Glamorous Life

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2021年05月



この試合に負けるか引き分けだったら、6月からのDAZN視聴契約を打ち切ろうと思っていました。
後半にPKをとられた瞬間「ああ、これでDAZNとおさらばか」と思ったのだけれど、宇佐美のゴールで救われました。あのボレーシュートはすごいわ。
1点目の矢島→倉田→小野瀬(この試合の攻撃では小野瀬が効いていた。クロスがよかった)→パトリックのゴールもひさびさに「やったぜ!」とガッツポーズが出ました。あ、私がガッツポーズしたのです。半年ぶりくらいのガッツポーズ。
しかし、試合全体を通してガンバが押していたと言うわけではなかったので、私はずっと呼吸がうまくできなくて、過呼吸でもないし、かといって息が詰まってしまうのでもないのだけれど、いやな汗は出るし、うまく息が吸い込めず、吐き出せず、ずっと肩に力が入りっぱなし。すっごく疲れました……こういう疲労のあとに落胆を味わいたくなくて(もうカラダがもたない)試合が見たくなくなるわけです。で、今回は落胆こそなかったものの、あまりに疲れてしまったので、つぎの試合(すぐやってくるじゃないか!)もきっと試合直前まで「見るのやめようかな」と悩み続け、でもやっぱり見ちゃってそのあとぐったり疲れてしまうのでしょう。
先制点を奪ったのも、複数得点も、追加点で勝てたのも、記憶を探らなくてはならないほど以前のような気がします。
対戦相手がシュートを外し続けてくれたから、というのが一番大きな勝因ですから、 次戦も勝てる展望が開いたわけでは全くなし、です。やっているサッカーはすこーしずつ変わってきてはいるものの、そう大きな変化はなし。
変化といえばヨングォンの左サイドバックは安心して見ていられました。
それまでは黒川と昌子と間にボールを入れられて、あれあれあれ〜〜〜と攻められることが多かったのだけれど(昨年までの高尾と三浦の間に……というのと似ている)、この試合ではそれほど心配がなかったです。
つぎの試合もブログを書く気になるかどうかわかりません。
まあ、とりあえず8試合ぶりの勝利おめでとう。
まさかそれで安心して喜んではいないでしょうが、つぎの監督探しはもっともっと頑張ってくださいね。
 

 歳を取ったな、と思うことがあります。そんなこと思いたくないし、衰えを歳のせいにしたくはないけれど、やはり年齢には逆らえない。
 以前はそれほど苦労せずにいくつかの仕事(家事も含む)を並行してこなせていたのに、今は1日に2件以上ができなくなってしまい、それ以上のことがやろうと思ってもできない。というか、やる(べき)ことが頭に入ってきさえしない。
 3月からちょっとたいへんな仕事の締め切りが立て続けにあり、かつ書道の公募展の締め切りもあったりして、そちらに頭と身体がいってしまって、ほかのことにまったく頭が回らなくなってしまいました。
 メールの返事も滞り、相手から「どうなっていますか?」と催促が来てようやく思い出す。
 生協の注文を忘れて買い物にいかねばならなくなる。
 私にとっては文字通りの死活問題となる月一の歯医者の予約を忘れる。
 校正が送られてきているのに、送り返すのを忘れる。
 あげくに湿疹ができたらそちらに気が入ってしまって、締め切りを忘れる。
 これはどういうことなのだろうか、と考えたときに思い当たったのが、「メモリーが使えてないんだな」ということでした。
 パソコンはメモリー、CPUとHDDで性能が決まるというけれど、人間の仕事も、メモリー=作業デスク、CPU=脳と手足、HDD=資料棚で作業効率やできる仕事量が決まってくるのではないか。でもって、歳をとってくるとHDDの容量はかなりあがってくるし、それを使いこなすCPUもかなり性能はアップしている(はず)。でも肝心のメモリーは、CPUとHDDが大きくなっているにもかかわらずちっとも変わらないどころか、とっちらかっているせいもあって作業できるスペースがどんどん狭くなっている、ような気がするのです。
 対策は2つ。デスクを片付けて作業スペースを広くすること。もう一つは、作業できるスペースを認識してこなせる範囲以上の仕事をしないこと。
 デスクを片付けるためには、もう休むしかない。それこそぼーっとしてリセットする以外に、メモリーを回復させる手立てはないように思います。毎回どんなことにも、80%から100%で頑張っていれば、そりゃ作業効率は下がるし、そのうちフリーズするでしょう。私の場合、フリーズしていますよ、という赤ランプが湿疹だったと思うのです。
 そして気持ちよく動けるように、これ以上はやれないしやらない、ということを勇気をもって自分と周囲に伝えることもたいせつだなと思っています。
 そういうわけなんで、今日と明日はちょっとお休みしますので、よろしく!(って誰にでもなく、自分に言い聞かせています)
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(ジューンベリー、というらしいです。散歩していて見つけました。散歩で頭を空っぽにするのもメモリーの回復にはいいかもしれない、と思うのだけれど、そもそも散歩しなくちゃとか思うこと自体がメモリーをますます酷使していることになるのか?)

