楽しいこと、前向きなことだけを書いていたいこのブログですが、残念ながらここ数年はそうはできにくい精神状態にあります。これから書くことは自分だけでなく家族を傷つけかねない内容なのですが、やはりいま言語化して公表することで、勝手ながら自分を救って少しは前向きになりたいと吐き出します。
 振り返ってみるともう7、8年前からなのですが、ちょっとしたことがきっかけで母は私と妹に電話をかけてわめきちらすということを繰り返します。認知症が進んで物忘れがひどくなってからは、電話をかけたことを忘れてしまうので、何分間かに1回かけてくる。前もここに書きましたが、早朝深夜を問わず、かけ始めたらもう止まらない。3分に1回、かけてかけてかけまくる。こちらが受話器を上げる前に切れて、こちらが受話器を置くとまたかかってきて、「かけるのをやめなさい!」と怒鳴ると、「電話なんか一回もかけたことがない」と言う。
 とくに秋に入るとそれがひどくなります。昨年の最高記録は9月末の1日42回でしたが、今年はすでに50回を超えて新記録達成です。毎回言うことは同じで、「いま○○(→母が幼少期を過ごした祖父母の故郷、奈良ホテル、帝国ホテル、一度などバッキンガム宮殿もありました)にいる。お金がないので支払いができないで困っている。すぐに来てくれ」と言うものから、「お金がないお金がないお金がない、どうしたらいいかわからない」と繰り返すものまでありますが、要旨は「すぐに来い!」「なんとかしろ!」「私がこうなったのは全部あんたたちのせいだ!」です。こちらが電話にでないとだんだんとエスカレートしていって、「親が電話をかけているのに出ないとは、あんたは人間のクズだ!」と怒鳴っている声が留守電に残ります。きついです。
 と同時に、すごいエネルギーだなと感心します。電話をかけ続けるエネルギーもすごいが、子どもに向かって「クズ」と怒鳴るエネルギーもすごい。89歳にいったいどこからそんなエネルギーがわいてくるかと言いたいところですが、私たち娘はその言葉の激しさには驚かない。驚くのは、まだそうやって怒鳴るエネルギーがあるのだ、ということと、認知症とはいえ「なんでそんなことを言うのか!」とこちらが責めると、たった3分前のことなのに「そんなこといった覚えがない」「私がそんなことを言うはずがないじゃないか!」と逆切れする、そのエネルギーに驚くのです。
 振り返れば子どものころから私たちはそれに似た罵声を浴びせられ続けてきたから、いかにも母が言いそうな言葉だと妙に納得します。認知症になって理性で歯止めがかからなくなって言っているのではない。自分の意に沿わない人やことに対して不満をぶつける母の言葉や語気の激しさには子どものころからずっと怯え続けてきたし、ひどく傷ついて恨んでもいるのですが、少しずつ自分の中で整理はできつつある。それでは私たち(とくに私)を苦しめているのは何かというと、周囲の無理解です。
「認知症だから、病気だから、年取って寂しいからしばらく我慢してあげて」とか「引き取ってそばで面倒を見てあげたらいいのに」「親なんだから電話で愚痴くらい聞いてあげなさいよ」「娘さんたちに会えなくてお母様は寂しいんですよ。だからわがままをいって甘えていらっしゃるだけです」という言葉に私はものすごく傷つく。「いっときのことですよ。しばらく我慢して」と言われてからすでに8年経って年々ひどくなっているのに、いったいいつまで私たちは我慢しつづけなくてはならないのか。母のいうように、すべて悪いのは私たちなのか。
 先日、たまりかねて母がたまにかかっている心療内科のドクターに長々と手紙を書いて訴えました。電話をもらってドクターから「娘さん、辛いですね。きついですね。娘さんは何も悪くない。悪いのはお母様の病気です。薬を処方します」と言ってもらい、ひたすら「ありがとうございます」と頭を下げて電話を切り、すぐに妹に報告したら「お姉ちゃん、ありがとう。これで少しは救われるかも」と言われ、電話を切ったあとに思わず泣いてしまいました。 
 私は昨年9月、母の電話での罵声攻撃が始まってから1年で8キロ体重が減りました。その前に太ってしまっていたから、ちょうどいいダイエットにはなったし、アルコールをやめてウォーキングを始めたことによる減量なので健康を害したわけではない。
 でも、昨日ふと気づいたのだけれど、減量は私が自分に与えた罰なのではないか。私は自分のからだをいじめることで、周囲(世間)の「子供は年老いた親の面倒を見るべき」という規範に添えない自分への罰を与えているのではないか 。もっといえば、毎日アルコールを飲み続けたのも、ある意味自分をいじめていたからだと思うのです。飲みたいわけではないのに、飲んで酩酊して、母の訴えから気持ちをそらせたかったのです。本当にアルコールが好きで、飲んでいい気持ちになりたいから飲んでいたのだったら、なぜある日を境に飲むのをやめられるのか。なぜその後はアルコールを口にすると頭痛がして吐きそうになるのか。友達と一緒に楽しい気分で(母のことを忘れて)いられるとおいしいと感じられるのに、そうでないときにアルコールを口にすると吐きそうになる。それはやはり私が自分に罰を与えているからだと思います。
 私が聞きたかったのは「あなたは悪くない」という一言だったと思うのです。あなたは悪くない、自分を罰してはいけない、自分をいじめてはいけない。そう言ってもらいたかったのです。一度も会ったことがないドクターに「娘さんは悪くない」「辛いですね」と言われた瞬間、私はそれまでつかえていた重く苦いものが少し外れたような気がしました。そして妹から「お姉ちゃん、ありがとう」と言ってもらって、なんかもうたまらなくなって自分でもびっくりする勢いで泣いてしまったのですが、泣いたことで少し浄化されたような。
 私が母にしてあげられること、できることはもうない、でもそれで自分を責めてはいけない、ということをこれからは自分に言い聞かせていこうと思っています。