Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2020年05月

5月27日(水)
 緊急事態宣言が解除されたことから、3ヶ月弱ぶりにお孫2号(男子)に会いに行った。ビデオ電話ではよく会ってお喋りもしていたのだけれど、顔を合わせるのは3月初め以来。
 驚いたのは、語彙が増えたこともさることながら、副詞と助詞の使い方がほぼ完璧になっていたことだ。クルマ大好きの彼に消防牽引車ミニカーをプレゼントしたら、大喜びしてくれて(その顔が見たくてついつい大甘のババになってしまう)「おばあちゃん、○ちゃんに、いつもクルマを持ってきてくれてありがとう」とお礼を言われた。親(娘)も「え! そんなことが言えるんだね!」とびっくり。「いつも」という副詞が入り、「持ってきてくれる」という複雑な言い回しもできるなんて!!(ハイハイ、バババカが通りますよ〜〜)
 娘も幼いときから口が達者だった。1歳になるかならないとき、ご飯を食べさせながらテレビのニュースを見ていたら、いきなり振り返って「キタチョウセンカクササツ」 と言い出したのに驚かされたっけ。中2で韓流にハマって、ハングルを勉強し始めてまもなく、KPOPのラップを数回聞いただけで真似できたりとか。お孫2号もその血を引いているのかもしれない。
そういえば、一緒に遊んでいるとき「トラックが来ました〜」と私が言ったら、「え? ああtruckだね」と巻き舌で言い直された。さすがYouTubeにお守りされているだけあるわ(ハイハイ、バババカが通りますよ〜〜〜)
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(後ろ姿はもう少年)

夕飯は、昨日のボルシチ、アスパラガスとトマトのサラダ、米粉パン
Netflixで観た番組:『アンという名の少女』シリーズ3途中まで観た。何、これって『赤毛のアン』からは離れたフェミニズム映画じゃない?

5月28日(木)
 ご近所で菜園をやっていらっしゃる方がいて、ケールを大量にいただいた。ケールは「子ども時代の思い出の野菜!」なのだ。
実家の裏庭で祖母がケールを栽培していて、その葉をジューサーでしぼった青汁を飲まされる苦行に耐えた小学校時代だった。ところが、長じてからときどきあの「うー超まずい!」ことで有名になった飲み物が懐かしくなって、無農薬でケールを作っている農園からわざわざ取り寄せてジュースにして飲んでいたことがあったのだ。ケールは🥬思い出の味。良くも悪くも。
 だが、ご近所からいただいたケールは生で食べてもほろ苦さが病みつきになりそうなおいしさなのだ。育ちすぎて固くなったと言われたので、スープと炒め物にしたら、私の知っているあのケールからは程遠い、苦さどころか甘みさえも感じるおいしさだった。少しだけいただいたパクチーと一緒に豚肉と炒めたら、あっという間に消費してしまった。

夕飯はだから、ケールそのほかの野菜とベーコンのスープ、🥬そのほか野菜と豚肉の
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読んだ本:『還暦からの底力:歴史・人・旅に学ぶ生き方』(出口治明著 講談社現代新書)
教養=知識✖️考える力、というのはすごく腑に落ちた。この本もだが、『ホモ・サピエンス』でも日本の男女不平等について章をさいて言及している。コロナ禍が不平等の元凶である、生産性の低すぎる働き方を変えるきっかけになればいいのだけれど。

