Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2023年11月

 他力ながら、先週の広島戦(負けたけれどね)で残留が決まりました。同志は「惨留」と言ってましたが、私も同感。セレッソ戦以降、一番私が使いたくない表現「いったい何がやりたいんだ?」があてはまる試合内容で、同じ負けるのであっても、あれはないだろうと頭を抱えたくなる……どころか目をそむけたくなりました。
 今年の前半、負け続けていたときにはそれでも「きっと何かきっかけがあればうまくいくようになるって」と信じる気持ちがあって、中盤に連勝が続いたときには「ほらね、やっぱり新生ガンバなんだよ」と思っていたのも束の間、また勝利から遠ざかってしまうという終盤。
 今季のガンバをどうとらえていいかわかりません。
 言えるのは「これでいいのか?」だけ。歯がゆいです。
 監督、選手、スタッフ、クラブ、そしてサポーター、ファン、誰もが「これでいいのか?」という歯がゆさを感じているのではないでしょうか。
 私がガンバサポだと知っている関西のトラキチの友人が「タイガースはずっとそんな歯がゆさを感じてるよ。たま〜〜〜〜に歓喜があって、あとまた沈むねん。たとえ30年に1回でも歓喜があるから、ファンはやめられんわ」といってました。そうなのか……。
 ま、それでもやめられんわ、といえるほど私のガンバ愛は熱くない、というか冷めていってしまっているみたいです。
 どうか来季はほんのちょっとでいいから「歓喜」が味わえる瞬間がありますように。

 3ヶ月にわたって取り組んできた我が家の断捨離が、ようやく9割がた完了までこぎつけました。先日も「これで終わりだ」と思ってブログに書いたのに、まだ出てくる「不要のモノ」。そしてこれだけ捨てまくっているのに、「ああ、とっておけばよかった〜〜」というものがいまのところひとつもない。どれだけ不要なものに囲まれて生活していたんだ、私。
 親の家の片付けから始まって、私の60代は断捨離に明け暮れました。すっきりしたというか、がらんとしてすーすーと何かが抜けていくみたいな部屋の真ん中に立つと「もうモノは増やさないぞ」と強く心に誓うのです。
 とくに粗大ゴミで処分しなくてはならないものを買ってはいけないぞ。
 どうしても必要だとか、欲しくてたまらなくなったら、まずリサイクルできるかどうか確かめてから購入すること。
 そんな殊勝なことを思うのですが、いつまでこの誓いが守れるか。

 実は先週シンガポールに行ってきました。あちらは常夏。着古した夏服を持っていって、捨てさせてもらいました。シンガポールにいってまで断捨離。ごめんなさい、シンガポール。
 おしゃれを諦め、思いっきり好きなだけ好きなものを食べまくって、はい、おみやげは体重です。シンガポールはマレー系、インド系、そしてもちろん中華系の料理がビュッフェにずらーっと並ぶので、毎日新しい料理を食べても食べつくせません。1日3食どころか、おやつもたっぷりで4食は食べてました。帰国前日の夜にやっとシンガポール名物のバクテーにありついたのですが、それがまたおいしい! バクテー食べるためだけに、もう一回シンガポール行きたいとまで思ってます。
 観光はまったくできなかったけれど、おいしいものをいっぱい食べられたから、ま、いいか。

 帰国したらガンバがヤバいことになっていると知りましたが、もう何事もなるようにしかならないといまは達観気分です。(達観するなよ、と思うけれど)粛々とあと2試合、来季につながるような試合をしてくださいとしかいいようがない。
 断捨離したことだし、来年は心機一転といきたいな。ガンバも私も。
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骨付き豚肉を煮込んだスープをごはんにかけるバクテーです。ぜんぜんおいしそうに見えないかもしれませんが、おじや好きの私にはたまりませんでした。

阪神タイガース、ついに日本一になりました。おめでとう!
何度も繰り返される「38年ぶりの日本一」。生涯2度目のタイガース日本一です。(といっても、以前ほど阪神に興味があるわけではありませんが、一応出身地のチームだから)
当時からは日本一になるためのレギュレーションが大きく変わっているなか、昨年優勝のオリックスをきわどくかわしての優勝の価値は大きいと思います。
 
