Brexit、英国が国民投票によってEUからの離脱を選択した、というニュースにショックを受けている。つい先日、フランスで知り合ったイングランド人数人に「EU離脱/残留問題」を聞いたら、彼らは全員が「EU残留に決まってんだろ」という調子で軽く笑い飛ばしていたけれど、投票箱のフタを開けたら離脱賛成が過半数。EURO観戦でフランスにやってきて、カテゴリー1という高額チケットが購入できる(つまり英国ではアッパーな)彼ら残留派の楽観の根拠は何だったんだろう? そして近代国家の枠組みの箍が外れてしまっているこの世界で、あえてあらためて「国家」という形を選択した英国は、いったいどういう枠を組もうとしているのか? もう少し情報を得てから考えてみたい。

さて、昨晩はNHK BS1「国際報道2016」で独立系サッカー連盟Confederation of Independent Football Associations 略称ConIFA(コニファ)について、なんと10分以上が報道された。サッカーと民族問題に取り組んでおられて、名著「悪者見参」「オシムの言葉」などの著者であるジャーナリストの木村元彦さんがアブハジアまで来て撮られたビデオを見せながら、紹介された。ああ、ConIFAもここまで来たんだ、日本でこういう風に(大々的に)紹介されるようになったんだ、と胸が熱くなる思いだった。

そこで私がConIFAに出会ったきっかけと、深く関わるようになった経緯をあらためてまとめておきたいと思う。
そもそものきっかけは、英国のサッカー青年、ポール・ワトソンに彼の著書"Up Pohnpei"(ポンペイ万歳)を読み、メールでインタビューをしたことにあった。イングランド代表のあまりのふがいなさに苛立ったポール青年が、「俺だって代表選手になれる国があるはずだ」と探し、南太平洋に浮かぶ小さな島国(米国の統治下にある)、ポンペイを地図で見つけ出す。早速手紙を書いたら「英国人ならきっと我々のサッカーを強化してくれるだろう。コーチとして来てほしい」と返事をもらい、「よーし、いきなり代表監督だ!」と勇んで飛び立つ。何回も飛行機を乗り換えながら2日がかりでたどりついたポンペイ島で彼が見たのは、グラウンドといっても蛙が飛び跳ねているぬかるみで、島民は軍事目的でアメリカが統治下においており、食糧や生活物資がほぼ無料で支給されるとあってすべてにやる気がなく、肥満率ばかりが高い、という現実。それでも意識高い系の若者たちを集めてチームを作り、自腹でユニまで調達し、ついにはグアムとの海外試合で勝利をあげる、という話だ。
Paul Watson@Soccer Critique(1)

インタビューをして記事を書いたのは、FIFAワールドカップ ブラジル大会が開催される前年2013年の後半。ブラジル行った事ないから行ってみようかな、と観戦チケットを申し込んだけれど、何回申し込んでも全滅。しかも飛行機代とホテル代を調べたところ、5泊7日でも100万円近くする。こりゃーダメだ、とついに私はブラジル行きをあきらめた。
記事が出たあともポールと何かとメールでやりとりをしていたとき、彼が「ConIFAといってFIFA非加盟の国や地域が加盟している団体が、5月末からスウェーデンのウステルシュンドでワールドフットボールカップ(WFC)を開催する。ぼくは出場するダルフール・ユナイテッドというチームのコーチで行くかもしれない」と言ってきた。彼に教えてもらったConIFAとWFCのサイトを見た私は興奮した。「クルディスタン、アブハジア、南オセチア、オクシタニア、アラメアスルヨエ……何、これ? 全然知らないところばかり」。すぐにネットで出場チームの歴史や社会・文化背景を調べた私は、調べれば調べるほど興奮して身震いし、即座に決めた。「ブラジルなんか行ってる場合じゃないぞ。これこそ私が行くべき、取材すべき大会だ!」
ポールに「私、ウステルシュンドに行くことにする。あなたともそこで会えるよね」とメールすると、彼からは「ぼくは行けなくなった。ダルフールに行くビザが取れなかった。でも、ConIFAの人たちはきみを歓迎してくれるよ。UEFAやFIFAの連中と違って、とてもopenでgenerousだから」と言ってきた。ポンペイ代表監督のときもだが、その後に関わったモンゴルのクラブチームの仕事でも、彼はUEFAとFIFAとの折衝に苦労しつづけたらしい。open&generousという彼の言葉の意味を、私はスウェーデンで実感することになる。
DSC06496
(ウステルシュンドの街。郊外とかではなく、これが街中、という牧歌的で閑散としたところ。向かって左手が湖で、仕事が終わると湖岸で家族連れやカップルがピクニックをしていた)

2014年5月30日にスウェーデン北部の小さな街、ウステルシュンドで開幕したConIFA第一回ワールドフットボールカップには、12チームが参加した。ConIFAとはどういう組織なのかがわかっていただけると思うので、チームの集合写真とともに紹介してみたい。
DSC06508

(北イタリア地域の代表、パダーニア。このときはイケメンが揃っていた……ような気がする。カメラを向けると全員「ちょっと待て」と鏡を出して髪を直す、というので苦笑した。2016年の大会ではこのときのメンツが2人くらいしかいなかった。バロテッリの弟もいなかったし。パダーニアといっても、実にイタリアらしいサッカーをやっているのがおもしろかった)
DSC06510
(アゼルバイジャンから独立を宣言したアルメニア人の国。まだ国際的には承認されていないナゴルノカラバフ。カフカース山脈の山岳地域にあり、地震が多発するとか。ヴォーニオン会長に「地震の共通項があるので日本には縁を感じる。一度ぜひ来てくれ。飯はうまいし、景色はきれい。最高だよ!」と誘われた。行ってみたいな、ナゴルノカラバフ)
DSC06521

