Glamorous Life

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2019年09月

一夜明けてもうつ気分はまったく晴れません。ガンバサポのみなさん、お元気ですか? 元気のはずないよね。
ラグビー日本の劇的勝利を見て歓喜するも、つぎの瞬間に思うのは、「監督の力って大きいよなあ」ということばかり。
ロティーナ監督と宮本監督の経験値、チームマネジメント力の差が如実に出た試合でした、きのうのダービーは。
長谷川さんが監督だったとき、加地さんが何かの対談で言っていたことを思い出しました。
「長谷川監督は厳しいんだけれど、気ぃ使いなんですよ、意外に。厳しく叱ったり、ちょっとミスすると外したりもするけれど、あとでこっそりフォローしたりする」
言葉通りではなかったかもしれませんが、そんなことを言っていました。長谷川時代に戻ってほしいとは言わないけれど、いまその言葉が重く響きます。
宮本監督は厳しいのだろうか? 選手を厳しく叱責するのだろうか? ミスを許さないだろうか?  ミスしたら外すという勇気があるのだろうか? そのあとでフォローもするのだろうか?
もう一つ長谷川さんのことで思い出すこと。
2014年に一度クラブハウスにお邪魔したとき、「これからスタッフミーティングです」と言って、監督以下、スタッフがミーティングルームに入っていきました。そしてながーーーい時間出てこなかった。コーチ、フィジコも含めたスタッフ全員でのミーティングがひんぱんに開かれている、と聞きました。
監督の仕事って、戦術を考案して、スタメンを決めて、 試合後の記者会見に出るだけじゃないんだな、というのがそのとき思ったことです。
選手はもちろんのこと、スタッフも含めたチームをマネジメントすること、そこじゃないか。
優秀な(というのはチームを勝たせるノウハウを知っている)監督には、優秀はスタッフがついていて、監督一人ではなく、スタッフも含めてアイデアを出し合い、意思疎通をはかり、チームを勝たせるために知恵をしぼって戦術を練り、その戦術をピッチに落とし込んでいくのではないか。 
2014年には片野坂さんというまぎれもなく優秀なコーチがいた。小井土さんや大島さんというデータ分析できる有能なスタッフもついていた。
そういう優秀で有能なスタッフこそ、いまのガンバに必要なのではないでしょうか? 山口さんが優秀でない、とは言わない。だけど、みんな経験が浅すぎる。そして長くチームメイトだったことで、互いに甘えもでるし、厳しい意見も出せなくなるのではないか。はい、邪推だってことを祈ります。
 
きのうのMOMはまちがいなく誰が見てもスサエタ選手でした。最後まで走り、最後までほかの選手を鼓舞し、指示をだし、試合終了のホイッスルが吹かれるまで攻守ともに走り続けた。 
つい先日加入したばかりのスペイン人選手に、スプリントも走行距離もダントツで抜かれてしまうほかの選手たちってどうなんでしょう?
誰も厳しいことを言わないのではないか?
昔の名前で出ています、っていうのではあまりにも情けない。
あまりにショックで悲しかったので、この屈辱と絶望を忘れないために、今日の日経新聞の記事画像を自虐的に置いておきます。
 
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スタメン見たときにまたため息。でも、鳥栖戦でもスタメン見たときにはため息と悪寒だったので、いい形でまた裏切ってくれるかなと思い直しました。とりあえず、初スタメンのスサエタに期待しようと決め、スサエタに念を送りながらキックオフ
9月末とは思えないほどの暑さで、またまた嫌な予感がします。「ヤットさん、この暑さで大丈夫かな?」で、嫌な予感は当たるのです。当たってほしくないときに当たる。うーん、、、
しかし、それより問題は守備です。
いつまでボールウォッチングのゾーンディフェンスを続けるのでしょう? いつまで、右サイドの三浦と高尾は抜かれまくるのでしょうか? 今日は右サイドを丸橋に好きに使われていましたが、なんで学習しないのだろう、とはがゆかったです。
セレッソ1点目はその丸橋にまったく詰めずにあっさりペナルティエリア深くに侵入されて、あっさりヘディングで決められました。誰も詰めてない。ただボール見てるだけ。
2点目はヨングォンがファールとられて、FKからまたまたお手本のようなヘディングを決められました。この時点で、負けを覚悟しました。リーグ戦で複数得点で逆転する力はガンバにはありません。
その後も攻撃するでもなし、まともに守備するでもなし、だらだらとパスを回しているだけ。同志は睡魔に襲われたそうです。
後半に入ってもギアを上げるわけでもなく、何かしら変えてくるわけでもなく、 だらだらとパスを回しているうちに、後半に入ってめっきり運動量が落ち、危ないエリアで地蔵になっていたヤットさんがボールを奪われ、またもやあっさり3点目。ジ・エンド。
 今日、戦っている姿勢が見えたのは、スサエタ、倉田、井手口、くらいでした。情けなくて、涙が出そうです。
無理やりいいとこ探しをすれば、、、、ないわ〜どこもなし。どんだけ頑張ってもいいとこが見つけられない。
セレッソの攻撃と守備、とくに守備を見ていて、よく練られてるな、計算されているな、と思いました。ガンバがあまりにバラバラなので、よけいに秩序立っているセレッソの守備が目立ちました。さすが最少失点のチーム。
 