1985年、日本一が決まった瞬間を、私は出張していた北海道で、ローカル線に乗ってつぎの目的地に向かう車内で聞きました。
スマホなど影も形もない時代。持参したラジオにイヤホンをつけて、窓の外の終わりかけの紅葉を見ながら、ハラハラドキドキその瞬間を待ちました。優勝が決まった瞬間、思わず大きなため息をついたことも覚えています。安堵のため息だったのかな。
阪神はその後も数回リーグ優勝はするものの、日本シリーズに進めなかったり、日本一には手が届かなかったり、そもそも大半は優勝からは遠く「低迷」していましたね。いまのガンバみたいに。

1985年は長女が5歳でした。その年のプラザ合意後に日本はバブルに。
次女が生まれたのはその2年後。3ヶ月の産休中、昼になると「笑っていいとも」を見ながら授乳していました。タモリはいつも好調だけど、この時期は絶好調だったような。
1990年、会社を辞めてフリーランスに。バブル崩壊の直後だったかな。初めてMyPCを購入しましたが、まだ原稿の納入はFAXがメインで、長いものになるとプリントアウトして宅配便でした。
1991年、訳書が初めて世に出ました。翌年、自著も出版されて、翻訳業とライター業で仕事していく覚悟ができました。このときも原稿はまだ長いものはFAXではなく宅配便で送っていて、締め切りに間に合わせようと夜中でもヤマト運輸の配送センターまで自転車(もちろん電動ではない)を30分以上走らせることが月2、3回ありました。インターネットも高速回線ではなかったので調べ物はもっぱら国会図書館をはじめとする大きな図書館。メールでのやりとりは「失礼にあたる」とかいわれて、ちょっとした打ち合わせでもわざわざ都心に出向いていました。
いま振り返ると、インターネットが本格的に活用できるようになって、調べもののために図書館に通うことがあまり必要なくなったのって、2000年代に入ってからなんですね。少なくとも私は。300ページの本の原稿をメールで送れるようになったのも、2000年代半ばから。原書が紙でなくデータで送られてくるようになったのは、2010年代からでしょうか。
私がスマホ(iPhone)を購入したのは2009年。スマホも仕事のやり方を変えました。
人によるでしょうが、私にとってPC→インターネット→スマホ(タブレット)は仕事のやり方を変えただけでなく、生活全般に及ぼした影響ははかりしれず。

「タイガース、38年ぶりの日本一」の連呼のおかげで、この38年を振り返ることができました。
38年はひと昔前だってことがよくわかった。
私も、日本も、世界も、この38年の間におそろしく変わりました。
振り返るチャンスを与えてくれた意味でも、タイガース、ありがとう!

前のエントリーがあまりに物悲しい内容となってしまったので、気持ちを切り替えるために別のトピックを書きます。
(10月は1回しか書かなかったのに、11月は5日目にして3つ目。極端だな。)