 ガンバの大きな意味での一時代が終わったな、というのが宮本さんの監督契約解除の報を聞いて思ったことです。
 前も書いたけれど、私は宮本さんが選手としても監督としても決して器用で突出した才能をもともと持っている人ではなく、むしろ努力型で先を見通して自分に何が足りないかを地道につぶしていくタイプなのだと思っています。監督としても、自分の色を出そうというよりは、状況に応じて地道に監督がやるべきことを教科書のようにやろうとしてきたのではないか。
 宮本さんは、1990年代後半から2000年にかけて、ガンバがまだ「お荷物」とか蔑まれ(💢)、「持っていてできる戦術はカウンターだけ」「でもそれが強みですよね」とかジュビロ戦でバカにされ(そしてチンチンにやられ)ていた時代に、ガンバをもう一ランク上のステージにあげるための「若手ホープ」として多くを期待されてトップチームに入団した選手でした。
 でも正直、私は宮本さんがJリーグ優勝チーム時のキャプテンで、ワールドカップに出場するまでの選手となるとは入団時には思っていなかったのです。ごめんなさい、見誤っていました。
 なぜ見誤ったかというと、シロート目にはプレーが地味だったからかもしれません。CBとして体格でやや劣る面を、読みの正確さと速さで補っていくタイプは、屈強CBとは見えません。シジクレイ選手と組むことで屈強部分はお任せし、自分は前に出てボールを狩る、シュートコースを切る、という頭脳面を担う。また最終ラインをぐーんと高く上げて、攻撃の圧を高める、という西野流も、ある意味1対1ではフィジカル負けする宮本さんのマイナス面を補うだけでなく、戦術の読みと落とし込みができる能力を発揮させたのだと思います。
 思えば西野さんがガンバの監督になる前、宮本さんがトップ昇格し、遠藤さん、山口さんが移籍してきたあたりから、ガンバは「栄光への道」(苦笑)を歩み始め、リーグ優勝し、ACLでも優勝し、その後にJ2降格を経て三冠達成した後まで、ガンバはずっとその「栄光(苦笑の自乗)」の時代の余韻を生きてきたのだと思うのです。その余韻というか残影だったのが、遠藤選手であり、宮本監督であり、そして山口ヘッドコーチだった。
 昨年遠藤さんが移籍し、今年は宮本さんが監督契約解除。
 もうそろそろ「栄光の残影」を追いかけるのはやめて欲しいし、レジェンド監督の解任が新生ガンバを築くための英断だった、と私は信じたいです。
 そして私も残影を振り払って、本当の意味でのガンバの新規出直しに期待しようと思います。
 
