Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2023年05月

先週Netflixで「クイーン・メーカー」11話をイッキ見して、いろいろと考えさせられることが多かったので、5話くらいをもう一度見直し、もっと考えさせられました。


簡単にあらすじを説明しておくと、ソウル市長選の話です。最終的に対決する候補者は、韓国大財閥の娘婿パク・ミンジュ(元人気ニュースキャスター。キュ・スヨンが怪演)と人権派弁護士オ・ギョンスク(女性 ムン・ソリが圧巻の演技)。
娘婿にはかつて大統領選挙で参謀をつとめた経験がある百戦錬磨のカール・ユンが、そして人権派弁護士には、かつて財閥のイメージ戦略をつとめ、凄腕と評判だったファン・ドヒ(キム・ヒエがやはり怪演)がそれぞれ戦略担当の参謀となります。
相手候補のスキャンダル(ギョンスク側にはスキャンダルがないので全部捏造)を的確なタイミングで暴露して足を引っ張り、それぞれの票田にもっともアピールするイメージを打ち出すという選挙戦略がおそらくこのドラマのおもしろさであり、またストーリーを主軸となって動かしていくのが全員女性という点も注目されるところだと思います。
選挙戦では、財閥をバックにした権力の中枢を握る勢力と、権力もカネも持たない庶民との対決(対比)がわかりやすく単純化された構図で描かれます。背景としておぞましいほどの格差に起因する労働運動とそれを弾圧する暴力、性暴力とセクハラ/パワハラ、フェミニズム運動、といったテーマも毎回出てくる。
ワイロ、恐喝、暴力(ときに殺人)などの裏の事件もふんだんに散りばめられています。いやいやドラマでしょ、選挙ったって現実世界ではいくらなんでもそこまでひどいことは……とは一概には言えない。戦後の韓国(朝鮮半島)の歴史を少し知っている人なら、それもありうると思うのでは?
主人公であるファン・ドヒはおそらく40代半ば。まだ韓国が民主化されていない1970年代の終わり頃の生まれではないかと思われます。立候補する弁護士、オ・ギョンスクはファン・ドヒより少し年下で、二人とも民主化を勝ち取るための戦いを見ながら成長したのではないかと。民主化の戦いでは、国家が自国民、それも民主化運動に加わっていない人たちも「国家に反逆した」と断罪して何千、何万人も殺す事件がありました。
そして二人の女性の人生に大きな影響を与えたのが、1997年のアジア通貨危機であることが、2話、3話あたりで描かれます。
IMF危機を乗り切った韓国は大きく経済発展を遂げましたが、その裏で社会格差はおそろしいほど広がりました。父親の失業のために学歴もコネもなくなった女性のファン・ドヒは、犬のような忠誠心と財閥家族の失態を尻拭いする才覚だけで財閥企業に欠かせぬ存在となっていきます。ちなみにファン・ドヒは何かというと「犬」とののしられます。野良犬とか猛犬とか赤犬とか。
一方で、民主化を勝ち取るための運動は、労働者の人権を守るための労働運動になり、オ・ギョンスクはその象徴として描かれています。彼女は「正しいことのために猪突猛進する」サイを自称します。
その二人が、もうひとりの候補者である娘婿の性暴力をきっかけに手を結び、「よりよい社会の実現」をめざして選挙を闘います。
女性たちに何回となく浴びせられるのが「理想を追っていては政治はできない!」「現実を見ろ!」という言葉(というか罵声)。そこには女性蔑視の視線も含まれているし、選挙はマネーゲームと公言してはばからない政界の「常識」があります。
ギョンスクは何回も「自分の信条を歪めて、理想を捨ててまで、そして大事な人を傷つけてまでソウル市長になる意味がわからない。もうやめる!」と 叫ぶのですが、そのたびに彼女の理想に共鳴する人たちによって救われます。
つとめていた財閥企業に雇われた手先に認知症で入院中の父親を殺されたドヒは、怒って相手候補の参謀であるカール・ユンに会いにいきます。するとユンは「おまえの父親はファン・ドヒの父親であるがゆえに殺された」と嘯くのです。そのあと「政治の世界では人殺しとは言わない。政治において人は存在せず、思想しかないからな」「私の思想を妨げる障害物を取り除いただけだ」とすごいセリフをはくのです。当然、怒りに震えるドヒは復讐を誓うのですが、「政治の世界」の論理しか頭にないユン(そして財閥一族)にはそれは「負け犬の遠吠え」くらいにしか響かない。
 思想をつらぬくために、人は犠牲にしてもいい、というその論理。
 ユンもはまたこうも言い放ちます。「理想を追いかけるのが政治じゃないぞ。現実をみろ」
なんかわけわからんこと言っとるわ、このおっさん、という目でドヒはユンをにらみ、「私は理想を追う。よりよい社会の実現するための戦いをやめない」と主張。両者は平行線のまま。
  まあ、ファンタジーといわれればそうかもしれないけれど、私は感動しましたね。
 恋愛要素いっさいなしで、イケメンも登場しない選挙ドラマですが、見応えがありました。

