昨日、たまたま見ていた韓国のドラマで聞いたセリフに5回くらい頷いてしまった。
「結局、私を幸せにするのは私しかいないってことに気づくまでに15年もかかってしまった」
ドラマのあらすじは、夫があちこちでこしらえた借金のために破産して家も親戚も友だちも失い、離婚して生活のために働かざるをえなくなった女性がバイトをいくつも掛け持ちしながら就職活動に励み、ついに正社員になるまでの奮闘記、なのだが、冒頭が結婚式のシーンで「きみを幸せにする」と新郎が新婦に誓うところから始まるところがポイント。
そうなんだよね、ほんと。私を幸せにするのは私しかいない。ほかの誰かに幸せにしてくれるのを期待しても、それはほとんどがかなわない希望になってしまう。私もそれに気づくまでに20年くらいかかった。まあ、夫は私に結婚するときもしてからも一度たりと「きみを幸せにする」なんてことは言わなかったし、言わないことが彼の誠実さで思いやりだったと私は感謝しているのだけれど。
ということはさておき、昨日から「幸せ」についてぼんやりと考えている。
「私はいま幸せだ」と感じたのは、もしくは感じるのはどういうシチュエーションだろう?
シーツやバスタオルなどの大物を洗濯して、青空の下で干しているとき。
プランターに植えた球根やまいた種が芽を出してすくすく伸びていくのを観察しているとき。
(自分の子どもや孫に限らず)赤ちゃんのぷくぷくした手足にさわっているとき。
「これは傑作だ!」と思える本のページを夢中になってめくっているとき。
インタビューで目を身開かされるような話が聴けたとき。
というようなシチュエーションを思いついたのだけれど、そこで気づいたのが、気持ちに余裕がないと幸せは感じることができないのだな、ということだ。
不安や心配事があるときには、幸せを感じる余裕がない。
それに加えて、幸せはきわめて個人的なことだということだ。私にとっての幸せは、あなたにとっては別にどうってことがない、もしかするとおもしろくもないことかもしれない。
だから、「私を幸せにするのは、私しかいない」というのはあたっている。
最近、おいしいものを食べてしあわせ、ということが少なくなってきていて、それはちょっと危険信号だろうか。
「結局、私を幸せにするのは私しかいないってことに気づくまでに15年もかかってしまった」
ドラマのあらすじは、夫があちこちでこしらえた借金のために破産して家も親戚も友だちも失い、離婚して生活のために働かざるをえなくなった女性がバイトをいくつも掛け持ちしながら就職活動に励み、ついに正社員になるまでの奮闘記、なのだが、冒頭が結婚式のシーンで「きみを幸せにする」と新郎が新婦に誓うところから始まるところがポイント。
そうなんだよね、ほんと。私を幸せにするのは私しかいない。ほかの誰かに幸せにしてくれるのを期待しても、それはほとんどがかなわない希望になってしまう。私もそれに気づくまでに20年くらいかかった。まあ、夫は私に結婚するときもしてからも一度たりと「きみを幸せにする」なんてことは言わなかったし、言わないことが彼の誠実さで思いやりだったと私は感謝しているのだけれど。
ということはさておき、昨日から「幸せ」についてぼんやりと考えている。
「私はいま幸せだ」と感じたのは、もしくは感じるのはどういうシチュエーションだろう?
シーツやバスタオルなどの大物を洗濯して、青空の下で干しているとき。
プランターに植えた球根やまいた種が芽を出してすくすく伸びていくのを観察しているとき。
(自分の子どもや孫に限らず)赤ちゃんのぷくぷくした手足にさわっているとき。
「これは傑作だ!」と思える本のページを夢中になってめくっているとき。
インタビューで目を身開かされるような話が聴けたとき。
というようなシチュエーションを思いついたのだけれど、そこで気づいたのが、気持ちに余裕がないと幸せは感じることができないのだな、ということだ。
不安や心配事があるときには、幸せを感じる余裕がない。
それに加えて、幸せはきわめて個人的なことだということだ。私にとっての幸せは、あなたにとっては別にどうってことがない、もしかするとおもしろくもないことかもしれない。
だから、「私を幸せにするのは、私しかいない」というのはあたっている。
最近、おいしいものを食べてしあわせ、ということが少なくなってきていて、それはちょっと危険信号だろうか。