大阪ダービーに行く! と決めてから、ふとしたときに胃が痛みます。
期待と不安と楽しみと不安と興奮と不安と……いろいろといりまじって胃が痛い。
ガンバ以外のチームの試合観戦だと、胃が痛むことがまったくないところから診断するに、ガンバの試合、それも大阪ダービーになると、得体の知れない神経伝達物質が過剰に分泌されるとしか思えません。
小野瀬選手が出場停止だったら、きっとスサエタ選手が初スタメンですよね、ね、ね、(無駄な念を押す)
1時間違いでU23のvs藤枝戦があるから、高江選手はベンチ入りもなしかなあ、でも福田選手はどうなんだろう……とか考えだすと、また胃が痛い。
期待と不安が入り混じった時間を楽しもうと思うのだけれど、無理。あああ、こういう気分っていったいどうすりゃいいんだか。

その昔、サッカーファン、横浜FMファンを自称する人(男性、当時40代)から言われたことがあります。
「スポーツは勝負事だよ。勝ちを見ることが楽しいし意味がある。負けが多いチームを応援してストレスを溜めるなんて、バカのすること。サポーターになるんだったら、常勝チームじゃなくちゃね」
当時(2002年頃)、ガンバは弱くって、反対にマリノスは強かった。
その人は、マリノスが優勝から遠ざかった2007年頃にあっさり、マリノスファンはおろか、サッカーファンもやめちゃいました。やめられるって、すごいよね。
そういうのはファンじゃない、ましてやサポーターではない、という意見もあるし、私もひそかにそう思ってるんですけれど、スポーツ観戦の楽しみ方としては常勝チームだから応援するっていうのはありだとも思います。たぶん、まっとうな社会生活を送っていて(私はそのつもりなんだけれど)、人に迷惑をかけない生き方を心がけている人(私も心がけているつもりなんだけれど)ならば、そういう楽しみ方ができるんだと思います。
でもダービーは別です。

常勝チームだから応援する、という人には、ダービーのこのひりつくような興奮はぜったいに味わえないでしょう。
その興奮はルンルン楽しいなってもんじゃないけれど、でも、ストレスじゃないんです。
バカ認定されても関係ないんです。
だって、ダービーなんだから!
 
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(縁起担ぎで、昨年の大阪ダービー@長居のオフィシャル画像を貼り付けておきます。あああ、あのときも胃が痛かった)

自分で言うのもなんだけれど、私はがんばりやです。努力家です。どんなこともついついがんばってしまい、なんとか「できる」ようになろうと努力してしまう。
でも、60歳を過ぎてから、自分の持てる体力、時間、精神力、集中力の限界をはっきり感じて、どんなことにもがんばるのは無理だとやっと気づきました。
だから苦手なこと、嫌いなことについては、できるようになろうとか、せめて理解はしようとか、できれば好きになろうとか、がんばるのをやめました。
たとえば、球技、数字に関すること、経済のしくみ、物理学、車の運転、地図を読むこと、温泉めぐり、賭け事、テーマパーク、ペット、ゲーム、どれも苦手で好きじゃないとわかったので、残りの人生はこれらを避けて生きていこうと思います。
ついでに、合わない人に合わせる努力、みんなに好かれようと頑張ることも、やめたいです。
肌が合う人、話をしていておもしろい人、好きな人とつきあっていきたい。もうそれが許される年齢と環境にある、と自分に言い聞かせています。自分に言い聞かさないと、つい好きになろう、好かれたいと必死に努力をしてしまい、でも好きになれなくてストレスがたまり、好かれなくて悪口言われて落ち込んだりする。もうそういうの、やめようと思っています。
思えば、学校生活で何がたいへんだったかというと、苦手なことや嫌いなことを強制的にやらされて、できないと「落ちこぼれ」の烙印を押され、コンプレックスに苛まれたことが一つ。
もう一つが、たまたま同じ学校に通い、机を並べただけという縁なのに、「みんなと友だちになりましょう」とこれまた強制されたことです。小学校入学時に歌わされる「♫友だち100人できるかな〜」って歌は、ちょっとどうかなと思う。友だちがいっぱいいるほうが幸せという価値観を、少なくとも私の子どもや孫には押し付けないで欲しいな。
いろいろな価値観や考え方を持つ人がいることを知るのはとても重要だと思うし、価値観や考え方が違っても、好きな人は好きです。でも、価値観や考え方とは別の次元で「合わない人」っていうのが私にはいます。ほかの人は違うのかな? どうしても合わない、どうしても好きになれない、という人とは距離を置きたい。地球半周分くらいの距離を置いて、できるだけ考えないように努力したい。あ、また努力しちゃうんだな、自分。
好きなことならがんばれる、とよく言われるけれど、私の経験では好きなことだけに、がんばりの成果が見えないとよけいにつらいです。好きなこと=できること、才能があること、成長できること、じゃないからね。こんなに好きなのに、なんでこうもできないんだろうって筆を持つたびにストレスです。
好きな人に好かれないのがつらいのと同じようなもの。
でも、残りの人生、好きなことをがんばって、好きな人に好かれるように努力していきたいです。