5月29日(金)
 SNSでの誹謗中傷を苦にして、女子プロセスラーの木村花さんが亡くなられたことがニュースになっている。私は木村花さんのことも、「テラスハウス」という番組もまったく知らなかったのだが、ニュースに接したときに、自分でもびっくりするほど心が痛んで苦しくなった。
 私がネットの世界に足を踏み入れたのは、1990年、パソコン通信というメディアの草創期からだった。ニフティサーブに登録した私はフォーラムに、チャットに、夢中になった。そのときに知り合ったネット仲間は、今もFacebookで親しくつきあっている。顔を合わせる回数はパソコン通信のときほどではないけれども、今もたいせつな仲間だ。大げさでなく、パソコン通信からFacebook、Twitterと続くネットの世界は、私の人生を大きく変えた、と思っている。
 だが、30年どっぷり浸かってきて身にしみているのは、バーチャルでしかつながらなかったとき(つまり顔が見えない人とは)人は人に対して驚くほど残酷になれることである。特に匿名やなりすましで書き込めるメディアでは、人は容赦なく徹底的に人を攻撃することが平気になる。実際に顔を合わせていたら、決して相手には言えないような言葉が、匿名メディアでは平気で吐ける。
 非難すると、ちょっとウケを狙ってみただけ、本当はみんな言いたいと思っていることを書いてみただけじゃないか、と開き直られる。
 30年もその世界で過ごすうちに、私も見知らぬ人からの根拠レスな中傷にショックを受けて、もうネット世界からは足を洗おうと思ったことが何回かある。でも、有名人でも成功者でもない私に対するバッシングなんて、所詮たいしたことがない。「今弁護士に相談している(→本当に2回ほど相談したことがあった)」というと、いつの間にかおさまった。だが、そのとき書き込まれた攻撃の言葉は、今も胸に刺さっていて、思い出すと苦しくなる。
 いじめもそうだが、結局は「逃げるが勝ち」なのである。どこに逃げ場を作っておくかをいつも考えておくことが大事なのだ、というのが今のところの私の対策である。
 それにしても悲しい。木村花さん、心よりご冥福をお祈りします。こんなに悲しくて悔しいことが二度と起きないように、なんとかしなくては。

夕飯は、グリーンアスパラとバターフランスパン(昼に残り物を食べたので、夜は空腹にならず)

読んだ本:『JIN~仁』まだ読み終わらない
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(毎日同じようなレシピばかり作っているので、せめてちょっと目新しさを出そうと、ハーブをふんだんに使うことにしています)
 

2ヶ月に及ぶ外出自粛生活にようやく終止符が打たれたようで(一応)、「新常態」での日常が戻ってきます。マスク着用、2メートルの社会的距離をとる、三密はやっぱり避ける、など「新常態」の条件が出ていて、まだ恐る恐るではありますが、ともあれ日常生活が始まります。
巣篭もり日記を終えて、さて、この時期に何を書こうかなと考えていました。「新常態日記」(変態日記みたい)、「AC(アフターコロナ)日記」(あまりに露骨で芸がない)などタイトルをあげてみたものの、そんなタイトルでは前向きなことは書けないなとあきらめ、ベタではありますが「巣立ち日記」で始めてみることにします。
この2ヶ月、人と顔を合わせることがほとんどなく、同居の夫とでさえ挨拶程度しか話をしませんでした。そのおかげかどうか、ひさびさに自分自身との会話時間が長くとれたように思います。これからどうなるのか、私はどうすればいいのかといろいろと自問自答を重ねた2ヶ月が終わって、いま一番強く自分自身に言い聞かせているのは、「2ヶ月前と同じ思考回路で、同じ生活態度で生きていってはいけない」ということです。
 これまで「普通」だと思いこんでいたことが、普通ではなくなりそうで、当然続いていくと信じていたことが終わってしまうかもしれない時代がやってきます。これまでの経験とか実績とか知識とか、そんなものがまったく役に立たなくなるでしょう。頭も、心も、からだも、そんな大きな変化に対応できるような柔軟性と強靭さが求められています。ちょっと大げさですが、私はこれからあらたな羽ばたきを覚えて、勇気を持って巣から飛び立っていかねばならない。だから「巣立ち日記」なわけです。
66歳でもう一回巣立ちか〜と思うと、3分の1の私は「やれやれ」とため息をつき、3分の1は不安を覚えているのですが、あとの3分の1はワクワクしています。できればワクワクを半分くらいには持っていきたいです。何回も羽ばたいては転がり落ち、羽ばたいているつもりなのに少しも飛び上がれないことが続きそうですが、どうか無事に巣立ちができますように!

5月25日(月)
いよいよ関東圏や北海道も緊急事態宣言が解除された。
午前中に美容院へ。昨年の年末から髪を伸ばしっぱなしだ。肩にかかってはねてしまうので気にはなっているのだけれど、やりたい髪型が思いつかない。
もう20年近くお世話になっている美容師さんに相談したら「髪を伸ばしていきたいのですか? 伸ばしていくにせよ、いまは毛先が傷んでいるので、せめて3センチでも切ったほうがいいですよ」と言われた。
3センチ切りそろえるだけなんて中途半端なことはしたくない。切るんだったら、思い切って10センチは切りたい。
せっかく切るのだったら、過激な髪型にしたいのだけれど、今は過激に走るだけのエネルギーが湧いてこない。巣篭もり疲れなのだろうか?
結局、シャンプーブローだけにしてしまった。
読んだ本
『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社)上巻を読み終わる。
『JIN~仁』5、6巻