母は9月で91歳となりました。コロナがようやく5類に移行してくれたおかげで、この春からまた月1回施設を訪問しているのですが、少なくともこの半年は驚くほど健やかに、気持ちも穏やかに過ごしています。
昨年の今頃、大腿骨骨折のリハビリから退院して施設に戻ってきたとき、生活が変わることにおびえてか、いきなり怒りを爆発させて私にモノを投げつけたり、泣き出したりしたことを思い出すと、いまも波はあるとはいえどもずいぶんと落ち着いたなとちょっとほっとしています。ケアマネさんやヘルパーさんのおかげなのですが、それに加えて、日々変わらない日常を淡々と送っていることが幸いしているとみています。
朝、決まった時間に起床して、前日にヘルパーさんが用意しておいてくれた服を着て、洗面をすませて、迎えに来てくれた人と食堂にいき、ヘルパーさんとデイサービスにいくという日課。デイサービスや施設での行事に参加することはたまにあるそうだけれど、それでも1年365日、決まった時間に起きて、食べて、決まった場所に行って、決まった時間に寝ることは変わらない。
もちろん認知症が進行しているため、「ここはいったいどこなの?」「あなたは誰なの?」に始まり、つぎに何をするのかがわからず「私はどうしたらいいの?」とひっきりなしに聞いているそうですが、それでも以前に比べると不安感、焦燥感はずいぶん減っているようです。それはおそらく、長年にわたって習慣となった行動だけを繰り返す毎日を送っているからでしょう。
朝起きて、着替えて、洗面して、食事して……ということを母は長年習慣にしているので、認知症重度と診断されたいまでもやれる、というか、やらずにはいられない。やろうとしてできないことも多くなってきましたが、それでもやろうとする意志はしっかりある。基本的な生活習慣をしっかり身につけていたことは大切だし、私も見習わないといけないな、と思っています。
反対に母がどうしても習慣化できなかったことがあります。それはモノをあるべき場所に置く/戻すことです。たとえばマグカップにミルクを入れて寝る前にベッドサイドに持ってきてそのまま何日も起きっぱなしにするとか、外出時につけていたアクセサリーを外して洗面所に置きっぱなしにするとか、通帳やハンコをバッグに入れたままにするとか。母は若いころから「○○がない。あんた知らない?」と探すことに長い時間をかけ、はては「あんたがとった」と夫、子どもたちや同居していた祖母、お手伝いにきていた人たちを責めることに費やしていました。あるべき場所に置く生活習慣はついに身につかなかったことです。
認知症と診断される前後からは、おおげさでなく起きている時間の半分以上をモノを探すことに費やし、とくに通帳やお金がないといっては部屋じゅうをひっくり返し、誰かが盗んだという妄想にかられて大騒ぎし、私や妹にひっきりなしに電話をかけて「どうしたらいい?」と泣いていました。
母が大腿骨骨折で入院している間に、私は施設の母の部屋を片付け、必要最低限のモノしか置かないようにしました。冷蔵庫も食器棚もほとんど空にし、貴重品はすべて持ち帰りました。本棚の本や書類も全部処分して、本棚に日常着るものだけをひと目見てわかるように並べておきました。
とにかくモノをできるかぎり減らし、見える化することが、母にはとても重要だと思えたのです。母がいま落ち着いて暮らせているのは、ひとつには必要なモノがすべて見えるところにあって、しかもモノがとても少ない空間にいるおかげではないかと私は思っています。
そして我が家にも、まったく整理整頓ができずに汚部屋で暮らしていた人がいます。夫はなくしてはいけないモノほどなくすし、それ以外のモノもしょっちゅう探しまわって、見つけることができなければつぎつぎと買ってよけいに収拾がつかなくなることを繰り返しています。夫には探しモノのストレスからできるだけ解放されてほしいし、モノがないことで私を責めるのはやめてほしいと思いました。
モノをあるべきところに置けない/戻せない人が、心穏やかに安心して暮らすためには、モノを極力持たないこと、そして見える化することだと思います。夫の部屋にあったたんすも本棚もデスクなど、モノを見えなく/見えにくくする家具類はすべて処分しました。衣服は点数をしぼり、セーターもシャツもすべてハンガーにかけ、下着類や小物はカゴに入れてひと目で見えるようにしました。本は電子書籍で読むようにと命じ、大事な書類は私が管理する、と宣言しました。(IT企業で長年働いてきて、ペーパーレスをあれほど主張してきたのに、なぜ45Lのゴミ袋に70袋も床に書類を積み続け、溜め込んできたのか。私にはナゾです)
生活の基本を習慣化することは、もしかすると30代のころからやっておかねばならないのかもしれませんし、70歳を間近に控えて「習慣化しよう」と思うのは遅すぎるのかも。
それでもやらないよりマシ。このままだとモノに家庭も人間関係も人生もつぶされてしまうと、大袈裟でなく恐怖にかられました。たぶん整理には年末までかかるでしょう。でもモノが少なく、見える化されて、どこに何があるのかがわかる日常は、きっと時間がゆったりと使えて、心豊かなはずだと信じてがんばります。

井手口選手がアビスパ福岡のユニを着て、ルヴァンカップ優勝を喜んでいる姿を見て、なんだかもう嬉しさと哀しさと申し訳なさがいっしょくたになりました。

おめでとう、アビスパ福岡 
本当によかったね、井手口選手

ガンバもまたいつか(できればそう遠くない未来に)タイトルが獲れる日が来ますように。 

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