Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2025年02月

うまく回っているときは、攻撃も守備もスムーズにまわるけれど、ほんのちょっと歯車にきしみが出るとうまくいかなくなってしまうもんだな、ときのうの試合を見ながら思いました。
ガンバのみんな、必死。形相変わってる。余裕がない。
狂った歯車の調整はどうするんだろう?
まず取り戻したいのは、少しの余裕かも。



たゆまぬ努力とか、うまくいかなくても腐らず続けるとか、いま自分ができることを精一杯やるとか、よく聞く「努力推奨アドバイス」です。でも、できる人は少ない。ほんとに少ない。
「わかっちゃいるけどね」と何かしら言い訳を見つけてさぼる。結果が(すぐに)出ないと「自分には才能が足りないんじゃないか」「運が味方してくれない」。そう思って努力を諦める。最後には「自分にはこの道は向いていなかった」と未練があってもほかの道を探す。
シーズン前にCAZI散歩でガンバ筋トレ部(倉田選手が部長、一森選手と美藤選手が部員)が出演する回を見たのですが、長年マニアックなばかりに筋トレを続けている倉田選手が、2024年シーズンの自分のゴールシーンを振り返って「内転筋が使えてない。だから体幹を立てて走れていない。まだまだだ」と自分のプレーを酷評するのを聞いて、いや〜〜〜この人、プロサッカー選手としてできることを究めるつもりなんだ、引退なんか考えてないね、と感心しました。
そして昨日の試合。倉田選手の2点目のゴラッソ・シーンを見てほしい。まずこぼれてきたボールにたくみなステップですばやく駆け寄り、体幹をしっかり立ててキーパーとDFの位置を確かめてシュートコースを見極め、左足の軸足に体重をしっかりかけ、脚を振り抜いている。からだの軸のブレがない。筋トレを長年やり続けてきたからこそ生まれたゴールだと思います。
もちろん倉田選手は並の選手ではなく、生まれ持って優れた才能があります。なかでもすごい才能は、生まれ持った能力をより輝くように磨き続ける努力ができることだ、と思うのです。ベンチに回されても腐らない。年齢や体格を言い訳にしない。そこが並ではない。勇気をもらいました。
そして同じ筋トレ部の美藤選手がボランチでフル出場。ピッチで輝いていました。運動量は両チームで2位。12.2キロを走って、前の試合で崩壊した中盤の守備に貢献。ダワン選手とはちがう持ち味のボランチの才能を見せました。
もちろん一森選手はスーパーセーブの連続。試合終了後に美藤選手が一森選手に抱きつくシーンに胸熱でした。
その後にクラブから残念なお知らせが届き、胸が痛みました。SNSでの迷惑行為ってなんだろう? 
それはともあれ、第3節は今週水曜日。いろいろな意味で気持ちを切り替えて、試合にのぞんでほしい。

2月に入ってイライラをここでぶつけているような内容に反省し、気持ちが少し上向くようにどうでもいいことを書いてみます。
先日、わりに最近仲良くなった方に「元子さんは子どものころに何になりたかった?」と聞かれました。10代のころは本屋になりたかったです。本屋の店先に座って、お客さんから探している本のことを聞かれたら、さっと立ち上がってその本が並んでいる棚を教えて、ついでに関連するおすすめの本なども教えてあげられるような本屋さんになりたいと思っていました。
私は実は出来の悪い子どもで、学校の成績はぱっとせず、運動神経がないから運動もだめでのろま。不器用で、忘れ物ばかりして、先生にも親にも叱られてばかりでした。でも、本を読んでいれば現実の情けないみじめな自分を忘れることができました。
子どものころ、お誕生日のプレゼントでは本をねだりました。父方の祖母が「本ならなんぼでもこうたるわ」と言ってくれたので、お小遣いでは手が出ない岩波書店の小学生向け単行本を買ってもらいました。ドリトル先生シリーズ、リンドグレーンの名探偵カッレくんシリーズ、メアリー・ポピンズ、アーサー・ランサムのつばめ号とアマゾン号シリーズなどを夢中になって読みました。それが高じて「大人になったら本屋さんになろう。そしたらいくらでも本が読める」と思ったのです。あまいね。
モデルにしていたのは、2駅先にあった小さな本屋さんで、そこのおじさんが無愛想なんだけれど、どれだけ長いこと立ち読みしても知らん顔で、たまーに私が本を買うと、ぼそっと「この作家なら、私ならこちらを薦めるね」とか言ってくる。高校時代に安部公房に夢中で、「燃えつきた地図」の単行本が欲しかったのだけれど高くて手が出ず、函入りでパラフィン紙が巻いてあるので立ち読みをするのもはばかられ、どうしたものかとほぼ毎日学校の帰りに本屋で手に取って眺めていたことがあります。年が明けてお年玉をはたいて思い切って買ったら「よかったなあ、やっと買えて」とか言ってもらいました。おじさんの笑顔を初めて目撃したときでした。
しかし長じて「本屋になってしまったら、思いっきり本が読めなくなる」と知り、本屋勤めも本屋開業もあきらめました。
大学卒業後はアパレル会社につとめ、外資系の会社で秘書をやり、繊維関係の広報機関で働き、その後フリーランスの翻訳業とライターになったのですが、本当になりたかったのはなんだったのだろうか? とときどき考えます。いまさらですが、思いっきり本が読めたら職業はなんでもよかったのかな、とか思ったりもするのです。でもライターの仕事で一番長く続いたのが、書評とか本の紹介だったし、翻訳をやるにあたっても資料として本が読めたので、結局私はなりたかったものになっているのかもしれません。

