Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2024年01月

山本悠樹選手が川崎フロンターレに移籍し、高尾璢選手がコンサドーレ札幌に移籍したというニュースを見て、今季のガンバを応援するモチベーションが一段下がってしまったところに、遠藤保仁さんが現役を引退して、ガンバのトップチームのコーチになるというニュースを見て、うーん、これはどうとらえたらいいのだろうか、こんどはもやもやが止まりません。
私が一番恐れているのは、開幕からまた連敗を続けて、5月くらいに監督解任、暫定的にヤットさんが監督にとかなることです。そんなことはぜったいにないと言ってくれ、誰か、じゃなくてフロントさん。
応援するかどうかはともかく、補強や選手の入れ替えを見ていると、なんかなあ、迷走している感がぬぐえないです。
今季はまた降格枠が広がるんですよね? 試合数が増えるんですよね?
それがどう影響するのだろうか?
降格するんじゃないかというハラハラをもう味わいたくない。

とりあえず、リーグ開幕戦は現地観戦します。
吹田スタジアムに行くより時間がかかりそうな町田のスタジアムなんだけれど。

「フェミニズムズ〜グローバル・ヒストリー」

ルーシー・デラップ著

幾島幸子訳 井野瀬久美惠 解題
明石書店

 

 年が明けて冬物バーゲンでまた奇抜な服を買ってしまい、「こんな服、いったいどこに着ていくつもりか?」と自分で自分にツッコミを入れながらかさばる袋を抱えて帰ってくる電車のなかで、「フェミニズムズ」を開いたら、「ルックー装い・外見」の章にどきっとさせられる言葉と出会った。

「二一世紀のベールやブルキニ(イスラム女性向けの顔と手足以外が隠れる水着)についての論争や、ヒラリー・クリントンのような公人の服装を執拗なまでに監視するメディアを見ていると、女性の「位置」を規定するうえで、衣服がその中心を占めてきたことを再認識させられる。他人と違う装いや外見を選ぶことは、革命的な可能性をはらんだ行為なのだ」

 女性の「位置」は、階級、職業、肩書き、経済状態といった公的な要素と、性別や年齢、家族、友人、コミュニティにおける人間関係といった私的な要素によって規定される。自分の位置を自分で判断し、その位置にふさわしい衣服を選ぶか、それともあえて違うものを選んで「革命的な可能性」を試すか。

 私はフェミニストを自認している。だが、私はどういう意図でちょっと奇抜な服を選んだのか? 選んだ上で、なぜ「どこに着ていけばいいんだろう?」「いい歳してこんな服着て、若づくりしてるとか思われないか?」などと悩んでいるのか? なぜ堂々と「革命的な可能性をはらむ服」を選んだぞ、悪いか? と開き直れないのか? なぜならそこまで腹をくくってフェミニストになっていないからではないか。なんてことを考えて悶々とした……というのはおおげさだけれど、フェミニストを自認するのであれば、外見について考えることもたいせつだなと思った次第。フェミニズムは生活に密着している。本の中におさまっている思想ではないのだ。

「革命的な可能性」をはらんだ服装とは、女性がズボンをはくのが許されなかった時代や場所であえてズボンをはくとか、頭髪を見せてはいけない地域で逮捕覚悟でベールをかぶらないで外を歩くとか、警官隊が見守るなかでも上半身裸でデモ行進するとか、である。女性たちが置かれている「位置」に逆らって、自分の身体を自由に表現するという意図を持って打破することだ。「フェミニズムズ」では、世界各地で女性たちが挑戦してきたそんな例がたくさん紹介されている。

 その一方で、本書ではこう釘を刺すフェミニストの言葉も紹介されている。

「女性は自分の身体について自己規定し、自己決定すること(を認められるべきだ)。だが、その特権を最初に行使するのは、もっとも特権に慣れ親しんだ人たちであることを忘れてはならない」

 フェミニズムというと、19世紀に世界に先駆けて近代化した西欧社会で、貴族やブルジョワという特権階級に生まれ、高等教育を受ける機会に恵まれ、経済的にも不自由のない生活を送れて、なおかつ今風の言葉でいえば「意識高い系」の女性たち(ときには男性)から始まった思想であり、彼女たちが起こした運動であるように思われている。もちろんそれもフェミニズムなのだけれど、それは主流だったり、元祖であったりしたわけではなかった、ということを「フェミニズムズ」の著者ルーシー・デラップはこの大著を通して主張しつづける。
 ケンブリッジ大学教授でイギリス近現代史が専門のデラップさんこそ、特権的な「位置」にいる人のはずだが、フェミニズムの歴史を紹介するうえでの目配りはそれこそグローバルに行き届いている本書は中東、東アジア(日本や中国の女性解放運動についてもかなりくわしく紹介されている)、インド、東南アジア、南アメリカ(チリやアルゼンチンなどでの性暴力に抗する女性たちの運動には感動した)、ロシア、ウクライナからオーストラリアやニュージーランドなどでも、女性たちが(だけでなく男性や性的マイノリティの人たちも)、生きる可能性を広げるために闘ってきた歴史が紹介されている。

