Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2022年05月

 もう今年何回この言葉でブログを始めるか分からないくらいですが、ガンバのことはちょっとお休みした内容になります。
(あ〜〜〜あ、今年は降格の心配しないシーズンにして欲しかったんだけれどなあ、とファンソッコのゴールが決まったあとへたり込みました。順位を見ない、試合レビューも見ない、同志に愚痴を(できるかぎり)こぼさない、ポジティブ思考をつらぬく、その決意をあらためてかみしめております)

 2015年春に父が亡くなって7年たちました。父が亡くなる前後から、しばらく母のことで精神的にたいへんだったときは、「お父さんはあんな風に最後の最後までがんばってたのに、なんでお母さんは……」とか「もっとお父さんがちゃんとお母さんの病気に早めに対策とっておいてくれたら……」とか、父の思い出のほとんどを母に紐づけていたのですが、今年に入ってからもう少し距離を置いて父のことを思い出すようになりました。 
 医師だった父が、長年、折に触れて繰り返して言っていたのが、「自分は寿命をまっとうする生き方をしたい」「患者さんにも寿命をまっとうしてほしい」でした。そのあとに「誰にも寿命というもんが与えられとるんや。だが自分の寿命はそのときが来るまでわからんもんやからなあ。それでジタバタして延命に走る。そうかと思ったら、もういつ死んでもいい、もうどうでもええわとか勝手に自分の寿命を決めて、からだに悪いとわかってることをやりまくって寿命を自分から縮めるようなことをする。そういう人は、いざそのときが来たら、えらい後悔してまたジタバタしたりする」とつけ加えて言っていたのを思い出します。
 寿命をまっとうする——重い言葉です。そもそもいつが自分の寿命なのか、なんていま健康で元気に生活している身には実感できない。
  でも、頭の中に最近「寿命をまっとうせよ」という父の声が響くのです。なに? お父さん、何が伝えたいんや?
 それで私が何をやっているかというと、たとえば切り花をできるかぎり長持ちさせる、とか、服をリフォームしながら長く着続ける、とか、食品ロスをできるかぎり減らす、とか、つまり自分の寿命ではなく、身の回りにある生き物やモノの寿命をまっとうさせようとすることです。まずは身近なところから「寿命」を見直してみよう、と。環境にもやさしいしね、きっと。
 ちなみに英語で寿命はlifespanです。ただ、命の長さというだけ。寿命→「命をことほぐ(寿ぐ、言祝ぐ)」=命を祝福する、という意味が日本語にはこめられています。自分がいま生きていることだけでなく、身の回りのすべての命を祝福すること。父はもしかしたらそれを伝えたくて「寿命をまっとうせよ」とささやいているのかもしれません。
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(昨年から生ゴミをひたすら放り込んで混ぜ込んで堆肥をつくり、それで野菜を育てるコンポスト栽培を始めました。3月末から育てたスナップエンドウもついに寿命がつき、今朝つるをはずして片付けました。最後の収穫をありがたくいただいて、また来年だな。いまは枝豆育成中です)

