Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2022年12月

 事情があって、今年は1日早く今日、つまり2022年大晦日に我が家で新年会? 年越しパーティ? をやりました。いま娘たち一家を見送って久しぶりにPCの前に座りました。おせちやら掃除やら買い物やらで、4日間座るひまなかったもので。
 今年も忙しい1年でした。
 仕事に、家庭生活に、書道に、介護に、追われ続けました。
 どれも、もちろん100%完璧ではないけれど、私ができることは精一杯やれたかなと思っています。だから今年は自分を褒めてあげよう、という気分。
 今年は毎日書道展で初めて受賞しました。そのとき先生方から「一段上がったね」というとてもありがたい言葉をもらいました。
 おそらく、今年もらったなかで一番うれしく、一番励まされた言葉でした。
 そして自信もつきました。書道だけではなく、仕事でも、家事とくに料理でも、まだまだ私は成長できるし、その余力はあるんだ、と思えました。
 ただ、残念ながら年齢は容赦ないです。今年の健康診断の結果があまりよくなくて、それが加齢によるものだと思い知らされてやや落ち込んでいます。
 これに関しても、成長できるための努力は必要だけれど、40代、50代のときのようながんばりはもうきかないよ、という忠告だと受け止めて、がんばりの度合いをこれまでの70%くらいに抑えつつ、それでも成長をあきらめないでいこうと気持ちを取り直しています。
 がんばることは得意なのだけれど、がんばりすぎないことが苦手な私にとって、その70%の加減をどうつけるのかが2023年の課題になりそうです。
 今年もグラマラス・ライフを訪問いただきありがとうございました。
 来年も、またお付き合いの程、よろしくお願いいたします。
 来年は、来年こそは、すばらしい一年となりますように。
 みなさまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
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 おせち。いつまで作り続けられるかわからないけれど、食べてもらいたい人たちがいて、作りたくて頑張れる間は作り続けようと思っています。
 今年はいが蒸し、ミニミートローフ、昆布巻き、菊花かぶを作ってみました。

 来年はいよいよ60代最後の年を迎えます。正確には2024年再来年の2ヶ月間は60代ですが、まあ2023年が60代最後と言っていいでしょう。
 2014年に還暦を迎えたとき、私はたしかこのブログに「まだまだあきらめない」みたいなことを書いたと思います。仕事を、自立した生活を送ることを、自分がやりたいことをやることをあきらめないぞ、というような宣言をしたような気がしています(→確かめていませんので、ちがったらご容赦を)
 そして実質60代最後の年を迎えるにあたって、あらためてその決意をここに宣言しておきます。
 60代最後の年も、もちろん70代になっても、私は私のやりたいことをあきらめません。
 仕事も、趣味も、ボランティアも、生活も、やらなくてはならないという義務感よりも、やりたいという意欲のほうを優先させてやっていきます。
 ということをわざわざここで宣言するのは、年齢に関係なく、どうもね、この社会(日本だけではないかもしれないが)には、やりたいことよりも、やらなくちゃいけないとされていることを優先させる、いや、優先どころではなくやらなくちゃいけないとされる義務だけをやっていればいいんだ、それ以上のことをやるな、というような圧力があるように思うからです。ただ私がそう感じているだけかもしれないのですが。
 たとえば……
 結婚しなくてはいけない。
 子どもを産んで女は一人前(→母の口癖。1日1回は言っていた)
 女性は家庭を守るべし。
 夫や家族の面倒を見る(ケアする)のが女の義務。
 親の介護は子どもの責任であり義務。
 家族全員の衣食住の管理は妻(母)がやるべき。

 はい、私も「そうすべき」とずっと思っていました。でもね、60代になったとき、その「義務」は私の人生を貧しくしてしまう、ということに気付きました。

 とくに私(1954年生まれの女性)の仕事の前に立ちはだかる壁は、働き始めてからずっとうんざりするほど高かったです。
 
 なぜあなたがフルタイムで働かねばならないのですか。お子さんが小さいときはしっかり面倒を見てあげるべきです。それが母親のつとめです。(20代から30代にかけて)
 仕事、仕事って、あなたがそんなに必死になってやらなくちゃいけないことなの? 経済的に困窮しているわけじゃないんだから、あなたのやっている「仕事」って所詮有閑マダムの暇つぶしでしょ? それよりもだんなさんやお子さんたちの面倒をしっかり見てあげたら? 子どもがぐれたら親の責任だよ。(30代から40代にかけて)
 仕事はいい加減にしろ。親が老いてきているのだから、そんなボランティアみたいな仕事なんかやめて親の面倒を見てやれ(50代)
 いずれあなたも年をとって介護が必要になる。いまあなたが親の面倒を見ないと、そのツケは自分に回ってくるんですよ。そろそろ仕事をセーブして、しっかり親の介護をしなさい。でないと、いずれ自分が老いたときに悔やむことになりますよ。(60代。いままさに言われ続けています)

