さて、2014年6月、第一回ConIFAワールドフットボールカップから帰国した私は、木村元彦さんのご紹介であちこちにConIFAについて記事を書かせてもらった。「サッカー批評」(当時。現在は「フットボール批評」)などサッカー関連媒体もあったけれど、岩波書店の「世界」、共同通信文化欄など、サッカーというよりも、世界情勢の視点から書かせてもらった媒体が多かった。
書きながら考えていたことは一つ。
「民族問題、グローバリズムとナショナリズム、スポーツの大会の商業主義など、今自分が感じている問題を解きほぐす一つの鍵となりそうなConIFAに、もっと自分自身が関わりたい」
私がConIFAを取材に行くとお話したときから興味を持ってくださった木村さんに、「日本でConIFAに参加する資格があるチームってどこがあるでしょうか?」と聞いたところ、「そりゃ在日コリアンのチーム、FCコリアでしょう」と即答された。
木村さんは在日コリアンのサッカーについて長年取材を続けておられ、数々の優れたルポやインタビュー記事を発表されている。それを読んでいた私も、実はひそかにConIFAに加盟するとしたら、一番にFCコリアを推薦したいな、と思っていたので、大会期間中にConIFAの幹部であるペール=アンデルス・ブランド会長やサシャ・デュエルコップ事務局長に「日本からもどこか加盟してくれないかな?」と聞かれたとき、「実はね、在日コリアンのチームがあってね……」と話をしていたのだ。帰国後、自分が書いた記事を英訳して送ったら、ブランドもサシャもたいへん喜び、Facebookページで「日本でこんな記事が出たよ」と紹介までしてくれた。
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(8ページも書かせてもらった「世界」。いま読み返すと、少数民族の問題や未承認国家を紹介するにあたり我ながら気持ちがはやっていたな、と思うと同時に、2014年から2年近くたって、あのころよりもっと世界はややこしいことになっている、とも気づく)

そしてサシャ・デュエルコップから「きみに言われて在日コリアンについてこちらでもいろいろ調べた。ConIFAの趣旨にぴったりだと思うから、もしもFCコリアに加盟の意志があるなら申込書類一式を送る」と言って、手続き方法とともに書類が添付されてきた。
そこで、木村さんにFCコリアの李清敬監督を紹介してもらい、申込書類とともにConIFAについて書いた記事を持って会いに行った。
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(ConIFA加盟にお話を持っていた最初から乗り気だったFCコリア李清敬監督)

李監督は乗り気で「国際大会に出るチャンスを逃す手はない」と言いつつも、「まずはFCコリアがどんなチームなのか、自分の目で見てください。その上で、手続きを進めましょう」と言われた。 関東社会人リーグ1部に所属するFCコリアは、ちょうどそのときリーグ戦の最中だったので、さっそく試合を観戦に行った。
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(2014年秋、FCコリアの試合を見に行った)
しかしその後、話はなかなか進まなかった。私も気になりつつも仕事が多忙だったり、家庭でもバタバタがあって、FCコリアをフォローする余裕がないまま日々が過ぎていった。やはり日本からの加盟は無理なのかなあ、とがっかりしつつも、それでも翌年に開催予定の欧州選手権には行く、と決めていた。ConIFAの事務局もメンバーも、ポール青年が太鼓判を押したとおり、open&generousで気持ちのいい人たちで、大会はサッカーをする喜びがあふれていた。ウステルシュンドで味わった感動と楽しさは、私にとってあまり経験したことのないものだったから。またみんなに会いたい、みんなの話をもっと聞きたい、と強く思った。

そして2015年年明け、ConIFA事務局より6月に開催する欧州選手権の開催地を、当初決まっていたマン島からロンドンに変更する、という連絡が届いた。マン島に行く気満々で、早々とホテルを予約していた私は、あわててキャンセルしてロンドンのアパートを予約した。ところが、5月に入ってから「ハンガリーに変更した」というではないか! しかも最初はブダペストと言っていたのに、すぐにデブレッツェンだと知らせがあった。デブレッツェン、それどこ? である。ウステルシュンドのときと同じく、私はまた地図を広げてデブレッツェンを探し、飛行機を探し、旅程を組んだ。
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(デブレッツェンはブダペストから列車で2時間ほど東にあるハンガリー第2の都市。ブダペストのこの美しい光景とはまったく無縁の、社会主義のにおいを強く感じさせる工業都市だった)
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(デブレッツェンの街の中心部。こう言っちゃなんだが、観光名所っぽいものは影も形もない)
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(街で一番おいしいというレストランはイタリアンだった。でも確かにおいしかった! イタリアン、すごいわ)

