Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2019年12月

 一年の締めくくりには、ほぼ12時間キッチンでおせちとお雑煮作りをするのが恒例行事です。別に恒例行事にしたいと思ったわけではなく、結婚して以来40年間やってきたので、いまさら何か変えるのもどうなんだと惰性でやっているだけ。朝8時から夜8時まで、ばたばたとキッチンで働き、夕飯をかきこんで、正月用の器やお箸の準備をして、最後の掃除をして、お風呂に入って、ブログを書いて(→いまここ)、寝る。あと最低でも10年はこんな大晦日を過ごしたいです。過ごせるだけの気力と体力がもつことを祈っています。
 今年は1月末からCONIFAの年次総会@クラクフに出席して、その機会にポーランドをぐるっとまわったことがまず大きなイベントでした。アウシュヴィッツに行ったこと、ワルシャワのユダヤ人博物館とゲットーをアンナさんという稀有なポーランド人に案内してもらってめぐったこと、この経験はたぶん生涯忘れられないし、私の中の何かを変えたと思います。
 4月からはチェコからやってきた留学生がしばらくホームステイしていました。三島由紀夫が好きという彼と、文学の話やらチェコの政治について話したこともおもしろかった。
 6月末からは友人とギリシャへ、それから一人、フランス各地を転戦してサッカー女子ワールドカップを観戦しました。なぜかアメリカ代表の試合を見続けることになり、ラピノー選手のすごさにうなりました。試合前に各チームの代表が「私たちは差別を決して許さない」という宣言をしたことにも感激。いろいろな意味で差別を受けている女子選手たちの言葉は、じーんとしみました。
 7月からは仕事が一気に忙しくなり、朝起きる前にスマホを開けて「今日の締め切り」を真剣チェックする日々が12月末まで続きました。 仕事があるってことはとてもとてもありがたいのだけれど、もうちょっと分散してくれないかな〜〜〜とかぜいたくなことをぼやきましたよ。
 花粉症の薬をもらいにいくのと、インフルエンザの予防接種を受けにいく以外では一度も医者にかからないで一年を過ごすことができたのは、割に規則正しい生活をしたのと、酒量が減ったのと、太極拳のおかげだと思っています。
 
 今年は身内に不幸があったので、新年のご挨拶は控えさせていただきます。
 今年も当ブログにお越しいただき、ありがとうございました。
 2020年、みなさまにとって気持ちがはずむ年となりますことをお祈りいたします。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします。
(恒例?のおせちアップさせてください)
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 今年一番といっていいくらい嬉しかったのは、伊藤詩織さんの「勝訴」でした。記者会見を見ながら、思わず涙ぐんでしまいました。事件から4年半、裁判を起こしてから2年半の間に、伊藤さんが味わった思い、受けた仕打ちがこの判決でぬぐいさられるとは決して思わないけれど、少なくとも、伊藤さん側が訴えた「合意なき性行為」が法的に許されない犯罪であることが明確に示されたこと、そして伊藤さんが自ら声を上げ、支援者の人たちとともに起こした訴えに公益性があると裁判所が認めたことは、一つの大きな進歩だと思っています。
  2017年10月に刊行された「Black Box」(文藝春秋)をすぐに購入しながら、なかなか読む勇気が湧いてこなくて3ヶ月ほど置いてました。あるとき、ふと手にとって「はじめに」を読み始め、頭がくらくらするほどの衝撃を受けて一気に読み終えました。なぜこの本を伊藤さん自身が書かねばならなかったのか、なぜ身を切るような思いをしながらも、書かねばならなかったのか。読みながら痛かったです。
 伊藤さん個人に起きた「事件」としてすませてはならない。一応、法治国家であるはずの日本で、「合意なき性行為」という犯罪が犯罪と認められるために「被害者」が高いハードルを超えなくてはならないのは、どう考えてもおかしい。この本は私にも、あなたにも、誰にでも起きうる犯罪の恐ろしさを示す本です。
 伊藤さんの「勝訴」後の記者会見を見てから、もう一度「Black Box」を開きました。事件のあらましよりも、私には合意なき性行為が犯罪として成立するまでの難しさと、かつ起訴に持ち込むまでにあるブラックボックスの恐ろしさ、そして性犯罪に対して向ける日本社会の歪んだ視線が衝撃でした。もしもまだ読んでいない方がいらしたら、ぜひぜひ読んでほしいです。