夕飯はいわしのパン粉焼き(巣篭もり中に4回も作ってしまった。今回はドライトマトでアクセントをつけてみた)、野菜スープ
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5月26日(火)
 ガンバが練習を再開したらしい。Twitterに動画が上がっていたので、食いついて見た。
https://www.gamba-osaka.net/news/index/no/11027/
選手たちも宮本監督も元気そうでうれしい。7月にはパナスタで試合観戦ができるのだろうか? サッカーだけではないが、スポーツ観戦の形も変わっていくのだろうなあ。


 巣篭もり期間中に痛感したのは、誰かが何かをしてくれると待っていても、その何かが起こることはないし、何かは手に入らない、ということだ。
 マスクが品切れだ、なんとかしてくれとドラッグストアの店員に迫っても、出てくることはなく、アベノマスクが送られてくるだけだった(ああ、血税の布マスク……涙)。
 自粛期間が終わったら、ひいきのレストランが閉店し、お気に入りのミニシアターが閉館し、好きなアーティストが廃業してしまっていたら……どうしよう、誰かどうにかして! というだけでは、どうしようもないことがわかった 。
 ネットを眺めているだけではどうしようもない。行動を起こさなければ、アフターコロナの社会はとてつもなく味気ないものになってしまう。私ができることは何かをいま模索中だ。
 その一つとして、Facebookで教えてもらった、生産者と飲食業(レストラン)を支えるためのお取り寄せ企画にのってみた。遊ぶたという北海道の養豚業者と、その豚肉でソーセージやハムを作って出しているレストラン、ブーシェルの手作り加工品、そして北海道のおいしいチーズ製造業者の製品を購入した。大満足。
お取り寄せで夕飯はボルシチ、パテドカンパーニュとハムのゼリー寄せ、パプリカとマッシュポテト添え
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読んだ本:『LIFE SHIFT~100年時代の人生戦略』リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著(今更ですが、ベストセラーを読んでみました。うーん、ちょっとしんどかったなあ。100年、できれば85年くらいで人生を終えたいですよ〜) 

どうやら来週月曜日、5月25日には東京も緊急事態宣言が解除されるようなので、今回で(当初の希望どおり)巣篭もり日記は終了します。4月半ばに書き始めた当初は、「100年に一度」とか騒がれるこの感染症による外出規制で在宅を余儀なくされ、自分自身がどうそれを受け止めるのかを分析してしておこう、日記形式で日々何をやって、どんなことを感じ、考えたかを書き留めておこう、というつもりでした。
当初はマスクや消毒液がまったく出回っていなかったり、スーパーやドラッグストアでの買い占めが話題になっていたり、外出規制にもかかわらず遊びにいく人への非難が高まったりしていましたが、5月連休明けからは、「経済の立て直し」「新常態」とかACの話題が多くなってきています。
そこで、気が向いたらですが、アフターコロナの生活について、ビフォーコロナと比べながら考える日記を書いてみようかない、と考えています。でも、ま、ほんと気が向いたら、ですが。

5月18日(月)
 ガンバの試合に関する記憶は、20年間にわたってかなりしっかりしていると自信があるのだけれど、学校に通っていたころの記憶が失われてしまっている。今年度、小学校から高校まで通った学校の同窓会幹事が回ってきたので名簿の整理をやったのだけれど、申し訳ないことに名前を見てもその顔が思い出せる人が3分の2しかいない。
最後に同窓会に出席したのは6年前、還暦を記念して開かれた会だったのだけれど、そのときも「あの人誰?」状態で、親しくしている人にこっそり聞いて教えてもらうことたびたび。それからもう6年同窓会に顔を出していなくて、しかも幹事になったんだから今度こそ出席するぞと楽しみにしていたのに、今年同窓会を開くのはむずかしそうだ。記憶はどんどん薄れていく。
妹から「お姉ちゃんは思い出を大切にしていない」とよく非難(?)される。私が昔の写真とかをぱっぱと捨ててしまったり、学生時代のことをほとんど覚えていなかったりするからだ。 私が大切にしたいのは過去ではなく、現在と未来なんだ、と非難されるたびに言い返していたのだが、その気持ちは巣篭もり状況になってからますます強くなっている。
過去を思い出すのではなく、現在と未来のことを考えたい。昨日より今日、今日より明日をもっとよくするために、何が私にできるか、もしくは何をしてはいけないか(次世代のために、未来のために)と考えて行動しないと、コロナ禍に呑みこまれてしまいそうで不安なのだ。