ガンバ大阪 3−1 アルビレックス新潟


実は横浜M戦も前半だけですが現地観戦していました。
新幹線の時間があるので、前半終了間際にスタジアムを飛び出してモノレールの駅まで早足で歩いているとき、キッチンカーのテレビで失点を知りました。
がっくり。
試合は決して悪い内容ではないけれど、何かが欠けているんじゃないかと思わせる物足りなさを感じていただけに、前半のうちに失点してしまったことがその欠けている何かを証明しているように思えました。
ルヴァン杯vs京都戦も、欠けているものがなにかわからないけれど、やっぱり欠けているんだと思わせる結果(試合は見ていません)
そして昨日のリーグ戦。
この試合に負けるか引き分けだったら、もうDAZNを解約しようと決めていました。
スマホを開かず、その日の用事をすませ、帰り道でネットを見て結果を知りました。
そしていま、見逃し配信で試合を全部通して見終わり、欠けていたものがなんとなくですがわかったような気がしています。
おそらくそんな単純なことではないだろうけれど、修正力かな。
前も書いたけれど、ガンバのスタイルがぁぁぁ、とか、ポゼッションを高めてぇぇぇ、とか、そういうことを捨てた試合だったと思います。
それがいいことかどうか、これからも通じるかどうかは わからないけれど、自分たちのスタイルを捨てて、新潟の強みを消すことに注力した試合でした。
ポゼッション率なんて、前半は新潟73%でガンバは27%ですよ。
しかも試合終盤は2点差がついているのに、86分に三浦と高尾を入れて魔の5バック。
得点は手数をかけないショートカウンター。
なんといってもジェバリのキープ力が効いていました。
今シーズンリーグ戦先発2試合目にもかかわらず、倉田の気合いがチーム全体におおいに喝を入れていたと思います。
長い長いトンネルを抜けました、と同志からメッセージが来ましたが、正直、本当に抜けて青空の下を走れるのかはわかりません。
でも、相手の出方を見ての戦い方というのを、もしかしたらこれから多用してくるんじゃないかなという 予感がしています。それが吉と出るか、それともなかなか結果に結びつかないかはわからないけれど。
とりあえず今週1週間はほっとして過ごしたい。
DAZN解約は少し延ばそう。

