Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2023年12月

2023年が終わろうとしています。1年を振り返って、世界も日本国内もざわざわと落ち着かず、各地での紛争や気候変動による災害などのニュースに心を痛める日が多かったかなと思います。
それでも毎日明るい出来事を探し続けた1年でした。
コロナが5類に移行し、海外からやってくる人たちが増えて、私もキウィ=ニュージーランドとシンガポールに旅行しました。人の往来はコロナ前の水準に近づきましたが、それでもコロナをはさんで街の雰囲気はガラリ、とまではいかなくても変わったなと感じます。それがいいとか悪いとかいうのではなく、アフターコロナを生きていかざるをえないのだろうなと思っています。
私自身は来年いよいよ70代に突入です。60代も慌ただしく過ぎて行きましたが、70代も忙しい日々が続くのでしょうか? ともあれ70代の10年は、60代のそれとはちがうのだろうなと覚悟、いや期待しています。
一応、断捨離が終わり、70代からはできるだけモノを増やさず、モノと大事につきあっていきたいと心しています。モノだけでなく、自分自身を大事にすることも覚えなくては。2024年は、からだも、こころも、人間関係も、「大事にいたわっていく」年月の始まりかな。

来年もグラマラスライフをどうぞよろしくお願いいたします。
どうぞよいお年をお迎えください。

2024年、皆様の健康とご多幸をお祈り申し上げます。
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この地球上に、ケアしないで生きている人はいても、ケアされないで生きている人はいない、と何年か前にある方から言われたことがあります。(え? ほんとにそうかな?と疑問だったけれど)
「私は人に頼らないで、自立して生きている人間だ」と健常者で、経済力があって、社会的な地位のある人は思いがちなのだけれど、そういう人たちだってたとえば食材をイチからすべて自分で作るってわけにはいかない。着るものをたとえば羊の世話をして毛刈りとして糸にして織って(編んで)なんてことはできない。もっといえばこの地球に私たち全員がケアされているといっていい。誰もが誰かのケアを受けて、反対に誰もが誰かをケアして、ともに支え合って生きているのではないか。
と、今年はケアについてすごく考えることが多かった年だし、たぶんそれは死ぬまで考え続けることになるでしょう。コロナのときに「ケア」がすごく叫ばれたこと、競争社会から協同社会へ、と少し変わってきたことに関係しているかも。
誰かをケアすることに使うエネルギーを大切にすること。
誰かにケアされているという自覚をしっかり持って、謙虚に暮らすこと。
それは生きていく上での基本的心構えなのでしょうが、「ケアされているという自覚を持つ」ことが実は私にはなかなかむずかしい。
そして「私がケアしてやってる」と傲慢な気持ちになることも多い。たぶんケアされている自覚が足りないから、ケアしてやってる、とか思っちゃうのでしょうね。

