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(秋を感じさせるイヌタデが近所で群生していました。形が美しいので、飾っています。ブログの中身とは関係なし)

父が病に倒れてから1年以上が過ぎました。
この1年間であらためて心したこと。
それは「自分のことは自分でする」
もしくは「自分のことは自分が責任を持つ」
ということ。
10代、20代のころ、何か事が起こるたびに「いよいよどうにもならなくなったら親や夫がなんとかしてくれる」と頭の片隅で考えて自分を安堵させていました。親や家族が自分を守ってくれる、どんなことをしても私を救ってくれる、とか思って、自立して生きる恐さや辛さから逃げていたのです。甘ったれです、はい。依存している自分に忸怩たる思いはありながら、大人の自覚がどこか欠けていました。
ところが、子供が生まれて、自分が何としても守らなくてはならない存在を抱える立場となり、さすがに「誰かが何とかしてくれるだろう」という甘えでは乗り切れなくなりました。それに夫や会社という存在が頼れるものではなかった、という現実にも直面し、こりゃあ最終的に頼りになるのは自分しかないのだと目が覚めるような経験も多々あり。(夫や会社を責めているのではなく、そんな当然の現実に気づかなかった自分が単なる馬鹿だったのですが)
30代、40代と「自立」を一つの柱にしてきたつもりですが、50代になって子供たちが独立し、守らなくてはならない存在がいなくなったことで、私の中にまたずるずると誰かに(言いたくないけれど特に夫に)依存したい症候が芽生えていたのでした。
しかし、親が1人いなくなり、もう1人が老いる姿を目の当たりにして、私は20代のときとは違った心持ちで「自分のことは自分で責任をとるしかない」と自分に言い聞かせています。
かといって「人の世話には金輪際ならない」とかそういう頑固傲慢ババアなことを言うつもりはありません。人の力を借りなくては今だって生きていけないし、これからもっともっと人の世話になるでしょう。でもそのときでも誰にどんな世話をしてもらうかを自分で決めたいし、世話になる程度はできるだけ小さくしておきたい。
最後の最後まで、自分のことは自分で考え、自分で決め、自分でできるような力をつけるのは今しかない、と思っています。だから、もう年だから、○○しない、とか、○○できない、とかいうのは自分に厳しく禁じよう、と心しています。他人の目を気にしてやりたいことをやめたり、もう無理だからと新しいことに挑戦するのをあきらめたりしない。誰かと一緒でないとさびしい、とか、誰かに、もしくは何かに(特にお金に)頼らないとやりたいこともやれない、とかそういうことを言わないようにしたい。
1人で(も)楽しむ力を養うこと。
挑戦を忘れないこと。
それが60代の私の「自分のことは自分で責任を持つ」ということの意味だと思っています。
だから来年は少し長期に1人暮らししようっと……(←そこかいっ!)