(イエス・キリストが話していたというアラム語と、キリスト教の信仰によって結ばれているというアラメア・スルヨエ。アッシリアのあたりらしい。すでに何世紀も前に世界中に散っていて、主として北欧、ドイツ、アメリカで暮らしている。ゾロアスターだよね、これ、と旗を指差すと、厳しくアラメア・スルヨエだ、と言われた。いまだにアラメア・スルヨエがどういうものなのか不明な私。今年1月に会長のメルケ・アランに再開したときも「きみはまだアラメア・スルヨエをわかっていない」とダメ出しされたw)
DSC06520

(ジョージア北東部に位置する南オセチアも国際的に承認されていない独立国家。まだ紛争がときどき起こるらしいが、彼らは「ま、そんなもんさ」とたいして気にしていない様子だった。英語を話すのがロシアの大学に在籍しているという1名のゴールキーパーだけで、あとは私がインタビューしようと近づくと逃げたw。無愛想でぶっきらぼうだけれど、ロシア語通訳を介すると饒舌だった。ちなみに隣接する北オセチアはロシアに入っている)
DSC06523

(ブリテン島とアイルランド島にはさまれたアイルランド海に浮かぶマン島は、エラン・バニンというチーム名で参加。チームの3分の1は英国、アメリカに移住した人たちで、祖父母のどちらかがマン島で生まれていればチームに加わることができる)
DSC06518

(クルディスタン。イラク内にあるクルド自治共和国内のプロリーグから選抜された選手を主とするが、イランのクルド人も入っている、とのこと。イラクとかイランとかどうでもいいんだ、俺たちはクルド人だ、と何回も念を押された。まさか2年後にクルディスタンとこんなに仲良くなるとは、当時は思ってもみなかった)
DSC06507
(タミル・イーラム。スリランカ東部とインド南部にいるタミル人は、長年にわたる内戦で世界各地に散った。英国に移住した人たちが中心のチームなので英語で話を聞きやすかった。タミルの文化を誇りに、と言いながらも、移住後2世、3世の若者たちのメンタリティはすっかり英国人だった。監督のラゲシュとは仲良くなって、今もメールのやり取りをしながらチームの現状について情報をもらっている)
 
DSC06636
(2016年WFCホストとなったアブハジア。当時から選手もスタッフもすごく気さくで温かかった。この大会ではロシア語通訳がついたので、アブハズ自慢もいっぱい聞けた。実際に行ってみるとちょっと「あれ?」ということもあったけれど、人があたたかい、ということだけは自慢するだけのことはあった。このときの大会では失点が多くて8位。当時の監督は「出発2日前にようやくビザがとれた選手でチームを組んだからこの成績でもしかたない。本当はもっと強いんだよ」としつこいくらい念を押していた。ほんと、自国でやったら強かった。アブハズのサッカー熱を2年後に実感)
DSC06637
(南仏のオック語を話す人たちのチーム、オクシタニア。アミエル監督は選手たちに「おい、挨拶くらいはオック語でしろよ」とインタビューのときに言っていたが、それもフランス語だった。選手に聞いたら「おじいちゃんあたりでもうオック語は終わっているかも」。でも「オクシタンであることは俺のルーツ」とマジな顔でみんなうなずきあっていた)
 
DSC06771
(ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北部に暮らすサープミ。サーミの方が通りがいいのだけれど、彼らにサーミというといちいちサー「プ」ミと直されるのでちゃんとpを入れた表記にする。トナカイを飼って、橇に乗って移動し、湖で魚釣って生活しているイメージがある、とか言ったら、まじめな顔で「今でもそうだよ。トナカイの飼育と狩猟と漁業は我々サープミの生活そのものだ」と言われた。ちなみにトナカイの肉はうまい! 今は高価食材だけど、北欧を訪れたらぜひ一度食べるべき!)
 
DSC06804
(2014年大会で優勝したカウンテア・デ・ニッサ。ニース市周辺地域は、伯爵領だったんだけれど、ときにはイタリアに、ときにはフランスに組み入れられて政治的には揺れていたとか。独自の言語(方言、ということもいえる)を持ち、独自の文化を誇る。ニース市が全面支援し、大会優勝後にチームも地域のサッカーも大いに盛り上がっている。2016年大会は来られなかったけれど、2015年にハンガリーで開催されたConIFA欧州選手権では選手もスタッフも自信をつけた様子だった)
 
DSC06533
(ポール・ワトソンがコーチをするはずだったダルフール・ユナイテッドは、スーダン政府のダルフール地方から逃げ、現在チャドにある難民キャンプから選抜されたチーム。米国の支援団体とConIFAメンバーの支援を受けて参加した。初めてスパイクをはいた、という選手もいたくらいでダントツの最下位。2016年に出場したチャゴス諸島やラエシアも惨敗続きだったが、ダルフールほどではなかった。まったくサッカーをやったことがないほどのチームの参加については、ConIFAの会議のたびにあがる議題だ。ただ、ダルフールが出場するというので、メディアが集まったのは確かだ)