 言う人は家族(とくに母親)、親戚、友人、知り合いなどなど、面と向かっていう人もいっぱいいたけれど、○○さんがそう言ってたよ、と「忠告」する人もいて、人の言うことをすぐに気にする私にはなかなかに壁が高く、険しく感じてきました。

 でもね、励ましてくれる人もいっぱいいるのです。
 仕事を続けていくことをあきらめかけたときに、仕事を依頼して「実川さんじゃなくちゃできない仕事ですよ」と言ってくれる編集者や仕事関係者たち。
 泣き言をいうと「人に言われたことで悩むなんて馬鹿馬鹿しい! 無視無視!!」と一蹴してくれる友人たち。
 大きな仕事を引き受けるかどうか迷っているときに「その仕事をいまやらないで、いつやるのよ! 私たちだって残された時間はそう長くないんだよ。がんばりなよ」と背中を押してくれる妹。
 そして思いもかけないかたから高い評価をしていただいたり、ときには賞をいただいたりすると、ああ、ほんと、あきらめないで仕事を続けてきてよかった、としみじみ思います。

 幼い子どもを抱えて仕事をがんばっている娘たちにもいつも言っています。
 「女性が仕事を続けていくのは、男性とはまったくちがったたいへんさがある。賃金格差とか腹の立つことも多いし、いやになることもいっぱいあるし、周囲からの圧力もある。でも、あきらめないで。あなたが選んだ仕事を、あきらめないで続けていって。仕事をすることで見えてくる世界がある。仕事をすることで得るものはお金だけではない。仕事だけが人生ではないけれど、仕事をすることで豊かになる人生があるんだよ」
 そう、次世代のためにも私は仕事をすることをあきらめないでいきたいです。
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 もらいものの写真です。クリスマスツリーと満月。

今年は11月まで締め切りに追われに追われて、腰を据えて本(学術書みたいなの)を読むことがなかなかできなかったのですが、就寝前に読み耽ったお楽しみ本(漫画)はいろいろとありました。
シリーズで読み耽ったのは、
アン・クリーヴスシェトランド島シリーズ(昨日、ついにシリーズ最後となる「炎の爪痕」が出てしまって、これ読み終わったらもうペレス警部に会えなくなるのかと思うとさびしくなるから読めません)
あさのあつこの弥勒シリーズ(「闇医者おえん秘録帖」「ラストラン」「バッテリー」にも)
ドラマにもなった「アンサング・シンデレラ」(まだ終わりそうにないのがうれしい)
8年にわたる連載が終わった「ゴールデン・カムイ」
でした。
お楽しみ本にハマるのは、私の場合、現実逃避したいときで、だからできるだけ自分がいまいる環境とは異なる場所や時代が舞台になっているものを選ぶ傾向にあります。
そのためか、北欧やアフリカを舞台にしたミステリー、サスペンスとか、時代小説がハマるのにぴったり。