 今週はとても嬉しく、誇らしい出来事がありました。
 このブログには私宛にメールでお問い合わせを送れる機能をつけています。私のアドレスをご存知ないかたも、ブログ経由で連絡がとれるように、という意図があります。
 先週一通のメールが届きました。
 私がどこかに書いた記事が、いつごろ、どこに掲載されたものだったか、教えてくれませんか、というお問い合わせでした。
 ヒントはファッション誌に掲載されていたこと、そしてスピリチュアルことを取り上げていた、という2点です。
 それを読んでしばし考えました。しばし=2日以上悩みましたね。スピリチュアルに興味がないはずの私が、何かそれについて書いたのか? うーんうーんうーんと悩んでいるうちに、ハッと思い出しました。
 創刊まもないころのVOGUEでスピリチュアルの特集が組まれて、私は何人かに取材して書いたことがある! でも、それって20年以上前。当時の担当者はもうほとんど残っていないから、アーカイブを見てくれと頼むのも気が引ける。
 でも、たしか藤田理麻さんに絵を描いていただいたことはよく覚えていて、それがご縁で理麻さんが拙宅に遊びに来てくださったり、私が毎年日本で開かれる個展(理麻さんは海外在住)をよく訪ねたりして、いまもご縁が続いているのです。スピリチュアルつながりですね。
 その旨をお伝えしたら、問い合わせてくださったかたが、なんと私が書いた記事をきっかけにスピリチュアルを本格的に学び、アメリカまでいらっしゃって、そこで多くの人と出会ったとお返事をくださりました。私が当時書いた記事の一節↓を保存していたことを思い出され、送って来てくださったのです。
「アメリカのヨガをはじめとするブームの底辺にあるのは、東洋志向とともにスピリチュアリティ志向である。身体はスポーツクラブで鍛えて、精神面・心理面はセラピストに面倒を見てもらう、というだけでは満たされない何かをアメリカ人はスピリチュアリティにもとめているのかもしれない。それも既存の宗教の枠に入らない、またカルトでもない、もっと純粋にスピリチュアルなものー心を開いて何か大きなものに対する畏怖や宗教や感謝を感じること、生きていることへの感動、鋭く豊かな直観力を探している。」
 お返事のメールを読んで、私は画面の前でじーんと感動してしばし固まってしまいました。
 22年前に書いた記事を、こうやって保存してくださっている読者がいて、しかもその記事が人との出会いをつくった、とおっしゃってくださる。
 ありがたいし、嬉しいし、そして身が引き締まる思いです。
 こうやって25年もブログにいろいろなこと(最近はほとんどがガンバのこと)を書き散らしていて、新聞や雑誌、Webでの記事もありがたいことにたくさん書かせていただいていますが、私が書いたものなんて、すぐに消えていくように思っていました。とくにSNS全盛のこの時代には、誰もが発信し、ことばは氾濫して、流れていくものだ、と。 
 でも、そうじゃないんですね。
 ことばは残っていく。ことばは刻まれるものなのです。いいように残って、刻まれていくように、だいじに発信していかねばならない。
 そのことを思い出させてくださったかたに、あらためて感謝したいです。
 
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 先日のダービーについて何か書く気にはとてもならず、代わりに、といってはなんですが、トークイベントのお知らせをしてもうしばらくガンバのことは目に入れない、ましてやそれについて何か書いたりしないようにしようと思っていました。
 でも、ふと目にとまった「ロスタイムは7分です」さんのコラムに、とても共感したところがあったし、長年ガンバサポを名乗ってきて、ピッチ内外での騒動について何も言及しないのはサポとしてどうかと思ったので、書いてみます。
「ロスタイムは7分です」さんのコラムはこちら↓
https://7additionaltime.com/archives/8692
「分断されるサポーター、レアンドロ・ペレイラ選手と昌子選手の口論を事例に」というタイトルで書かれたこのコラムで私が共感したのは、この部分(すみません、勝手に引用します)

 “バズる”のは強い意見だ。最近は「論破」という言葉をよく見聞きする。戦う人に支持が集まる世界。ネットで何かを発する時、常に問われている気がする。
「で、お前は味方なの?敵なの?」

 私はTwitterもインスタグラムも利用していない。いや、一応アカウントは持っているし、たま〜〜〜にのぞくし、拡散を頼まれてリツイートをすることもある。
 でも、基本姿勢として「できるだけ見ない」「自分からは発信しない」。Facebookは利用するし、発信し、コメントもつけるのに、Twitterやインスタはなぜやらないのか? 意図的ではない。自然に足(目か?)が遠のいてもう何年にもなる。
 理由は「ロスタイムは7分です」さんのいうとおり、敵と味方にくっきり線を引き、正しかろうがまちがっていようが、強いわかりやすい意見に支持が集まるのが耐えられないからだ。
 自分とは相入れない意見の人を、「おまえは間違っている!」「おまえは敵だ!」と指差しし、糾弾 し、相手が消えるまで「論破」するのを見ているのが、息苦しくなるくらいストレスだ。私自身や、私が出した本や書いた記事、インタビューで答えたことに対して、根拠レスなバッシングを受けたこともある……そうだ。わざわざ教えてくれる人がいるのだけれど、私は見ていない。
 マジョリティ/マイノリティ(多数派/少数派)、支配者/被支配者とくっきり線が引けるものなのだろうか? 多数派の意見だから正しくて、少数派だから間違っている、なんてそれは民主主義ではないはずだ。正否の線引きなんて、状況と置かれている立場によってまったくちがってくるだろう。私のほうが声が大きく、「論理」立っていて、こんなに支持してくれる人が大勢いるのだから、私の意見こそ正しくて、間違っているほうは黙っていろ、という姿勢は独裁者のものだ。
 サッカーのことにかぎらない。会社で、学校で、家庭で、夫婦で、パートナー同士で、親子で、きょうだいで、地域コミュニティで、そしてインターネット空間で、「あなたがまちがっている」「おまえが悪い」と個人を指差し、糾弾するのではなく、また指差された個人を「私が悪かった」「間違っていました」と謝らせるのではなく、お互いの意見に耳を傾けて、そういう考え方もあるのか、と理解した上で、「それでも私はこう考える」と言える社会。私が目指しているのは、そういう社会だ。
 サポーターとして、パートナーとして、友人として、母親として、私は「相手の意見に耳を傾ける度量の大きい人間」になることを目標にしている。道は遠いけれど。

