Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2024年02月

年齢とともに衰える記憶力を活性化するために、2月の総まとめを書いておきます。
2月1日から友人と岡山旅行にいってきました。
東京から岡山まで飛行機で、パスと列車を乗り継いで津山へ。津山ではまず奈義町現代美術館を見学。磯崎新さんの建築で太陽、月、大地と名付けられた三つの展示室から成り立っており、建物自体が作品です。奈義テラスという集会所や図書館も礒崎建築。見応えがありました。1日目は津山宿泊。
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(「太陽」では荒川修作➕マドリン・ギンズによる「龍安寺・建築する身体」という作品が常設で展示されています横向きの龍安寺)

翌日に津山洋学資料館館見学。津山藩の宇多川玄随という医師が「解体新書」を翻訳したメンバー(杉田玄白、前野良沢など)と知り合う機会を得て、西洋医学に関心を持って知識を深め、のちに「西説内科撰要」を著して津山藩の洋学への道を開いたのだそうです。宇多川家は洋学といってもオランダ医学の研究者だったのですが、江戸から明治へと時代が移ろうとする時、箕作阮甫という藩の医師は、幕府の外交交渉の通訳・翻訳者として活躍します。いまとちがって辞書もなければ先生もいないところでの翻訳。しかも人の生命と国の運命を左右する翻訳者たちの軌跡を見ました。

倉敷に移動して、美観地区を中心に観光。母方のルーツは倉敷にあって、私も子どものときにはよく母や祖母に連れられて倉敷に行きました。久しぶりに訪れた倉敷は、まずJRの駅からして昔のおもかげなし。美観地区もすっかりきれいになって居住地というよりも観光地となって外国人観光客が大勢訪れていました。
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2月は映画も3本見ました。
「キャロル・キング」
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「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」
「パトリシア・ハイスミスに恋して」
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1970年代が青春時代だった私にとって、キャロル・キングの「タペストリー」は心のよりどころでした。(カーペンターズは心の友かな)。彼女が生まれ故郷のNYセントラルパークで1972年に開催したフリーコンサートの模様を追いかけた映画で、どっと当時の自分がよみがえりましたね。
それに引き換え、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのロンドン公演をおさめた映画では、あまり時代が蘇らなかった。CCRで一番覚えているのは、映画「地獄の黙示録」で流れていたスージーQなんだけれど、映画を見て「あれ?歌える!」と気づいたのは「雨を見たかい?」でした。
でもって、今年すでに7本映画を見たのですが、一番よかったのは地味な映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」でした。書いた本がつぎつぎ映画化されて大ヒット。ベストセラーを量産したハイスミスの同性愛者として生きた人生をたどった映画は、モノ書く女の端くれである私の琴線にふれましたね。

久しぶりに会った友人と会食したり、セミナーに参加したり、サッカーも2試合見たし、この1ヶ月はとても充実した楽しい時間が過ごせました。
と思っていたら、母が転倒して頭を打つ、なんてこともあり、好事魔多し、を実感しました。

なでしこジャパン 2−1 北朝鮮代表
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パリ五輪出場をかけた最終予選、対北朝鮮戦。第1戦はサウジアラビアのジッダで開催され、0−0の引き分けに終わりました。ぎりぎりまで開催地が決まらず、4日前にようやく決定したらサウジアラビア。航空券や宿泊の確保にJFAは奔走したと報道されていました。欧州組のなかには日本まで帰国して、すぐにサウジアラビア往復という選手もいて、しかも日中の温度38度という炎天下での試合でコンディション調整もたいへんだったと想像します。内心、北朝鮮での試合開催が無理なら、日本での一発勝負でいいじゃないかと思っていました。男子チームだったらもっと非難の声があがったはず。
最終予選のチケット発売と同時にチケットを購入したのですが、聞くところによるとぎりぎりまで余っていたとか。でも、行ってみると満席でした。22000人超の入場者。まあまあかな。
試合は北朝鮮がとても強くて、互角の勝負となり、レベルの高い試合内容だったと思います。北朝鮮はコロナがあってしばらく国際試合から遠ざかっていたと聞きましたが、そうとは思えないほどチームはまとまりがよく、テクニック面でも戦術面でもレベルが高かった!
どきどきしながら国立競技場へ。服装は当然、ワールドカップのときと同じ。そしたら入り口でテレビ局にインタビューされてしまったけれど、年齢60代というとドン引きされました(汗)

勝ったからいえるのかもしれませんが、試合は内容的にもとてもよかった。サウジの第1戦では左サイドがあまり機能していなかったのだけれど(遠藤選手や宮澤選手が不参加だったからか?)起用された北川選手が大活躍。左サイドにかたよってるんじゃないかな、右の清水、藤野両選手がいまひとつかなと思ってはらはらしていたら、後半にすばらしいゴール! え〜〜〜打ち明けますが、藤野あおば推しの私はゴールが決まったときに全身に震えが走って涙が出ました。自分では「花粉症のせい」と思いたかったけれど、いや、もう感激の涙ですよ。あおば、20歳でもうエースですね。
と2選手の名前をあげましたけれど、全員よかった。第1戦ではアンカーをつとめた熊谷選手がねらわれまくってると思っていたら、昨晩の試合では3バックの真ん中。安定していました。
最初のゴールを決めたかと思ったら、失点にからんでしまった高橋選手、ゴールライン上10センチのボールを片手でかき出した山下選手、縦横無尽にピッチを走り回った長谷川と長野両ボランチにいたっては、風格さえも漂っていましたね。
フランスに行って応援したくなり、調べたのだけれど……航空運賃もホテル代も高すぎ。うーん、どうしたものか。