 おそらく「Black Box」に触発されたのだと思いますが、昨年から今年にかけてフェミニズム関連の小説やノンフィクション、エッセイを多く手にとったと思います。
 その中から私の頭と心にずしんと響いた本をあげておきます。

「私たちにはことばが必要だ〜フェミニストは黙らない」
イ・ミンギョン著 すんみ/小山内園子訳
性差別者(セクシスト)、また性差別的な言葉をかけられたときにどう対応するか、ということを具体的に示した「解説書」
ことばの暴力が、からだへの暴力につながっていること。だからことばの暴力をあいまいに流していると、それがときには殺人にいたるまでの暴力を誘発することを教えてくれます。
ことばとジェンダーについては、以下の本からも多くを学びました。

中村桃子著「<性>と日本語」(NHK出版)
「女ことばと日本語」(岩波新書)
社会から無意識に植え付けられた性差別意識をことばにして発することが、性差別を助長していくことを教えてくれ、まずは気づいて歯止めをかけようという気にさせる本です。無意識に使っている「女ことば」が、実は比較的新しく(明治時代以降)作られたことばであって、しかも「男ことば」を使っていた少女たちが、社会から女ことばを押し付けられる、という指摘にはどきっとします。

「三つ編み」
レティシア・コロンバニ著 斎藤可津子訳
インドの不可触民の女性、シチリアで家族経営の毛髪加工会社を立て直そうとする女性、カナダのがん患者の女性の3人が、髪を通してつながっていく物語。女性であるというだけで社会的な弱者に置かれてしまうことに、やり方は異なっても抗って生きていく勇気に拍手をしたくなります。

「イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案」
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著 くぼたのぞみ訳
もうね、私はアディーチェとくぼたさんの大ファンですよ。新刊出たら必ず教えろ、とAmazonに命じてある。それはともかく、娘をさずかった親友に向けて、「どうしたら「女だから」という理由で降りかかる、理不尽でマイナスな体験をさせずに子育てができるか?」という15の提案をアディーチェが書き送ったエッセイ。1つひとつの提案にうなずくしかない。

「掃除婦のための手引書」
ルシア・ベルリン著 岸本佐知子訳 講談社
1936年アラスカで生まれた作家の短編集。親も自分もアルコール依存症、各地を転々とし、3回結婚するもすべて離婚。シングルマザーとして4人の息子を掃除婦、看護師、高校教師などをして育てながら数多くの短編を残した作家です。これがフェミニズムの本にあたるという意見には反対されるかもしれないけれど、私には女性として生きていくことの喜びと困難さを率直な言葉でつづったその一言ひとことが胸にしみました。

「女性のいない民主主義」
前田健太郎著 岩波新書
女性の政治家がほとんどいない、女性を政治から締め出してきた日本の政治は、男性にとって(のみ)重要な事柄のみを扱う「男性の政治学」に過ぎず、それは民主主義とは呼べないのではないか、というテーマで「男性」の政治学者、行政学者が書いた本です。なぜ女性が政治から締め出されているのか、について歴史的に、また国際社会との比較において論じています。
伊藤詩織さんの訴えがなぜ不起訴になったのか、根本的な原因は、日本が、男性の、男性による、男性のための政治でしかないことにある、と知ると腑に落ちます。

最後に女性に対する暴力に対する法改正に立ち上がったチリの女性たちのデモが世界中に広がっている、というBBCニュースの画像を貼り付けます。私にとって、今年を象徴するニュースでした。
 

