今日はサッカー話ではなく、野球話……でもなく、「外国語」についてのお話です。
メジャーリーグにはあまり詳しくないのだけれど、偶然見つけたこの記事での川崎宗則選手の英語でのインタビューにすごく感動しました。
http://full-count.jp/2015/10/15/post20222/
(1ページ目の最後に出てきます)
ムネリン、なんて呼ぶとファンの方から怒られるかもしれないけれど、思わずPC画面の前で「ムネリン、あなたはすごいわ!」と叫んでしまいましたよ。
何がって、途中まで英語を話していることに気づかなかったくらい、伝えたいことがストレートに私の胸に響いたから。
英語がうまい下手とか、発音がどうの、とかそういうことじゃない。外国語、という以上に、言葉で自分の言いたいことを伝えるとはこういうことなのだ、と私は川崎選手に教えてもらったような気がします。

日本人は外国語が苦手、とよく聞かされます。外国語=英語と思い込んでいる人も多いので、「英語苦手なんです」と言われる方のほうが多いかも。電車に乗れば車輛に1枚は英語を教える教室の広告が見つかるし、本屋では棚の1台が必ず「英語が苦手な人が必ず1ヵ月で話せるようになる」とかなんとかいう帯がついた語学参考書によって占拠されています。英語学習本は必ずある程度の部数を行くのだそう。
英語が苦手 と聞かされるたびに(フランス語が苦手なんです、とか、中国語が下手で……と言われたことはそういや1回もないな)、そして「○○日でたちまち英語が話せる」という広告を見るたびに、私はいらいらっとします。英語だけでなく、「外国語を学ぶこと」の根幹にある大切なことがないがしろにされているような気がするから。
 それは「言葉は伝達の道具である」ということです。そして「言葉」の中には、口から発する音だけでなく、身振りや表情や身体のリズムなど、いわゆる言語外言語も含まれる、ということです。

 大学時代、ロベルジュ先生という方にフランス語を習いました。フランス語についてはほとんど無知な1年生がまず最初にやらされること。それは「ビビロロ、ドゥサ、マロ……」というワケのわからない呪文のような詩を先生のあとについて暗誦することでした。ただ声に出して言うだけではいけない。先生の身振り手振り、体の動かし方、リズム、表情、すべてを真似しないといけない。もちろん文字で書いてはいけない。ひたすら全身で聴いて、全身で見て、全身で声に出す。40年以上たった今も、恐らくフランス語学科のクラスメートは全員ビビロロが暗誦できるはず。
 その先生と10年ほど前にお目にかかったとき、「引退した今は、日本人の耳の不自由な子供たちに日本語を教える仕事をしている」とうかがいました。 先生、こう言ってはなんだが今も日本語が決してお上手とは言えない。だから失礼ながら「え? 先生が日本語を教える?! しかも耳の不自由な子供たちにどうやって?」とか思わず聞いてしまいました。
 そのときに先生が言われた言葉が今も忘れられない。

「耳が不自由だから聴く力がないわけでは決してない。耳や口は末端の器官でしかないのです。 言葉は全身で習得するもの。たとえば嬉しい、悲しい、怒っているといった感情を、あなたは口から発する言葉だけで表現していますか? 全身から発する『言葉』で伝えているはずです。言語というのは、全身で聴いて、全身で話すものです。私もそうやってあなたたちにフランス語を教えてきたつもり」

 全身で聴いて、全身で話す。
 外国語だけではなく、母国語でも同じですね。
 今、孫が言語習得の真っ最中なのですが、本当に全身を耳にして聴き、全身で発話するのを日々見ていると、「言葉を学ぶこと」の基本を今更ながら教えられます。
 相手が何を考えているか? 私はどんな人間か? 
 相手の伝えたいことを全身で聴き、自分の思っていることを全身で伝える。 その真剣さがないと、外国語は学べない。
「外国語を学ぶ」のは、人間を学ぶこと。
 そんなことを思い出させてくれたムネリンに感謝です。