と、テーマからいきなりずれてしまうけれど、過去の思い出深いYouTubeをアップしてしまおう!
試合開始から監督胴上げまで、全てが記憶に刻まれている。何回見ても泣けてくる。



夕飯は、ほうれん草&ケール&新玉葱と豚肉炒め卵とじ、レタスやベイリーフのサラダ、野菜スープ

 5月19日(火)
図書館が休館になるぎりぎりのタイミングで借りた本の返却のために外出。返却ポストに入れながら、外回りを掃除していた警備員さんに「開館はいつごろになりそうですか?」とダメもとで聞いたのだけれど、案の定「さ〜今月いっぱいは閉まっているんじゃないの? 私じゃわからない」と素っ気なく言われてしまった。
図書館が休館してしまうと、デジタルの資料にしかあたれなくなってしまって本当に困る。 つぎにロックダウンがあるときには、HPで予約した書籍や資料の貸し出しくらいはぜひできるようにしてほしい。電子化されていない資料を必要としている人は、決して少なくないはず。
もしかしたら、あそこにあるかも……とかすかな期待を持って、雨の中をとぼとぼと2キロほど歩いて古書店に行ってみたのだけれど、そこも閉まっていた。本と出会えない生活。それが私には一番こたえているのかもしれない。そんな贅沢で呑気なことを言っている場合じゃないのだろうけれど。

夕飯は、ナスの煮浸し、青椒肉絲、豆腐と大根の味噌汁、煮豆、野菜スープ(残り物の惣ざらえ)

5月20日(水)
今回の記念に、マスクを縫ってみた。ガーゼとゴムがセットになったキットを購入して、ミシンがないので手縫い。
私はものすごく不器用で、特に裁縫が大の苦手。高校のとき、家庭科でパジャマとかエプロンとかブラウスとかスカートを作らされたが、全部母親にやってもらって提出した。雑巾だってまともに縫えない人に、そんな高度な衣服なんて無理ですよ。
その後も裁縫トラウマは続き、娘たちの保育園では布団カバー(敷き布団とかけ布団の両方)、汚れもの袋、着替え袋、防災頭巾全てを同じ柄の布地で縫わされるという苦行があり、ミシンがないために全部手縫いした。子どもを寝かしつけた後に徹夜して作りましたね。頭の中で「かあさんがよなベーをして〜〜布団カバー縫ってくれた〜〜」が脳内リフレイン。でもあの頃は、認可保育園にやっとこさ入れた喜びで、その苦行にも耐えられました。
娘たちも「同じ柄で布団カバーやらを作る」ことは保育園から言われたが、なんと! 最近ではネットで請負販売するプロがいっぱいいるのだとか。しかも安い! そうだよね。ミシンがない家庭が多くて、時間も労力も限られている働くお母さんに、手作りしろ、それが母親の愛情なんて押し付けはまったくおかしい。
でも、自分のものを趣味で作るのだったら楽しい。型紙とって裁断、手縫い、というので2時間弱で出来上がり。これもコロナ記念ってことにしよう。
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夕飯は、豚肉ともやし、玉葱、きのこの中華炒め、春雨ときのこのスープ