町田 1−1 ガンバ
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行ってきました、東京都の秘境、町田GIONスタジアム。
15000人強収容のスタジアムはメインとバックが屋根付きで、サッカー専用ではないけれどとても見やすい。ゴール裏やアウェイチーム用の座席は一般チケット売り出しとともにあっさりと売り切れだったので、バックスタンドのちょっといい席を購入。まわりは全部町田サポで、グッズを身につけるのはご遠慮ください、というゾーンでした。
久しぶりのガンバ観戦で、昨年に引き続き在籍している選手でスタメンだったのは5名のみ。新加入選手情報については、テストマッチや沖縄キャンプ情報をチェック済みだったので、背番号や名前はわかっていたけれど、生でプレーを見るのはもちろん初めて。まだ走り方や蹴り方のくせがわからないので、識別が困難な選手もいて新鮮でした。
で、試合はというと。
ひと言で言うならば、「一森選手(GK)ありがとう〜〜〜」です。
セーブやフィードだけでなく、ラインの上げ下げから指示出しまで、まだ未完成のチームをよく引っ張っているなと感心しました。横浜FMのような強豪チームのGKをつとめたことで、視野の広さやゴール前の自信も一段とアップしているような。
フィールドの戦いぶりについては、まだまだですね。町田も新加入が多かったけれど、チームはしっかり仕上げてきて、やりたいサッカーがよくわかりました。よく走り、球際強く、ピッチの使い方がうまい。個人技のレベルも高い。ガンバがだらだらパス回しを続けてなかなかゴールに迫らないのに比べると、町田はボールを奪ったら全員がなだれこむ。パスカットも巧み。小気味のいいサッカーでした。
ただ、後半60分をすぎたあたりからちょっとガス欠気味だったかな。勢いがあるのはすごくいいと思うのだけれど、勢いあまって2枚目イエローで退場を出してしまったのは痛かった。
そこで切り替えて守りに徹したところもすごくわかる。GKの時間稼ぎもすごくわかる。だからそこにブーイングするのはどうなんだ、と思います、私は。
1人少ない相手に同点までしか追いつけなかったのは、ガンバのいまの実力だと思う。でも、もう少しガツガツいってほしいな。

行きもバス待ちがとても長かったので、帰りは歩きました。鶴川駅まで70分。下り坂と平地だったから70分で済んだけれど、行きだと上り坂だからちょっときついかも。山の中にあるスタジアムで、前に一回行ったときも日が暮れると真っ暗の中をバス停まで歩くのが怖いだろうなと思った記憶があります(バスは使わなかったけれど)サポーターはとってもやさしくて親切でしたが、スタジアムはちょっと遠くて不便だなあ。
とはいいつつも、久しぶりのガンバの試合観戦は楽しかったです。

 あと少しでいよいよ70代突入です。カウントダウンですね。
 この1ヶ月ほど、60代は私にとってどんな10年だったかなと考えることが多くなりました。
 60歳になったとき、できるかぎり自分のことは自分でやれるようにしようと決意。見知らぬ土地をめぐるひとり旅に挑戦しました。それがもう楽しくて、味わったことのないほどの解放感ですっかり自信をつけ、その後も何回も国内外を問わずひとり旅に挑戦しています。コロナ期間中は自粛していましたが、昨年は久しぶりに海外ひとり旅にも出ました。
 仕事だけでなく、日常生活でもやってみたかったけれど、自分には向かない、やれないと思い込んでいたことも60代のうちにやってみうようと思って、新しいタイプの仕事にも挑戦したし、梅干しや味噌など保存食作りもやってみました。コロナ自粛期間中はなんと一番苦手な裁縫にも挑戦しましたよ。やっぱり苦手ですぐにやめましたが。
 そして60代は親と家族との関係を再構築する10年でもありました。北欧ひとり旅から帰国してまもなく実家を訪れたとき、父が私をこっそりと呼び「なんかあったら、お金関係の書類はここに入っている。知らせる人の名簿もあるから、頼むわ」と引き出しの書類入れの場所を教えました。どうもそのころに余命を告げられていたらしいとわかったのは、その8ヶ月後に亡くなったあとでした。
 私が50代半ばのころ、母が何回か入院することがあり、関西の実家に定期的に通っていろいろと実家のあれこれを手伝うようになりました。そうなって気がついたのは、お金のことや親の人間関係についてまでも、私が親にかわって決める立場になったことでした。つまり年老いた親を守るのは子どもなのだ、とわかったのです。子どもの自分が親に守ってもらうことを当然と思っていたのに、「え? 親子逆転か?!」と愕然。
 母は自分が40代のころからしつこいほど私に「お父さんに何かあったら、あんたが私を守ってくれるんだよね」と念を押し、そのたびに私は重い気持ちで「そうだね。大丈夫だよ」と答えていました。父はそこまで露骨に守ってほしいとは言いませんでしたが、それでも余命宣告を受けたころから「いろいろと世話をしてもらわなならん。頼むわ」と私に言うようになりました。
 私が「自分のことはできるかぎり自分で決めて、自分でやれるようにしなくては」と決意を固めた背景には、自分が親を守る立場に置かれたと気づいたことがあります。
 もうね、60代のテーマソングはユーミンの「守ってあげたい」でしたよ。