 フェミニズムは地域によって、時代によって、また女性一人ひとりの「位置」によって、動機も異なれば、めざす目的もちがうし、訴え方もちがう。ジェンダー平等だけがフェミニズムの目標ではないし、思想として「これがフェミニズムだ!」と一冊の教科書にまとめられるものではない。
 だから「夢」「アイディアー考え・概念・思想」「空間」「物」「ルックー装い・外見」「感情」「行動」「歌」というテーマごとに、こんなふうに女性たちは自分たちが生きのびる道を探ってきたんだよ、と例をいくつも紹介していく書き方は、総花的と見えても、フェミニズム「ズ」と複数で紹介する意味ではまっとうな手法ではないか。

 本書で私が感動した話がある。2017年、ミス・ペルー・コンテストに出場したモデルたちが、自己紹介で名前や出身地に続いて、それぞれの出身地域で発生した女性の殺害、児童虐待やDV件数を発表したそうだ。それは南米で頻発するフェミサイド(女性や少女をターゲットにした殺人)に抗議して、SNSでハッシュタグをつけて拡散した運動#NiUnaMenos(もう一人の犠牲者も出さない、の意味)に触発されてのことだったという。

ミス・コンは若い女性の身体を、男性たちの性的・美的基準でモノ化している、と反対してきた人たちは少なくない。だがそれを逆手にとり、にっこり笑うだけでモノ言わぬはずのミス・コン出場者が女性への暴力反対を訴えるという、まさにフェミニズムにのっとった主張を公の場でしたことは、フェミニズムの訴え方にはさまざまな手法があることを示している。

 ペルーのミス・コンのあと、#NiUnaMenosの運動は世界的に広がった。実は私も南米だけでなく、スペインで、フランスで、女性たちが集まって、女性への暴力撲滅を訴える画像を以前に見ていたが、ペルーのミス・コンが契機になったことは知らなかった。このエピソードを知っただけでも、本書を読んだ価値あり、と思っている。

 

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表紙は
アフガニスタン女性革命協会の創設者、ミーナ・ケシュワル・カマルさん。カブールで女性の識字能力や雇用に関連するプロジェクトに取り組み、DVに反対する運動を行っていた。協会のメンバーは、アフガニスタンにカメラや機関紙を持ち込むには全身をおおうブルカが役に立つと考えていたそうだ。カマルさんは民主化運動に命懸けで取り組むも、パキスタンに亡命を余儀なくされ、その地で1987年に暗殺された。31歳だった。

あけましておめでとうございます。
と書こうとした日に地震が起こり、被災された方々、また救助にあたっている方々のことを思うと、とてもおめでとうと書けなくなりました。そして翌日には羽田の航空機事故が起こり、海上保安庁航空機に乗っておられた方々が亡くなられ、ますますおめでたい気分からほど遠くなっていまに至っています。
でも、新しい年が明けたことは間違いのないことで、たとえそれが昨日と変わらない1日だとしても、新しい何かの始まりだと特別な意味づけを私はしたいです。
2024年は個人的に「切替の年」だと位置付けています。
70歳、古希を迎えることがひとつ。これまでと同じ体力で突っ走れるわけがありません。老いを受け入れるためには、からだとこころの管理についても頭を切り替えなくてはならないでしょう。
もうひとつは、「空間の切り替え」です。できるかぎりいまの家で生活することをやっと決意し、そのための第一歩として断捨離と自宅の改装をしたのですが、今後どうしたらそれが可能か手探りながら考え、実行に移していくことになります。自宅を閉じた空間にするのではなく、開かれた空間にいすること。これまでのように家族中心ではなく、もっと広い人間関係を受け入れる空間づくりへと切り替える年になるかなあ、と。
地震だけでなく、昨年の猛暑や洪水など自然災害が多くなることが予想されています。気候変動に自分ができることは何かを考えることもたいせつだと思っているし、いつ自分や身近な人たちが被災するかわからないことも想定して準備しなくてはとも考えています。いざというときに、助けを求められる自分になることと、家族や親戚だけでなく地域の人たちになんらかの助けができる存在になれるように、物理的にも精神的にも準備を進めていきたいです。
どれだけ準備しても、もちろん完璧ということはありえないし、想定外のことは起こるものです。というか、想定していないことがあたりまえに起こるに違いありません。あのときあれをやっておけば、こうしておけばと悔やむことも多いはず。
でも、それはそれ。あきらめを受け入れることも覚えなくては。
とかいろいろとエラソーなことを並べましたが、正直、70代をどうすごしたらいいのかとちょっと怯えています。
サッカーの試合では失点したときに「切り替え! 切り替え!」とよく叫ぶのですが(ガンバではそうでもしなくては試合観戦できなくなるほど失点が多いし)、今年はそれを繰り返し自分に言い聞かせる年になるかな。

というところで、唐突ですが、今年もどうぞグラマラスライフをよろしくお願いいたします。
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1月1日に母を訪問しようと早朝新幹線で大阪に向かいました。車窓からは見事な富士山が見えて、こりゃ今年は幸先いいわと思ったら、帰りの新幹線に乗ろうとして新大阪のプラットフォームに上がった途端に、立っていられないほどの大きな揺れ。なんとか無事に帰京しましたが、帰りは不安で気持ちが沈みました。

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