 2008年ガンバがACLで優勝したのをきっかけに、「そうだ! 毛筆でメッセージを入れたフラッグを作ろう!」と思いつき、年末に飛び込んだカルチャーセンターでいまの先生と教室にめぐりあいました。お試し体験(無料)の日が私にとっての書道初日で、その日は教室の忘年会。先生に「時間があれば、参加しませんか?」と言われて、筆を握るよりも先に酒を飲みに行った、という生徒でした。
 2009年からカルチャーセンターの教室で1週間1回1時間筆を握る生活を始めたのですが、まわりの生徒さんたちはどうも家で課題を書いてきて、教室では書いてきたものを先生に添削してもらっているらしいと気づきました。当時は20人以上の生徒がいたので、先生はクラスの最初から添削したり、生徒が家で書いてきた作品を選別するのに忙しく、初心者が書いているところでていねいに手取り足取りしているひまがない。サッカーのシーズンが始まってもこれはフラッグ製作まで行き着かないな、とあせっていたところに、カルチャーセンター以外に先生が個人で教えている教室がある、と聞いて、お願いしてそこに通うことにしました。
 その教室は多いときでも5人しか生徒さんがおらず、時間も2時間あるのでたっぷり書けるし、手取り足取りで教えてもらえます。カルチャーセンターと並行して、そこに通うようになり、1週間に2回筆を握るようになったのが2009年の夏ごろ。
 やがて先生にお手本を書いてもらい、下手くそながらゲーフラも何枚か製作し、目的を果たしたからやめるはずだったのに、書道がおもしろくなってしまって、今では目的が目標に代わりました。いい線が引けること、すてきな作品が書けること、というなんとも漠然とした、達成がほぼ生涯不可能な目標です。いまは「ずっと筆が持てるように健康に気を配ろう」と書道のために別の目標ができてしまっています。
 2009年の終わりには、創玄展という公募の書道展に出品したい〜〜〜と先生にねじこみ、じゃなくて頼み込み、初めて条幅なるものを書きました。大きな筆で大きな作品を書くのがまたすごくおもしろくて、2010年はじめから半紙と並行して条幅も毎週書くようになりました。その年の春には別の公募展、毎日書道展にも出品(しかも漢字部門と詩文書部門の2点出品)。その年末からは2泊3日の合宿にも年2回参加しています。
 もともと、始めたことがなかなかやめられないところがあります。サッカー好きはすでに半世紀。ガンバサポ歴20年、もっと言えば同じ人と結婚歴41年、職歴も42年と、続いてしまっているのは、ひとえに「やめられない」がゆえ。
 書道だって、なかなか上手にならなくても、才能がないとわかっても、賞がとれなくても、ぼろくそにけなされても、むいていないかもしれないという疑念がわいても、やめられない。好きだから、とか、おもしろいから、とか続けている理由を自分でも自分にこじつけて言っていますが、そんな前向きな理由ではなく、やめるという決断がつかない優柔不断な不器用者であるがゆえに11年間続いた、というのが一番真実に近い。
 今年、2019年、 師範試験に合格しました。一つの節目ではあるけれど、師範ですが、それが何? というようなもんです。ここからがやっとスタート、かな。
 7月から師範試験のために課題の漢字2点、詩文書1点、かな2点をほぼ週3回ひたすら書き、9月にそれが終わると来年3月に開催予定のクラス展のための作品を書き、並行して創玄展の出品作品を書き、と半年間、ほんとによく書いたよ、私。
 でも、振り返ってみて、それだけ書けたのは体力と気力が充実していた証拠かもしれません。そのことに感謝しつつ、ものすごく恥ずかしいことだろうけれど、たぶんもう二度と開けてもみないだろうと思うので、記念に師範の認定証をアップしておきます。
 
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昨年の今頃、9連勝で残留を決めてから最後に降格が決まっていた柏レイソルにコテンパンにやられてシーズン終了したガンバ。
その後の「補強」ニュースにがっくりし、シーズン前のTMがぼろぼろで目の前が暗くなり、そしてシーズン開幕初戦、横浜FMに攻め込まれ続けて逆転されての敗戦に泣きたくなり、なかなか連勝できないまま夏には大勢が移籍でいなくなるという緊急事態。
ワーストゲームはすぐに思い出せるのだけれど、ベストゲームはしばらく考えないとでてこない、というシーズンでした。
私が生観戦したワーストゲームは、天皇杯vs法政大学です。いや〜〜〜凹みました。去年も大学チームに負けて、さすがにもう気の緩みはないだろう、と朝から準備をして西が丘に向かったら、同じことを考えている関東ガンバサポがいっぱいだったのか、西が丘のスタジアムを一周せんばかりの待機列。ガンバベンチ裏に陣取っていたのですが、開始15分くらいでもう席をかえましたよ。見ていられなくなって。
長居での大阪ダービーもひどかったけれど、法政大学戦の情けなさに比べればまだましでしたね。
DAZN観戦でのワーストは、5月11日の鳥栖戦、といったん書いたのですが、最後に食野が決めてくれたので、食野のためにワースト判定は取り消します。あのゴールに救われたものね。しかしこの鳥栖戦は、リズムにまったくのれず、リアクションばかりで後手後手にまわり、「なにやっているの!」と怒りが爆発でしたね。
そこでワーストは4月28日の仙台戦にします。この試合、私は消音で電車の中で観戦していたのですが、長沢選手に決められたときには思わず立ち上がってスマホを投げつけるところでした。どこにって、田植え準備が進む窓の外の田んぼにですよ。投げなかったけれどね。
それではベストゲームはっていうと、生観戦していた大阪ダービー@パナスタです。なかなかいい試合ができず、ぐーっとくらーくなっていたとき、もしかしてこの試合に負けたら宮本監督解任じゃなくて辞任するかも、とどきどきしながら大阪にむかい、スタジアムに到着してスタメンを見たら、なんということでしょう、若手中心のスタメンの3−5−2。
この試合、得点を決めた倉田選手もすばらしかったけれど、私の目は試合最後まで福田選手に釘付けでした。89分でもがんがん仕掛けていくあの推進力。今までのガンバにない勢いを感じました。