 You don't have to worry, worry, 守ってあげたい〜〜
 あなたを苦しめるすべてのことから
   Cause I love you
 
 正直、重かったですね、愛しているなら守ってあげたくなるはずだ、守ろうとしないのは愛してないからだ、と突きつけられているみたいでね。口ずさむたびに胸のなかがもやもやして、どんよりしていました。
 でもっていま、私は親のつぎに夫を守らねばならない立場になったのか、と思うことが多くなりました。60代は親の「守ってくれ」攻撃(してるわけじゃないだろうけれど)に対して親子関係をどうとらえればいいのかと悩んだけれど、70代は配偶者との関係にあらためて悩むのかといまは気が重い。もうユーミンの歌はありえませんからね(Cause I love youの箇所が)
 家族間の人間関係を「守ってあげたい/守ってもらいたい」を超えてどう再構築していくか。
 ケアをする/されるときの距離をどうとるか。70代はそれを考え、葛藤する10年になりそうです。

 サッカー担当記者による今年のJ1予想順位で、多くの記者がガンバを降格、もしくは降格争いに位置付けています。まあね、終盤の失速具合を見れば妥当な判断? 主力がどんどん出ていくし、あれだけ負けがこんでたのに監督を代えないし、補強も主力抜けたあとを埋めるみたいな感じだし、仕方ないかな。
 と思いつつも、くやしく、さびしい気持ちはぬぐえず。

 同志が10年くらい前、「ガンバは監督が替わっても変わらない。ヤットが抜けたあとに一番大きな変革が迫られるはずだ」といってたのを思い出します。2014年、長谷川監督のもと昇格即三冠を成し遂げたころかな。
 また別のガンバサポが、宮本さんが解任されたときに「ツネさんの最大の業績は大先生(ヤットさんのことを彼はそう呼んでいる)を主軸から外すと断行したことだ。ガンバが変わるためにはどうしてもやらなくてはならないことだった」といっていたのも思い出します。
 ガンバというチームにおいて、それくらい大きな存在だったヤットさんが選手を引退、ガンバに戻ってきました。トップチームのコーチとして。
 サッカー誌記者で「遠藤保仁がコーチになったことがガンバに与える影響」についてふれている人は少ないのだけれど(っていうか私が見てないだけか?)、私は今年一番の「補強」だったと思っています。いや、補強、というよりも、影響かな。ピッチの外側にいても、ヤットさんの影響力は大きい。それがよい風を吹かすのか、それとも空気をよどませてしまうのか。それが私にはいまのところ見えません。
 ヤットさんはクラブにおいても代表においても、監督がめざすサッカーを一番理解していた選手のように思います。監督も監督で、ヤットさんをどう生かすかを考えてチーム作りをしていたんじゃないか(監督はそんなことを認めないけれどね)。とくに西野さんはそうだった。それがあまりにも見え見えすぎて、ときに私は腹立たしかった。いつまでたっても同じスタイルのサッカーをしていることが。長谷川さんも無視できなかった。脱ヤットをはかろうとしてもかなわず、やはりヤットさんを中軸にすえて三冠達成。
 でもヤットさんが何度も繰り返しいっているように、サッカーは11人でやるチームスポーツです。軸となる選手がいても、そのほかがただの駒ってわけじゃない。ヤットさんはそのことを一番よくわかっていたのではないか。
 ヤットさんのあとをつぐ「軸」として宇佐美選手が名乗りをあげ、昨季から7番をつけています。遠藤のあとは宇佐美で、というクラブ側の意向もあるだろうし、もちろん宇佐美選手自身もその自覚があってのことでしょう。でも、ヤットさんと宇佐美選手はちがう。実力や実績が上だ下だ、というレベルではなく、2人はまったく別の選手だし、別の人格です。同じピッチにいたときは、ヤットさんがやはり軸となり、宇佐美選手もその意を汲んで気持ちよくプレーしていて、チームはうまくいっていたように思います。
 それがピッチの内と外に分かれたとき、どうなるのだろう?
 新旧の軸がコーチと選手としてうまく連動し、相乗効果を産んだら今季のガンバは化けるだろうし、齟齬が生じればやはり今季も降格争いかも。
 むずかしいところだな。
 そんなわけで、私は順位予想ができないでいます。でも、ガンバはやはり私にとってたいせつな存在なので、ひと桁順位で予想したいな。

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