5月21日(木)
検察庁法改正案が今国会で見送りになったと思ったら、なんと黒川東京高検検事長が、緊急事態宣言期間中に新聞記者と賭け麻雀をしていたと週刊文春がすっぱぬき、それをきっかけに黒川さんは辞任届を出した。検察庁法改正についても、記者クラブの在り方についても、文春砲についても、言いたいことは山ほどあるが、それはさておき。
私にはわからないのが「なぜ検事長になるほどの世知たけたやり手の検事が、自分が渦中の人物であることがわかっていて、三密を避けるために自粛を強いられているこの時期に、違法である賭け事をしたのか?」ということだ。ギャンブルの中毒性は検事長の理性を失わせるほど強いものなのか? 
このコロナ禍が起こってからも、パチンコがやめられない人たちのギャンブル依存症が話題になった。その前にもIR(統合型リゾート)にカジノが入ることに対して、ギャンブル依存症で家庭を壊された人たちから反対の声が上がり、挙句に賄賂もらっていた議員が逮捕されたりした。
パチンコも麻雀も競馬も、人生で1、2回しかやったことがない私には、わからない。ギャンブルの面白さも、なぜ人生を棒に振ってまでのめり込んでしまうのかも、まったくわからない。わからなくて幸せだと思っている。たぶんアドレナリンがドバーッと出て、それが快感で、クセになるのだと想像しているのだけれど。
もしかすると、ですよ、それはガンバが2点差をひっくり返す逆転勝ちをして、しかもそのゴールが後半93分だったときの痺れるような興奮なのだろうか? ああ、それならわかります。私もその興奮が忘れられず、きっとまた強いガンバが見られるだろうと、万博やパナスタの階段を登ってしまうんですよ。……ってなんでギャンブル依存の話からガンバ依存症へと話が移っちゃったんだ? 早くJリーグ再開しないかなあ。

夕飯は、おでん(季節外れのメニューだけれど、寒いんだもの)、大根ときゅうりとレタスの梅干し和え豆腐のせ、枝豆
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5月22日(金)
4月12日から書き始めた巣篭もり日記を今日で終えることにする。(別の名前の日記を始めるかもしれないけれど)
私が巣篭もりを始めたのは、3月28日からだ。3月27日に打ち合わせのために渋谷に行ったのを最後に、公共交通機関を利用していない。徒歩と自転車で行ける範囲でしか行動していなくて、夫と近所の人(太極拳の師匠と美容師さんを含む)以外と直接顔を合わせて話をしていない。2ヶ月あまりで話をしたのは合計6人だ。
でも、ビデオ会議や飲み会はやっているし、娘や孫たちとはビデオ電話はしているから、人と話をしていない、という感じはまったくしていない。暇だからSNSへの投稿やブログの更新は以前より頻繁なので、むしろ「最近よく喋ってるな、私」とさえ思っている。
巣篭もり期間中の変化をあげると
ー早寝早起きになった(6時前に起床、10時すぎにベッドに入る)
ーNetflixとVimeoで映画を見るようになった(15本くらい観た)
ー手紙を書くようになった(ほぼ毎日誰かに手紙を書いている)
ー消費を控えるようになった(別に控えたいと思っていたわけではないのだけれど、買い物に行かなくなったし、生協は欠品ばかりだし、ないならないでなんとかしようと思っているうちに巣篭もり前から消費金額が半分以下に減った)
ーじっと座り、できるだけ何も考えない時間が少しずつ長く持てるようになった(まだ瞑想まではいかないのだけれど)
巣から出て、さて、この期間中に得たもの失ったものを今後どうするのか、ということについてはまだ考えられない。
ただ、体調も精神面も健やかに巣篭もりができたことは、とても恵まれていた、ありがたいことだと心底感謝している。

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もう一つ、地元商店街を支えるために、できるだけ地元で消費するようにしている。毎週花屋さんに通って、花を買うようになったのも巣篭もり期間中の「習慣」の一つ

夕飯は、甘鯛のアクアパッツァ、アスパラガスとトマトもサラダ
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ついに(9)まで来てしまいました、巣篭もり日記。できれば(10)で終わって欲しい。いや、たぶん終わりますね。終わらせましょう! あともうひと息。