7、8年前でしょうか。「夫の昼飯問題」というテーマで取材して記事を書いたことがあります。
サラリーマンの夫が退職して、24時間在宅するようになると妻がかかりやすい病で、ときにメンタルだけでなく身体的にも深刻な病気を引き起こすといわれる「夫源病」が話題になったころです。
夫源病とは「夫の言動が原因で妻がストレスを感じ、心身に不調をきたす病気のこと」とグーグルさんは教えてくれます。そして退職後に夫と顔を突き合わせて暮らしていて、とくに夫のごはんを3食作らなくてならない妻がかかりやすい病なのだとか。
取材したのは妻ではなく夫のほうで、しかも取材に応じてくれた方たちは、かなりいい夫だと私は思いました。「妻から家にいないで外出してほしいと毎日のように言われて困っている(毎日行くところがなくて、やむなく図書館に通っているという夫が多かった)」「妻から『もう食事は作らない』と宣言された。どうしたらいいか困っている」など初対面の私に正直に話してくださるかたたちだから、それなりに問題の把握ができている賢い夫さんたちだと思いました。
ほかにも男性のための料理教室とかジムとか男性改造講座とかあちこち取材して思ったのですが、男性たちの心の根底にあるのは「妻子のためにがんばって働いてきたのに(自分は家族に十分なケアをしてきたのに)なぜ妻子からないがしろにされるのか」という困惑であったように思います。もちろん皆さん、プライドが高くて頭がいいかたたちなので、ツッコミどころ満載のそんな本音はおっしゃいませんでしたが。
そういった夫源病も「ケア」について考えている/考えもしないことのギャップで生まれるのではないかと。
妻は公的空間での活動をしていないのだから(もっとズバリいうと、俺様ほどカネを稼いでいないのだから)、私的空間で家族のケアをするのが当然、と夫が無意識でもケアに対するそんな誤った意識を持っていれば(そして妻も同じように思っていたらなおさら)妻は追い詰められてしまう。
妻のことを「3食昼寝付きでいい身分だよな」などという夫はさすがこの時代にはいないでしょうが、退職後の自分が3食昼寝付きで身の回りの世話をみな妻(じゃなければ誰か)にやってもらう身分になることに疑問を感じないとしたら……(涙)

今年、我が家も夫が退職し、24時間家にいます。いまは生活ケアの妥協点を私のほうが探っているところです。いまのところ、私が見出した妥協点は、私が2食作るから1食は外食なりなんなり自分で何か調達する、洗濯、掃除や雑用も基本私がするが、自分の洗濯物は自分で引き出しにしまう、というのでやっていこうと思っています。これまでの人生で炊事、洗濯、掃除など家事を5回くらいしかやったことがない人に、いきなり自分の部屋は自分で掃除しろとか、自分のものは自分で洗濯しろといってもそれは無理だと。これまでも何回となく「自立してくれ」と叫んできたけれど、それは私のゴーマンでしたと今年はさとりを開きました。

