父が亡くなってそろそろ1年が過ぎようとしています。一周忌の準備を進めながら、生きていたときよりもっと身近に父のことが感じられる今日このごろ。
実を言えば、父はあまり私たち子供に関心がありませんでした。父に手を引かれてどこかに出かけた、という記憶がありません。子供の頃は家で顔を合わせることもなく、たまーに一緒に出かけても、父がやりたいこと(水泳とか登山とか)に私たちがつきあわされるので、あまり楽しくなかったです。
父が考えていることは、すべて母というフィルターを通して私たち姉妹に伝えられていました。「お父さんはこういう人」という母の言葉を、そのまま鵜呑みにして育ってきましたし、そもそも父が私たちに関心がないのと同じくらい、私たちも父にさほど関心を持っていなかったように思います。
両親の老いが顕著になってきた9年前から、私はできるだけ頻繁に実家に帰るようになりました。父が仕事を引退後(76歳までフルタイム勤務でその後も週3回は出勤していました)は両親と私たち夫婦とで一緒に旅行によく出かけたので、父と行動をともにすることも多くなり、やっと父の人となりが私なりにわかるようになった、というところでしたか。
父は仕事だけでなく趣味にも打ち込んでいたので、とにかく忙しい人でした。65歳を過ぎてから始めた絵画制作という趣味も、趣味とはとても言えないほど全身全霊で打ち込んでいました。寸暇を惜しんでキャンバスに向かい、山のように美術書や写真集を買い込んでなめるように眺め、そのときどきでテーマを見つけると(宇宙、原始宗教、貝、ウミウシ(!)、女性の顔など)それに関する本をあさってとことん追求し、絵にしていました。また絵の題材を見つけるためにしょっちゅう旅に出ていましたし、庭仕事にも熱心で、描きたい花や植物を庭のあちこちに植えて、朝に夕に水やり、草むしりをしていました。3月に亡くなった後、春の花々がいっせいに咲き出した庭を見て、父はいよいよ最期が近づいたと薄々感づいていた秋にも、翌年の春のために球根や苗を植えていたんだ、とそのまめさにあきれるとともに、父の不在を強く感じました。
いま思うと、父は「行動の人」でした。
5年ほど前、父と2人で逸翁美術館に出かけたことがあります。小林一三氏所蔵の陶磁器の特別展があるのを新聞で見つけた父が、一緒に行こうと私を誘いました。展示物を眺め、ときおり父がつぶやくうんちくと感想に相づちを打ちながら庭園を散歩しているときでした。父がふと振り返って真顔で私に言いました。
「やりたいと思ったことはすぐに始めなあかんぞ。もっとヒマになったらとか、カネがないからとか、自分にできるんやろかとか、言い訳探す前に始めなあかん。頭の中でいくら考えていても、考えているだけでは何にも始まらん。動くことで、始まるんや」
たぶん私が庭園にいくつもある茶室をのぞいて「小林一三さんってすごい趣味人やったんやね。金持ちは違うわー」とか下世話な感想を言ったことに対して反応したのだと思います。カネとヒマがあるから趣味に打ち込むのではない。やりたくてたまらないから、自然に体が動いて、そこから新しい世界が始まるのだ。そういうことが言いたかったのだと思います。
動くことで、始まる。
この年で趣味(サッカーに書道に語学)に没頭してしまう自分にちょっとあきれてしまうときに、あの秋晴れの庭園で父に言われた言葉に後押しされます。
そして、自分が父の娘であることがうれしく、そして少し誇らしくなります。
最後に一緒に旅行したイタリア、ラヴェッロの絵を見せてくれた87歳の父
私が20年以上前にプレゼントしたブーゲンビリアの小さな鉢を熱心に世話をして大木にし、毎年見事に咲かせていました。夏の花のはずなのに、秋に入院後も咲き続けて冬を越し、一時退院で自宅に戻った父は目を細めて「よう咲いとるなあ」と喜んで眺めていました。
実を言えば、父はあまり私たち子供に関心がありませんでした。父に手を引かれてどこかに出かけた、という記憶がありません。子供の頃は家で顔を合わせることもなく、たまーに一緒に出かけても、父がやりたいこと(水泳とか登山とか)に私たちがつきあわされるので、あまり楽しくなかったです。
父が考えていることは、すべて母というフィルターを通して私たち姉妹に伝えられていました。「お父さんはこういう人」という母の言葉を、そのまま鵜呑みにして育ってきましたし、そもそも父が私たちに関心がないのと同じくらい、私たちも父にさほど関心を持っていなかったように思います。
両親の老いが顕著になってきた9年前から、私はできるだけ頻繁に実家に帰るようになりました。父が仕事を引退後(76歳までフルタイム勤務でその後も週3回は出勤していました)は両親と私たち夫婦とで一緒に旅行によく出かけたので、父と行動をともにすることも多くなり、やっと父の人となりが私なりにわかるようになった、というところでしたか。
父は仕事だけでなく趣味にも打ち込んでいたので、とにかく忙しい人でした。65歳を過ぎてから始めた絵画制作という趣味も、趣味とはとても言えないほど全身全霊で打ち込んでいました。寸暇を惜しんでキャンバスに向かい、山のように美術書や写真集を買い込んでなめるように眺め、そのときどきでテーマを見つけると(宇宙、原始宗教、貝、ウミウシ(!)、女性の顔など)それに関する本をあさってとことん追求し、絵にしていました。また絵の題材を見つけるためにしょっちゅう旅に出ていましたし、庭仕事にも熱心で、描きたい花や植物を庭のあちこちに植えて、朝に夕に水やり、草むしりをしていました。3月に亡くなった後、春の花々がいっせいに咲き出した庭を見て、父はいよいよ最期が近づいたと薄々感づいていた秋にも、翌年の春のために球根や苗を植えていたんだ、とそのまめさにあきれるとともに、父の不在を強く感じました。
いま思うと、父は「行動の人」でした。
5年ほど前、父と2人で逸翁美術館に出かけたことがあります。小林一三氏所蔵の陶磁器の特別展があるのを新聞で見つけた父が、一緒に行こうと私を誘いました。展示物を眺め、ときおり父がつぶやくうんちくと感想に相づちを打ちながら庭園を散歩しているときでした。父がふと振り返って真顔で私に言いました。
「やりたいと思ったことはすぐに始めなあかんぞ。もっとヒマになったらとか、カネがないからとか、自分にできるんやろかとか、言い訳探す前に始めなあかん。頭の中でいくら考えていても、考えているだけでは何にも始まらん。動くことで、始まるんや」
たぶん私が庭園にいくつもある茶室をのぞいて「小林一三さんってすごい趣味人やったんやね。金持ちは違うわー」とか下世話な感想を言ったことに対して反応したのだと思います。カネとヒマがあるから趣味に打ち込むのではない。やりたくてたまらないから、自然に体が動いて、そこから新しい世界が始まるのだ。そういうことが言いたかったのだと思います。
動くことで、始まる。
この年で趣味(サッカーに書道に語学)に没頭してしまう自分にちょっとあきれてしまうときに、あの秋晴れの庭園で父に言われた言葉に後押しされます。
そして、自分が父の娘であることがうれしく、そして少し誇らしくなります。
最後に一緒に旅行したイタリア、ラヴェッロの絵を見せてくれた87歳の父
私が20年以上前にプレゼントしたブーゲンビリアの小さな鉢を熱心に世話をして大木にし、毎年見事に咲かせていました。夏の花のはずなのに、秋に入院後も咲き続けて冬を越し、一時退院で自宅に戻った父は目を細めて「よう咲いとるなあ」と喜んで眺めていました。
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