 できるかぎり長く自立した社会生活を送り、できるだけ長く働き、健康寿命を伸ばすために、やれることはやろう。そのために規則正しい生活を送り、運動習慣を身につけ、からだによい食事を心がける。
 そう思って残り少ない60代の日々を送っています。
 でもどれだけ強く願って、どれだけだけがんばったとしても、いつかできなくなる日が来る。そう覚悟を決めなければいけないな、と思うことが最近続いています。
 たとえば、どれだけ塩分を控えて、タンパク質摂取を心がけ、必死になって運動しても、血圧のコントロールがむずかしくなっている。
 ウォーキングばかりでは負荷が軽いかなと思って、先日ジョギングをしてみたら、なんと足がもつれて転びました(Apple Watchが警報を鳴らした……とほほ)。以前は時速6キロでウォーキングしていたのだけれど、最近はせいぜい時速5キロでしかできない。
 夕方になると目がかすんで、スマホどころかPC画面の文字でさえも読むのがむずかしくなった。
 集中力が自慢だったのだけれど、最近はせいぜい1時間しか集中力が続かず、仕事のスピードが落ちた。
 「めんどくさい」と思うことを極力減らそうとしてきたのだけれど、2日に1回、その日のスケジュールを確認しながら「着替えて、化粧して、出かけるのがめんどくさいな」と思うようになった(思うだけでなく、普段着のまま、化粧もせずに出かけたりすることに抵抗がなくなっている)。
 外出でそれだから、旅行となると心が弾むのとめんどくさくて気が重くなるのが半々くらいになっています。
 いつか来るだろう、と覚悟していたはずなのに、そのいつかが迫っていることに気づいて、愕然とはしないまでも、ゆううつになることがあります。
 いつか、ジョギングどころかウォーキングだってできなくなる日がくるかもしれない。
 いつか、集中力が10分しか続かなくなる日がくるかもしれない。
 いつか、仕事をあきらめなくてはならなくなる日がくるかもしれない。
 いつか、旅行に出かけるのがめんどくさくなってやめる日がくるかもしれない。
「かもしれない」ではなく、確実に「くるだろう」。それも間近に。
 いよいよ腹をくくるときが迫っているのでしょう。
 いつか来る日がやってきたとき、つぎの新しい展開を楽しめるように、自分を納得させていけるように、その準備の最終段階に入ったのでしょう。
 だからこそ「今日だけ」を考え、今日をたいせつに楽しんで乗り切ろう、と思っています。
 いつか来る日のことは考えないで。
  
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先日
訪れた六義園。小雨のなか、新緑が美しかったです

GWは久しぶりにスパイクはいてボールを蹴ってきました。
ウォーキングサッカーなるものに誘っていただき、初対面の方々とチームを組んでイベントに出場。チームは1勝1敗1分。チームのみなさんの力です。
「実川さん、走っちゃダメダメ」と言われてもつい走ってしまったり、ゴールを前にキーパーと1対1でプレッシャーがかかってないのにとんでもない方向にシュートしちゃったり。でもミスしても叱られないし、絶好機を外しても「すごいよ!」と褒められるし、気分いい。終始笑い転げて、とても楽しかった。
あ〜〜〜サッカーって観るのも楽しいけれど、ボールを蹴るのはもっともっと楽しいんだな(っていうか別物の楽しさ)ってことを実感した1日でした。

ここ数年、シーズン前は「今年こそは」と期待して、張り切って応援していてもいつの間にかわくわくどきどき感はどんどん減り、かわりにいらいらはらはら感ばかりがつのっていきます。
今年はもうね、DAZNでガンバの試合を見るのをはやばやとやめることにしました。(生観戦は機会と時間があれば行くでしょうが)
苦しいときほどチームを応援するのがサポーター、とか言われるけれど、楽しいからこそ応援も続けられるんじゃないでしょうか? いらいらはらはらばかりではつらい。
先日、WEリーグの日テレベレーザvsジェフ千葉の試合を見て来たのですが、わずか数ヶ月でベレーザの選手たちが驚くほど成長していました。試合は引き分けで、優勝争いから一歩後退の引き分けで残念だったけれど、前回見たときとは様変わりといっていいほどの成長ぶりに、帰り道は足が弾みました。
やっぱりね、見たいのは「よくなっている」「成長している」という姿です。その姿の先には明るい未来が見える。
ガンバを応援しはじめてからこれほど勝てないのは私の記憶にないくらい。負け続ける試合を観戦するのはほんとに辛いのだけれど、もっと辛くてしんどいのは「修正力がない」そして「成長していない」姿を見続けることかな。
はっきり言って、2012年降格したシーズンよりもいまのほうがしんどいです、応援するのが。

 リーグ10試合目にしていまだに無得点4失点していることをどう考えたらいいのか?
 試合終了後からガンバに関するあらゆる情報をシャットアウトしています。
 誰か一人(監督を含む)に責任を押しつけるようなことをしてもなんの意味もない。
 ずっと前から下降線をたどっていたことが、今季に入ってどんとベクトルが下を向いただけ。

 ダービーも見るのはやめました。
  

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