできること。うちは無理だ」「ほんとに好きだよね〜〜」「えらいね〜〜(あきれている口調)」、そしてとどめが「なんのためにそんなことやってるんだ?」
一応言っておくと、たしかに海外からやってきた他人を泊めていますが、誰でもっていうわけではなく、よく知っている人から頼まれて素性がはっきりわかっている人にしています。履歴書をもらい、事前に本人とメールでやりとりをして「この人ならまあ大丈夫かな」という人を選ぶこともしています。ついでにいうと、子どもたちはもちろん、夫も海外の人たちと交流するのが好きで、私が食事や洗濯など日常生活の面倒をみる担当とすると、夫は張り切ってエンターテインメント(観光、外食など)を担当しています。
先週末、関西の母のところに行ったとき、「いまうちにまた留学生がホームステイしている」というと、母が「あんた、その歳でまだそんなことやっているの! 子どもも独立して、いまさら海外の人を泊めたって意味ないやろ。お金ももらわんで、他人に無償奉仕っていい加減にしなさいよ」とほぼ叱られる口調で言われました。
まさか自分の母親からそんな非難を受けるとは思っていなかったのでしばらく絶句し、帰り道で「いったいなんのために? どんな意味が?」といまさらながら考えてしまいました。
そして2日考えての結論。
20年もやってきたことについて、なんのために? とか、どんな意味が? なんていまさら考えることに意味はない。
人助けをしたいから、とか、海外の人との交流が好きだから、とか、頼まれるといやと言えない性格だから、とかいろいろと引き受ける理由を探しましたが、どれもあたっていない気がします。
強いて言えば、ただ「おもしろいから」なんですね。他人と暮らすと面倒なことがいっぱいあるし、疲れるし、むかっとして喧嘩することもある。人によってはありがとうという言葉もあまり期待できないことさえある。帰国したあと、掃除をしながら「やれやれ、せいせいした」とほっとすることも多い。
それでもおもしろいんですよ。異なる文化で育つとこんな考え方になるんだ、ということを身をもって知るのがおもしろい。反対に、異なる文化で育っても、人間ってつきつめていっくとみんな同じだな、と思うことも多い。それは寝食をともにして、かなりつっこんだ話をしないとなかなか肌身で感じられないことだとこのごろ思います。あ、意味づけをしちゃいましたね。
単におもしろいだけではやっていけない、という人もいるでしょう。余裕があるからできることだ、と言われるのももっともです。そして、我が母を含め「目に見える価値がないことにお金と労力と時間を費やすことはばかである」と考える人が多いことも認めます。
でもね、短い人生。おもしろいことをやって生きていけたら最高じゃないですか? でもって、私にとっては、異文化で生きている人たちと寝食をともにすることがすごくおもしろい! 
あとどれくらいこんなことができるかわからないけれど、体力と気力が続くかぎりは「うちにおいでよ! いいよ、しばらく泊まっていっても」と言う人たち(夫を含む)でいたいです。 

1974年フランスに留学していたとき、私も学校が休暇になるとあちこちの家にホームステイしていました。同級生で親友だったドイツ人の家には、のべ1ヶ月近くいたこともあります。
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大阪ダービー、勝利しました!
今シーズン、リーグ戦ホーム初勝利!
今シーズン、初めてのフォーメーション!
今シーズン、リーグ戦では初めて2巨匠ベンチスタート!
今シーズン、初スタメン3選手!
今シーズン、リーグ戦では初めてスタメン平均年齢26歳を切る!


(倉田選手のゴールは最高でした! 高尾→高江→倉田ゴール!!! ガンバの明るい未来がぱーっと開けた気分でした!)

試合前に私は相当にメンタル凹で、ガンバのことだけでなく、仕事やら何やらすべてに悲観的でマイナス思考だったのですが、昨日の試合終了の笛が鳴ったとたんに、プラス思考に切り替わりました。タンジューン! 
鳥栖戦後にガンバに対してかなりひどいことを書いたので、ダービー前に自分の気持ちを上向きにするためにも何かブログに書いておこうかなとちらっと考えたのですが、験担ぎでやめました。験担ぎといえば、これまでやってきたこととは違うことをしてみようと考え、これまでの個人的な「勝ちグッズ(アクセサリーとか)」を全部やめました。万博公園駅で待ち合わせた同志も同じことを考えたらしく、「今日はいつもと違うパナソニックロードで行ってみよう」と言ったので、あ、気分を変えたいのは同じかと思いましたよ。験担ぎ万歳! 験担ぎのおかげかな、勝ったのは! なんて、タンジューン!

試合を振り返ってみると、キックオフの笛が鳴ったときからガンバの選手たちの気合がスタンドの隅々まで伝わるほどで、鳥栖戦の1・3倍くらいの運動量と気迫(当社比)でした。球際はセレッソの選手よりも強いし、パスカットのスピードも速いし、リスク承知で思い切って攻撃に行くし、見ていて本当に気持ちが良かった。内容的には2018年から、いや、2017年シーズン前半以来のベストだったんじゃないでしょうか?
ただ、危ないシーンもいくつかあったし、もっと決定機を作り出さなくてはいけなかったし、決めるところを決めておくべきだった、ということは言えます。そんな感想は身の程知らずというもの。はっきり言って、今のガンバはサポの贔屓目で見てもJ1チームのなかで強いとは言えません。もうね、精一杯頑張って、これくらいなんだろうと思います。
試合終了のホイッスルが鳴ったあと、思わず泣きそうになりました。「俺たちが〜〜大阪さ〜〜」を歌う声が震えてしまったもの。アデミウソンが倒れ込んで起き上がれなかったのを見ると、もうたまらなかった。倒れこむくらいがんばったんだな。それくらいがんばらないと、どんなチーム相手にも勝ち点が取れないんだな、ということを実感してしまったせいかもしれません。圧倒しての勝利とか、たぶん、当分見られないでしょう。でもいいんです。これくらいがんばったら、また勝利がやってきます。

一夜明けて一番に思ったこと。
つぎの札幌戦が実は正念場だってことです。
ダービーでアドレナリンを放出しまくったあとの試合。
アウェイ。
降格圏は脱出した。
そんなときにまた昨日と同じだけの気合で戦えるか?
ガンバ伝統の「いい試合のあとに緩んでつまらない試合をして負ける」という悪癖を払拭できるか?
つぎの札幌戦で勝利をつかまないと、また昨年のようにずるずる負け続けますよ。
ダービーで躍動した若手たちが見せた「俺がやってやる!」というぎらぎらしたエネルギーや、中堅の選手たちが見せたような「俺たちがガンバの中心選手なんだ!」という誇りを継続していかないと、ガンバの未来はまたもや「闇」になってしまいかねません。
もうね、見飽きましたよ。7月、8月くらいに「よかったのはダービーだけ」「ダービー以来勝利がない」とつぶやくのは。
今年はもうそんなことを呟かなくていいようにしてほしい。

つぎの試合は、昨日を上回る内容での勝利を!!!

 
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(私は今季初のガンバクラップでした)



個人の昨日のMOMは福田湧矢選手。試合後インタビューでも強心臓炸裂 

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