お楽しみとは言えないのだけれど、「障害」に関する本にも結構はまりました。
自分が年齢を重ねているうちに身体的・頭脳的にいろいろとできなくなることが増えてきて、この不具合(dysfunction=機能障害)やできなくなること(disability=能力欠如)を自分にどう納得させてつきあっていけばいいのか。またそういう「障害」による社会的な不利益=handicapをいかに減じていけばいいかを考えたかったから。
伊藤亜紗さんの「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書)を数年前に読んでほほ〜と目を見開かされて以来、「記憶する体」「目の見えないアスリートの身体論」「わたしの身体はままならない」とか立て続けに読みました。そもそも自分の身体を自分が思うように動かせられるものなのか。ままならない身体をAIがどこまでサポートできるのか。認知症で骨粗しょう症の母の身体を見ながら、将来自分が老いていく姿を想像し(でもたぶん9割がた外れているだろうけれど)、dysfunctionalでdisableになることを受け入れられる力を養っています。 
ベストセラーになった「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」(川内有緒)もたいへん示唆に富む、そしてたのしい本で、「視る」ことで成り立っていると思っていたアートの鑑賞を根元からくつがえしたし、そうかそういう楽しみ方、「見方」もあるのかと目からウロコ本でした。
「くろは おうさま」(メネナ・コティン文・ロサナ・ファリア絵 うの かずみ訳)は視覚障害を持つ人のための絵本で、さわることで楽しめるという、これまた目からウロコでした。編集した細江幸世さんと訳者の宇野和美さんのトークイベントもたいへん興味深かった。点字で読書する視覚障害者が3割くらいしかいないっていうのも驚きだったし、dysfunctionやdisabilityがある人たちのアートのことを知ってわくわくしました。そして何よりも、この絵本が見て美しく、さわっても美しいことに驚きです。
まさに機能障害や能力欠如を社会的不利益にしないことのヒントが詰め込まれていたのが 「みんなが手話で話した島」(ノーラ・エレン・グロース著 佐野正信訳 早川書房)でした。アメリカ合衆国マサチューセッツ州にあるマーサズ・ヴィンヤード島では20世紀はじめまで聾唖者が多く、島民は健聴者であっても手話でお互いのコミュニケーションをとっていたそうです。その生活があまりにもノーマルだったので、調査した著者が「家族や知り合いに聾者がいましたか?」と聞いても、思い出せないお年寄りも多かったとか。dysfunctionがhandicapではなかったという話は、これから超高齢化を迎える日本社会において障害をいかにハンディキャップにしないかとうヒントが詰まっているのではないかと思いました。

2021年9月にアップルウォッチとともにイヤホンを購入し、以来ウォーキング1時間超の間ずっとアップルミュージックで適当にステーションを選んで聞いてきました。(聴くではなく聞き流しね)
最初は昔懐かし、私の青春時代だった1964年から1970年代にかけての洋楽だったのですが、すぐに飽きたのでToday's Hitを聞くようになり、そしてはまったアーティスト(ミュージシャン?)トップ10を挙げておきます。
アップルミュージックが教えてくれたのは、私が一番よく聞いたのがLizzoだそう。2Be Lovedのミュージックビデオも仕事始めに気持ちを盛り上げるためによく見たなあ。歌詞もめちゃ気に入ったし、この曲の入っているアルバムもほぼ毎日聴き続けた今年。Lizzoいいよなあ〜〜と思っていたら、ミッシェル・オバマもすごく好きでiPodに落として聴いていると知って、ますますよく聞くようになりました。 ボディポジティブの旗手、黒人、女性、LGBTQ+など社会から疎外されがちな人たちを勇気づけるLizzo!
来年も応援している!
つぎによく聞いたのがテイラー・スウィフト。いまさら〜〜感があるでしょうが、そのいまさらでAnti-Heroをこれまた私はよく聞いたらしい(アップルミュージック調べ)。初期のころのスウィフトよりも歌詞が鋭くなってくるころの彼女が好きだなあ。
やはりモノ言うアーティスト、リナ・サワヤマもよく聞きました。2023年にはまた来日してソロコンサートをするとか。楽しみだなあ。日本生まれでイギリス育ち。その経歴について思うことをずばずば歌っているんだけれど、歌声は(こういう表現は月並み過ぎてどうかと思うけれど)澄んでいて明るい。歌詞とのアンバランスがまた大きな魅力。Tokyo Love Hotelは歌詞を眺めながら聞くと、ほんとリナ・サワヤマの魅力が響いてきておもしろい。
あと、今年のグラミー賞で話題になったiLeロザリアもいま気に入って聞いてます。

とここまでは女性(?)アーティストで、色濃く私の思想的(?)好みが出ているんだけれど、ただただよく聞き流したのはチャーリー・ブースMAXブルーノ・マーズです。
ひとりのアーティストのアルバムやセレクトステーションを聞き続けて、最後の締めにこの3人の誰かを聞くことが多かった今年の後半です。
 ブルーノ・マーズは来日して話題になって、もういまさらなんだけれど、やっぱり彼の曲はどれも、ほんとにどれもまったく外してこなくて、好きだなあ。
チャーリー・ブースはソプラノのあの声が好き。MAXも声が好きかな。