5月14日(木)
5月11日付の日本経済新聞朝刊、エコノミクストレンドを読んで暗澹たる気分になった。
慶大教授の鶴光太郎さんという人が「AI時代のスキル見極めを」というタイトルで、人生100年、人工知能=AIが大幅に進化してこれまで人間がやっていた職を奪ってしまうという時代に、それでは人間はどんなスキルをつけたら生活していけるか、という話を書いている。いま世の中にある職業のほとんどはAIでまかなえる、大半の人間が「失職」してしまうのだからベーシックインカムを真剣に考えよう……それってディストピアじゃないか! と思ったので、こわごわ読んだ。
記事の内容は、経済産業研究所が2019年に実施した「全世代的な教育・訓練と認知・非認知能力に関するインターネット調査」をもとに、学力テストで測れる「認知能力」と、外向性や勤勉性、協調性などの個人の性格の特徴である「非認知能力」の両方について、賃金との相関関係を分析している。
大学の偏差値が高いほど賃金が高いのは、男性の50代以上のみ。50歳未満はあまり関係ない。賃金との正の関係があるのは、言語能力よりも数的な能力の方。非認知能力では、賃金との正の関係があるのは「外向性(社交性・積極性)」そして「自尊心」だが、「協調性」は負の関係になる。つまり協調性の高い人は、自分のことより他人のことを優先してしまいがちなので、賃金は低くなる……って、つまり俺様やろうのほうが高い賃金をとっているってこと? 
だが、そんなこたぁたいした問題じゃない! 私が問題と思ったのは、女性についての分析だ(ほんの数行しか触れていないところにも怒りが!)
女性は働きだしのしょっぱなから男性の7割弱の賃金しかもらえず、どれだけいい大学を出ても、どれだけスキルをつけても、その賃金格差は職業人生の最後まで広がるばかり、という分析結果である。(太字にしておく!)もちろん平均賃金だから、一部の女性たちは男性並みの賃金を得ているかもしれない。だが、平均すると女性の賃金は生涯にわたって男性の7割以下。当然ながらそれは受け取る年金額にもはっきりと出る。
学校生活にかぎってかもしれないけれど、総じて女子のほうが男子よりも平均的に優秀だ、という。でもいったん働く場にでたら、がんばって身に付けた能力も性格のよさもまったく問題にされない。問題にされるのは、性別だけってことだ。あげくにワンオペでへとへとだもんなあ。
フェミニズムが必要だ、とあらためて痛切に思った。AIがどんなに進化しても、男女平等にはならないのだから。

夕飯は焼き餃子、のみ。夫が通勤している間は、食事時間がずれるので餃子やステーキのような焼きたてじゃないとおいしくないものは作らない。だから、在宅勤務期間には餃子がすでに二回目の登場。
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エゴノキの花が満開! この時期にエゴノキの花が満開になるってことに初めて気がついた。

5月15日(金)
巣篭もり期間に入ってから、急に漫画が読みたくなった。
『アルテ』(大久保圭)から始まって、
『アシガール』『ごくせん』(森本梢子 今頃そんなもの読んでるのかってあきれられますね)
『裸一貫! つづ井さん』(つづ井)
『王様ランキング』(十日草輔)(これはあまりというか、全然おもしろくなくて途中でやめた)
『アンサングシンデレラ 病院薬剤師葵みどり』(荒井ママレ/富野浩充)と来て、
今は『ミステリと言う勿れ』(田村由美)。
これまでのところ『アルテ』に一番はまったな。早く続きが読みたい。
そうそう『雪花の虎』(東村アキコ)の新刊も読んだな。ずっと周囲から男性と思われて生きてきて、結婚もして、でも亡くなって埋葬するときに実は女性だとわかったっていう人は歴史上もよくいたらしい。上杉謙信が実は女性だっていうのも、頷ける。男性のほうがずっと生きやすい世の中だものね。

夕飯は冷やし中華、五目豆、ポテトサラダ。だんだん同じメニューが続いてしまう。

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数ヶ月前に植えた球根?宿根?から芽が出て、2、3週間でにょきにょき伸びて花が咲いた。何を植えたか忘れてしまったので、写真を撮って花屋さんに見せたら「グロキシニアじゃない?」とのこと。イワタバコ科の一種らしい。

5月16日(土)
 今年小学校に上がったけれど、1日も授業を受けていないお孫1号。何回か宿題のプリントやらをもらってきて、親がつきっきりで教えてやらせているそう。
 娘(長女)から「国語でお話を読んで、おもしろかったことを書きなさいっていう宿題に手こずっている。おもしろかったことってどういう意味? と聞かれて、どう説明したらいいかわからないんだけれど、どうしたらいい?」という質問がLINEで来た。
 えええ! 私にそれ聞く? そもそも自分が経験したことがないことを、お話を読んだだけで「おもしろい」と感じるのなんて無理じゃない? 感性や感情は自然に身につくものじゃなくて、経験を言語化していくうちにだんだんわかってくるもの。人生経験が6年しかない子どもに、お話を頭の中で情景として描かせて、おもしろいとか、悲しいとか感情移入させたりするのはかなりむずかしい、というかそんなこと可能なのか? そんな子どもに「この話はここがおもしろいんだよ」と経験からわかっている大人が先走って教えるのはどこか変。 
 とか返事を送ったら「ママの言うことはよくわかるけれど、それじゃ宿題は終わらない」と言われた。 
 そしたら次女がLINEに入ってきて「私が読んだ育児本に、子どもが泣いたときには『悲しいんだね? 悲しいから泣いているんだね?』と幼児のころから感情を言語化して教えるように、とあったから私はそうしている」と言い出したものだから、長女は「今から言語化するように心がけても、宿題には間に合わないよ」状態に。
 ああ〜〜〜早く学校始まってくれ〜〜〜! 学校という集団の社会生活でしか学べない感情や感性があるんだから〜〜〜!

