ついにダウンしてしまいました。
実家の後始末に加えて、のんびりまったりの夫婦2人暮らしがいきなり1歳児中心の5人(ときに6人)暮らしになり、家事分量は大げさではなくかつての3倍。仕事も忙しく、いつまで体はもつだろうかと不安を抱えつつも足踏みは許されず……でもって、月末校了の赤字を送り終わり、家中の掃除と洗濯と食事を作り終えたとたんに寝込みました。うーむ、私ってほんと義務感の塊やわ。 いや、こういうのは義務感とは言わない?
昨日は朝から起きられず、うつらうつらしながら一日ベッドで過ごしました。一年に1回くらい、こういう日(体の言うことを聞く日)があってもいいよね、
きのうから絶食しているので、いささか体に力は入らないのですが、全身に感じていた痛みは8割ほどひいて少し気力も戻ってきました。
ここ数年「体は正直。体の声を聞かなくちゃ」と感じています。体と心は一つだな、というのも感じます。心が不調だと体にあらわれ、体調がおかしくなってくると気持ちも落ち込む。そして心も体も不調を招くのは「過」の状態です。食べ過ぎ、飲み過ぎはもちろん、働き過ぎ、休み過ぎも不調を招く。反対に少し足りないかな、というほうが(睡眠不足以外は)まだマシのような。ま、私にかぎったことかもしれませんが。
何回も書いていますが、私の場合は「〜〜しなくちゃ」「〜〜すべき」が「過」を呼び込むみたいです。 反対に「〜〜したい」というモチベーションだけで行動していれば、ほどほどでおさまる。
いや、この言い方はよくない。「〜〜しなくちゃ」という義務感はなんかもう切羽詰まっていて、こういう嫌なことはさっさとすませてしまおう、とがむしゃらにやってしまうので「過」になってしまうのだけれど、「〜〜したい」で動けば、楽しんでやれるし、無理をしないのんびりペースが可能だし、やり過ぎるほどまでやらない。
過ぎたるは及ばざるごとし、は私の場合にはあてはまらない。
過ぎたるは及ばざる以上にダメ。
及ばないくらいがちょうどいい。
そう言い聞かせて養生いたしますです。
実家の後始末に加えて、のんびりまったりの夫婦2人暮らしがいきなり1歳児中心の5人(ときに6人)暮らしになり、家事分量は大げさではなくかつての3倍。仕事も忙しく、いつまで体はもつだろうかと不安を抱えつつも足踏みは許されず……でもって、月末校了の赤字を送り終わり、家中の掃除と洗濯と食事を作り終えたとたんに寝込みました。うーむ、私ってほんと義務感の塊やわ。 いや、こういうのは義務感とは言わない?
昨日は朝から起きられず、うつらうつらしながら一日ベッドで過ごしました。一年に1回くらい、こういう日(体の言うことを聞く日)があってもいいよね、
きのうから絶食しているので、いささか体に力は入らないのですが、全身に感じていた痛みは8割ほどひいて少し気力も戻ってきました。
ここ数年「体は正直。体の声を聞かなくちゃ」と感じています。体と心は一つだな、というのも感じます。心が不調だと体にあらわれ、体調がおかしくなってくると気持ちも落ち込む。そして心も体も不調を招くのは「過」の状態です。食べ過ぎ、飲み過ぎはもちろん、働き過ぎ、休み過ぎも不調を招く。反対に少し足りないかな、というほうが(睡眠不足以外は)まだマシのような。ま、私にかぎったことかもしれませんが。
何回も書いていますが、私の場合は「〜〜しなくちゃ」「〜〜すべき」が「過」を呼び込むみたいです。 反対に「〜〜したい」というモチベーションだけで行動していれば、ほどほどでおさまる。
いや、この言い方はよくない。「〜〜しなくちゃ」という義務感はなんかもう切羽詰まっていて、こういう嫌なことはさっさとすませてしまおう、とがむしゃらにやってしまうので「過」になってしまうのだけれど、「〜〜したい」で動けば、楽しんでやれるし、無理をしないのんびりペースが可能だし、やり過ぎるほどまでやらない。
過ぎたるは及ばざるごとし、は私の場合にはあてはまらない。
過ぎたるは及ばざる以上にダメ。
及ばないくらいがちょうどいい。
そう言い聞かせて養生いたしますです。
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