来年はどうなるかなあ。ケアの内容を変えていかないと、高齢夫婦の生活は行き詰まるのではないかなと不安です。もっと社会や他人のケアを受けることを考えていかないと。

 今年一番最初に映画館で見た映画が「ケイコ、目を澄ませて」でした。聴力に障害を持つ女性、ケイコがボクサーを志す、という話。実話をもとにして、岸井ゆきのが見事に演じてました。聴こえないことが格闘技にどんな影響があるのか(いや、影響があるなんてものじゃないけれど)。男性ばかりのボクシングジムに入って、どうやって自分の居場所(練習場所や対戦試合)を確保していくか。反対する家族、とくに母親との葛藤。ミュージシャンの弟とその恋人とのあたたかい関係。そしてボクシングジムのオーナー(三浦友和好演)のまなざし。
 健常者の私は、障害や病を持つ人たちに対してつい自分とは一線を引いてみてしまって、同情したり、かばったり、何かできることはないかと探したりするけれど、この映画でケイコはそういう健常者の上から目線をきっぱり断って(ときには過剰なほどの断り方でコーチやスポンサーを怒らせる)「ちゃんと普通に扱ってほしい」という姿勢を示します。今年の私の個人的テーマが「ケア」だったので、ケアする人vsケアされる人の関係を自分に問い直す意味でとても興味深かったです。
(中断しましたが、再開)
 映画館で観た映画でもうひとつ印象深かったのが
「シモーヌ」というフランスの女性政治家を扱った映画です。「フランスには3人の偉大なシモーヌがいる。シモーヌ・ヴェイユWeil(哲学者)、シモーヌ・ド・ボーヴォワール(哲学者、作家)、そしてもうひとりのシモーヌ・ヴェイユVeil(政治家)」と言われるそうですが、この映画が扱っているのは政治家のシモーヌ・ヴェイユ。
 1927年、フランス南部の裕福なユダヤ系家庭に生まれた育ったシモーヌは、1944年ナチス・ドイツのフランス占領によって16歳で収容所に送られます。父と弟と引き離され、姉の一人と母とともにアウシュヴィッツに送られ、ソ連軍がアウシュヴィッツにやってくると「死の行進」が始まってベルゲン=ベルゼン収容所に移送される。母は結局収容所で亡くなり、父と弟も行方知らずのまま。でも姉とシモーヌは生き延びるのです。
 その後パリ大学で法学を専攻し、ポリテクニーク(フランスの政治家・司法・上級官僚養成機関)に学びます。そこで夫と出会って結婚、当時の女性にはめずらしいトップクラスの高等教育を受けながら仕事をあきらめて専業主婦になって3人の子どもを出産。しかし自身が戦争で受けた迫害の体験から、経済的・社会的・性的な差別を受ける人たちのために働かなくてはという使命感は消えることなく、夫や親族、周囲の猛反対を受けながら必死に勉強して治安判事の資格をとるのです。結婚当初からですが、もうね、夫が最悪。悪気はなくて、妻を愛しているとか言いながら、妻の使命感を「女のやることか」とか鼻で笑い、自身もユダヤ系にもかかわらず妻の強制収容所体験への理解がまったくなし。そんなだから戦後すぐに「出世の道だ」とかいってドイツに赴任したりする。妻の姉はその話を聞いて「ドイツに住むだって! 信じられない!」と怒り狂うのだけれど。
 刑務所のあまりの悲惨さに衝撃を受けて、収容された人たちの人権擁護を訴え、1970年代には人工妊娠中絶を合法化し(とくに宗教界との闘いがすさまじかった)女性の社会的地位向上に力を尽くし、その後欧州議会議長に就任して欧州統合を推進。私は欧州議会で議長に就任するにあたっての演説で涙腺決壊しました。もうすばらしすぎて。
 「私はこのために生まれてきた」と言えるだけのものが私にはあるだろうか、と映画館を出てから1時間くらい街をさまよって考えました。いまのところは、ないなあ。

 配信ドラマではここでも紹介した韓国ドラマ「クイーン・メーカー」(Netflix)がいまのところ私のなかでは一番です。最近見たなかでおもしろかったのは「ハイジャック」(イギリスのドラマ。AppleTVで視聴)かな。イドリス・エルバが実はとても好き。「刑事ジョン・ルーサー」はずっと見ていました。(今年公開の映画「フォールン・サン」はいまいちだったけれど)
 海外にも行けるようになり、今年は外で友人たちと食事する機会も多くなったためか、配信ドラマや映画を見ることが減りました。Netflixも見たいと思うコンテンツが少なくなった以上に、ゆっくりドラマを見たりする時間が減ってしまったのだろうなあ。

ひとりの作家にハマって、就寝時のベッドタイム読書がその人の作品ばかりということがよくあります。昨年はあさのあつこ、とくに弥勒シリーズにハマってベッド読書タイムだけでなく、移動のときもずっと読み耽っていました。今年も新刊が出てすぐにポチって一晩で読んでしまった。弥勒シリーズの何かが私の「読書琴線」に引っかかったのですが、それはたぶん主人公2人がどちらも裏の顔を持った影のある人物だからではないかと。
今年は三浦しをんにハマりました。こんなおもしろい作品になぜ今まで手をつけていなかったのかがわからないのだけれど、仕事についていろいろと考えることが多かった今年だからこそ、三浦しをんの「仕事」をテーマにした本が響いたのかも。
それとも最初に読んだのが書家が主人公の「墨のゆらめき」だったからかも。それから「秘密の花園」(女子校ものなんだけれど、まるで私が通っていた女子校が舞台になっているみたいで驚いた)「あの家に暮らす四人の女」(刺繍作家)「月魚」(古書店)「きみはポラリス」「私が語り始めた彼は」「愛なき世界」(植物学者と料理人)ときて、ずっしーんと響いたのが「まほろ駅前シリーズ」(便利屋)でした。もちろん「舟を編む」(辞書編集)「風が強く吹いている」(駅伝)という三浦しをんの代表作にも痺れましたが、いまのところ私のなかで何回も読み返してしまうのが「まほろ駅前シリーズ」かな。


