ここ数年、ガンバの試合のたびに「また降格したらどうしよう」と考えて、見るのが怖くなってしまう「症候群」にかかっています。その恐怖があるから、試合から遠ざかっているところもあるかも。今年は降格1枠だといわれても、ぜんぜん安心できないここ最近のガンバさん。降格はしないでしょう、といくらいわれても、自分に言い聞かせても、理性的に考えても、不安しか感じません。なんだろう、いま起きてもいないことに対して感じるもやもやとした不安は……。
同じことが、「老後の不安」にもあるように思います。私がいま断捨離に励んでいることの根底にも、「もし明日死んだら、見られたくないもの、見られると恥ずかしいものをどうしよう」というのがあるから。でもよく考えたら、もう私は死んじゃってるんだから、見られたくないとか恥ずかしいとかもないわけで、片付ける娘たちが「いや〜〜お母さん、最低だね、こんなことやっちゃっててさ」とか苦笑するくらいでしょ。それでも「こんなとっちらかっている家を遺して死ねない」と不安から片づけに走る。
以前に83歳の親戚(女性)が電話をかけてきて、お金のこと、家の始末、子供に遺しておきたいものと処分するものなどの「老後のそなえ」についてとうとうと私に説教(?)するので、さぞかしご自身は備え万全なのだろうと思ったら、最後に「私もこれから老後にそなえなくちゃと思ってるのよ」と言われてガクっときたことがあります。83歳でも老後は来てないし、ただ「老後にそなえなくちゃ」という不安だけはあるのか。
病気、経済破綻、孤独が老後の3大不安なのだそうです(母がかかったメンタルの先生にいわれたことがある)。でも、実際にどんな病気になって苦しむことになるか、経済的に破綻するとはどういう状況なのか、孤独とはどういう状態か、というのは人それぞれ。具体的に不安なことは何ですか? と聞いても、いたって漠然としている人が多いとか(これも先生にいわれた)
いまの段階でまだ起きていないことを「明日起きるんじゃないか」と怖れるのは時間とエネルギーの無駄と割り切ろう、とこれは断捨離をやりながら気づいたことです。
過去を振り返るのをやめて、未来を不安がるのもやめて、今日楽しいことを考えて行動する——最近すっかり早寝早起きになった私は、朝、カーテンを開けて昇ろうとする朝日を見ながら(拝みながらって感じでもある)「さあ、今日は何をしようっかな♪」と声に出していうようにしています。
同じことが、「老後の不安」にもあるように思います。私がいま断捨離に励んでいることの根底にも、「もし明日死んだら、見られたくないもの、見られると恥ずかしいものをどうしよう」というのがあるから。でもよく考えたら、もう私は死んじゃってるんだから、見られたくないとか恥ずかしいとかもないわけで、片付ける娘たちが「いや〜〜お母さん、最低だね、こんなことやっちゃっててさ」とか苦笑するくらいでしょ。それでも「こんなとっちらかっている家を遺して死ねない」と不安から片づけに走る。
以前に83歳の親戚(女性)が電話をかけてきて、お金のこと、家の始末、子供に遺しておきたいものと処分するものなどの「老後のそなえ」についてとうとうと私に説教(?)するので、さぞかしご自身は備え万全なのだろうと思ったら、最後に「私もこれから老後にそなえなくちゃと思ってるのよ」と言われてガクっときたことがあります。83歳でも老後は来てないし、ただ「老後にそなえなくちゃ」という不安だけはあるのか。
病気、経済破綻、孤独が老後の3大不安なのだそうです(母がかかったメンタルの先生にいわれたことがある)。でも、実際にどんな病気になって苦しむことになるか、経済的に破綻するとはどういう状況なのか、孤独とはどういう状態か、というのは人それぞれ。具体的に不安なことは何ですか? と聞いても、いたって漠然としている人が多いとか(これも先生にいわれた)
いまの段階でまだ起きていないことを「明日起きるんじゃないか」と怖れるのは時間とエネルギーの無駄と割り切ろう、とこれは断捨離をやりながら気づいたことです。
過去を振り返るのをやめて、未来を不安がるのもやめて、今日楽しいことを考えて行動する——最近すっかり早寝早起きになった私は、朝、カーテンを開けて昇ろうとする朝日を見ながら(拝みながらって感じでもある)「さあ、今日は何をしようっかな♪」と声に出していうようにしています。