 ガンバフロントの方々、どうかガンバイズムだとか、超攻撃だとか、ガンバらしさだとか、そんなものをぜーーーんぶ振り払って、新しいガンバを一から作ってくれる方に監督をお願いしてください。
 道は険しいです。
 たとえどんなにすばらしい監督でも、今季は降格するかもしれない。
 でも、いま、安易にまた「栄光の時代の余韻」を追いかける監督を選んだら、今度こそ本当にガンバは再生できないまま終わってしまうかもしれないのです。
 そのことを肝に銘じて、年齢や国籍に関係なく、できればガンバとこれまで縁がなく、ガンバイズムなんてものにまったくとらわれない方を監督に選んでくださることを強く強く願います。

 昨年の夏、ある日突然全身に湿疹が出ました。全身、といっても、顔と腕と手と膝から下には出なかったから、正確には全身ではありません。でも頭皮(ここが一番すごかった)、胴体(背中も前も)、お尻、太腿には出て、うわーっ、これ何? と思ってあわてて皮膚科に駆け込もうとしたら、なぜか翌日には胴体とかお尻は消えていたので、つい「ま、いっか」と放置していたのですが、頭皮だけはなぜか消えないままどんどん広がって、かゆさがましていき、ときどき全身にもまた湿疹が出ては消える、が続いてついに皮膚科に行きました。
 ステロイドを処方されて、すこーーーーしはマシになったものの、湿疹との闘いはどちらかといえば私のほうが劣勢のまま年を越しました。(セカンドオピニオンでかかった医者には、「強いストレスが原因ではないか」と言われ、カウンセリングまで受け、いろいろと話を聞いてもらってストレスは少しは軽減されたような気がしていたのですが、湿疹との戦いは膠着状態って感じでした)
 そして3月に入り、ある日、耳の後ろから首筋に赤い湿疹を発見。発見した理由は痛痒くて、眠っている間に無意識にかきむしったらしく、膿んで痛くなったため。このときはかきむしりの傷を治す薬だけを塗って良くなりました。ずっとタートルネックを着ていたので、家族にも気づかれず。そして私は「きっとこれは花粉症のせいだな」と自分で自分に診断をくだして考えないようにしていました。
 ところが4月に入り、顔に湿疹が移動しちゃったんですね。最初はマスクかぶれかと思って(またもや自己診断)不織布マスクをやめて布マスクに変えたり、化粧をいっさいやめて洗顔も水だけにしたり、といろいろとやってみたけれど、顔の湿疹は赤みをまして広がるばかり。湿疹との戦いは劣勢と言える状態ではなくなり、敗戦の色が濃厚になってきたのでまたもや皮膚科に行きました。
 でも、処方された薬を塗ったら、もう顔が真っ赤に腫れ上がってしまい、いま湿疹に休戦の申し入れをしているところです。
 
 え〜〜〜これが「ガンバのことがブログで書けない理由です」といいわけを書いている最中に宮本さんが監督解任との一報が同志から入りました。
 またもや松波さんが尻拭いさせられるの? でもって、尻拭いからJ2へ、とかもうやめてほしいわ。
 もしかしたら私の湿疹の原因の一端は、ガンバの迷走にあるのかも……(いえ、それはガンバに責任を押し付けすぎ。ストレスの一番の原因は、67年にわたる親との関係をいま自分の中で調整をつけようとしていることの葛藤かな)
  

 またもや緊急事態宣言が延長される中、ワクチン接種のお知らせが届くのを首を長くして待っている高齢者の私です。届いたら、ネットで予約をとることに最低でも1日は潰さねばならないと予想しているので、いま仕事のスケジュール表をにらんでいるところです。どうも来週には届きそうなので、来週は予定をもろもろキャンセルしてワクチン接種予約との闘いだな……って、そんなことに高齢者のエネルギーを使わせないでほしいわ、ほんと。
→と書いた直後にワクチン接種券が送られてきて、ネットで予約したら、拍子抜けするくらいあっさりと予約できました。といっても7月末が第一回です。モデルナ製かな?  無事接種できますように。