夕飯は、ビビンバ、残り物のアジのフライ、豆腐と油揚げの味噌汁

5月17日(日) 
 雨が上がって夏の晴天。でも早朝太極拳道場の公園には、ラジオ体操後にはほとんど人がいなくなった。鳥の声しか聞こえないところで、花盛りのエゴノキの木の下で気持ちよく一人太極拳。
 世界が感染症で揺れていることを、しばし忘れるほどの平和なひとときだった。
 だが、昼から買い物に行った夫が「スーパーも商店街も人があふれていてとても入れない」とメールしてきた。「いいよいいよ、もう別に買わなくていいから、早く帰ってきて」と返事をする。
 日曜、早朝の公園には人がいないけれど、昼間のスーパーや商店街には人があふれる……BC(before Corona)の「日常」に戻ったってことか? 東京はまだ緊急事態宣言中のはず。大丈夫なのかなあ。

夕飯は、青椒肉絲、ナスの煮浸し、五目豆
 
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5月11日(月)
 高齢者施設にいる母は、外出は隣の公園を散歩する以外禁止で、 大勢が集まるのはダメという理由で、囲碁教室や麻雀クラブも中止。朝の体操でさえも今は行われていないとか。一人でやれることしかできないので、読書とテレビ視聴しかすることがない、ものすごく退屈で、孤独を感じるという。
「それなら本を送ろうか? 読みたい本はない?」と聞くと、「活字を読むと頭が痛くなるから、いらない」と言われてしまった。「それじゃDVDで見たい映画はない?」と聞くと、「DVDデッキの使い方がわからない」。うーん、朝からずっとワイドショーでコロナ情報を見続けていると思うとゾッとする。
 家事をやらないですむ、というのはいいようだけれど、まだ元気な高齢者が家事いっさいをアウトソーシングしてしまってやる必要がなくなり、しかもみんなで集まってやる趣味もダメ、となってしまったら、これはするべきことも楽しみですることもなくなって、生きがいも張り合いもなくなってしまう。そうでなくても曜日や時間の感覚が失われてしまう高齢期に、一人でぽつんと部屋にいると老化はいっそう加速するだろうなあ。心配だ。
 イタリアでもアメリカでも、クラスターが発生して、大勢亡くなっているのは高齢者施設だという。日本でも高齢者施設でクラスターが発生した。AC(After Corona)になったら、感染症が流行したときに、重症化のリスクが高い高齢者の対策についてきっと議論が起こるはず。ただ感染を防止する、というだけでなく、ステイホームになった高齢者がどう生活と生きることを継続していけるかも考えないといけなくなるだろう。
 私も高齢者の一人として、感染症から身を守る術だけでなく、ソーシャルディスタンスを取らざるを得ない状態に置かれたとき、退屈と孤独からどうやって自分を救っていくか、今からしっかりと考えておかねば。
 夫もそれは痛感しているらしく、私が貸してあげた樋口恵子さん著『老〜いどん』を熟読しておりました。
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 私にもヨタヘロ期はきっとやってくるし、調理定年もいつかくる。それをできるだけ先延ばしにするために、早朝太極拳道場(最近は公園で行われているラジオ体操にも参加している)と家事を怠らない生活習慣は欠かせませんな。