 というようなことを、実は私は2年間にわたるフェミニズムの取材を通して学びました。(すごいなこのほとんど強引ともいえるもって行き方)フェミニズムは「炎上案件」なのだそうです。フェミニズムとひと言出すだけで「あっち側の人」とか言われるそうです(SNSを見ない私はすべて「そうです」しか言えないのだけれど)
 でも、フェミニズムを知ると「私が悪いのではなく、相手が間違っているのでもなく、制度や社会に問題があるし、変えていくことが(私でも)できる」とわかってくる。すると、とても気が楽になるし、パートナーとの関係も、上司との関係も、ふしぎとざらざらからすべすべへと変わっていくのです。少なくとも私は。
そういう意味でトークイベントです。

「フェミニズムってなんですか?」刊行記念
「きっとあなたにも必要なフェミニズム」
 6月18日(土)15時〜17時
https://atta2.weblogs.jp/ryushokan/25-トークショー/
詳しくは↑
申し込み・お問い合せ:隆祥館書店 TEL:06-6768-1023 

住所:大阪市中央区安堂寺町1-3-4 谷町6丁目⑦番出口向かい

Eメ-ル:ryushokan@eos.ocn.ne.jp

主催:隆祥館書店        協力:文藝春秋

(ここを見ていらっしゃるのはガンバサポの方が多いと思うのですが、イベント終了後、パナスタまで横浜FM戦にご一緒するっていうのはどうでしょう?(これまたすごい強引なお誘い……我ながら苦笑) 

2020年4月から2年間にわたって、VOGUE CHANGEというWebで「VOGUEと学ぶフェミニズム」という連載のライターをつとめてきました。このたびそれがまとまって文春新書から出版されました。
「フェミニズムってなんですか?」著者は清水晶子さん。フェミニズム/クィア理論の研究者です。
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2年間、毎月さまざまなテーマで清水さんにお話を聞き、それをまとめ、編集者の松本さんと清水さんががっつり手を入れてより包摂的(インクルーシブ)にわかりやすくなり、より発展的なビジュアルを入れてアップされてきました。
この2年、私はこの仕事のおかげでフェミニズムのことをじっくりと知ることができ、おおげさではなく世界の見え方が変わりました。
ありがたいことに19回毎回閲覧数トップの人気ページになりました。いろいろな意見が寄せられ、なるほどそういう考え方、見方もあるのかとそちらも勉強させられました。

発刊記念として、大阪の隆祥館という本屋さん(このブログでも紹介した「13坪の本屋の奇跡」)でトークイベントを組んでくださることになりました。
清水さんは残念ながらリモートでの登壇となりますが、私は大阪の現場からリアルで参加させてもらいます。
大阪のみなさま、よろしければぜひ足をお運びください。(vs横浜FM戦に間に合いますよ)大阪には行けないという方は、リモート参加も可能です。詳細と申し込み方法は以下に。