 高齢者施設にいる母は施設側が手配をしてくれたそうで、私は役所から送られてきた必要な書類を作成してケアマネージャーさん宛に届けただけ。本当にありがたいです。何回言ってもコロナウイルスが感染症であることはもちろん、コロナウイルスという名称も記憶できない(娘の名前もしばしば忘れているくらいだから、新参者のウイルスの名称なんてそりゃ無理です)後期高齢者には、行政や施設が迅速にまとめて対応することは必須ですね。
 私はできるかぎり長く今住んでいる家で暮らしていきたいのだけれど、パンデミックや災害が起きたときのことを考えると、施設に移り住むことも考えた方がいいのかもしれません。 他人の手を借りないで自立して生きて死にたいという願いは願いとして、現実にはそんなことは不可能だと今回のパンデミックで思い知らされたので、いかに「自立」の期間を引き伸ばすかだけでなく、行政やプロ、渋々だけれど家族の助けをどうやって借りたらいいのかを考えている時期に来ています。
 「自立」は成人して以降、私の人生の最大といってもいいほどの大きなテーマで、21年前(そう、ブログ創設21年経ちました)からこのブログで何回となく書いてきましたが、65歳を過ぎ、そしてこのパンデミックで行動が制限される中で、私のこれまでの「自立」のイメージは大きく揺らいでいます。何よりも大きく変わったのは、「人の助けを借りなければ人は生きていけない。誰に、どのような助けを借りるのかを真剣に考えることも自立した人間のやること(やるべきこと)だ」ということです。
 もちろん助けに対する対価(金銭を含む)は支払わねばならないのですが、でも「カネ払ってるんだから、これだけやってもらって当然」なんていう考えは自立した人間には許されることではないし、また「前に助けてあげたんだから、今度は私が助けてもらう番(子供が高齢の親の面倒を見るのはあたりまえ、という発想にも通じますね)」という考え方も自立した人間には許されないことだ、と思っています。
 かといって、「迷惑かけてごめんね」とへこへこする必要もない。正々堂々と「これこれを助けてほしい。ここまでは自分でできたけれど、それ以上は無理だ。お願いしたい」と頭を下げて交渉すること。これが自立した大人のやり方ではないか、と。
 ポイントは「ここまではできる」という範囲をできるかぎり広くとっておけるように今から準備することかな、と思っています。たとえば、ワクチン接種の予約をとることも、すでに予約できた人にどうやったかを聞いて(PCを使った方がいいのかとか、時間帯は何時ごろがいいか、とか)、まずは自分でやってみる。でもどうしても繋がらずに予約ができないようであれば、そういう予約に強い人にお願いする、というのも手ではないかと(スポーツやコンサートのチケット争奪戦でいつも勝っている人、くらいの意味で、転売業者とかではありません)
 高齢者(私を含む)とカテゴライズされると、「あれもできない」「これも無理」とレッテルを貼られてしまうのだけれど、一人ひとり背景も能力も考え方もちがうから、当然、自立度もちがえば、そもそも「自立」の概念もちがうでしょう。現在88歳になる母は、70代に入ったときから「私はもう年寄りだからこれはできない、あれもできない、面倒臭い、あんたやって」と家事はもちろん、家の管理や金銭管理まで全部私に丸投げしてきました。でも自分は社会的に自立した大人だと主張し、自分で自分のことを年寄りと言っておきながら、私を含めた他人から高齢者扱いされると烈火の如く怒ります。いまだに。
 年齢や性別でカテゴライズしてしまったら、見えなくなってしまうことがいっぱいあるけれど、「自立した生活」の概念は人によって大きく異なることを、まずは心しておかねばならない、と自戒しています。
 それを踏まえた上で、私の「自立した人間として生きて死んでいく」目標達成のための第一歩は、ワクチン接種をできるかぎり早くすませることだな。
 

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