マン島→ロンドン→ブダペスト→デブレッツェンと開催地が短期間に変更になった理由はいろいろとある。まずアイルランド海に浮かぶマン島には、ロンドンから飛行機もあるが便数も席数も少なく、英国のマンチェスターからのフェリーで渡るのが一般的だ。ところが6月は世界中から人が訪れるオートバイのTTレースがあるのと、島の短い夏を楽しもうというリゾートシーズンで観光客が多く、チームのためのフェリーの席とホテルが確保できなかった。「僻地や島嶼部など、国際試合をするチャンスがない人々にそのチャンスを与える」がConIFAの理念であるが、現実問題、交通の便の悪い地域での開催は出場チームの足に大きく影響する。
ロンドンでの開催はスタジアムも宿泊場所も確保できたものの、マン島開催に比較すれば倍以上にふくらんだ予算にスポンサーが首を横に振り、開催地選びは振り出しに戻った。その後ブダペスト郊外のスタジアムに一時決まりかけたのだが、欧州への難民流入の入口となることで神経をとがらせていたハンガリー行政府、特に首都ブダペスト市が、アブハジアや北キプロスなどの未承認国家の選手たちを受け入れることに渋った。
そこで立ち上がったのが、スポーツ関連の訴訟を手がけるハンガリー人で弁護士のクリストフ・ヴェンゼルである。元バスケットボール選手のヴェンゼルは、プロスポーツ選手の契約や移籍を専門とする法律家で、ConIFAのNPO設立や法律問題に関わっていた。ブダペストでの大会開催が頓挫して途方に暮れていたブランドやデュエルコップに、「それなら自分の出身地で開催しよう」と奔走し、なんと6週間で開催のめどをつけた、というのだ。それもバスケットボールの人気選手で、しかも法律家という彼の人脈と実力があったからこそ、成し遂げられたことだ。
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(クリストフ・ヴェンゼルConIFA Vice President)
6月17日〜21日までデブレッツェンで開催された欧州選手権は、当初予定していた12チームの半分がビザの関係で参加できず、結局地元チームをかき集めて9チームの参加で開催。日程も短縮され、順位決定戦もなかった。老朽化したスタジアムで、観客もまばらな中での開催だったが、そんなところにチームが出場もしていない日本から取材にやってきた、というので、逆に私はハンガリーのメディアからいろいろと取材された。
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(老朽化した、というのか、ちょっと寂れた観のあるスタジアムだが、地元の少年たちが日常的にボールを蹴っているところらしい)
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(小規模といえど、勝利は嬉しさいっぱい。2014年大会で優勝したカウンテア・デ・ニッサは決勝進出を決めて大はしゃぎ)

そのとき彼らがしつこく私に投げかけた質問が、私をあらためて「よし! 次の大会にはぜひとも日本からチームを出場させよう!」と奮起させた。
その質問とは「日本には民族問題も人種差別もないでしょ? スタジアムでレイシズムの弾幕を出したり、あからさまに民族差別のチャントを歌ったりする人たちがいるわけでもないでしょ? それなのになぜきみはConIFAに興味を持つのか?」である。
浦和レッズのホームスタジアムで「Japanese Only」と掲げられたり、在日コリアンに対する醜いヘイトスピーチが問題になっているときだった。知り合いのサッカーファンから「俺たちのチームにコリアンやチャイニーズはいらない。そんなやつらをチームに入れたら、俺たちはクラブに抗議するし、それでも入れるというのならサポーターをやめる」とはっきり言われて、ショックと怒りで言葉が出なかったことが何回もある。
ハンガリーの記者たちに「いや、日本にも人種差別や民族問題は厳然とある。スポーツの場でそれが醜く出されることも欧州と同じだ」と答えながら、私は李監督にもう一度働きかけて、ぜひともConIFAに加盟して大会に出場してほしい、と思った。ConIFAの理念を日本にもっと紹介したい。スポーツを通しての交流が、経済効果だけではない大切なものを生むことにもっと光をあててほしい。
折しも2020年オリンピックを東京に誘致する運動が繰り広げられていた。そして「イスラム国」の台頭が世界を揺るがしていた。日本は「国」「民族」「人種」の問題にどう向き合うのか? ヘイトスピーチを黙認しておきながら、世界中からやってくる人々を本当に歓迎できるのか? この複雑な世界の、多種多様な人々を受け入れるにあたって、「お・も・て・な・し」だけではすまない対応が迫られるはずだ。
デブレッツェンからブタペスト経由で日本に帰国する間、どうやったら日本のチームを来年2016年に開催されるConIFAワールドフットボールカップに出場させられるか、を考え続けていた。

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(2016年のワールドフットボールカップにはぜひFCコリアを出場させて、とブランド会長に頼み込んで、「既成事実」のように木村さんが持参したユニフォームを持たせて写真を撮った……苦笑)