私は不器用です。関西弁では「どんくさいやつ」。
子どもの頃は、何をやらしてもヘタクソで、のろまで、なかなかうまくいかない私は親(特に母親)にさんざん「不器用!」「バカ(→関西ではかわいげのないアホの意味)」とののしられてきました。私が親でもののしりたくなるほど、ほんまどんくさいやつでありましたよ。
何がダメって、まずは裁縫。針を持たせれば自分の手を縫い、ミシンは踏めず(昔は足踏みミシン)。いやいや、ミシンの糸通しはまったくできませんでした。洋裁が趣味で、親子で揃いのワンピースなんかをちゃっちゃっと作ってしまう母親から見れば、いったいこの子は……と思っても無理はありませんね。
包丁を持たせれば、またもや自分の手を切り、リンゴの皮を剥けば皮側に果肉がどっと残る。みじん切りなんて夢のまた夢。実際、自分がみじん切りをリズムよくやっている夢を見ましたね。
学校の成績もひどかった。先生が何を言っているかさっぱりわからず。算数なんてお手上げで「はいはい!」と手を挙げるクラスの皆を茫然と見渡すだけ。理科の実験では、不器用すぎてビーカーを割ってグループの顰蹙を買う。体育なんて、いやはやもう……。運動会は地獄でしたね。小学生時代はいわゆる「お客様」状態でした。(ただ、本好きだったので、国語と英語と社会だけは成績がよくて、落第だけはまぬかれていました)
今はいろんなことに手を出して、なんかそこそこやっているように見えるけれど、「不器用」「どんくさい」と言われ続けたおかげで、それなりの努力をしているから何とかサマになっているだけです。
そして、不器用でどんくさいという自覚があってよかったな、と最近思います。開き直りですけれどね。
なんで年の初めにそう思ったかというと、書道の課題提出に取り組んでいて、何回やっても隷書の転折と八分隷がうまくいかなかったんです。ほかの人だったら、たぶん10枚も書けばすぐに習得できると思うのに、私は50枚書いてもうまくいかない。
で、ふと思ったんです。10枚書いて習得できれば言うことはないけれど、もしかするとそこで終わってしまうかもしれない。でも、50枚、100枚書いてなんとかしようと自分なりの試行錯誤を重ねるうちに、思いもかけない「発見」があるかもしれない。たとえば、線の太さの変化とか、筆の穂先がどう動いているか、などに気づくとかね。そして100枚書いてやっと習得できたものは、きっと10年たっても失われないんじゃないか、と。
語学とか料理とか書道とかは、不器用ものにとっては試行錯誤を重ねて自分なりの「発見」を重ねることでようやく身についていくもののような気がします。だから不器用ものには向いているのかもしれない。
ただ、化粧とか髪のセットとか、そういうものは今も苦手です。化粧するたびに、あああ、なんで私はこんなに不器用なんだ、といらつきます。たぶん不器用な化粧のまま、終わっちゃうんだろうなあ。