2024年09月18日 スルーして逃避したいのを我慢して 実は現地観戦だった先週土曜日のvs浦和戦。 3連休初日で新幹線やホテルがとれないのではないかと懸念して、1ヶ月半前にそれぞれ予約を入れ、心の準備もしていました。それなのになあ……(深いため息) パナスタで頭がぼーっとしていらいらがつのったのは、蒸し暑さのせいよりも試合内容が原因です。負けるにしても、あの内容では……。なんだかなあ……。 力が足りないことを思い知らされました。 監督や選手がアレについてはっきり口に出したときからチーム状態はダダ下がりです。しぶとさも勢いも衰えている。 どうやって立て直すのだろう。 ベクトルを上に向けてほしいなあ。
2024年09月12日 米大統領選、テレビ討論会を見て老いることのむずかしさを知る アメリカの大統領選挙は、誤解を恐れずにいうと4年に1度、オリンピック以上に人々を熱狂させるエンターテインメントではないか、と私は思っていて、1980年代、カーターさんが大統領になったころから毎回興味深く追っかけています。 今回はバイデン大統領が選挙戦から撤退するまで興味があまりわかなかったのですが、ハリス副大統領が候補になってからがぜんおもしろくなって、毎日のようにNHKBSのニュースを追いかけ、ネットで記事を読み、はてはXまで見ちゃったりしてます。ほかの国の選挙を追いかけないで、自分の国の総裁選に興味持てよ、と反省はするのだけれど、エンターテインメント度やドラマ性からみると、アメリカの大統領選のほうがおもしろいです。すみません。 そのためハリスさんとトランプさんの初のテレビ討論会をとても楽しみにしていた私は、昨日は朝からテレビの前に座り、NHKの同時通訳つきライブ放送を見ながら、タブレットでも英語の放送を聞いていました。 そこで私が一番衝撃を受けたのは、トランプさんの「オハイオ州では移民がペットの犬や猫を食べている」といって司会者に「それは事実ではありません」とたしなめられた場面ではなく、ハリスさんが初対面だからとトランプさんに自己紹介しながら握手を求めた演出でもありません。 それは「テレビは年齢を残酷なばかりに映しだすんだ」ということでした。 ハリスさん59歳、トランプさん78歳。19歳の年齢差は顔のシワ、表情、声、姿勢、立ち方、歩き方にいたるまでにはっきりとあらわれてしまう。それをテレビはくっきりと映し出してしまうのです。 バイデンさんとの討論会では、バイデンさんの老いがあまりに顕著でトランプさんの年齢にあまり気づかなかったのだけれど、今回はハリスさんと並ぶことで78歳を感じてしまいました。 昨日から私の頭のなかをしめているのは、政策論争とか支持率の行方などではなく、老いを受け入れ、老いる自分を愛おしむことのたいせつさです。老いていくことを恐れるあまり、自分の老いを認めようとしないのはみっともないのではないか。これからいよいよ老いに本格的に足を踏み入れていく自分に、老いを受け入れて、品よく老いていくんだぞ、と言い聞かせています。 実はそれがとってもむずかしいのだけれど。
2024年09月12日 天皇杯 準々決勝 vs広島 一つひとつ階段をのぼってほしい 現在、J1首位の広島との一戦。広島は3日前にルヴァンカップの準々決勝でPK戦までもつれこんだ試合をしてきました。一方のガンバは代表ウィークのリーグ戦中断と台風によるダービー延期もあって2週間半も試合をしていません。これが有利に働くか、それとも……と前の晩からドキドキしていました。結果は勝利! 前半はとてもいい形で山田選手が先制するも、その2分後にミスミスミスと重なって同点に追いつかれます。後半も一気に3人の交代になるまで、広島にペースを握られていたような。PKまで行くのかなあと不安になっていたところに、ウエルトン選手が岸本選手にペナ外で横パス、それをトラップして即座に左足を振り切ってシュートした岸本選手に100点をあげたい。11月勤労感謝の日に国立競技場で雄叫びをあげたいなあ〜〜〜