テ-マ『きっとあなたにも必要なフェミニズム』
「フェミニズムってなんですか?」発刊記念イベント
 
ゲスト  ライター(聞き手)・実川元子さん  著者・清水晶子さん
今回は、実川元子さんの問いかけに、清水晶子さんにお応えいただく形で進めていただきます。
開催日 : 2022年6月18日 土曜日
時間 : 15:00~17:00 
隆祥館書店多目的ホ-ルからリアル&リモ-トで配信
(要予約・事前購入制とさせていただきます。申込み順)
隆祥館書店多目的ホ-ルにて、リアル(限定50名) &リモート(定員100人)トークイベント
隆祥館書店からリモ-トで配信
リアルトークイベント
●費用:3,500円(内訳:参加2,422円+本代『フェミニズムってなんですか?』1,078円)
リモート・トークイベント
●費用:3,300円(内訳:参加費1,722円+『フェミニズムってなんですか?』1,078円+送料及び手数料500円)
本無しリアル
●費用 : 3,000円
本無しリモート
●費用: 2,500円
※ リモ-トでの申込者には、後日アーカイブ動画もお送りします。当日ご都合が合わない方も、ぜひご参加ください!
(要予約・事前購入制とさせていただきます。申込み順)
*振込先 三井住友銀行上町支店 (普通)1353923
カ)リュウショウカンショテン
※ リモート・トークイベントに、参加ご希望の方は、あらかじめZOOMのインスト-ルをしておいて下さい。
※ 参加者は、弊社が送付するメールに記載のアドレスからzoomにご参加いただき、開始時間までにIDとパスワードをご入力のうえお待ちください
※ 店頭もしくは、メ-ルで、お名前・ご住所(郵便番号含む)・お電話番号を明記の上、お申込み下さい。(メ-ル送信及び遠方の方への送品のため)
※ お申し込みの手続きを完了しているのに、こちらからの連絡のない場合は、恐れ入りますが、トラブルを避けるためにもイベントの3日前までにお電話にて、ご一報いただけますようお願い致します。
申し込み・お問い合せ:隆祥館書店 TEL:06-6768-1023 
住所:大阪市中央区安堂寺町1-3-4 谷町6丁目⑦番出口向かい
Eメ-ル:ryushokan@eos.ocn.ne.jp
主催:隆祥館書店
協力:文藝春秋

ガンバ 1−0 柏

 ぼこぼこに攻められながらも耐えに耐え、前半を無失点でしのいだとき、ひそかに私が思ったこと(後出しジャンケンです、はい。でもほんと)
 これ、もしかして、もしかするかもよ。
 そのとき頭の中をよぎったいくつかのシナリオは……
1)後半開始早々に柏に決められて、耐えることができなくなって失点を重ねる。
2)前半以上に耐えに耐えて、85分〜90分➕αくらいに柏に決められてがっくりジエンド
3)またもや耐えに耐えて、耐えに耐え続けて、 なんとかスコアレスドロー(→ある意味現実的に望める理想的な結果)
4)……いや、まさかね。そこまでは望みませんよ……ちらっとでもそんなことを考えたら現実にはならなくなる……

で、結果は4)でnon- expected dream comes trueでした。 

ダワン選手さまさまさま、ありがとうありがとうありがとう(泣いている)

 昌子選手が試合後に「DF陣と一森が残ったので、これはもうしっかり後を支えるしかないと思った(うろおぼえ)」というようなことを言っていましたが、コロナは前の選手を襲ったのですね。でも、別にコロナウイルスは標的を定めたわけではないし、陽性になったからといってそれは感染した人の責任でもなんでもないです。たまたま中盤から前に広がっただけ。
 そうでなくても得点の匂いがしないチームが、こうやって劣勢を強いられ続けた試合をウノゼロで終えることができたのは、感無量です。
 願わくは、得点が85分くらいで生まれて欲しかった。あと20分以上ある時間帯で、しかもいっそうの波状攻撃にさらされ、急遽召集されたユースの南野選手も、デビューはひたすら守備に走り回り、もう足が動かなくなっていたペレイラ選手にかわって前線で起点になろうとからだを張る役割をになわされる。正直、私は最後の20分以上は生きた心地がしなくて、その場で寝込みそうでした。

 でもみんながんばった。
 ほんとにがんばった。
 ありがとう、ガンバのみなさん。
 今週は朗らかに過ごします。 

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