Glamorous Life

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2025年03月

負けた(ある意味完敗)ので、簡単に。
行ってきました、春先の冷たい雨が降る中を日産スタジアムに。これだけ通っていて何を間違えたんだか、うっかり菊名を乗り過ごして横浜まで行ってしまい、戻る羽目になったので、到着したのはキックオフ10分前。凍える寒さだったけれど、最後は新横浜から半分駆け足だったので汗かきました。
で、試合は、というと、昨年も春にマリノスと対戦したときと、同じパターンでした。
どんどん仕掛けるガンバさん。いっぱいシュート打つ打つ打つ。全部キーパーキャッチで、オーロラヴィジョンに朴一圭GKの顔が大写しになる。ふ〜〜いったい何回同じパターンと同じリズムの攻撃を繰り返せば気が済むのか、つぎはちょっとパターンを変えてみようと思わないのか、とぶつぶつ。
ガンバ、シュート23本。枠内もかなり打っていたはず。
でもマリノスのカウンター2本に沈みました。
マリノスのカウンター、効果的でした。ザ・カウンターって感じ。
単騎で持ち込んで、空いたスペースに思い切りよくシュートを放つ。誰かさんみたいに外さない。
でも、ガンバは守備も悪くなかった、と思います。とくに半田選手はすばらしかった。ひさびさに半田スライディングを何回も拝みました。スライディングするタイミングもボールを奪取する的確。ゴール裏から「半田、陸!」コールが起こるのもうなずける。
でも、中谷選手のパフォーマンスはまだ戻っていませんでした。福岡選手が先発の方が佐々木選手とのコンビネーションは良かったかも。
宇佐美選手のコンディションもイマイチだったかなあ。
ヒュメット選手はまだこれからですね。
でも、体格の割にこまわりが効くのかな、という印象を持ちました。あくまでもゴル裏から見た印象。
まだこれからこれから、と自分に言い聞かせながら、今度はまちがわずに菊名経由で帰宅しました。

20日にはルヴァン杯。1回戦敗退はもうやめてくださいねー。

 国立新美術館@乃木坂/六本木で現在創玄展という書道展が開催されています。全国の書道(愛好)家たちによる展覧会で、年1回、誰でも作品を出品できて、審査の上、入選すれば飾られます。いくつかの賞も設けられていて、今回私は秀逸という賞をいただきました。
 秀逸賞は4回目の受賞です。何回もらっても嬉しさは増すばかり! 賞をとるために書いているわけではない、とイキがっていたこともありますが、いざ賞をいただくと、ますます書を探求していこうという意欲は高まるもの。
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 そしてまた、昨年出版された『サッカー・グラニーズ』(ジーン・ダフィー著 平凡社)がサッカー本大賞の優秀賞に選ばれて、昨日は授賞式にいってきました。
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 3月、誕生日もふくめて私にとっては思い出深いおめでたい月となっています。
 71歳、まだまだこれから、ですね。

 



昨日ライブ観戦ができなかったので、1日遅れで見逃し配信を見ました。
いや、びっくり。攻撃では「惜しい! そこ決めろよ」(ウ〜〜〜、ですね)というシーンがいっぱい。守備では、危ないっ! というシーンがほとんどなし。
小気味よくパスがつながって、気持ちがいいったらない。
ガンバのこういう試合を見るのは、いつぶりだろう??
見逃し配信を90分、じっくり見てもイマイチという選手が一人もいませんでした。
なかでも私が目を見張ったのが、ネタ・ラヴィ選手です。
先週のヴェルディ戦でもネタさん、存在感がありましたが、この試合ではボール奪取のうまさ、その後にキープして時間を作るときと、さっとパスを出すときの使い分けの賢さ、山下選手のゴールをアシストしたときのからだの向きとは90度ちがう角度に出したパス(あれ、どんな風に蹴ったのかじっくり見たけれどよくわからなかった)の美しさ、守備でのクリアの確かさ、どれをとっても魅せられました。
もちろん満田選手のポジション取りのうまさにも唸ったし、ジェバリ選手の攻守にわたっての幅広い貢献には思わず画面を拝んでしまったくらいだし、倉田選手の86分の交代までの運動量に感心しました。
佐々木選手はガンバで初先発でしたが、とにかく落ち着いている。余裕を持ってプレーしているので安心して見ていられました。
清水サポからボールを持つたびにブーイングを浴びながらも、山下選手は技ありのループシュートでゴールを決めるし。
交代もよかった。中野選手は短い時間ながら、おそらくチームが一番しんどいときに清水のパスコースを消し、ラインを下げさせないプレーを徹底していて頼もしく感じました。
怪我人だらけで、ベンチに8人しか入れないガンバですが、どの選手も「やってやる!」と意気込んで試合に臨んでいるのが見逃し配信の画面からもうかがえました。
来週はアウェイ、横浜FM戦。この試合の配信を見たあと、思い切ってチケットをとりました。
マリノスは昨年の対戦の苦い記憶があるから、きっとギアを2倍くらいあげてくるだろうと思います。
むずかしい試合になるでしょうが、がんばってほしいな。

