Glamorous Life

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2025年08月



体感温度が40度近くなった昨日、味の素西が丘フィールドにWEリーグ注目カード、日テレヴェルディベレーザvs浦和レッズレディースの試合を観戦しにいきました。バックスタンドはチケット完売、浦和ゴール裏とメインスタンドもぎっしり。それでも観客3000人超。広島レッジーナは開幕戦で9000人以上入ったというのに。
それはともかく、試合は前半の早い時間帯にコーナーキックからの流れでレッズの丹野選手がゴールをあげ、その1点をしっかり守ったレッズレディースが勝利しました。
WEリーグが発足した5年前からレッズレディースとINACには一度も勝っていないベレーザ。レッズレディースもINACもベレーザに対しての「圧」がすごい。この2チームはほかのチームと対戦するときにはそれほど圧をかけてこないのに、なぜかベレーザに対しては圧をがんがんにかけてきます。そしてベレーザはその圧に圧倒されて失点する。毎試合、同じパターン。
きのうその圧に負けていなかったのは、レッズレディースから移籍してきた塩越選手と菅野選手くらいでした。圧に対して個人技(テクニック)と得意のスピードのあるパスで対抗しようとするも、最後のところでGK池田選手、高橋(はな)選手を筆頭に圧女王ともいうべき強力DF陣にはばまれて得点できず。惜しいシュートが何本かあったんですけれどね。

試合が始まる前までうだるような暑さでしたが、日が暮れて少し涼しい風が吹くようになり、試合はかなり見応えがあったので暑さを忘れました。女子サッカーはまだ発展途上ですが、チームごとに特徴が出てきて試合内容が濃くなってきています。観客がもっと増えるといいな。



3連敗で迎えたホーム、横浜FC戦。
試合前に悲壮感漂うキャプテン宇佐美選手のコメントがあり、もしこの試合を落としたら、もう今季はトンネルを抜け出すことはできないのではないか、と私まで悲壮感いっぱいでした。
なのに、なのに、アライウトンに先制点を奪われてしまう。ボール保持はできていたし、それなりに試合を有利に進めていたと思っていたのに先制点は相手チーム。今季あるあるの試合展開です。この時点で悲壮な思い80%でした。
それを払拭してくれたのが、ヒュメット選手と宇佐美選手。3点目となった美藤→アラーノ→ヒュメット→宇佐美のゴールは美しかった。

この試合から初瀬選手が出場して、チームの雰囲気を少し変えてくれたような気がします。初瀬選手には正直あまりいい印象はなかったのですが、常勝チームとなった神戸で主力をはっていたその経験をガンバで生かしてくれないかな、と期待します。
そして前節町田にネタ・ラヴィ選手が移籍しました。今季のネタさんには期待していただけに、残念。しかも今季途中での移籍。なにがあったのかなと勘ぐりたくなります。主力選手だっただけに、この移籍がチームに与える影響は少なくないはず。それでも移籍先での活躍を祈ります。

いよいよACL2が始まります。久しぶりに海外のチームとの試合。結果はもちろん、新しい経験が積める有意義は大会となりますように。

 Glamorous Lifeを開設して25年がたちました。
 フリーランスのライターと翻訳業をしている私にとって、このブログは看板のようなもので、そのおかげでいただいたお仕事もたくさんあります。
 なによりも嬉しいのは、ブログを通して知り合いになり、いっしょにご飯を食べたり、相談にのってもらったり、楽しい時間を過ごしたことが何回となくあることです。ブログのご利益、ブログの輪ですね!
 しかし、しだいにサッカーブログ、というよりガンバについて書くことがメインになり、しかもこ最近5、6年は「もうガンバについて書くのやめる!」とか、ぐちぐちこぼすことばっかりになってきました。
 ライターや翻訳の仕事もそろそろ開店休業状態になってきて、そろそろ見直しをはかったほうがいいかなと25年たったいま考えています。
 このブログはしばらく残しますが、来年からは少しちがう形で発信する場をつくっていこうといま構想中です。
 新しい場を作ったときにはもちろんお知らせします。
 構想している間は楽しくてわくわくするのだけれど、いざ動こうとすると腰が引けているところがあるので、自分に喝を入れる意味でも宣言しておきます。
 25年続けてこられたのは、みなさまのおかげです。
 つぎの25年(いやいや、それは無理だろうけれど)に向けて、新しい形、新しい場でまた発信していきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

 勝つから嬉しくなって応援し、負けが続くからそっぽを向く、というわけでもないのだけれど、ちょっとガンバの試合を見るのがいやになっています。
 もちろん勝利を求めてはいるけれど、負けても気持ちよく声援を送れるような試合が見たいなあ。

今日は終戦記念日である。私は終戦から8年7ヶ月後に生まれた。第二次世界大戦が終わってから、まださほどたっていない時期に子ども時代を過ごしたことになる。あのころ、戦争の影はまだ濃かった。
私が小学生のときに住んでいた家には、よく知り合いではない白い服の帰還兵の人たちが訪れ、祖母が「どこから帰ってきはったん?」「どうやって帰れたんですか?」「えらいことでしたなあ」などとたずねてながながと話を聞き、いっしょに涙していた記憶がある。祖母が「からだには気ぃつけてお過ごしくださいね」と言って、おそらく金一封を包んだ封筒を渡していた光景も、記憶に残っている。
往来の激しい駅には、よく傷病兵らしき人が物乞いをしていた。祖母をはじめ、そっとお金を入れる人たちも少なくなかった。そんな時代だったのだ。
祖父母は戦争中に長男を病気で亡くした。いま92歳の母の兄、つまり私にとっては伯父にあたる人だ。もちろん私は写真でしか知らない。どうして亡くなったのか、どんな人だったのか、孫にあたる戦後世代の私たちは最近になるまで知らなかった。祖父母がけっしてその人の話をしなかったからだ。
私が知ったのは、7、8年前のやはり終戦記念日のころ、母が唐突に自分の兄が亡くなったときの話を始めたからだ。
「あんなに悲しかったことはなかった。お父さんもお母さんも(つまり私の祖父母)兄さんが亡くなって人が変わってしまった」「お父さんが戦争を始めた政治家たちのことを激しくののしるようになって、その2世政治家がテレビにちょっと映っただけでテレビ画面めがけてものを投げつけるようになったのも、兄さんのことがあったからや」「戦争がなかったら、兄さんはまだ生きとった」
どうも結核ではなかったかとは母はいう。まだ10代だったその人は丈夫なたちだったとは母はいうが、戦争中に食べ物があまりなくて栄養がとれずに体力が失われ、咳が止まらなくなっても医者に見せることもむずかしく、ましてや薬など手に入らず、あれよあれよという間に衰弱して亡くなったのだそう。
私にとって「戦争」は、帰還兵の人たちの姿と、写真でしか知らない伯父の話、そして広島で被爆した親戚が語る話を通して、まだ記憶になまなましい。戦後の生まれではあるが、戦争を体験してきた人たちの話を聞いて子どもたちや孫たちの世代に伝えることが、私たち世代にとっての使命なのではないか、と思う。

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