ドラマにもなったけれど、私は見てません。読みながら頭のなかでずっと主人公はオダギリジョーが演じていたので、え? 瑛太ですか???と思っちゃって。

そしていまのベッドのおともは川上弘美です。まだ3冊くらいしか読んでいないのですが、早く続きが読みたくてベッドに入るのがどんどん早い時間になっています。今年出た新刊「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」はコロナの3年間の日記みたいな小説?で、「私はこのとき何をしていたかな?」とか重ね合わせながら読んで、ちょっと苦しくなりました。

この年齢になったら当たり前かもしれませんが、「いつまで本が読めるだろうか?」「これから夢中になる作家や本にどれだけ出会えるだろうか?」とふと不安になります。もう字が小さい文庫本は目が疲れて読めなくなり、たとえ字が大きくても重い単行本をベッドで読むのは腕が疲れます。だからお楽しみの本はもっぱら電子書籍です。
電子化されていない、ちょっと硬めの本は老眼鏡をかけて机に座って読むのですが、1時間以上同じ姿勢で本に没頭していると、Apple Watchが「そろそろスタンドの時間です」とかいってきて興が削がれます。
読書が趣味です、と胸張って言えるのはあと何年くらいだろう? ちょっと不安になってくる年の暮れです。

 藤春選手が今季でガンバを退団というニュースを聞いて、最初に脳裏にうかんだのはおそらく彼の初スタメン出場となった試合のことです。vs福岡戦で、私も福岡まで遠征していて、スタンドから観戦していました。
 ガンバの左サイドには安田、下平(敬称略)という選手がいて、安田選手が怪我や代表で抜けると下平選手が埋めていたので、大卒で入団したものの、なかなかデビューができないでいました。当時の西野監督はスタメン岩盤固定でしたからね。
 それが何かのめぐりあわせで(覚えていない)福岡戦でスタメンデビュー。それを知ったとき、楽しみ3割、不安7割だったかな。観戦していた席が前半ガンバのディフェンスライン、しかも左サイドラインの真上で、藤春選手の動きがよく見えました。で、何回となく突破され、戻りは遅く、俊足を披露する場面が一度もなく、不安が9割くらいまでに達した前半で交代になりました。それでも試合はたしか勝ったはず。
 その後、あまり起用されることがなかったのだけれど、2011年に安田選手がフィテッセに移籍したあとからは先発起用されるようになり、たしか2012年にはチームでただひとり全試合出場だったんじゃないかな? いや、降格しましたけれどね。
 2013年、J2ガンバでも全試合出場。最終戦となったザスパ草津戦にいったとき、同志やサポ仲間と「藤春、すごかったよね。一年、走り切ったね」とかいったのを覚えています。試合はぬるーーーい引き分けでしたけれど。
 藤春選手の試合観戦しての思い出は多々あるけれど、ぱーっと俊足で駆け上がったのに、なぜか急ストップしてバックパスしている姿が思い出されます。試合中、いったい何回「ふじはる〜〜〜、バックパス禁止やで!」と叫んだことか。いや、これも褒め言葉ですよ、ほんと。
 でもぱーっと駆け上がって攻撃参加よりも、だーっと駆け戻ってクリアしている姿がいまは脳裏をよぎります。
 藤春選手、いっぱいいっぱい楽しませてくれてありがとうございます。
 左サイドの春秋コンビが見られないのがさびしい。
 上から目線でごめんなさいですが、あなたはまだまだやれます。
 新しいチームで、ばーっと駆け上がってクロス、だーっと駆け戻ってクリアする勇姿をこれからも魅せてください。
 まずは一区切りです。お疲れ様、そして、これからもハルらしさを全開させてください。
 フォルツァ、ハル!!!

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