と、まさか自分が音楽を語るようになるとは思わなかったのだけれど、朝起きてから家事の間に、また夜のウォーキング中に音楽を聞く楽しみができて、日常がなんというか彩り豊かになったなあという気がしています。来年はどんな音楽に出会うかなあ、とそれもとても楽しみ。
と言っておきながらですが、やはり本にはいく。
音楽を聞くようになって、Lizzoたちのモノ言うスタンスに興味を持って読んだのがこの本。「音楽とファッション〜6つの現代的視点」 by青野賢一。最初の章がジョニ・ミッチェルだったので、もうズドンと来て即買いしてしまいました。リナ・サワヤマの章も腑に落ちたし。

今年、2022年の年明けに北のほうで不穏な空気が漂い始めて、まさか、まさか侵攻しないよね、いまさら武力で他国を占領しようとか、それ20世紀の半ばで全世界的に反省して終わったんじゃないの? と思っているうちにロシアがウクライナに武力攻撃。ロシアとしたらすぐに終わるはずが、いまだに戦闘が続き、ウクライナだけでなく全世界的に大きな影響(もちろん悪いほうの)が及び、どうなってしまうんだろう……とびくびくしているうちに1年が終わろうとしています。
いろいろなことがあったはずなのだけれど、そのいろいろのすべてがこの戦争に結びついてしまう。
しかも2022年が終われば、はい、問題も解決に向けて好転しますね、とはまったくいえない。
この不透明感、先が見えない不安感が影を落とした一年でした。
暗い話になりそうなところですが、気持ちを立て直して今年私個人がやったこと、やらなかったこと、思ったこと、感じたことを書いてみようかなと思います。

まずは旅行。今年は金沢、旭川、函館に旅行しました。
金沢21世紀美術館で開催されていた「フェミニズムズ」が目的でしたが、そのほかにも金沢に移転した国立工芸館を訪問し、兼六園を散歩し、金沢城を見学して温泉につかる旅。一泊でしたが、なかなか充実していました。
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(東京から金沢に移転した国立工芸館。館内も展示も見応えある建築物でした)

旭川は、ゴールデンカムイ 聖地巡礼ツアーと称して北鎮記念館や旭川博物館、神居古譚(と駅舎)などを見学。ジンギスカンで有名な大黒屋で大好きな羊を満喫し……おなかをこわしましたがそれでもあの味は忘れられません。ビールがいけなかったね。
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(神居古譚駅まで石狩川をわたる神居大橋)

函館は、私が所属する創玄書道会の創始者、金子鴎亭先生とその一番弟子である中野北溟先生(今年99歳!)の展覧会を見て、あとは第二次ゴールデンカムイ 聖地巡礼ツアーで五稜郭などをまわりました。ここでもジンギスカンを堪能し(もうビールを飲まなかった)、有名な回転寿司で「もう食べられません」というまで北の海の幸を満喫。
そのほか仕事と介護で大阪と広島にいきました。大阪は毎回観光しよう、グルメしようと思うのだけれど、結局時間がなくてアウト。でも広島は前泊したので、ちょっとだけ観光。平和記念資料館をじっくり見学しました。もう20年以上前に訪れたことがあるはずなのだけれど、展示方法が変わっていたせいか、それとも私が年をとったせいか、印象が異なりました。
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(平和記念大通りはクリスマスシーズンを迎えてか、イリュミネーションが輝いていました)

海外旅行に行けなくなってから、日本のなかを回っているこの3年ですが、いろいろなところにいくほどに痛感するのが「私は日本のこと、日本の(そして世界のなかにおける日本の)歴史を知らなさすぎる」ことです。
そもそも日本はいつごろから日本となったのか?
日本語はどのように成立したのか?
生まれは兵庫県ですが、東京で暮らしてもう50年以上がたちます。出身は兵庫県でも、成人してからの生活の場は東京。そうすると首都・東京の住民の目線でつい日本全体を推し量ってしまうのだけれど、地方に旅行するたびにそれでは日本のすがたはほんの一部しか見えてこないとわかります。それではいかんよなあ〜〜と毎回旅に出るたびに思うので、今年は歴史の本をわりによく読んだかな。
読んだ本についてはまたあらためて。

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