ああ、でも死ぬまでに一回くらい、本屋さんの店員をやってみたいなあ。

 私は同居人のごはんを1日2食準備している。
 一方で、同居人は365日家で私が用意したごはんを食べる。
 たまに「今日は友人と食事をしてくる」というので、つい目を輝かせて「じゃ、ごはん作るのは1食でいいかな?」というと、「いや、夕飯は外食するけれど、あとは家で食べるから用意してくれるかな」という。ため息をつきながら、一汁二菜を作る。料理は好きで、実は作ることはそれほど苦ではないのだけれど、なぜか同居人の食事を作るのは苦行でしかない。
 会社勤めをしていたとき、同居人は会社で昼食をとり、夜にはたまに外食をすることもあった。「今日は夕飯いらない」と同居人から聞くと、朝から心もからだも軽く、鼻歌まじりで自分用に豪華な夕飯を作ったりしたものだった。自分のためのごはんを作るのはちっとも苦じゃないのだ。
 先日、同居人が朝食をとりながら「今日は夜に友人と食事をする約束がある」というので、学習能力が欠如している私は目を輝かせて「じゃ、今日あなたのごはんを作らなくていいね」というと、「いや、夕方からだから昼食は家で食べたい」とほざく、じゃなくて、おっしゃる。
 がっくりと肩を落として不機嫌になる私。同居人はあわてたように「テキトーでいいよ、適当に用意してくれたらいいから。夜はディナーで豪勢に食べるから」
 思わずかっとなった。
 「テキトーってなに、それ? もしそのテキトーっていうのが、まったく手間をかけないという意味なら、そんな食事はありえないから。たとえ卵かけご飯でも、ごはんをといで炊いて、卵を買ってきて割って、醤油を添えるとかそういう準備がいるんだよ。カップラーメンだって、買ってきてお湯を沸かして注ぐという手間がいる。そして私は卵かけご飯だけとか、カップラーメンをぽんと置いとくだけとかの食事をあなたには出したことがないでしょ。あなたのテキトーに作れる食事って何? その定義から聞かせてください!」
 沈黙する同居人。朝食の食卓に吹き渡る冷たい風。一気に朝食も凍りつく。
 それでどうなったかというと、はい、作りましたよ、同居人の昼食を。野菜たっぷりの豚肉入りあんかけ焼きそばにほうれん草のおひたし、豆腐とわかめの味噌汁という私基準の「テキトー」なメニューです。ふんっ(鼻息)

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(ある日のテキトーに作った同居人のための食事)


アディショナルタイム(11分!)に5点目が入ってから、そそくさと帰り支度を始めて、試合終了前にスタジアムをあとにしました。
その晩はよく眠れず。
始まったばかりなのにどん底。
これがどん底で、これからベクトルは上に向くと信じたい。
慢心はこわいね。私が一番慢心していたかも。

ということで、しばらくまたガンバを封印します。
バイエルンミュンヘン谷川選手の活躍で心を癒そう。

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