いま書いている「翻訳というおしごと」(11月末刊行予定)という本の取材のために、第一線で活躍なさっている翻訳者の方々に取材したのだが、そこで聞いたある翻訳者のひと言が私の頭の中で鳴り響いている。
「私には一生ヒマな日は来ない」
「ヒマになったら片づけよう」「ヒマになったら家事をしよう」と思っていたら、いっこうにヒマにはならず、家が混沌としてきて収拾がつかなくなった。そこで この言葉を自分にかけて、立ち上がって仕事場と家を片づけた。そしたら仕事も家事も効率的に進められるようになっただけでなく、仕事における信用度も高まった、というお話だった。
ヒマになったら……仕事を引退したら……老後は……と後回しにしていることが私にもたくさんある、ような気がしていた。ところが、今、それらを書き出そうとしてみたら、たいして思いつかないのだ。
ヒマになったら読もうと思っている本が、いま背後の本棚に積み上がっている。でも、たぶんヒマになっても視力と気力が衰えて、おそらく読めないだろう。そろそろブックオフか古本屋に来てもらうかな。
ヒマになったらクローゼットを整理しよう、とは思っている。でも、「いつか着るかも」と思って後生大事にとってある服は、恐らくもう一生着ないだろう。処分してしまわねば。そうなると、ゴミ袋に突っ込めばすむこと。何もヒマを待たなくてもすぐにできそうだ。
ヒマになったらやりたいことが、今はそれ以上思いつかない。
今はまったくヒマではないが、それは少しでもヒマができたときに何かを始めて、それでますます忙しくなってしまったからだ。これまでずっとそうだった。やりたいと思ったら、すぐに始めてしまう。しかも結構しつこく、諦めが悪い性格だから、なかなかやめない。しかものめりこむ。その繰り返し。サッカー観戦とか、書道とか、語学学習とか、エクササイズとか、ほんとしつこい。
だからいくら待っても、私にはたぶん一生ヒマな日は来ない。それはもうよくよくわかっている。
かといって、無理やりヒマをつくったら、その後はますます忙しくなる。
いったいどうすりゃいいんだ〜〜〜って、もうこれは性(さが)ですな。
あきらめて、忙しさを楽しむことにしますわ。
でも、今の仕事が一段落したら、仕事部屋は片づけよう。ヒマじゃなくても、無理やり時間をつくって片づけよう。混沌が増している今日このごろ。
「私には一生ヒマな日は来ない」
「ヒマになったら片づけよう」「ヒマになったら家事をしよう」と思っていたら、いっこうにヒマにはならず、家が混沌としてきて収拾がつかなくなった。そこで この言葉を自分にかけて、立ち上がって仕事場と家を片づけた。そしたら仕事も家事も効率的に進められるようになっただけでなく、仕事における信用度も高まった、というお話だった。
ヒマになったら……仕事を引退したら……老後は……と後回しにしていることが私にもたくさんある、ような気がしていた。ところが、今、それらを書き出そうとしてみたら、たいして思いつかないのだ。
ヒマになったら読もうと思っている本が、いま背後の本棚に積み上がっている。でも、たぶんヒマになっても視力と気力が衰えて、おそらく読めないだろう。そろそろブックオフか古本屋に来てもらうかな。
ヒマになったらクローゼットを整理しよう、とは思っている。でも、「いつか着るかも」と思って後生大事にとってある服は、恐らくもう一生着ないだろう。処分してしまわねば。そうなると、ゴミ袋に突っ込めばすむこと。何もヒマを待たなくてもすぐにできそうだ。
ヒマになったらやりたいことが、今はそれ以上思いつかない。
今はまったくヒマではないが、それは少しでもヒマができたときに何かを始めて、それでますます忙しくなってしまったからだ。これまでずっとそうだった。やりたいと思ったら、すぐに始めてしまう。しかも結構しつこく、諦めが悪い性格だから、なかなかやめない。しかものめりこむ。その繰り返し。サッカー観戦とか、書道とか、語学学習とか、エクササイズとか、ほんとしつこい。
だからいくら待っても、私にはたぶん一生ヒマな日は来ない。それはもうよくよくわかっている。
かといって、無理やりヒマをつくったら、その後はますます忙しくなる。
いったいどうすりゃいいんだ〜〜〜って、もうこれは性(さが)ですな。
あきらめて、忙しさを楽しむことにしますわ。
でも、今の仕事が一段落したら、仕事部屋は片づけよう。ヒマじゃなくても、無理やり時間をつくって片づけよう。混沌が増している今日このごろ。
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