いきなり話が飛びますが(いや、飛ばないか)、ガンバが好きだからこそ、成績がふるわないとすごいストレスですよ。しかも私の努力のしようがないからね。2日後の大阪ダービー、今からすでに胃が痛いです。
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好きなことの一つが料理です。料理の幅を広げたくて、1年前に断捨離したのに、ついまた食器を購入してしまいました。ガンバブルーの八角皿。ガンバの末広がりを祈って、今夜はこの皿に豚肉料理を盛ってわしわし食い尽くします。

 セクシュアルハラスメントを訴える"#Me Too"運動が起こったきっかけは、アメリカの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの30年にわたる女性たちへのセクハラを暴いたNYタイムズの1本の記事だった。2017年10月5日付のNYタイムズ紙に掲載された、たった3300ワードの1本の記事が、「堅固だと思われていた厚い壁を一瞬にして打ち砕いた」(”She Said"まえがきより)のだ。
 ミラマックス社を創設し、ディズニーのヒット作やアカデミー賞を受賞した「恋に落ちたシェークスピア」などで映画界に一時代を築いたハーヴェイ・ワインスタインが、若手女優たちやスタッフ、秘書まで身近の女性たちに「いうことをきかないとクビだ」「いうことを聞けばスターにしてやる」と地位を利用して性的関係を迫り、ときにはレイプし、訴えられそうになると高額な慰謝料で黙らせ、それでもいうことをきかなければ高額の弁護士をやとって悪評をTwitterやSNSでばらまく、という悪辣なセクハラを繰り返していた、というもの。記事を書いたカンターとトゥーヘイという2人は、その後もワインスタインにインタビューをし(もちろんワインスタインはセクハラを全否定)、被害にあったという女性たちにも話を聞き、ついにワインスタインは破産して、逮捕された。記者たちはピュリッツァー賞を受賞した。
 
 この2人が今月、”She Said"という本を出版した。シェアしたのは、「バックラッシュ」で著名なスーザン・ファルディの書評だが、これを読んですぐに本を購入。まだざっとしか目を通していないが、自分自身や周囲の女性たちを見回しても「あるある」と思い当たる話が書かれている。そして「あるよね」とわかっていながら、他人事として黙認するのは大きな不正義につながることを思い知らされた。
 だが、この本はワインスタイン本人と数々の悪行について実はそれほど多くのページを割いていない。むしろ「何がセクハラを生むのか?」「セクハラを女性も男性も(メディアでさえも)見て見ぬ振りをするのはなぜか?」「セクハラを受けながら泣き寝入りし、嫌なことは早く忘れようとすることで、のちのちどんな悪影響があるか?」というほうに力点が置かれている。
 1970年代、まだワインスタインがそれほど有名でも力もなかったころに秘書をしていた当時20代の女性が、彼にレイプされた。だが、弁護士から高額の口止め料を渡され「もし訴えたりしたら、社会的に葬ってやる」と脅された。その女性が半世紀たって記者たちに「あのとき私が黙っていなかったら、被害はのちのちまで広がらなかったのに」と涙ながらに語った話は典型的な「悪影響」だ。
「セクハラって何?」「これがセクハラ? たいしたことしてじゃない」「口を開くとうるさいフェミニストと思われて、嫌われるんじゃないかな」「私は別にセクハラされたことないから関係ない」「女は強いよ、まったく」「男ってほんとダメだね」「据え膳食わねば男の恥って言うじゃないか。誘うようなことをする女もよくない」……そういう言動や姿勢がセクハラの温床となり、社会全体を病ませる。
本書を読めばそれがよくわかる。
映画プロデューサーという特別な権力を持ったエロジジイの話と片付けてはいけない。黙っていてはいけない。#MeTooは起こるべくして起こり、女性だけでなく男性にとってもよりよい人生を約束するための必要な運動だ。それがはっきりわかる本である。
Faludi2-superJumbo

 

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