ところで、パナスタで挨拶をしたヒュメット選手。今日から練習に参加しているそうです。マリノス戦で見られるかな? 期待しよう。

どうしてもコメントが書けないのはなぜなのか? 原因究明を試みるもついにわからないので、ここでお返事を書きます。(hanaboさんにはメールします)
いはらりえ様、コメントをいただいて、頭のなかにわーっと記憶がよみがえり、赤面しました。エラソーに翻訳を教えていたときのことですね。もうね、何様じゃい、と過去の自分にツッコミを入れたくなりましたが、そこはそれ、いはらさんのようにあの授業を聞きながらも翻訳を続けていらっしゃるかたもいるのだ、と私は赤面が引いたあとにホッとしています。
翻訳って楽しいですよね。翻訳という作業は苦しくもあるけれど、楽しい。脳のなかのいろいろな部分が刺激される心地よさがある、だけでなく、自分も世界の一員であり、歴史を生きているのだ、ということが実感できる……ような気がします。
あ〜〜またエラソーだ。
翻訳、といえば、トランプさんが大統領に就任して以来、選挙中から何度も叫ばれるMake America Great Againの訳語が気になっています。「アメリカを再び偉大に」というのがたぶん正当(proper)な訳語なんでしょうが、うーん、しっくりきません。トランプさんと支持者が連呼するたびに、「アメリカを再び偉大に」という訳語でいいのだろうか、とざらりとしたものを感じます。
偉大とは、日本国語大辞典によれば「すぐれて大きいさま。非常にりっぱなさま」だそうです。
でも、新英和大辞典でgreatの意味として一番にあがっているのが「大きい、たくさん、際立った、強い、高度の」です。とにかく大きく、強く、高いことをgreatと表現する。「偉大な、すぐれた、すばらしい」という意味は口語で使われる、とある。そういえばトランプさんは演説で支持者のことをgreat peopleとよく呼んでいて、すばらしい人々、と訳されていることが多い。
でもあげられている例文を見るかぎり、どうも親しい間柄で褒める会話で使う言葉みたいです。
You're really great guy! きみはほんとにすごいやつだ! みたいな感じ。
アメリカのような大国の大統領が国民を持ち上げるのに、greatでいいのか、という気がしないでもないが、それはさておき、MAGAのgreatをトランプ2.0の世界を生きていく一員の気持ちとして訳すと「アメリカを再び誰も逆らえない超大国にするぞ」かな。アメリカよりも優れた強みを持つ国や地域は許さん。あれこれ文句を言ったり、逆らったりするやつは、断固踏み潰してやる。なんてったって、俺らはgreat=大国なんだからな。
ところで、もし「偉大」という意味でいくとすると、トランプさん一派がノスタルジーを持つアメリカが偉大だった時代っていつなのでしょうか? 「大きいことはいいことだ」「量が豊富なことが豊かなことだ」が通用した時代なのかなあ?

誕生日、といっても先日で、なんかばたばたしているうちに誕生日はあっさり過ぎてゆきました。70代の大台に乗った昨年に比べると、感慨はそれほどなく。
50代になったときから「母はいまの私の年齢のときにどうだったかな?」と振り返ることが多くなりました。誕生日には71歳の母はどうだったか、と当時の様子を思い出していました。
母は骨が弱くて50代の閉経時からあちこち骨折し、60代後半には骨粗鬆症と診断されて、薬を服用していたら胃をやられて、71歳で胃がんの手術を受けたということがあり、遺伝的に私もそうなるんじゃないかと、とても怯えていました。
だから骨密度のダウンをできるだけ食い止めようと運動に励んでいるわけですが、そのおかげなのか、それともその点は母の体質を受け継がなかったのか、これまで一度も骨折をしたことがないし、70代超えたいまも骨密度は平均より上を維持できています。
70代の1年目を過ごしてみて思っているのは、50代、60代のときに考えていた70代と、いまの自分はかなりちがっているな、ということです。61歳のときに父が亡くなり、母が施設に入り、実家を始末したころは、老いることが不安でたまりませんでした。70代になったら、きっと体力も気力もどんと衰えて、仕事もできなくなって経済的に苦しくなるかもしれない。家事もいい加減になって、汚部屋で暮らしてしまうかもしれない。マイナス発言ばかりの愚痴愚痴バアさんになって、友だちも減っていってしまうんじゃないか。そうなったらどうしよう、と夜に目が冴えて落ち込む、ということもしばしばでした。
そこにもってきてコロナです。不安に拍車がかかった感がありました。
でも、69歳のときに気力を奮い立たせて断捨離をして、自分の身にもしものことがあったときのための準備をあれこれしてから(いわゆる終活ですね)、不安はぐっとやわらいだ気がします。だから70歳の1年間は比較的心穏やかに過ごせました。
世界はきっと⚪︎⚪︎(→暗い想像)になるにちがいない、とか、きっと私は××で苦しむ、とか不安にかられても、先のことは本当にわからない。
そんな不安に怯える時間があったら、いま自分が持っている身体的、精神的、人的、社会的、時間的、経済的資源をできるだけ有効に使って、毎日をできるだけ気分よく過ごしていきたいな、というのが71歳の思いです。
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毎年、誕生日には自分へのエールをこめて、ちらし寿司を作ることにしています。
来年の誕生日にもまた元気においしく作って、自分へのエールが贈れますように。


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