あのときのメンバーはだいぶいないとはいえ、もう一度ああいう躍動する試合が見たいです。
なので、動画貼り付けておきます。

今年もまたタイトルが一つもとれず。リーグ戦は最終的に7位でフィニッシュしましたが、選手も監督も、もちろんサポーターも物足りなさを感じたシーズンでした。
来年は、来年こそは、タイトルをとりたいものです。
 

 幼稚園から小学校にかけて、私は母親や学校の先生たちから、何かヘマをして、叱責されるたびに言われたのが、1)だらしがない、2)不器用、3)粗忽、4)鈍臭い、5)物覚えが悪い、この5つでした。
 もうね、耳タコでこの5つの叱責を繰り返されて、私は割に最近まで自分のことを「整理整頓ができず、何をやらせても不器用で、おっちょこちょいで早とちりの粗忽者で、運動神経がなくて鈍臭く、人の3倍努力しないと何事も覚えられない人間」だと信じ込んでいました。人の言うことを素直に、というか鵜呑みにして信じてしまう「鈍臭い」性格なので、とくに母親から二言目には言われる「あんたはだらしがない」「あんたは人の3倍努力しないと人並みになれない」という言葉を鵜呑みにして「私ってこういう人間だから、しかたないよね〜〜」とか思っていました。
 でもさすがに40歳をすぎるころから「いやいや、そういう決めつけはおかしいよね」「本当の私はそれほどひどくはないのではないか」とか思い始め、はやりの「自分探しの旅」を愚鈍にやり続けてきた気がします。
 とくに60歳を迎えたときに、なんとか整理整頓ができるように、スケジュール管理をしてできるだけ「やらなくてはならないことをやること」を心がけ、不器用なりに時間をかけても習得することを自分に課してきました。幼少時から叩き込まれてきた「鈍臭い私」におさらばしたかったのです。
 5年間がんばってきて、ふと気づいたこと。
 鈍臭くて不器用でだらしがないのも「本物の私」だけれど、整理整頓を愚直にやって、不器用を努力で補って、粗忽者にならないようにゆとりをもって行動することを心がけるのも「本物の私」だと言うことです。
 つまり、世間さまが決める「本物の私」なんてものは、ない! 他人様に「あなたらしい」「あなたらしくない」と言われても、いやいや、他人様にとっては「らしくない」と見えるところも、実は私なのです。他人(親きょうだい夫子どもを含む)が期待する「私」になることも、ときには大事かもしれないけれど、ある程度の年齢に達したらもういいんじゃないか。人間ってのは、さまざまな面があって、世間に見せている表面だけを見ての人物評価ではまったく十分ではない。掘り下げれば掘り下げるほど自分自身でもとらえきれないほどさまざまな「自分」がいる。
 そういうさまざまな「自分」を素直に外に出していけるのが、たぶん高齢者の特権だろうと思うことにしたのです。
 そう思わせてくれたのが、芥川賞作家、若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」の主人公、日高桃子さんでした。
74歳の桃子さんがある日気づくこと。
「老いると他人様を意識するしないにかかわらず、やっと素の自分が溢れ出るようになるらしい」
 素の自分、でもそれは万華鏡のように光の当て具合、動かし方によってさまざまな変化するのです。自分の見方によってさまざまに変化することこそが「素の自分」
 私と同い年の若竹さんが描いた73歳の日高桃子さんが私に、自分探しの旅なんてやめちゃいなよ、と言ってくれたような気がします。
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