夕飯は、ヒレカツ、キャベツその他野菜のコールスロー、豆腐とアスパラガスの茎の味噌汁、玄米ご飯、大根の漬け物

5月12日(火)
『愛の不時着』は4話で飽きてしまった。もう少し恋愛エネルギーが湧く時期になったらまた見よう(→いつだよ?)ちょっと漫画チックなんだよね。それと、どうしても主人公の女性に感情移入できない。どうしてこれがフェミニズムドラマなのか、まだわからない。もう少し我慢してみてみるかな。
 そこで『コンテイジョン』を視聴。スティーヴン・ソダーバーグ監督。2011年映画。すごいなあ、ソダーバーグ。ここまで「予言」していたわけか。SARSの流行にヒントを得たとはいえ、ワクチンをめぐる各国間の攻防とか(アメリカ映画だから仕方ないけれど、きわめてアメリカ的なやり方で成功しましたっていうのがちょっと気に入らない)、経済と感染症の食止めとの攻防とか、ほんとドキュメンタリー映画を見ているようなストーリー。
ただ、ソダーバーグらしく、最後に掃除のおじさんの子どもに自分のワクチンを射ってあげるというエピソードで終わるところは、「映画」らしくてほのぼのしていた。
Netflixはオリジナルのドキュメンタリーがおもしろいと聞いたので、仕事のためのお勉強もかねて『フェミニストからのメッセージ』を見る。たぶん私がまさにこのドキュメンタリー映画がテーマとしている70年代のWomen's Liberationに心躍らせて、怒りを共有した、フェミニズム第二波世代だったこともあって、めちゃめちゃ共感して感動した。(翌日にメモを取りながらもう一回見たほど)

 シンシア・マカダムスが70年代女性解放運動に関わった女性たちを撮った写真集を題材に、そこに登場するした女性たちが当時のこと、そして今(2018年)の自分たちについて語る、という内容。アーティスト、女優、歌手、バイオリニストなどなど、今も現役で活躍している女性たちが登場する。まあそういうキャリアを積んできた女性たちだから言えることなのかもしれないけれど、自分たちがやってきたことは良かったこともあるけれど、失敗もいっぱいある。21世紀になっても女性たちはまだ平等と公正な扱いを訴え続けなくてはならないのか、と落胆することも多い。だからこそ、私(たち)はまだまだフェミニズムを叫び続けなくてはならない、と言っていたのが印象的。
 もう一つ、黒人女性たちが「70年代の女性解放運動は、白人中流以上の階級の女性たちしか視野に置いていなかった。人種、階級、教育レベル、宗教全てを超えて、世界中の女性たちの平等と公正のための闘いは始まったばかり」という言葉も重かった。

夕飯は、鯵といわしのフライ(2日続けて揚げ物を食べてしまった)、コールスロー、ホワイトアスパラガスの蒸し煮

5月13日(水)
 COVID19で外出が制限される中、ニューヨーク・タイムズがリスニングのプログラムを増やしている。その中で私のお気に入りは"Sugar Calling"という番組だ。シェリル・ストレイドという作家が、80年代、90年代に活躍した(もちろん今も活躍中)大御所の作家たちに電話をかけて、現在のこの状況をどう見るか、その中で私たちはどうやって生き延びればいいのか(作家たちの大半は第二次世界大戦を経験している)、そして代表作の中から視聴者へのメッセージになるような文章を選んで朗読してもらう、という内容だ。
 25分ほどの番組なのだが、内容はとても濃い。これまで登場した作家は、マーガレット・アトウッド、エイミー・タン、ジュディ・ブルーム、アリス・ウォーカーなど(他にもいるけれど、とりあえず私が好きな作家を並べた)。一回聞いただけではよく内容がつかめないこともあるので、お気に入りの作家の回は2回、3回と聴く。
 マーガレット・アトウッドが、自身がかなり過酷な幼少期を送ってきた話をして「どんな時代にも、たいへんなことはある。それでも女の子たち! 腕まくりして頑張るのよ!」という言葉に励まされた。エイミー・タンが話す両親が移民してきたときの話とか、軽ーく笑って話しているけれど何回も聞くうちに、それはもう小説ではないですか、と言いたくなるほどドラマチック。アリス・ウォーカーの回では、2回目に聞いたときの「どんなことがあっても、それに立ち向かうのよ!」という言葉が重くて思わず涙が出た。
 朗読っていいなあ。作家の朗読会には1回だけ行ったことがあるのだけれど、自分の作品を読む作家の声dと表情がとても心に残った。ACにはぜひ行ってみたい。

夕飯はイワシのチーズパン粉焼き(いったい何回目かというくらいこの料理ばかり食べている!)、ナスの煮浸し、おかひじきのゴマサラダ

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