欧州滞在中から引き続いて時差ボケです。もしかすると、時差がとれた本物のボケの始まりではないか、というくらいぼけ〜〜〜っとしている。一日中眠い。夜11時に就寝しても、午前3時に眠っても、朝9時まで目が覚めない。ケータイのアラームが何回スヌーズしても気がつかないほど。夜間の睡眠時間に関係なく、昼間も眠い。疲れてるんだよ、と言われたくない(そういうところは意地を張ったりする)ので、なんとか平気な顔をして仕事をしていますが、うーん、頭の芯のところでねじが巻き切れていない感じ。
はい、おっしゃりたいことはわかっていますよ。「もう年(トシ)が年なんだから、いい加減に自重しろよ」
そう、自重(日本国語大辞典の定義では③自分のからだをたいせつにすること。自愛、ですね)はどの年齢においてもたいせつなのだけれど、とくに高齢化へと向かいつつ、しかも経験を積んで自分のからだがわかっている「はず」の年ではやるべきことなのかも。
ところで、自重(じちょう)の項目で一番にあげられている定義は「自分の品位を保ち、むやみに卑下したりしないこと。自尊」です。でもって、私はこの定義についての「自重」も、今ひとつできない。
仕事で、ちょっと重そうな案件をふられると、つい言ってしまうひと言。「私には無理です」「私なんか、まだまだダメです」
自分は謙遜しているつもりだろうか? それとも本当に自信がないのだろうか?
「翻訳というおしごと」で、自分にとって新規分野の案件を振られたときに「私には無理です」と言うな、と堂々と書き、トークイベントではしょっちゅう「やったことがない分野だからとか、まだ自分は実力がないと卑下していては仕事はこない」とか言っているくせに、自分ではつい言ってしまう、やってしまうこのくせ。これは日本人的な癖なのか? 
振り返ると、小さいころから私は「人並み」という呪縛に縛られてきました。先日自分は「どんくさい」と書きましたが、そのどんくささについての劣等感は「人並みでない」というところから来ていたように思います。親から、親戚から、学校の先生から、常に言われ続けたのは「人並みに(なるように)がんばれ」でした。特に親(母親)からは「あんたは人の倍がんばって、ようやく人並みになる。勉強も習い事も人の倍がんばりなさい。それで人についていける」と言われ続けたことが、今も耳の奥で鳴り日々言っています。そして大人になって、自分に自信もつき、子育てもして、ようやく「人並み」なんて基準がないことに気づいた後も、まだ「自分は人並みになれないダメなやつなのではないか」という思いがどこかにくすぶっているようなのです。
そしてこれってどうも日本人特有の感覚みたいです。「人並み」という基準について、日本以外の文化で育った人に説明しようとしても、なかなか理解が得られない。
実は今も「自分はまだまだダメだ」という自信喪失→自尊心傷つく→劣等感に苛まれる→前に進むことに臆する、という負のスパイラルに陥りかかっています。たぶん、仕事でちょっとつまずいているせい? 他人(善意の人。善意から出た言葉ほど私を傷つける)から言われたことのせい? 自分の知識と思慮の足りなさに気づいたせい? それとも単に疲れているせい?
こういうときこそ「自重せよ」と自分を励まさなくてはなりませんね。
もちろん「まだまだダメだ」がプラスのスパイラルになることもあるわけです。まだまだだと思うからこそ、もっと知識を増やし、もっと考えようという動機にもなる。
まずは時差ボケから立ち直り、プラスのスパイラルへと転換できるように、自重します。
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