父の葬儀が終わって10日。ようやく少しずつ生活が落ち着いて……きていませんが、なんとか日常生活を取り戻そうと必死であがいているところです。実は我が家では、3月から娘と孫との同居生活が始まっています。娘は育休があけて職場復帰、1歳4ヵ月の孫は保育所に通います。母は82年の人生で初めての一人暮らしが始まりました。子どもたちが独立して以来、自分のペースで生活していた私にとっても、新しいリズムでの生活が始まっています。
あらためて、私は親、子ども、そして孫の三世代の中間にあって、すべての世代の生活をバックアップする中間管理職のような年代なんだな、と実感。
親、子ども、そして孫たちが新しい生活を軌道に乗せる手助けをすることは、私の責務だろうとは思うのですが、あくまでも私がやるべきことは手助けであって、新生活の主体となるのは親であり、子どもであるべきだ、と私は思っています。
父の病気がわかって混乱する母のことをどうしたらいいかと相談したある方から言われた一言が、とても救いになりました。
「いい人になりすぎないこと」
私のある意味で欠点というか弱点が、まさに「いい人と思われたい気持ちが強すぎること」です。いい娘と思ってほしい、いい親でありたい、いい人になりたい……それって結局、外部の判断なんですよね。親や子どもや世間の「要求」や「評価」を基準にしてしまうと、結局は自分で自分の首をしめることになる。人(親や子どもを含む)ではなく、自分がやりたくないこと、もしくは相当無理をしないとできないことは、やらない。できないことはできない、とはっきり言う。たとえ相手が怒ったり嘆いたりしても、無理なことはしない。無理をしてまでやってあげていたら、最後には自分がつぶれてしまう。
「いいよ、いいいよ、私がやってあげるから」という相手が期待する一言をぐっと呑み込んで、「それはあなたがやりなさい」ときっちり伝えて、それでもやってやってとせがまれても、別の解決方法を提案する強さを持つこと。
そして私自身がやらなくてはならないこと、本当にやりたいことをちゃんとやり通す覚悟を持つこと。
その決意を持って、私の新しい生活が始まります。それは私自身を新しいステージへと導く強さとなるはず。
そんなことを思いながら、春を迎えています。
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