2024年09月10日 【新刊】「サッカー・グラニーズ」 新刊がもうすぐ出ます。「サッカー・グラニーズ〜ボールを蹴って人生を切りひらいた南アフリカのおばあちゃんたちの物語」ジーン・ダフィー=著 実川元子=訳平凡社南アフリカ北東部リムポポ州の村に住む高齢女性たちは、ストレスと加齢に起因する高血圧や糖尿病に悩まされ、医師から運動を勧められていたが、とてもその余裕がないまま病状を悪化させていた。自らも結腸癌で通院していたベカ・ンツァンウィジという女性は、病院でそんな高齢女性たちの姿を見て心を痛め、これはなんとかしなくてはと立ち上がった。まず、女性たちをなだめすかし、病院裏手の空き地で自分といっしょにエクササイズをしようとうながした。あるとき同じ空き地でサッカーをしていた少年たちが蹴ったボールが一人の女性の足元に転がってきて、その女性が蹴り返した……それがサッカー・グラニーズが生まれるきっかけだ。(グラニーズは英語でおばあちゃんの意味)少年たちに頼み込んでボールの蹴り方やルールを教えてもらううちに、女性たちはしだいにサッカーにのめりこんだ。からだを動かすことで健康を取り戻し、集まっていっしょにボールを蹴って、おしゃべりをして悩みを打ち明ける仲間ができたことで、女性たちは自尊心も取り戻した。 ベカはついに高齢女性たちのサッカーチーム「バケイグラ・バケイグラ」(バケイグラは南アフリカの言葉でおばあちゃんの意味)を結成する。コーチやチームドクターを自腹を切って雇い、村をまわって長老たちを説得し、いくつもの「バケイグラ・バケイグラ」をつくって、地域対抗の試合をするまでになった。 南アフリカの高齢女性サッカーチームに注目し、BBCが放映したニュースを見たアメリカ在住の白人女性ジーン・ダフィー(著者)は、地元マサチューセッツで開催される成人のためのサッカー大会「ベテランズ・カップ」に「バケイグラ」を招待しようと思いつき、ベカに連絡をとる。 ジーンは子どもたちのサッカーの試合をライン際で応援するのに飽き足らず、30代でチームに入り、15年も毎週試合を欠かさないサッカーウーマンである。チームや地元のサッカー協会の支援を受けて、ジーンたちは数々の困難を乗り越えてベカが率いる「バケイグラ・バケイグラ」の20人あまりのおばあちゃんたちをアメリカに招待するのに成功する。 その後もジーンたちのチームと南アフリカのサッカー・グラニーズとの交流は続き、昨年には南アフリカで世界各地のサッカー・グラニーズのチームの国際大会まで開催された。 南アフリカの黒人高齢女性は人種差別、性差別と年齢差別という三重の差別を受けている。アパルトヘイトの時代を生き延びた女性たちは、過酷な人種差別政策と、「女の子は学校に行かなくてもいい」という社会の性差別のために教育を受ける機会が奪われた。本書で紹介されるサッカー・グラニーズの大半は小学校すら出ておらず、字が書けない読めないために就業がかなわず、自宅の庭に植えた野菜で飢えをしのぐしかない、という人が大半だ。歳をとって病気がちになると、コミュニティの人たちに殺されてしまうこともある。 また1990年代から2000年代はじめにかけて南アフリカではHIV/エイズが猛威をふるい、子どもを亡くしたおばあちゃんたちは、孫やときにはひ孫の面倒まで見なくてはならなかった。南アフリカの人種差別、そこに起因する貧困と暴力のすさまじさを、サッカー・グラニーズたちはインタビューで淡々と語る。 それなのに本書は明るさに満ちている。ボールを蹴っているおばあちゃんたちは、はじけんばかりの笑顔だ。その人生は理不尽な暴力にさらされて苦難の連続だったはずなのに、表情が底抜けに明るいだけでなく、前向きだ。 グラニーズたちはサッカーをすることで仲間を見出し、さまざまな苦難を乗り越えて生き延びた自分を肯定し、生き延びたことを感謝している。それがグラニーズたちを輝かせている。 訳しながら、何回となくこみあげてくるものがあった。校正しながらも、涙が出てくる箇所があった。 著者が本書の最後を締めた言葉を、私は噛み締めている。「人生をどう思うかって? もちろん、生きることは最高だ!」